トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

Normal People / サリー・ルーニー: フツーのひとって、どんなひと

(ふつうのひと)

2018年のブッカー賞にもノミネートされた、サリー・ルーニーの長編2作目。2020年には映像化もされた(下にApple TVのリンクを貼りました。ドラマもよかったですね〜!)。描かれるのは2011年から2015年にかけて起こったできごと。高校から大学へ進学し、関係性がたびたび変化する若き男女を描いている。

Normal People (English Edition)

Normal People (English Edition)

  • 作者:Rooney, Sally
  • 発売日: 2018/08/28
  • メディア: Kindle版
 

tv.apple.com

要はくっついた別れたのすったもんだか、これはパスかな……と思ったあなたにこそ! 読んでいただきたい作品かもしれない。

 

 

ふつうのひととは誰のこと

Marianne(マリアン)とConnell(コネル)はアイルランドのCarricklea*1で生まれ育ったティーンエイジャー。メインストリートが1本あって、そこにパブや商店が立ち並び、住民全員が知り合いというような小さな町だ。2人は同学年だが、友人というわけではない。

マリアンは裕福な家出身の女の子。父は早くに他界し、母と兄と暮らしている。母からはネグレクトされ(息子と娘への態度が180度違う、いわゆる毒親)、兄から暴力を振われることもあり、家族とはうまくいっていない。おそらくそうした生い立ちも原因で学校になじめず、友人が1人もいない。周りから「浮いてる」とされる子である。やることがなくてしょうがないから勉強しているおかげで、成績はトップクラス。

一方コネルはシャイで口数が少ないものの、スポーツが得意な学校の人気者。気のおけない男友達も多く、女の子からもモテモテ。実は読書が好きなのだが、世間体を気にするコネルは「ダサい」と思われることを恐れているのか、人前で本の話をすることはない。母親、Lorraine(ロレイン)はシングルマザーということもあり生活は困窮してこそいないものの、余裕はない。

ロレインはマリアンの家で掃除婦として働いている。そんなわけで学校では決して口を聞くことなんてない2人はマリアンの家でたびたび顔を合わせるようになり、ひょんなことから寝てしまう。だが、「付き合う」という選択肢は、クラスメイトの反応を気にするコネルにはなかった。マリアンには「ヤッてることは誰にも言わないで」と口止めし(最低だな)、その生い立ちゆえに自己肯定感があまりにも低いマリアンは同意する。

ところが、その後大学に進むと2人の関係は180度変化する。2人ともCarrickleaを出て、首都ダブリンのトリニティカレッジ(ダブリン大学)に進学したのだが、大学で一躍人気者となったマリアンとは裏腹に、コネルは友だちもできず、なかなか馴染めない。生活レベルや生い立ちといった面で「コネルみたいな子」が多かった高校とは違い、トリニティカレッジの大学生らは一様に裕福な家庭出身で、両親はインテリで、「マリアンみたいな子」ばかりなのだ。コネルのことをかげで「労働者階級の子」呼ばわりする学生だっている。

自分自身は何も変わっていないのに、環境が違うだけで周りの反応がこんなにも異なるなんて。そのことにびっくりするのは、マリアンもコネルも同じである。そして2人とも、高校と大学時代を通して「自分じゃない誰か」になろうともがこうとしたり、どこまで行っても(地元を離れても、留学しても、新たな恋人ができても)自分は変わらないんだと気づいて絶望したり、逆にほっとしたりする。

I don't know what's wrong with me, says Marianne. I don't know why I can't be like normal people.

私ってどうしてこんななんだろう、とマリアンは言う。どうしてふつうのひとみたいになれないの。

会話に「normal people」という言葉が出てくるのは1か所(↑)のみだけれど、心から絞り出したようなマリアンのセリフがとても印象的だ。大学を卒業して、大人になって、みんなそういう思いとなんとなく折り合いをつけて生きていくんだよと若者に言うことは簡単だけれど、そうやってもがいた日々を忘れたり嘲笑したりはしたくないものだなと、いい大人のわたしは考えたのだった。

 

どうしてこんなに人気なの

あっという間に小説の世界に引きずり込まれて、夢中になり、たったの1晩で読み終えた作品なのだが、その秘密は構造にある。2011年の1月から始まるこの小説、章が変わるたびに時間が経過する。それは「1か月後」だったり、「3か月後」だったりする。読者には明かされない章と章の間で、マリアンとコネルは仲違いしたり、何もかもがうまくいって人生薔薇色状態からどん底に落ち込んだり、他の恋人ができたりしている。

読者は新たな章に移るたびに、まるで数か月ぶりに会った友人との会話のごとく「えっ、夏の間にそんなことがあったの!?」と驚きながら状況を把握する。その感情の揺さぶられ方がクセになるのだ。新たな章で色々説明する必要が出てくるわけだが、登場人物による振り返り方も巧みである。

ともすればティーン向けドラマになりそうな題材なのに静謐な雰囲気が感じられるのは、今やルーニーの代名詞ともいえる現代的な語り口(現在形、括弧を用いない)のおかげだろう。日本でも増えつつある会話文に「」を使用しない文体だが、これはもしかすると、テクノロジーの発展に起因しているものなのかなと考えることがある。

実際に会って話したり電話したりするだけではなくて、音のない会話、つまりSNSやメールを介した画面上のテキストベースの会話が増えたからなのではないかなと。知り合いからのメッセージが自分の頭の中の考えと同じ周波数、同じ大きさで聞こえてくる(読まれる)ようになったからなのかもしれない。そういえば『文藝 夢のディストピア』に掲載されていた児玉雨子さんの「誰にも奪われたくない」では確か、電話とSNSのやりとりは括弧なしになっていたような……(不確かなので読み返さないと)。

 

さて、この小説には出版以前に書かれた「後日談」ともいうべき短編"At the Clinic"があって(ちなみにルーニーのデビュー短編)、それが2020年に公開されたのでこちらも合わせて読んでみた。のですが、知りたくない人もいるかもしれないから、別記事で書きます。

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マリアンとコネルが読んでいた本

作中で、マリアンとコネルが読んでいた本。

 

『失われた時を求めて スワン家のほうへ』

高校では友だちが1人もいなくて、ランチの時間も1人ぼっちのマリアン。「表紙にフランスの絵画がプリントされていて、背表紙はミントの色」の「スワン家のほうへ」を、細い指でめくっている。マリアンから醸し出される、他の人とは一線を画した空気に、コネルは惹かれるのだった。 

小説の中でスワンが体験する恋(「スワンの恋」)、燃えるような嫉妬を、マリアンものちに経験することとなる。そのとき、この本のことを思い出しただろうか。

実はわたしも、恋愛の嫉妬というのは「スワンの恋」で初めて知って、その後大学生になったときに「ああ、これ! スワンの気持ちを追体験している!」と思ったくちなので、読んでいてなんともいえない感傷的な気持ちになった。

そういう風に、本作に登場する小説がその後の登場人物たちの気持ちに見事にリンクしているのも、読んでいて楽しい。

 

『黄金のノート』ドリス・レッシング

黄金のノート

黄金のノート

 

こちらは、高校時代のコネルが読んだ本。マリアンの後を追うようにしてトリニティに進学するのだったら、その後の人生が大きく変わるな……と大学について考えるコネル。そんなとき、以前読んだこの本のことを思い出す。新たな世界の象徴のような1冊。

 

『エマ』ジェイン・オースティン 

エマ (上) (ちくま文庫)

エマ (上) (ちくま文庫)

 
エマ (下) (ちくま文庫)

エマ (下) (ちくま文庫)

 

大学へ進むと、マリアンが政治学部でコネルが英文学部ということもあり、小説を読むのはもっぱらコネルに。コネルは大学に入って初めてオースティン作品と出会った様子。ナイトリーはハリエットと結婚するのか!? どうなんだ!? というところで図書館が閉まるから帰宅しなくちゃいけなくなって、続きが気になる〜というコネルの心境が綴られる。

 

『アーサー王の死』トマス・マロリー、ウィリアム・キャクストン

シャイで授業中発言もできず、どうにもクラスになじめていないコネルがこの作品についてプレゼンテーションをして、拍手喝采を浴びる。その解釈に「天才」とまで呼ばれるようになり、一躍文学部のスターに。 

 

ジェイムズ・ソルターの小説

夏休み、友人と海外旅行に行ったコネルが読んでいる。タイトルが明かされないので不明だが、日本だと岸本佐知子さんの訳で短編がいくつか出版されていますね。

楽しい夜

楽しい夜

  • 発売日: 2016/02/25
  • メディア: 単行本
 

 

フランク・オハラの詩

同じく旅行中、コネルがベルリンの本屋さんで見つけ、イタリアで休暇中のマリアンにお土産として持って帰る。

Selected Poems

Selected Poems

  • 作者:O'Hara, Frank
  • 発売日: 2009/09/08
  • メディア: ペーパーバック
 

 

本書がノミネートされた2018年のブッカー賞では、初めてグラフィックノベル(ドルナソの『サブリナ』)がノミネートされたり、時代の流れを受けてディストピア的な作品が集まったりしていた。審査委員長の「既存の価値観を破壊するようなユニーク」な作品が集まったという言葉が心に残っている。受賞したのは『ミルクマン』だった。

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サリー・ルーニーの長編デビュー作のレビューはこちら。 

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みなさま、今日もhappy reading!  

*1:架空の場所だが、スライゴ付近であることが示唆される。ドラマ化された際もスライゴで撮影が行われたそう。

3月に読んだ韓国文学 #koreanmarch

 去年に引き続き、インスタでは世界文学読みさんたちが「#koreanmarch」を開催していたので、これ幸いと韓国文学三昧な日々を過ごした。色々な方が読んだ本や積読している本を眺めているだけで、幸せな気分に……。 

 わたしはといえば、新しいものは購入せずに積読を消化したり、読んだけれど感想を残していなかったものを再読したりしました。どれも大好きで、大切な作品ばかり。

 本を読んで知ったこと。韓国ではお葬式にユッケジャンを食べる(大量に作ることができるから)らしい。これは以下の本のうち、なんと3作品に登場したのでしっかり頭にインプットされた。異性が使っていた座布団を盗むと、受験に合格するというおまじない(迷信)があったらしい。そうなんだ〜! 韓国人の友人や同僚がいても、1年に何度旅行で訪れても、知ることのなかった事実。あらためて、文学って知らない世界を教えてくれるのだなあと、こんなところから実感したりした。

 

『アンダー、サンダー、テンダー』チョン・セラン(吉川凪訳) 

アンダー、サンダー、テンダー 新しい韓国の文学
 

 去年『フィフティ・ピープル』を読んで、ハマったチョン・セラン。1つ1つのエピソードは本当にシンプルで短いのに、どうしてここまでと思うほど、それぞれの人々が抱える仕事への思いが書き込まれている点がすてきで、その観察眼にやられたのだった。それから数週間の間に、チョン・セラン作品を読みまくった。怒涛のチョン・セラン月間。どれもとてもユニークで、SF、ラブコメ、青春ものと、ジャンルも書き方もテーマも異なるのに、それぞれ面白い。ジャンル小説寄りのものもあれば、本作のような純文学寄りの作品もあり、とても軽やかにいろんな垣根を乗り越えていく作家というイメージ。

 『アンダー、サンダー、テンダー』は、北朝鮮との国境近くにある小さな町、坡州(パジュ)で育った幼なじみたちの物語。1990年代の雰囲気がとてもよく出ていて、ノスタルジックで、読みながら岡崎京子の『リバーズ・エッジ』を思い出す。

十代を過ごすというだけでも楽なことではないのに、世紀末に十代を過ごすというのは、いっそうきつい経験だった。絶望と無力感、悲観的展望が異常なほど私たちを覆いつくし、私たちはそれを忘れるためにやたらとピアスの穴を開けた。

 口の中で鉄の味がすると思っていたら実は血だった、みたいな、遠くで蜂の羽音がすると思っていたら実は戦車だった、みたいな、徐々に忍び寄ってくる不穏さがある。

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『保健室のアン・ウニョン先生』チョン・セラン(斎藤真理子訳) 

保健室のアン・ウニョン先生 (チョン・セランの本 1)

保健室のアン・ウニョン先生 (チョン・セランの本 1)

 

 これは作家自身が「楽しんで書いた」と語っているとおり、肩の力を抜いて楽しく読める大好きな作品。春風みたいに爽やか。

 養護教論のアン・ウニョン先生は実は霊能力者。高校にうごめく悪霊たちをBB弾銃とおもちゃの剣で次々にやっつけていく。唯一彼女の秘密を知っているのは、漢文教師のインピョ先生。

 ファンタジーかと思いきや、「湿気でいっぱいの建物の中は、掃除をしていない金魚鉢みたい」という学校特有の息が詰まるような感覚とか、「通気性というものを考慮していない合成繊維」の制服の着心地の悪さとか、ティーンエイジャーたちが抱えるどうしようもない気持ちが丁寧かつそれとなく描写されていて、現代韓国の受験の熾烈さだったり、始まったばかりの恋愛の楽しさだったり、「エロの力」だったり、『韓非子』モチーフが登場したりと、とにかく盛りだくさん。そして、ぽやーっとしているように見えて社会からとんでもない圧力をかけられストレスを感じている子どもたちを守ろうとするウニョン先生の深い愛に感じ入る。

 Netflixのシリーズはまだ観ていないので、これから観たいな〜。

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『屋上で会いましょう』チョン・セラン(すんみ訳)

屋上で会いましょう (チョン・セランの本 2)

屋上で会いましょう (チョン・セランの本 2)

 

 こちらも、現代社会を映し出すような短編集。冒頭の「ウェディングドレス44」は、1着のウェディングドレスをレンタルして着ることになった44人の女性たちの物語。淡々とした描写で、幸せだったりそうじゃなかったりする女性たちの結婚式や人生について語られるが、読んでいるうちに彼女たちの肩にのしかかる周りからの期待やプレッシャーの大きさを感じるようになる。ぐいぐい締め付けるコルセットのように。

「結婚生活はどうですか」

「屈辱的だよ」 

 後輩から聞かれて思わずそう答えてしまった女性。夫には何の問題もないのに、韓国社会が自分に押し付けてくる数々の難題。「自分の人生の所有権が、別の誰かにゆだねられてしまった気がする」の言葉に思わず「はあ」とため息が出る。

 大学院のために日本に留学していたけれど、ひょんなことからお菓子職人になった女性が韓国にいる親友と会話する「ヒョジン」はそのカジュアルな語り口から、ぶっきらぼうなようでいて親切な語り手の性格が垣間見えるようで、エピソードもそれぞれ印象的で、心に残る。

 魔術で運命の相手を呼び出す方法を先輩から伝えられる表題作「屋上で会いましょう」、ダイエットの話かと思いきやまさかのゾンビもの「永遠にLサイズ」、美しくセンスがよく料理も上手でみんなの憧れの的だった女友だちが繰り広げる「離婚セール」など、絶望しているときでも本の向こう側から誰かが手を差し伸べてくれるような、その手の温もりをしっかりと感じるような作品。

 

『わたしたちが光の速さで進めないなら』キム・チョヨプ(カン・バンファ、ユン・ジヨン訳) 

わたしたちが光の速さで進めないなら

わたしたちが光の速さで進めないなら

 

 『文藝』で2020年に「韓国・SF・フェミニズム」が特集されていて、それがとてもおもしろくて興味を惹かれ(デュナさんの作品はもっと翻訳&単行本化されないのかしら、ぜひ読みたい)、購入した1冊。

 どの短編にも最新技術が登場し、宇宙旅行やコールドスリープ、ファーストコンタクトなどクラシックなSFのモチーフが扱われている。しかもかなり丁寧に技術的な部分が描写されている(それもそのはず、チョヨプさんは生化学で修士号をとったとのこと)にもかかわらず、どれもテーマは人間が抱く感情というところがテッド・チャンやケン・リュウにも通じる。さまざまな愛、マイノリティとして生きる孤独、損失の悲しみ。ユートピア社会に生きる若者が抱く疑問を描いた「巡礼者たちはなぜ帰らない」、時間も空間も超えて誰かを思い続ける「わたしたちが光の速さで進めないなら」、死後の人間の「マインド」が図書館で管理されるようになった社会が舞台の「館内紛失」など、どれもユニーク。

 『文藝』では「2019年はSF元年」、「マーガレット・アトウッドやオクテイヴィア・バトラーなどを読んで育った世代がSF作家となり、新たな作品を発表している」とあった。同じ作家群を読んで育ったわたしも、これからの韓国SFの翻訳をただただ楽しみに待ち望んでいる。

 

『娘について』キム・ヘジン(古川綾子訳) 

娘について (となりの国のものがたり2)

娘について (となりの国のものがたり2)

  • 作者:キム・ヘジン
  • 発売日: 2018/12/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 語り手は60代の女性。夫を亡くし、大好きだった教職を退いて今は介護の仕事に励んでいる。そんなある日、住む場所をなくした娘が恋人と一緒に家に転がり込んできて……。

 この小説では、女性が名前を持たない。男性はそれなりの役職についている者も(クオン課長)、難民の若者も(ティパ)名前で呼ばれるのに、女性は死んだ者か限りなく死に近づいた者以外、1人も名前を持たない。年長の者は職業や立場で呼ばれ(教授夫人、新入り)、娘たち世代は両親につけられた名前を拒むかのように、自身で決めたあだなで呼び合う。そんなところにも、女性に課せられた苦しみが見え隠れする。

 冒頭の、老いていく悲しみや30代の娘のはつらつとした若さの描写、その観察眼に圧倒される。どうしてかかとが斜めにすり減ったスニーカーを履くの、どうしてジーンズの裾をほつれたままにするの、どうして人が重要視する価値を「ことごとく無視」するの。語り手の心の奥にそっとしまっておかれるものの批判的な意見の数々は、娘がレズビアンであることに対する葛藤を反映しているのだということが後々明かされる。

 性的マイノリティで、しかも自分の利益はそっちのけで他者の幸福のために体力もお金も差し出す娘。「私」は歯痒くてしかたない。娘の恋人である「あの子」を見れば、「料理も掃除も上手なのに、なぜ結婚しないのだろうか」と考える。自分は「善い人」であるよう努力してきたのに、なぜこんな仕打ちを受けるのだろうか、と。

 私生活でみせる頑なな姿勢とは裏腹に、仕事(介護施設)での語り手は揺れている。とある老女のことを理解しようと努力し、その孤独に寄り添う。機械のように老人を世話することに疑問を覚え、処遇の改悪は断固拒否する。

 相反する感情。娘のことになると、「人並みの幸せ」という言葉が頭を離れない。それは彼女の幸せを本当に願っているからなのか、それとも世間体を気にしているからなのか。それすらわからなくなってくる。

そして未来の娘が到達する、おそらく私が行き着くことのない次の時代は、どんな姿をしているのだろう。さすがに今よりはマシだろうか。いや、今よりも厳しいだろうか。

 

 3〜4月は久しぶりに、腰を落ち着けて本を読むことができそうで嬉しいわたしです。みなさま、今週もhappy reading! 

 

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My Friend Anna / Rachel DeLoache Williams: アンナ・デルヴィー、「ソーホーのペテン師」と嘘まみれの人生

(『令嬢アンナの真実』原作)

    ノンフィクションなのだけれど、いろいろな小説を思い起こさせる1冊だったのでブログに投稿しておく。

 2017年に逮捕され、2019年に裁判が行われた、「ソーホーのペテン師」アンナ・ソロキン(アンナ・デルヴィー)について書かれた1冊。

 

 

Netflixがアンナ・デルヴィーに関するシリーズを制作中

 アンナ・デルヴィーというのは彼女の名乗っていた名前で、本名はアンナ・ソロキン。ググってみると、日本語の表記はまだ揺れているようだけれど、シリーズ化に関するニュース記事では「アンナ・デルヴィー(あるいはデルビー、デルヴェイ)/ソロキン」となっているので、ここでもそう表記する。

 そう、Netflixで『令嬢アンナの真実』としてシリーズ化されるのです。アンナを演じるのはジュリア・ガーナー。脚本は『グレイズ・アナトミー』のションダ・ライムズ。

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セレブに憧れた女詐欺師アンナ・デルビーを描くNetflixドラマのキャストが決定 : 映画ニュース - 映画.com

Inventing Anna - Anna Delvey Netflix Series Release Date, Cast And News

 ちなみにNetflixシリーズはこちらの本ではなく、ずっとアンナ・ソロキンを追っているNew York Magazineのジャーナリスト、ジェシカ・プレスラーによる取材が基となっている。 

 ではこの本は誰が執筆したのかというと、Vanity Fairのフォトエディター(当時)、レイチェル・デローシュ・ウィリアムズ。アンナの友人であると同時に、彼女に6万ドル以上を騙し取られた女性だ。年収が6万ドルほどだったレイチェルにとって、それはパニック障害を引き起こすほどのトラウマティックな大事件だった。

 

アンナとは誰だったのか

 アンナ・ソロキンはロシア生まれ。父親はトラックの運転者という中流階級出身で、後に家族でドイツに引っ越す。高校卒業後にパリのPurple誌にてインターンを経験したことをきっかけにセレブリティたちとのコネクションを築く。

 その後渡米し、ニューヨークの高級ホテルで暮らすようになる。「ドイツの資産家令嬢」という触れ込みで米国でも人脈を築き、マンハッタンの高額物件を購入しようとしていた。

 どこからお金を捻出していたのかというと、自らの銀行口座間における小切手詐欺(決済が行われる前に、お金を別口座に移動させ確保する)。また、「国際送金をするから(I'll wire money)」と繰り返し、数々の高級ホテルの宿泊料やプライベートジェットの費用を踏み倒していた。被害総額は25万ドル超。

 彼女の手口については、下の記事に詳しく記載されている。

虚構が生んだファッショナブルな詐欺師 |ハーパーズ バザー(Harper's BAZAAR)公式

友人だったヴァニティ・フェア誌の元編集者が語る「ソーホーの詐欺師」の手口 - Ameba News [アメーバニュース]

 

読みたいと思った理由

 この事件の顛末についてはさまざまな記事が公開されているが、特に印象に残ったものが2つあった。1つが、この本を執筆したレイチェルによるVanity Fair誌の記事。こちらの内容は本書の要約のようなもの。

“As an Added Bonus, She Paid for Everything”: My Bright-Lights Misadventure with a Magician of Manhattan | Vanity Fair

 そしてもう1つが、Elle DeeというDJによる記事だった。

My Anna Delvey story: Strange encounters with a fake heiress - BBC News

 高価だけれどどこか野暮ったい服に身を包み、髪のメンテナンスに800ドル、まつげエクステには400ドル費やしていたというアンナ。マンハッタン一と謳われる話題のレストランにも、Supremeのジャージとスニーカーで現れ、「他の客にとっては『特別なダイニング・エクスペリエンス』、わたしにとってはいつものランチ」というオーラを放っていたらしい。その外見は、エフォートレスに見せて実は手がかかっているという、現代的なrich girlそのもの。いとも簡単に騙される人が多かった中、Elle Deeは「この子はちょっとおかしいぞ」と感じ取っていたようだ。

 初めて会っても「こんにちは」さえ言わないマナーの悪さ、令嬢だという触れ込みなのにパーティーの後車泊していたという事実(お金はあるはずなんだから、その辺のホテルをとるか、送迎車を呼べばよかったんじゃ?)、ディナーに誘われたので行ってみると、その場に居合わせた人々は皆初対面のようで会話はまったく弾まない……。

 Elle Deeは次第にアンナを避けるようになるのだが、パリのファッションウィークで再びアンナと出会う。同じホテルに滞在していたのだ。翌朝、アンナから電話があり、「クレジットカードが使えなくて、ホテルに滞在費を支払えない。35,000ユーロ(約410万円!)貸してくれない?」と聞かれる。

 彼女に対して不信感を抱いていたElle Deeは当然、「そんなお金持ってない」と拒否。すると、Elle Deeが有名な企業家と付き合っている(&彼もホテルに滞在している)ことを知っていたアンナは「あなたの彼氏は? お金貸してくれない?」と聞いたのだった。

 Elle Deeの記事を読むと、「なんでこんな明らかにおかしな女の子にみんな騙されちゃったんだろう? 6万ドルも払っちゃったレイチェルって、何考えてたの?」と思うのだ。

 レイチェルは「全額わたしが負担するから」とアンナに言われ、モロッコのラ・マムーニアのスイート(1泊何万ドルもする)に宿泊し、その滞在費用を肩代わりさせられている。この本を読むまでは、そもそも自分で自分の宿泊費を支払えないなら行かなきゃいいのに……と思ったし、「レイチェルだって、アンナがお金持ちの令嬢だと思って利用していた部分があるんじゃないの?」と、うっすら考えていた。

 

レイチェルはなぜ騙されたのか

 本人も、周りにそう思われているだろうということは理解している。そして、騙された理由は、この本に詳しく書いてある。テネシーで生まれ育ったレイチェルがどのようにマンハッタンに移り住み、憧れていた雑誌のフォトエディターになったのか、そしてアンナと出会ったのか。

 アンナは、レイチェルの友人の友人だった。友人と飲んでいる最中に突然やってきて、仲間に加わったアンナ。

I can't remember which arrived first, the expected bucket of ice with a bottle of Grey Goose and a stack of glasses or "Anna Delvey". She was a stranger, and yet not entirely unknown to me.

 レイチェルがアンナに惹かれたのは、決して資産家の令嬢だったからではなく、"Anna...embodied a level of professional empowerment"だからだという。レイチェルだって多くの女の子が憧れるであろうVanity Fairの編集者で、本人も結構なgo-getterではあるのだが(仕事を獲得したエピソードからも分かる)、働き始めて6年目、仕事にも慣れ「このままでいいのかな」と考え出すような時期に、自分より年下の女の子が著名な財界人と対等に会話し、ビジネスを動かしている様子を見せつけられると、憧れ、尊敬し、自分自身に対する迷いが生じるのも分からないでもない。

 そして、他人との距離が近い南部出身で、元来世話好きというレイチェルは、アンナの生い立ちや、彼女が時折見せる孤独感に同情し、「この子のことをわかってあげられるのは自分だけ」という錯覚に陥るのだ。アンナはおそらくこういうレイチェルの人柄をよく理解し、巧みに利用したのだろう。

 

まるで探偵なレイチェル

 予想以上に面白かったのが、「アンナは令嬢なんかではなく詐欺師だ」と突き止めたのがレイチェル自身だというところ。そして、アンナの逮捕にも一役買っているところ。

 元々は「アンナは浪費癖があるので、両親から月々決められた額を支給されていて、限度額を超えたから支払えなかったのだろう」と周りは考えていたのだが、勘が働いたのであろうレイチェルは、

・ドイツ人と言っているが本当はロシア人

・本当は一文無し、多分生粋の詐欺師

 というところまで自分で(友人の力も借りて)突き止めてしまうのだ。訴訟を起こすことになって弁護士に相談するときも、「Operation Clarify」なんて名付けたファイルに今までのメールのやりとりやら飛行機のチケットやら、ありとあらゆるものを納めて提出し、「捜査官になろうと考えたことはないですか?」なんて聞かれるほど。それもそのはず、レイチェルの祖父はもともとFBIで働いていて、レイチェルもそういう仕事に興味があったのだという。

 このあたりは本当に読み応えがあって、ドラマ化するのであれば、ジャーナリストの記事よりもこっちの方が楽しめそうと思ってしまった。

 ちなみに本作の映像化の権利はHBOが買い取っていて、『GIRLS』のレナ・ダナムによる制作が決定している。いつごろになるのだろう。

 ニューヨークが見せる幻と、その幻をせいいっぱい利用した女の子。「お金が欲しかったんじゃなくて、権力が欲しかった」というアンナの言葉が印象的だ。 

New York attracts such a wild range of people: artists and bankers, immigrants and transients, old money and new money, people waiting to be discovered and other who never want to be found. Everyone here has a story to tell-some more elaborate than others. But without exception the people have texture, and texture is character, and character is fascinating.

 

以下の小説がお好きな方におすすめ

『グレート・ギャツビー』F・スコット・フィッツジェラルド 

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

 

 『グレート・ギャツビー』ギャツビーという男の得体のしれなさ、謎めいたところは、アンナ・ソロキンが作り上げた虚構によく似ている気がする。『ギャツビー』の最後の最後で、彼の知られざる一面が顔をのぞかせる様子も、この事件を通して見えてくるアンナ・ソロキンを彷彿とさせる。

Most of the places we frequented have since closed and their names have been forgotten. Whatever their particular theme, they were iterations of the same core concept, designed to draw the fashionable crowd of the moment. (My Friend, Annaより)

 

『ベル・ジャー』シルヴィア・プラス 

ベル・ジャー (Modern&Classic)

ベル・ジャー (Modern&Classic)

 

 雑誌のインターンのために、田舎からニューヨークへやってきた女の子。お金持ちの女の子たちを見ては焦燥感にかられる主人公は、そのままレイチェルのよう。と同時に、ドイツからパリへPurple誌のインターンにやってきて、そのままニューヨークで大金持ちを演じることにしたアンナのようでもある。

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『またの名をグレイス』マーガレット・アトウッド

 グレイスは滔々と語る。自分に起こったことを。その身に課せられた罪を。グレイス以外の関係者全員が死亡している状態なので、誰にも真実はわからない。それなのに、世間はグレイスを「悪魔のような女」、または「騙された聖女」という両極端のイメージに当てはめたがる。アンナをめぐるメディアの過熱を見ていると、この小説を思い出す。アンナも獄中で伝記を執筆中とのことだが、それはグレイスの独白によく似たものになるのかも。

私のことについてあれこれ書かれたことを考えてみる。冷酷な女悪魔だとか、身の危険を感じて、仕方なく悪党に従った罪のない犠牲者だとか、あまりに無知なため正しい行動がとれなかったとか、私を絞首刑にするのは司法による殺人だとか、私は動物が好きだとか、艶のある顔をしたすごい美人だとか、青い目をしているとか、緑の目をしているとか、髪の毛は鳶色だとか、茶色だとか、背が高いとか、あるいは平均以上の高さではないとか……。そして、どうして、一度にこんなに違うものになれるんだろう、と考えてしまう。

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『落下する夕方』 江國香織

落下する夕方 (角川文庫)

落下する夕方 (角川文庫)

 

 一緒に暮らしていた恋人に「ほかに好きな人ができた」とふられた梨果。寂しい一人暮らしが始まるかと思いきや、なんと恋人が「好きになった人」、華子が押しかけてきて、奇妙な共同生活が始まる。

 ずうずうしく常識知らずの華子にいつの間にか惹かれていく梨果の心境は、レイチェルに近いものがある。

 華子も梨果の飛行機のチケットを勝手に使って香港に飛んでしまったりと、詐欺まがいのことをしていたな。 

 

『BUTTER』柚木麻子 

BUTTER

BUTTER

  • 作者:柚木麻子
  • 発売日: 2017/06/30
  • メディア: Kindle版
 

 なぜ騙されたの? 

 若くも美しくもないのに次々に男を騙して金を奪い、殺人まで犯した女。その謎を暴こうと取材する新聞記者も、いつしか彼女に振り回されるようになる……。逃げたくても逃げられない、詐欺師の魔力を描いた作品といえば『BUTTER』。 

The Testaments / マーガレット・アトウッド: 東洋のギレアデで『侍女の物語』の続編を読む

(誓願)

 2019年の目玉(個人的に)、ようやく読むことができた。

 読書がままならない日々が続いたので、砂漠で水を得てごくごくと飲み干すように、活字をむさぼった。 

 ああ幸せ。

*No Spoilers/ネタバレはありません

 

 

30年を経て発表された続編

 さて、ドナルド・トランプの大統領選出馬や大統領就任を皮切りに、世界中でブームとなったディストピア小説。

 1985年に出版されベストセラーとなったアトウッドの『侍女の物語』も再び脚光を浴びることとなった。

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 その上、2017年にはHuluにてドラマが制作され、大ヒット。シーズン3まで続いている。 

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 そしてアトウッドは2018年度末、Twitterにて『侍女の物語』の続編を執筆していることを明かした。 

 アトウッドと、Huluのドラマでジューン/オブフレッドとして主演を務めたエリザベス・モスのインタビューなんかを読んでいると、アトウッド自身がこのドラマをたいそう気に入っていてインスピレーションを受けている様子や、現代社会のあり方に改めて危機感を感じていることが伝わってきたから、当然の成り行きといえば当然かもしれない。

 

ギレアデの女性たちの「前」と「後」

  『侍女の物語』は、アメリカ合衆国が崩壊したすぐ後のギレアデ共和国が舞台となっていた。

 女性の財産はすべて没収され男性の身内のものとなり、仕事や権利は剥奪される。

 出生率が顕著に低下しているため、主人公のジューンもそれまでの生活を奪われ、夫とも行き別れて、ギレアデを支配する司令官(Commander)につかえる侍女(Handmaid=子供を産めない妻の代わりに、司令官との子をなす女性)となる。

 

 一方、The Testamentsが描き出すのは共和国誕生から(おそらく)20年ちょっと経過したギレアデまたは隣国カナダで暮らす、3人の女性だ。

 1人目は、『侍女の物語』にも登場し、主人公のジューンを含む侍女となりうる女性たちの教育を担っていたリディア小母(Aunt Lydia)

 2人目は、司令官とその妻の娘(Daughter)として生まれ育ち、妻亡き後に司令官が再婚した新たな妻から疎まれるようになるアグネス・ジェマイマ(Agnes-Jemima)。 

 3人目は、カナダ・トロントで普通の女子高生として暮らすデイジー(Daisy)。

 

 リディア小母は自身で記述した独白(遺書)という体で、アグネスとデイジーはそれぞれ証言という形で記録されている。そして、全体として、ある時代の終わりと新たな時代の始まりを告げているがゆえに、「聖書」のようでもある。だからこそ"The Testaments"なのだ。

 

 何が面白いって、置かれた立場や状況が異なる3人の人生を通して、『侍女の物語』においてジューン/オブフレッドを通して垣間見ることのできた初期のギレアデという国の「以前の姿」や「その後」が描かれているということ。 

 

リディア小母

...knowledge is power, especially discreditable knowledge.

 ジューンが侍女として教育を受ける頃にはすでに小母となっていたリディアが語るのは主に、ギレアデの成り立ちと女性を抑圧するシステムの立ち上げだ。

 ジューンと同じように突然銀行口座が凍結され、女性の財産はすべて一番近しい男性のものとなり(夫、父、息子がいない人の場合は、甥という場合すらある)、オフィスに押し入ってきたギレアデの男たちに連行され、その職種ゆえに「小母」という女性を指導する立場にならないかと勧誘される。

 もちろん自分が支持したわけではないギレアデのためにリディアは働くことになるが、司令官に反感を覚えながらも、小母としての出世を目指す。もちろん、リディアは権力が欲しいのではなくて、どちらかというと保身のため、自分の命を守るために行動しているのだけれど、いつの間にか司令官から全幅の信頼を得て、ライバルであった小母を蹴落とし……と予期していなかった方向へ自体は進む。

 ギレアデにおける女性としては最高の位置を得たリディアは、 

"If you don't behave, Aunt Lydia will come and get you!"..."What would Aunt Lydia want you to do?"

というふうに、「娘」たちを怖がらせる妻やマーサのお話に登場するまでになる。

 彼女の独白からは後悔が伝わってくる。

 

アグネス・ジェマイマ

We were the beneficiaries of the sacrifices made by our forebears.

 アグネスは司令官の家(=特権階級)に生まれた女性だ。「便利妻」が生んだ庶民の子とは違い、色とりどりのドレスを着せられ、小母が待ち受ける学校に通って、自身も司令官やヤコブの息子たちのいずれかとの結婚する運命にある。

 司令官の妻や小母から「女の脳は小さい」、「本を読んでも理解できないし、害になるだけ」と言い聞かされ、ほとんど疑問をもたずに育ったいわゆる"pious"な女の子である。

 彼女の証言からは、ギレアデにおける「第二世代」の姿が浮かび上がる。

 

デイジー

I could hear the words, I could understand the words themselves, but I couldn't translate them into meaning.

 デイジーはトロントのQueen Street West(ちなみにアトウッドの『キャッツアイ』もQueen St Wが舞台となっていた。このエリアがお気に入りなのか?)に暮らす普通の女子高生で、言葉遣いや態度も今時の若者だ。

 隣国ギレアデのことは知っているけれど、特にそれについて意見を持っているわけではない。年齢が近いアグネスとデイジーの、話し方や考え方の違いがすさまじく、いい対比をなしている。

 日本語訳だったら一人称は「あたし」かなと思いながら読んでいた。

 後半のカナダに関する記述(ちょっとネタバレになってしまうから書けない)は結構笑える。

 

"I made nothing up"

 『侍女の物語』に関して語る時も、「作り上げたことは一切ない=この小説に登場するエピソードは世界のどこかで起きていることばかり」と主張していたアトウッド。 

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 2020年となり、1980年代から女性の地位は向上したのかと問われれば、もちろん改善はしているのだろうけれど、それでも課題が多く残っているだけではなく、ギレアデを以前より身近に感じるような時すらある。

 日本における #MeToo への反応だとか、「レイプされるほうが悪い」と被害者を責める風潮など、ここ数年の間で、日本は東洋のギレアデなんじゃないかと思うことも増えた気がする。

 では、私たちはどうすればいいのか。"Underground Femaleroad"を使って他の国へ逃げるのか?

 答えはまだ出ないけれど、多様性を失い(白人男性の司令官のみが意思決定を行う)墜落しつつあるギレアデから学べることは多いはずだ。 

 冒頭に掲げられたアーシュラ・K.ル=グウィンの小説からの引用が頭に残る。

Freedom is a heavy load, a great and strange burden of for the spirit to undertake....It is not a gift given, but a choice made, and the choice may be a hard one.

 

普段英語で読書しない人にもおすすめ

 多くの新しいファンを獲得した『侍女の物語』を皮切りに『またの名をグレイス』、『マッドアダム』シリーズなどのドラマ化が決定している。

 アトウッド自身も、絵や映像に興味を持って(グラフィックノベルの原作まで担当しちゃうくらいだから)いるだけに、非常に視覚的な「書き方」に挑戦した感のある作品だった。

 どちらかというと、ドラマのファンや、普段アトウッドの本を読まないような人に向けて書かれたのではないかと思われる作品で、ブッカー賞を受賞したものの、決してブッカーらしい小説ではない。

 アトウッドの作品の中でも読みやすく、シンプルな言葉で書かれている。

 例えば『侍女の物語』そのものやマッドアダムシリーズを英語で読み始めたけれど挫折した、という人にもおすすめ。

 ファースト・アトウッドにもいいと思う。

でも、日本語訳もすぐ出版されるでしょう。楽しみですね。

 

本書に登場する文学作品

 女性が本を読むことが禁じられているギレアデで、リディア小母が図書館の奥深くに隠し持っている「禁じられた世界文学セクション(the Forbidden World Literature section)」にある数々の名作。

 注目すべきは、何百年も前に書かれた本に混じり、アトウッドと同じカナダ出身の女性作家、アリス・マンローの作品が含まれていること!

『ジェイン・エア』シャーロット・ブロンテ 

ジェイン・エア(上) (岩波文庫)

ジェイン・エア(上) (岩波文庫)

 
ジェイン・エア(下) (岩波文庫)

ジェイン・エア(下) (岩波文庫)

 

 

『アンナ・カレーニナ』トルストイ

アンナ・カレーニナ 1 (光文社古典新訳文庫)

アンナ・カレーニナ 1 (光文社古典新訳文庫)

  • 作者:トルストイ
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: Kindle版
 

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『テス』トマス・ハーディ  

テス 上 (岩波文庫 赤 240-1)

テス 上 (岩波文庫 赤 240-1)

 
テス 下 (岩波文庫 赤 240-2)

テス 下 (岩波文庫 赤 240-2)

 

 

『失楽園』ミルトン

失楽園 上 (岩波文庫 赤 206-2)

失楽園 上 (岩波文庫 赤 206-2)

  • 作者:ミルトン
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1981/01/16
  • メディア: 文庫
 
失楽園 下 (岩波文庫 赤 206-3)

失楽園 下 (岩波文庫 赤 206-3)

  • 作者:ミルトン
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1981/02/16
  • メディア: 文庫
 

 

Lives of Girls and Women / アリス・マンロー 

Lives of Girls and Women: A Novel (Vintage International) (English Edition)

Lives of Girls and Women: A Novel (Vintage International) (English Edition)

  • 作者:Alice Munro
  • 出版社/メーカー: Vintage
  • 発売日: 2011/12/21
  • メディア: Kindle版
 

 

Apologia Pro Vita Sua / ジョン・ヘンリー・ニューマン

 カトリックが罪だと考えられているギレアデで、X-ratedとされている作品。

Apologia Pro Vita Sua (English Edition)

Apologia Pro Vita Sua (English Edition)

 

 

Mitsou(踊り子ミツ / コレット 

Mitsou

Mitsou

  • 作者:Colette
  • 出版社/メーカー: Sueddeutsche Zeitung
  • 発売日: 2007/07
  • メディア: ハードカバー
 

 こちらは、デイジーがカナダの高校のフランス語のクラスで読んだもの。

...it was supposed to be about how terrible life used to be for women, but Mitsou's life didn't seem so terrible to me. Hiding a handsome man in her closet--I wished I could do that. 

『あまりにも真昼の恋愛』 キム・グミ

[너무 한낮 의 연애]

『キム・ジヨン』を読んだ時に、次に読みたいなと考えていた小説。結局、購入してから1年近く積んでしまった。

この晶文社の「韓国文学のオクリモノ」シリーズって、装丁がとても素敵ですね。

CUONの装丁もどれも素敵だし、現代韓国文学は見た目もおしゃれで普段海外文学を読まない人も思わず手に取ってしまう作りになっていると思う。

訳もどれもナチュラルで、もちろん翻訳者のみなさまの腕が素晴らしいというのもあるけれど、想像以上に韓国と日本の考え方や書き方には近しいものがあるのかなと想像する。 

あまりにも真昼の恋愛 (韓国文学のオクリモノ)

あまりにも真昼の恋愛 (韓国文学のオクリモノ)

 

おそらくその近しさあまりに、さらさらと読めてしまってよく分からなかったというのが最初の感想。その後、数回読み直してしまった。

2016年に韓国で若者の支持を受けたのは一体どういうところなのだろう? というのがどうしても知りたくて。

噛みしめるように読んでみて感じたのは、韓国はやっぱり「近いようで実は遠い」国なのかなということ。日本とは比べ物にならないほどの競争社会で、凄まじいほどの学歴(大学進学率は驚異の80%台らしい)や美貌重視というプレッシャーに晒され、ネットの闇に苛まれるソウルでは、周りと同じ「道・レールから逸れる」のはどれほどの勇気がいることだろう。

そんな中でキム・グミが描く人々は誰一人としてマジョリティに理想とされる人生など歩んでいない。いわゆる「負け犬」ばかりなのかもしれない。

現代社会のありかたに「このままで本当にいいの?」と疑問を抱く若者たちの不安で曖昧な気持ちを代弁するようなところがあるのだろう。

 

表題作「あまりにも真昼の恋愛」の主人公ピリョンは営業課長から平社員に降格され、お昼を会社で過ごすことが辛くなり、遠くのマクドナルドに通うようになる。学生の頃によく来たマクドナルドだ。そんなある日、窓から向かいの劇場で行われている演劇の垂れ幕が目に入る。

「木は"ククク"と笑わない」ーーそれは、学生時代にピリョンのことを好きだといった後輩・ヤンヒが書いていた劇の名前だった。

一見主導権を握っているように思えるピリョンと、受動的だと感じられるヤンヒ。それでも物語を読み進めると、それは反対なのだと分かる。

自分を信じ、好きな人のことを好きだと宣言し、夢を仕事にしたヤンヒ。他の人にどう思われるか、微塵も気にしている様子はない。

降格を気にして、異動の前に古い名刺を大量に刷っておいた方がいいのではないか(子供のPTAで渡すために)と考えてしまうピリョン。あまりにも社会にがんじがらめになったピリョンの涙が心に染み入る。

 

「趙衆均氏の世界」では、大学院を卒業し出版社で試用期間を過ごしている「私」の前に二人の「常識から外れた人」が現れる。

一人はヘランという年下の女性で、その面白いアルバイト歴を買われて試用期間を過ごしている。つまり、私のライバルだ。

ヨンジュさんはちゃんとしたキャリアを積んでここに入ってきたわけだから、言ってみればパック詰めされた肉なんだよ。生産されたときからきちんと管理されて、パックされた肉だね。でもヘランさんは、チュモッコギみたいな感じさ。首まわりの小間切れ肉をてきとう(チュモックグ)にかき集めてみたらそこそこ売れる物になった、というわけ。

もう一人がタイトルにもなっている趙衆均氏で、40歳を超えているのに役職もなく空気扱いされている社員。ひとりぼっちの変わり者で、どうやら詩を書いているらしい。

ある日「私」とヘランが任された仕事の校正を趙衆均氏が行うことになるのだが、一向に終わる気配はなく……。

 

「セシリア」はうってかわって、村上春樹を連想させるような比喩から始まる短編。

大学生の頃仲間内でバカにされていた女の子セシリアは有名なインスタレーション作家となって活動しているらしい。セシリアは同窓会には来なかったのだが、彼女のその後が気になった主人公はセシリアを訪ねて仁川へ行く。

いわゆる「大人」になっていく同級生たちの中で相容れない気持ちを感じていた主人公は、なぜセシリアに会いたいと思ったのだろうか?

仲間たちとは連絡を絶って自分の世界を突き進んでいく彼女を確かめたかったから? 

 

「肉」や「犬を待つこと」のような家父長制の崩壊を感じさせる短編もあり、変わりゆく社会がありありと目の前に立ち上がってくるようだった。

 

MaddAddam(マッドアダム・シリーズ)/ マーガレット・アトウッド

(マッドアダム)

近未来を描いたディストピア、アトウッドの「マッドアダム・シリーズ」完結編。

MaddAddam

MaddAddam

 

Paramount TelevisionおよびAnonymous Contentによるドラマ化が決定し、日本でも第一作目『オリクスとクレイク』出版から8年後の今年10月に第二作目『洪水の年』が出版*1された。MaddAddamの翻訳も近々出るかもしれない。

オリクスとクレイク

オリクスとクレイク

  • 作者: マーガレット・アトウッド,Margaret Atwood,畔柳和代
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2010/12/17
  • メディア: 単行本
  • 購入: 1人 クリック: 13回
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洪水の年(上)

洪水の年(上)

 
洪水の年(下)

洪水の年(下)

 

 

おさらいとあらすじ

*Spoiler Alert: MaddAddamのあらすじに関しては、冒頭1/3(全390ページ中120ページくらいまで)で起こる出来事のみ書いています。が、ストーリーは『洪水の年』の続きになっているので、ネタバレにご注意ください。

おさらい

『オリクスとクレイク』の語り手はスノーマンと呼ばれる男性だった。かつてはジミーという名を持っていた彼は、何らかの感染病で人類がほとんど死に絶えたにもかかわらず一人生き残り、「クレイクの子供たち」と呼ばれる遺伝子操作で作り上げられた改造人間たちの集落の近くで暮らしている。

スノーマンは特権階級に生まれ育った過去や友人のクレイク、科学の進歩と遺伝子操作、ほとんどの人間を死へ追いやった感染病などについて思いを馳せる。

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 一方、『洪水の年』の語り手は二人の「平民」女性。<神の庭師*2>という宗教/菜食主義者団体に所属していたトビーとレンだ。この二人もまた、ほとんどの人間をほろぼした感染病「水のない洪水」を別々に生き抜く。それぞれの視点からの物語に、アダム・ワンという<神の庭師>の教祖の説法も加わり、多面的に「水のない洪水」前後の状況を知ることができる。

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あらすじ

今回はトビーの視点から物語が展開する。

『洪水の年』後半で再会したトビーとレンは犯罪者らに誘拐されていたアマンダを助け出し、犯罪者らを追い払おうとして手傷を負ったジミーも共に、ゼブや<マッドアダム>の仲間たちが暮らしている場所にたどり着く。

密かにゼブのことが好きだったトビーは、彼が生きていてくれたことが嬉しい。また、二人はお互いに惹かれていることを確認し、男女の関係を持つようになる。

ジミーにくっついてやってきた「クレイクの子供たち」はゼブのことを英雄視しており、毎日のようにトビーに向かって「ゼブのお話を聞かせて」とねだる(ジミーが昏睡状態で、クレイクの話を聞かせてくれる人がいないということもある)。

そういうわけで、トビーは毎夜のようにゼブから自身の生い立ちを聞き、それを子供向けの物語風にアレンジしては「クレイクの子供たち」に語り聞かせる。

そこで明かされるのが、ゼブはアダムの異母兄妹だったという事実。金髪・青い目で天使のようだったアダムと、浅黒い肌を持つ問題児で周囲の大人を困らせてばかりいたゼブ。頭文字が"A"と"Z"であることから想像できるように、二人は正反対なのだが父親が同じとされていた。面白いのは、アダムの母親は娼婦のようなだらしのない女(と言われていた)で、ゼブの母親は禁欲的な女だったこと。

 成長し、父親と彼が信じる宗教に納得がいかなくなった二人は彼の金をこっそり持ち出し家から逃げ出すのだが……。

 

所感

というわけで、早い段階からこの世の終わりを見てきたゼブの人生を通して、謎に包まれていた<神の庭師>や<マッドアダム>の成り立ちが明かされるという仕掛けになっている。アダムが<神の庭師>を始めた目的は何か? 「ゆりかごから墓場まで」を提供しようとするヘルスワイザーの本当の狙いとは?

そこに人類の存続や進化についての問題が浮上してきて、現在進行形の物語が絡んでくる。

アトウッド版近未来の「人類の歴史」といった趣(クレイクの言葉を借りて言えば「リブート」後の人類の歴史)。シリーズ全体を振り返ってみると、「アダムとイブ」、「カインとアベル」、「ノアの箱船」、「出エジプト記」といった旧約聖書のエピソード、「イエス・キリストとマグダラのマリア」、「キリストの使徒たち」という新約聖書のエピソードに加え、たとえば「ネアンダルタール人の遺伝子を受け継ぎ進化していくホモ・サピエンス」だとか「コロッセオでの剣闘士の戦いを楽しむという野蛮なエンターテイメント」、「『アンナ・カレーニナ』のように全てを捨てて恋愛に走る女」、「『動物農場』のように考え話す動物たち」、「宗教の破滅」など、人類史を振り返るようなモチーフが多く使われていたことに気づく。

そして第三作目『マッドアダム』のテーマは何かというと、一つは「神話の伝承」だろう。生き残った人々が、次の世代へ語り伝えていくこと。「クレイクの子供たち」は最初こそ脳みそは三歳児並みで、何を見ても何を聞いても「どうして? なぜ?」だったのが、トビーという語り手を得てどんどん変化していく。

 

MaddAddamを最後まで読むと、これを書きたいがために『オリクスとクレイク』、『洪水の年』の数々のエピソードが存在したのかと感じる。アトウッドの頭の中ってどうなっているのだろうと驚嘆しきり。初めて手塚治虫の『火の鳥』を読んだ時と同じような衝撃と感動を得られた読書だった。

素晴らしい作品で後々アトウッドの代表作となることは間違いないし、73歳にしてこれを書き上げる彼女の体力と気力と好奇心……神業としかいいようがない。小説の最新作Hag-Seedももちろん良かったけれど、やっぱりSFでこそアトウッドは本領を発揮すると感じた。

そんな彼女が最近取り組んでいるのがグラフィックノベルの原案・原作。Angel Catbird三部作に続き、War Bearsという作品も出版されている。意外にも様々なコミックを読んで育ったアトウッドはグラフィックノベルというジャンルのファンらしい。こちらも今積んでいるので、読んだら感想を書きたい。

The Complete Angel Catbird (English Edition)

The Complete Angel Catbird (English Edition)

 
War Bears

War Bears

 

 そういえば日本でもちょうど、人の臓器を持つ動物の作製が解禁された。これを見て、「マッドアダムの世界……」と思ってしまった私。

人の臓器を持つ動物の作製解禁へ 臓器移植などへの応用に期待 - ライブドアニュース

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*1:ちなみに『オリクスとクレイク』は早川書房から、『洪水の年』は岩波書店から出版されている。

*2:『オリクスとクレイク』では<神の庭師>と訳されていたGod's Gardenersですが、書店ホームページなどを拝見するかぎり、翻訳家さんが別の方になった『洪水の年』日本語訳では「神の庭師たち」となっているようす。『洪水の年』日本語訳は読んでいないこともあり、本サイトでは『オリクスとクレイク』の日本語訳をお借りしています。

『またの名をグレイス』 マーガレット・アトウッド(佐藤アヤ子・訳)

[Alias Grace]

 なんと、アトウッドの名作『またの名をグレイス』が文庫化されるそう! 発売日は9月15日。『侍女の物語』に続きNetflixでドラマ化され、好評を博したらしいので、原作も売れそうですね。

 個人的には、ナンシー役をアナ・パキン、ジェレマイア役をザッカリー・リーヴァイが演じているというのがすごく気になる。イメージしていた人物とは違っていて、そうきたか! という感じ。

www.netflix.com

 文庫版はこちら。Amazonで予約可能。  

またの名をグレイス(上) (岩波現代文庫)

またの名をグレイス(上) (岩波現代文庫)

 
またの名をグレイス(下) (岩波現代文庫)

またの名をグレイス(下) (岩波現代文庫)

 

 我が家にはハードカバー版があるので、読み返してみた。

 主人公のグレイス・マークスは19世紀に生きた実在の女性。酒で身を持ち崩した父。新天地でやり直そうと、家族でアイルランドからカナダに渡るが、船旅の途中母が亡くなる。カナダへ到着したグレイスは、家庭を離れてトロントの金持ちの邸宅で女中として働くこととなった。

 ある日、ナンシーというリッチモンド・ヒル*1で働く女中頭と出会い、「給料は多く出すから、うちに移ってこないか」と誘われる。亡くなった親友メアリーに似ているナンシーに親近感を覚えたグレイスは、16歳でリッチモンド・ヒルに引っ越す。

 新しいお屋敷は独身地主キヌア氏の邸宅。女中はナンシーとグレイスの二人だけで、グレイスが到着する少し前に、ジェイムズ・マクダーモットという男が使用人として雇われていた。

 ナンシーは女中頭という身分でありながら金のイヤリングを身につけ、洋服も山ほど持っている。疑問を感じていたグレイスだが、しばらくして、キヌア氏とナンシーが恋愛関係にあることを悟る。キヌア氏はナンシーと結婚するつもりはおそらくないが、ナンシーはまるで奥方のように振る舞う。町中がそれを知っていて、ナンシーは「身を持ち崩した女」だと村八分にされているようだった。

 そのうちナンシーは妊娠し、自分にとってかわられるのではという恐怖から、グレイスに辛く当たるようになる。グレイスと同じくナンシーに憤りを感じていたジェイムズは、ナンシーとキヌア氏を殺害する。

またの名をグレイス 上

またの名をグレイス 上

 
またの名をグレイス 下

またの名をグレイス 下

 

 そこにグレイスは関与していたのか? ジェイムズは「グレイスが計画したことだった」と自白するのだが、それは真実なのか?

 グレイス以外の関係者が全て死亡しているので、真実は闇の中。 グレイスは自分が覚えていることを、医師のサイモン・ジョーダンに滔々と語る。その独白には、グレイスが大好きなキルト作品のタイトルがつけられ、それぞれの章となっている(各章のタイトルページにはキルト模様も描かれている)。キルトに関してグレイスが語る場面は多くあるのだが、印象的なのがこちら。

もうひとつのキルトは「屋根裏部屋の窓(ウィンドウ)」と呼ばれるものでした。たくさんのブロックを縫い合わせたもので、見方によってはしまった箱に見えたり、開いた箱に見えたりしました。しまった方は屋根裏部屋で開いた方は窓だと思います。これはキルト全部について言えることで、暗い色のブロックを見るか、明るい色のブロックを見るかによってキルトを二つの異なる模様とみる事ができます。 

 ちなみに「屋根裏部屋の窓」キルトはこんな感じ。

www.thesprucecrafts.com

 これを開いた窓ととるか、しまった窓ととるかは見る人次第。グレイスも同じことで、

私のことについてあれこれ書かれたことを考えてみる。冷酷な女悪魔だとか、身の危険を感じて、仕方なく悪党に従った罪のない犠牲者だとか、あまりに無知なため正しい行動がとれなかったとか、私を絞首刑にするのは司法による殺人だとか、私は動物が好きだとか、艶のある顔をしたすごい美人だとか、青い目をしているとか、緑の目をしているとか、髪の毛は鳶色だとか、茶色だとか、背が高いとか、あるいは平均以上の高さではないとか……。そして、どうして、一度にこんなに違うものになれるんだろう、と考えてしまう。

 グレイスがどんな女性であるか。それは見る人によって変わる。メアリーと下世話な話をして笑っているグレイスだって、ジョーダン先生に理路整然と過去を語りいやらしい話はしたがらないグレイスだって、一人のグレイスなのだ。

 それはある意味人間として当然のことなのに、このセックスと暴力まみれの事件を知った人は、グレイスとは「悪魔のような女」なのか、それとも「騙された聖女」なのか、どちらかでしかないと思い込んでいる。女性犯罪者はとかくそのような極端な見方をされがちだとアトウッドは語っている。*2

 二重人格だったかそうでなかったかはともかく、人間にはいろいろな面があって当然なのだ。

 この小説は事実に基づいており、各章の冒頭に引用される新聞記事や人々の証言も本物である。事実をなぞっているのに、これだけ面白いフィクションを生み出すというのは、やはり作家アトウッドの天賦の才能を感じる。

 

 アトウッドが作り出した部分で特に興味深いのは、男性の名前が"J"で始まる名前ばかりということ。殺人犯のジェイムズ、村の少年ジェイミー、行商人ジェレマイア、医師のジョーダン先生。

 これは、グレイスが占いで「"J"から始まる名前の男と結婚する」と言われたことにつながっていくので、読者はやきもきしながら読み進めることになる。

 と同時に、これら"J"の男たちが全て、いかに「自分たちが望むグレイス」しか見ていないか、ということも思い知らされるのだ。娼婦、天使、自由な魂、憧れの人。みんながみんなグレイスの美しさを自分のものにしたいと思っていて、それ以上でもそれ以下でもない。誰と結婚しても同じだよな……と思うと同時に、グレイスの人生に対する絶望も理解できるような気がする。

 

 グレイスが共感し、自分のことを分かってもらえると感じるのは女性だけ。親友のメアリーと、殺されたナンシー。最後のページを読むと、それを実感出来る。

 

 ちなみに、The Year of the Floodも邦題を『洪水の年』として、岩波から発売予定だとか。前作の『オリクスとクレイク』は畔柳和代さんが訳者でしたが、『洪水の年』は『グレイス』を訳した佐藤アヤ子さん。

洪水の年(上)

洪水の年(上)

 
洪水の年(下)

洪水の年(下)

 

 当ブログのレビューはこちら。 

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 その他アトウッドに関する記事はこちら。

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*1:トロントの郊外。現在は高級住宅地となっていて、特に中国系カナダ人が多く住む。地名が"Rich"mondだから縁起が良いと中国系住民に好かれているのだとか。加在住時、何度か車で訪れたことがあるのですが、香港式のおかゆのお店Congee Wongが美味しかったな〜。香港に行ってコンジーを食べても、Congee Wongの方が美味しかった気がする……とか思ってしまう。完全に思い出補正されている。

congee-wong.com

*2:

www.cbc.ca

The Year of The Flood『洪水の年』(マッドアダム・シリーズ) / マーガレット・アトウッド

(洪水の年)

*2018年9月22日、岩波書店から日本語訳が発売されるそうです。

洪水の年(上)

洪水の年(上)

 
洪水の年(下)

洪水の年(下)

 

 

 MaddAddam(マッドアダム)シリーズ第二作目の"The Year of The Flood(洪水の年)"を読んだ。 もう、傑作! 後を引く面白さ。

The Year Of The Flood

The Year Of The Flood

 

 前作『オリクスとクレイク』はそれだけで完成された作品であるとともに、「もっとこの世界を知りたい」と思わせる終わり方をしていた。例えば、スノーマンは最後に人間と出会う。これは一体誰だったのか?

熾した火のまわりには三人しかいない。やはりスプレーガンを持っている……三人はやせて、へばっているようだ。男二人。一人は茶色で一人は白い。紅茶色の女が一人。男たちはカーキの熱帯服を着ている。標準装備だが、ひどく汚れている。女は何かの制服の名残りをまとっているーナースか? 警備員か? かつてはきれいだったのだろう。激やせする前は。

『オリクスとクレイク』

 こういう気になる箇所が全く別の方向からきちんと補填され、読み進むにつれて『オリクスとクレイク』とThe Year of the Floodが歯車のようにきっちりと噛み合っていく様が素晴らしかった。

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<神の庭師> から見た世界

 『オリクスとクレイク』は、なんらかの感染症で人類がほぼ消滅した世界で生き残ったスノーマンが過去を振り返る物語だった。

オリクスとクレイク

オリクスとクレイク

  • 作者: マーガレット・アトウッド,Margaret Atwood,畔柳和代
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2010/12/17
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 現在スノーマンと呼ばれている男性のかつての名前はジミー。ヘルスワイザーという大企業に勤める父を持つ特権階級のおぼっちゃまで、ヘルスワイザーに勤務する者およびその家族のみが生活することを許される特別な閉ざされた世界<構内>で育つ。

 一方、The Year of the Floodに登場するのはヘーミン地(pleebland)に暮らす「平民女性二人」だ。彼女たちは、人類を駆逐した感染症を「水のない洪水(Waterless Flood)」と呼んでいる。

 一人はトビー(Toby)。母が大企業のサプリが原因で亡くなり父は自殺。行き場をなくしSecretBurgersというハンバーガーチェーン店でオーナーに虐待されつつ働いていたところを、宗教団体<神の庭師>の創設者アダム・ワン(Adam One)に助けられる。<神の庭師>では植物や蜂の世話をし、子供たちの先生となり、最終的にイブ(女性のリーダー)の1人になる。スパに潜むことで「水のない洪水」を生き延びる。

 もう一人はレン(Ren)。ヘルスワイザー構内に暮らしていたが、母ルサーン(Lucerne)が<神の庭師>のZeb(ゼブ / アダム・セブン / Mad Adam)と駆け落ちしたためルサーンとともに<神の庭師>にやってくる。その後、紆余曲折を経てストリップクラブScalesで働くようになるのだが、偶然Scales内の無菌室に入っていた際に「水のない洪水」が人々を襲ったので一人だけ生き延びる。

 <神の庭師>は『オリクスとクレイク』にも登場した宗教/菜食主義者団体で、キリスト教をベースにしており、環境汚染を繰り返す人間を非難している。そしていつか「水のない洪水(Waterless Flood)」がやってきて人間は滅びてしまうという教えを説き、その事態に備えて自給自足の生活をしている。

 常に世界が抱える問題を小説でも提起してきたアトウッドだが、本作が出版される数年前には彼女が暮らすカナダでSAASが大流行していたことや、この後相次いで起こる大企業の汚職や崩壊を反映しているのかと思わされる。

 

ヘーミン女性たちの物語

 物語は「Year 25 / 洪水の年(the Year of the Flood)」に生きるトビーとレンが過去を語るという形で交互に進む。

 そして、Year 5から始まりYear 25で終わるアダム・ワンによる説法や<神の庭師>信者らが唱える歌も間に挟まれる。つまりは20年間を振り返る物語。

 アダム・ワンはイエス・キリストを彷彿とさせる語り口。トビーの物語は三人称で、非常に洗練されている。一方まだ10代のレンの物語は一人称で、使用される言葉も幼さが目立つ。その繰り返しがリズムになって、話にどんどん引き込まれる。

 そして、レンは前作の『オリクスとクレイク』と本作をつなげる役割も果たしてくれる。彼女はヘルスワイザー構内で生活をしていた時期もあり、ジミー(スノーマン)とグレン(クレイク)のクラスメートだったのだ。

 「理数系ではない落ちこぼれだけれど、女性にはやたらとモテる」という設定だったジミー。The Year of the Floodでは、レンやレンの親友アマンダとも学生時代に恋愛関係にあったことが明らかにされる。

 

映像化がとにかく楽しみ

 本作品は女性のサバイバルに重きが置かれていることもあり、アトウッドの本領発揮という感じで楽しめた。日本語訳が出ているのはシリーズ一作目の『オリクスとクレイク』のみなのが残念……だが、TVシリーズ化も決定したのでこれから出版されるかも?

 非常に視覚的な部分も多く、特にレンが働くストリップクラブScalesはその名の通り鳥のように緑の羽根やうろこで覆われた女性たちが踊るという設定で、圧巻の眺めになること間違い無し。

 第三作目にして完結編のMaddAddamはこれから読む予定。こちらも楽しみ!

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MaddAddam (MaddAddam Trilogy, Book 3)

MaddAddam (MaddAddam Trilogy, Book 3)

 

 

「マッドアダム」用語集

 備忘録として*1。固有名詞が全て工夫されていて面白いのが特徴。恐ろしいことに現在既にRejoovやNooSkinsといった同名のアンチエイジングサプリメントや商品が発売されている(ありそうな名前ですよね)ので、ググるとなんだか現実がディストピアのように感じられる。

 

組織

CorpSeCorps / <コープセコー>: Coporation Security Corpsの略で、警備会社。この世界では警察の役割を果たしており、大企業の構内や学校の安全を守り反体制派を調査している。社員たちはCorpsmenと呼ばれる。

OrganInc / <オーガン・インク>: ジミー(スノーマン)の父親が昔勤めていた会社。ピグーンを作り上げる。

NooSkins / <ヌースキンズ>: ジミー(スノーマン)の父親が引き抜かれた会社。アンチエイジングや若返りに特化(=New Skins)。

HelthWizer / <ヘルスワイザー>: <ヌースキンズ>の親会社。ジミーたち親子はヘルスワイザーの構内に引っ越す。

HappyCuppa / <ハッピーカッパ>: ヘルスワイザーの子会社が開発したハッピーカッパ低木の豆をコーヒーように販売している。これにより多くのコーヒー関連企業が倒産し、ヘーミン地では暴動が起きた。

Rejoov / <リジューヴ>: クレイクが大学卒業後に勤務する新進気鋭の企業。クレイクはここで人造人間Crakers(クレイクの子どもたち)を作り上げる。 

AnooYoo / <アヌーユー>: ジミーが大学卒業後勤務する会社。ヘルスワイザーの子会社で、美容に特化。給料はさほどよくなく、「比較的荒廃したヘーミン地にごく近い」とされている。"The Year of The Flood"ではトビーが隠れるスパは、この会社が所有するAnooYoo Spa(=A New You)。

CryoJeenyus : ルサーンの再婚相手トッド(Todd)が働く企業。

God's Gardeners / <神の庭師>: 宗教団体。厳格な菜食主義者。

SecretBurgers /<シークレットバーガー>: トビーがはたらいていたバーガーチェーン。死体の処理や臓器売買を行っているコープセコーが余った人肉を卸していると噂されている。

Watson-Crick <ワトソン - クリック研究所>: クレイクが入学した名門大学。「水没する前のハーバード」のようなもの(このディストピア世界におけるアイビー・リーグ)。

Martha Graham Academy <マーサ・グレアム・アカデミー>: ジミー(スノーマン)、トビー、レンが入学した「文系」の大学。理数系になれなかった構内落ちこぼれやヘーミンが通う大学のようだ。ジミーの寮のクラスメートはバーニス("The Year of the Flood"で<神の庭師>から出て行く娘。レンの元友達)。

 

土地

Compound(構内): 各会社の社員が暮らす場所。学校などがあり、一通りの生活は構内から出ずに送ることができる。コープセコーにより警備されている。

Pleebland(ヘーミン地): 一般市民が住む都市(=Plebs、平民)。

 

食べ物・飲み物

BlyssPlus(ブリスプラス/幸福増幅):健康・性欲改善・アンチエイジング用の薬。

Soybits(ソイビッツ) : 大豆のパテ。

ChickeyNobs(チキーノブ): ワトソンクリック研究所でクレイクのクラスメートが作り上げた遺伝子操作された鳥の肉。

Joltbar : エナジーバー。

Zizzy Froots : フルーツジュース。

 

動物

Pigoon(ピグーン): 人間への臓器提供のためにヒトの幹細胞を埋め込まれた豚。

Rakunk(ラカンク): ペット用に作られた生物、ラクーンとスカンクの合いの子。

Snat(スナット): 蛇とネズミの合いの子。

Mo'Hair : 人の植毛用に作られた羊の亜種。 

Liobam : ライオンと羊の合いの子。 

 

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*1:日本語訳は『オリクスとクレイク』より。

The Expatriates / Janice Y. K. Lee: 『ビッグ・リトル・ライズ』作者も絶賛。「香港のアメリカ人」を描いた物語

 久しぶりに香港に滞在している。香港を舞台にした本を読みたいなと思い、今回選んだのはこちら。2009年にデビュー作The Piano Teacherがベストセラーとなったジャニス・Y・K・リーの2作目、The Expatriates。タイトルの通り、香港に暮らす「外国人」・「駐在員」を描いた小説。冒頭の文章がなんだか素敵で、即買い。

A slow-roasted unicorn. A baked, butterflied baby dragon, spread-eagled, spine a delicate slope in the pan. A phoenix, perhaps, slightly charred from its fiery rebirth, sprinkled with sugar, flesh caramelized from the heat. That's what she wants to eat; a mythical creature, something slightly otherworldly, something not real. 

 外国人からすると得体の知れない食べ物が並ぶ香港の店先を想像させるではありませんか。パクチーや八角やにんにくの匂いが感じられるよう。

The Expatriates: A Novel

The Expatriates: A Novel

 

 3人のアメリカ人女性の香港での生活が書かれている。 

 1人目は韓国系アメリカ人のマーシー(Mercy)。コロンビア大出身者だが、まともな職に就けないまま20代後半になり、縁もゆかりもない香港で暮している。アメリカに帰りたいと思うこともあるのだが、かつてベビーシッターをした時に預かっていた男の子が行方不明になってしまうという事件が起こり、罪悪感にさいなまれて帰国できない。

 2人目は美貌のアメリカ人主婦マーガレット(Margaret)。夫がアメリカ企業の香港支社で働くことになり3人の子供を連れて渡港する。高層ビルが所狭しと立ち並ぶ香港で、丘の上の一軒家に住むセレブだが、子供の1人が行方不明になって以来悲しみにくれたまま日常生活を送っている。

 3人目はヒラリー(Hilary)。駐在員の夫と二人暮らしだが子供ができず、香港で出会った孤児を引き取ろうと考えている。華やかなお嬢様だったマーガレットとはアメリカの学校でクラスメートだったのだが、香港に来るまではほとんど会話もなかった。

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 香港に来て「外国人」として暮らし始めるまではあまり接点のなかった3人の人生だが、狭いアメリカ人コミュニティを通して徐々につながっていく。

 その過程は冒頭を読んでいるうちからなんとなく予想できる部分もあり、あまり驚きはなかったのだが「外国人が見た香港」や、「外国で自身の国のコミュニティの一部となり、本国では友人にもならないであろう人たちと上手くつきあっていかないといけないしんどさ」みたいなものがとにかく的確に描写されていて楽しめるページターナーだった。

 

 言葉として面白いな〜と思った部分もいくつかあって、1つはマーシーがマーガレット(3/4白人、3/1韓国人)に"Are you half?"と尋ねるところ。"Are you mixed?"ではなく。韓国でも日本と同じく「ハーフ」という言葉を使うのでしょうか?

 それから、マーガレットが夫のクラーク(Clarke)と初めて出会った時の会話で、唐突に"Who the hell says 'chaise lounge'?"と彼に問いかける場面。"Chaise lounge"はアメリカでは「長椅子」という意味で使用されている言葉だが、フランス語の"chaise longue*1"から来ている。ものを知らない人っているのよね〜という話なのだけれど初対面の男性に話す内容として違和感があるなと思ったのと、2013年に出版されていたCrazy Rich Asiansでやたらと"chaise lounge"が連発されていて私も違和感を感じたことを思い出した。作家がアートコンサルタントということだったので、そういう職業だったら"chaise longue"と言ってくれ〜と思ったんですよね……だからこの描写も、同じく中国系作家としてヒットを飛ばしたケビン・クワンに対するあてこすりみたいなのももしかしてあるのか!?と邪推したり笑。多分考えすぎ。でも、この「言葉に対するマーガレットの感覚」は彼女の性格をよく表していると思った。彼女は異なる文化や言語を非常に尊重するタイプで、香港でもできれば香港の人とつながりたいと思い、小さなアメリカ人コミュニティで生きることに疑問を感じている。そういう精密な描写や人間観察が非常に優れている作家である。

 

 作者のジャニス・Y・K・リーは香港で育った韓国系移民。その後アメリカへ移住している。ハーバード卒業後にELLEなどでエディターとして勤務してから作家に転じたとか。まだ2作目なので今後の作品も楽しみ。本作は、リーと同じく「夫婦の抱える闇と秘密」を描くのが得意なオーストラリア人作家リアン・モリアーティにも絶賛されている。

 いかにもドラマ化・映画化に向いていそうだなと思ったのだけれど、モリアーティ原作の『ビッグ・リトル・ライズ』をリーズ・ウィザースプーンと共同プロデュース&2017年の賞レースを総なめしたことで話題を読んだニコール・キッドマンがTVシリーズ化することが決まっているそう。これは期待大! キッドマンはマーガレットを演じるのでしょうね。 

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 『ビッグ・リトル・ライズ』、面白かったな。 

 

香港を舞台にしたエッセイ・小説

 香港はウォン・カーウェイ監督の作品だとか、いい映画がたくさんあるので訪港前は映画を見ていることが多いのですが、数少ないお気に入りの読み物はこちら。

 もちろん、夜の九龍が妖しいまでの光を放つ『深夜特急』の1冊目と、 

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

 

 母と母の恋人と香港を訪れるお嬢様が、香港の男の子と仲良くなり彼の日常を垣間見る短編小説「菊花茶のような十六歳」。スターフェリーも出てくる。ただし、今では香港人の方が日本人よりよほど裕福な気がする。 

アリスの旅行小説集 (幻冬舎文庫)

アリスの旅行小説集 (幻冬舎文庫)

 

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*1:文字通り、長椅子。片方に背もたれの付いた長めのソファ。

『オリクスとクレイク』(マッドアダム・シリーズ) マーガレット・アトウッド

[Oryx and Crake]

 『侍女の物語』でなんだか調子づいて(読書熱が)、アトウッドの作品を次々読み返している。

 『オリクスとクレイク』は、日本語版が出ていることを知ってこちらを読んだ。 

 MaddAddam(マッドアダム)シリーズ3部作の第1作目。

オリクスとクレイク

オリクスとクレイク

  • 作者: マーガレット・アトウッド,Margaret Atwood,畔柳和代
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2010/12/17
  • メディア: 単行本
  • 購入: 1人 クリック: 13回
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アトウッドが描く近未来ディストピア

スノーマンは夜明け前に目を覚ます。横たわったまま体を動かさずに入り潮に耳を澄ます。次から次へ波が打ちつけ、さまざまな障害物を乗り越えて流れ込む。ざざー、ざざー、鼓動のリズムだ。自分はまだ眠っていると信じられたらどんなにいいかと切に思う。

 スノーマンたる人物が絶望していることがひしひしと伝わる、この冒頭の文章。

 昔はジミーと呼ばれていたと回想するスノーマンがどういう人物なのかは、読んでいるうちに少しずつ明らかになる。背景の説明はなく、唐突に始まり、その新しい世界を手探りで読者が進んでいくというのがアトウッドの小説のスタイルだが、文章は簡潔で魅力的なので分からないなりにどんどん読み進めてしまう。

 

 2000年代までは通常に機能していた世界が、なんらかの感染病が原因で終末を迎える。人間は死に絶え、今ではスノーマンしか残っていないようだ。

 スノーマンは「クレイクの子供たち」と呼ばれる人々の近くで暮らしているが、この人々は文字通りクレイクという男性が遺伝子操作で創り上げた生き物(進化系の人間)で、少量の草花を食べ生きている。

 スノーマンは「ジミー」という名で呼ばれていた頃のこと、自身の親友だったクレイクのこと、そして最愛の女性オリクスのことを考える。その回想と、現在のスノーマンとなった彼の生活が交互に語られる。

 

 ジミーの父親は<オーガン・インク>という会社で働いていた。ピグーン(人間に臓器提供するために造られた豚)、ラカンク(ラクーンとスカンクの合いの子、ペット)といった動物を遺伝子操作で作り上げるのだ。

 このあたりは、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を思い出させるようなエピソードであるが、本作が出版された2000年代初めにはこのような最先端技術・医療と倫理のせめぎ合いが実際に話題となっていたことも記憶に新しい。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

 

 一方、ジミーとクレイクはパソコン上で<エクスティンクタソン(絶滅マラソン)>というオンラインゲームを見つけ、夢中になる。

モニターはマッドアダム。アダムは生ける動物に名前をつけた。マッドアダムは死んだ動物に名前をつける。プレイしますか?

 という言葉で始まる、消滅した動物や植物についての知識を争うゲームだ。

 (文系の)ジミーはすぐに飽きてしまうが、クレイクは魅了され続ける。大人になったクレイクは、マッドアダムのゲームマスターたちと一緒になり、「永遠の命」「若々しさ」を研究開発する仕事に就く。そして人造人間を作り上げるのだ。

  

文系が虐げられる世の中

 アトウッドの小説を読むといつもその先見性に目を見張るのだが、この小説は2000年代の出版当初よりも今の方が切実に共感しやすくなっていると感じた。

 ジミーとクレイクそれぞれの両親は科学に貢献しておりハイテク企業に勤務していた。

 これは、真理省で働くいわゆるエリートを描いた『1984年』のようでもある。 

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

 ジミーもクレイクも「ヘーミン」から隔離されたエリート用施設に暮らし勉学に励む。だが、残念ながらジミーは「理数系」ではない。

 「理数系」であることが重要とされる社会において、「文系」だとみなされることは屈辱でもあり落ちこぼれの烙印を押されるようなものである。

 立派な大学には入ることができず、いい仕事にも就けず、「ヘーミン」すれすれの生活を送ることとなってしまう。

 女性にモテる遊び人のジミーは、生物学的に、子孫永続という視点ではクレイクよりよっぽど優秀だとも思えるのだが

「クレイクの言うとおりね」とオリクスはひややかに言った。「あなたの頭脳はエレガントじゃない」

 なんて言われてしまうのだ。

 これはエンジニアリングやIT企業がもてはやされている現代を風刺しているようでもある。それでいて、この小説が発表されたのはiPhoneもまだ誕生していなかった2003年なのだから驚く。

 ちなみにアトウッドの父は科学者で、兄も神経生理学者だそう。「理数系」一族に生まれた「文系」としての観察眼が生かされた小説である。 

 

オリクスという「イブ」

 クレイクがマッドアダム(狂ったアダム)だとすれば、オリクスはイブにあたるだろう。東南アジアの貧困家庭出身らしい彼女は、売春を繰り返すことで自らの命をつないできた。そして自身の体と引き換えに学を得る。

「どうしてそんなに悪人だと思うの?」とオリクスは言った。「あなたがしていないことを、あの人が私とやったことはないわ。あんなにいろんなことしてないし!」

「君の意思に反してやっているわけじゃない」とジミーは言った。「ともかく、君はもう大人だ」

オリクスは笑い声を立てた。「私の意思って何かしら?」

 所詮甘ちゃんのぼんぼんであるジミーには、到底理解できない人生を歩んできた女性である。

 オリクスのエピソードは近未来を描くディストピア小説の中で異彩を放つようにも思えるが、これは女性にとってのディストピアであり(売春云々を別にしても)どれほど社会が発展しようと解決されない問題を描いているように思える。

 

ヒエロニムス・ボスの表紙絵がぴったり

 日本語版は表紙も美しい! なんと、ヒエロニムス・ボスの《快楽の園》の一部が使用されている。この左パネルの上部、『エデンの園』もしくは『地上の楽園』部分。

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 様々な架空の動物が描かれている。

 透けるように真っ白なキリン、2本足で歩くカンガルーハムスターのような動物、針が長く優雅なヤマアラシ風の動物、踊るキツネかタヌキか、ユニコーン、耳の長いイノシシと狼の中間のような動物。

 これが、作中に出てくる人間によって改造された動物たちを連想させるのだ。

 この絵を表紙にと選んだ出版社の方?翻訳者の方?は素晴らしいな……と思った。

 ちなみにまったく同じ絵が表紙に使用されている海外文学はもう1冊あって、それは白水社から出ているカルロス・フエンテスの『テラ・ノストラ』(目下積ん読中……)。

 

次々に映像化されるアトウッド作品

 ちなみにこのマッドアダム・シリーズはドラマ化も決定している。

 日本語に翻訳されているのは『オリクスとクレイク』のみだが、The Year of the Flood(洪水の年)MaddAddam(マッドアダム)と続いている。

*The Year of the Flood, MaddAddamのレビューはこちら。

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 Huluの『侍女の物語/ハンドメイズ・テイル』、Netflixの『またの名をグレイス』と、アトウッド作品は次々映像化されているが、1980〜2000年代に書かれたこれらの小説が現代に警鐘を鳴らしていると再評価されているのだろう。

 視聴できるようになるのが楽しみ!

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 みなさま、今日もhappy reading! 

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『侍女の物語』 マーガレット・アトウッド(斎藤英治・訳): 結婚して初めて分かったこと

[The Handmaid's Tale]

 マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』を初めて読んだのはまだ10代の頃だった。

 その後大学の授業でも読んだし、社会人になってからも読み返した。 

 繰り返し読んだので思い入れのある作品ではあるが、どこか自分からは遠い架空の世界の物語だという印象があった。

 が、結婚してから初めて読み返してみて、私ははっとした。

 初めてこの小説の持つ意味が、その哀しみが、分かった気がした。

 だから今日は改めて『侍女の物語』について書こうと思う。

 

 Huluでドラマ化され、盛り上がっている『侍女の物語』。  

 2016年頃からドナルド・トランプの大統領立候補に伴い、アメリカをはじめとして世界中でベストセラーとなっているディストピア小説の1つである。

 さて、ディストピアやSF小説と聞いて思い浮かぶ小説はいくつもあるが、果たしてその中に女性を主人公にしたものはいくつあるだろうか?

 1985年に出版されたこの小説は、おそらくディストピア小説としては初めて女性を主人公に据えた作品だと思われる。

 アトウッド自身も、

是非こういうジャンルの小説を書いてみたいと思いました。私が読んだ小説はほとんどが男性によって書かれており、主人公も男性でした。だからそれをひっくり返して、女性の語り手の視点で書いてみたかったのです。私が読んでいた小説にも女性が出てこなかったわけではないし、女性が重要な役割を担っていなかったわけでもありません。ただ、女性が語り手ではなかったんです。

 と語っている(インタビュー記事は下記を参照)。

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「侍女」とは?

 "Handmaid(侍女)"とは、旧約聖書の創世記に出てくる言葉である*1

 ラケルに仕える奴隷、ビルハを指す。

 ラケルはヤコブという男性の妻である。が、二人の間には子供ができない。

 姉・レアには子供ができたことを知ると、妬んだラケルはヤコブにこう言う。

わたしに子どもをください。さもないと、私は死にます。

……わたしのつかえめ(handmaid)ビルハがいます。彼女の所におはいりなさい。彼女が子を産んで、わたしのひざに置きます。そうすれば、わたしも また彼女によって子を持つでしょう。

 そしてビルハはヤコブの子を産み、その子はヤコブとラケルの子として育てられるのだ。

 ちなみにこれは当時の一般的慣習だったとされている。

 

あらすじ

 

 『侍女の物語』でも、上記の旧約聖書の一部分は頻繁に登場する。 

 物語の舞台はギレアデ共和国。もともとはアメリカ合衆国と呼ばれた国に、キリスト教原理主義の国として誕生した全体主義の共和国である。法律は改変され、人々はギレアデ支配者層に従って生きることを余儀なくされている。

 <目>と呼ばれる組織が社会を監視しているため自由は許されず、アカデミックや有色人種、LGBTQといった反対派は次々に処刑されていく。

 ギレアデ共和国では環境汚染や原発事故などの影響で出生率は著しく低下し、健康な赤ちゃんが産める女性は非常に少ない(健康な赤ちゃんが生まれてくる確率はもっと少ない)。

 そのため、出産能力のある女性は「侍女」として共和国の支配者層に支えている。

 共和国の司令官および妻と同じ家に暮らし、「儀式」として1か月に1度、妻の監視下において司令官と交わることが義務付けられている。

 侍女とは、「聖なる器、歩く聖杯」であり、その存在価値は健康な子宮以上でも以下でもない。

 主人公のオブフレッドは、侍女の1人である。

 もちろん、生まれつき侍女だったわけではない。

 彼女はアメリカでヒッピー世代の母の元に生まれ、大学を出て、編集者をしていた。

 妻子ある男性と恋に落ち、その後結婚し、女の子を授かった。

 キリスト教原理主義が国に広がったことに懸念を感じ、家族で国外逃亡しようとしていた時に捕まり、女性教育施設に送られ侍女になり、とある司令官の家に派遣されたのだ。

 侍女には任期があり、任期内に妊娠できなかった場合は別の家に派遣される。

 3つの家を転々としても妊娠できなかった場合は、不完全女性との烙印を押され、<コロニー>に連れて行かれる。そこで汚染物質や放射能物質の始末をしながら一生を終えるのだ。

 反対に、妊娠し健康に問題のない赤ちゃんを出産した侍女は一生安泰である。

 だから妊娠した侍女は嫉妬と羨望の眼差しで見つめられることになる。

 本人が望んだ妊娠であろうがなかろうが。

 

 ありとあらゆるところに<目>が潜んでいて、誰も信頼することのできない日常。

 自分の記憶の中に逃避することでなんとか日々をやり過ごしていたオブフレッドだが、ひょんなことからパートナーである侍女・オブグレンが「メーデー」という反政府グループの一員であることを知る。そして彼女から、自身の司令官についてなんでもいいから情報を探れとけしかけられる。オブフレッドの司令官は政府で非常に重要な人物であり、反政府グループも彼について知りたいと考えているのだ。

 そんな時、「儀式」でしか顔を合わせない司令官に「2人きりで会いたい」と持ちかけられ……。

 

 ギレアデ共和国とは何か、侍女とは何か、はっきりとは明かされないままオブフレッドの独白という形で物語が進んでいく。

 オブフレッドの目を通して見えてくる社会のあり方には鳥肌が立つ。

I made nothing up*2. (自分で作り上げたエピソードは1つもない)

というのが『侍女の物語』に対するアトウッドの言葉だが、世界中のどこかで起こった(起きている)政府や社会の体制がギレアデ共和国という国に反映されており、だからこそこの小説は非常にリアルで陰鬱でもある。

 

『侍女の物語』はディストピア小説か? 

 アトウッドはこうも語っている。

When I first published the book, some people did the “it could never happen here” thing. “We’re so far along with women’s rights that we can’t go back.” I don’t hear that much anymore*3.

 

最初にこの本を出版した時、「こんなことは北米では決してありえない」という人がほとんどでした。「女性の権利が尊重されるようになっているから、北米がここまで退化することはありえない」と。でも今のアメリカを見て、そう発言する人は多くありません。 

 キリスト教原理主義は、アメリカにおいては下記の要素を含むとされる。

反同性愛、反中絶、反進化論、反イスラム主義、反フェミニズム、ポルノ反対、性教育反対、家庭重視、小さな政府、共和党支持*4

 これに基づくギレアデ共和国は当然ながら、男性優位の社会である。 

 男性のみが働き、権力を握っている。

 女性は家庭を中心にそれぞれが階級分けされている。

 

妻: ギレアデ共和国の支配者層の妻

侍女: 生殖能力のない妻の代わりに支配者層の子供を産む女

女中(マーサ): 家庭で妻の代わりに家事を行う女

小母: 侍女の教育を行う女

便利妻: 貧しい人々の妻

売春婦: 生殖能力はないが支配者層に性の喜びを与えることのできる女性

不完全女性: コロニーにいる社会不適合者、出産能力のない女など

 

 こうすることで女性の団結を防ぎ、力を奪い取っているとも言える。

 アトウッドも繰り返し語っている通り、

The control of women and babies has been a part of every repressive regime in history. This has been happening all along...The Handmaid’s Tale is always relevant, just in different ways in different political contexts. Not that much has changed*5.

 

女性や赤ちゃんをコントロールするということは抑圧的な政権が繰り返し行ってきたことです。いつも起こっていたことなのです……政治的背景が異なるだけで、『侍女の物語』はいつだって起こり得ることです。この物語を書いてから、それほど多くは変わっていません。

である。ディストピアというよりも、ある意味現実社会を描いているとも言えるのだ。

また、

...The kernel of the idea was how you would control women bu shutting down their bank accounts.

 

...…中心となるアイディアは、女性の銀行口座を凍結することで女性を管理するというもの。 

だそうで、これがフェミニズム小説の代表作と呼ばれる所以なのだろう。

 アトウッドにしてみると、「フェミニズムって何? 私は女性の権利を主張しているだけで、女性の権利=人間の権利よね? 女性は人間なのだから。私をフェミニストと呼びたいなら、フェミニズムが何なのかはっきり定義してくれないと」ということだろうが。

(これはアトウッドが様々なインタビューで繰り返す発言である。) 

 

In my own words

 最後に、私自身が今回読み返した感想を。

 もちろん、フェミニズム云々・今ここにある危機云々は、最初に読んだ時から理解しているつもりだった。

 それでも今回実感したのは「既婚女性が社会で感じる無力さ」だろうか。 

 これは、現代の女性の現実を描いた物語だったんだ! とびっくりした。

 一言で言うと、「名前をなくした女神」現象である。 

 これは少し前に話題になったママ友関係を描いたTVドラマのタイトルなのだけれど、言い得て妙だと思う。

 結婚して子供を産んだ女性は、仕事をしているしていないにかかわらず、「◯◯くん、△△ちゃんのママ」と呼ばれるようになる、というアレである。

 別に子供がいなくても同じである。

 結婚して、夫と二人で不動産を見に行く。夫の知り合いとの会合に出席する。

 たとえ妻の方が資産が多くても、妻名義で不動産を購入する予定でも、収入が多くても、知識があっても、スーパーモデルでも、宇宙人でも、関係ないのだ。

 妻は「◯◯さんの奥様」と呼ばれ、意見を求められることはない。人々は夫の目を見て話し、透明人間になったかのような気持ちを味わう。

 もちろんそれは常に起こることではないにしろ、現代日本ではかなりの確率で起こる。

 独身の頃には体験したことのなかった出来事で、こんなことが起きるなんて想像もしていなかった。まるで自分という人間が消えてしまったみたい。結婚しただけで、私自身は何も変わっていないのに!

 

 オブフレッドは、主人公の本名ではない。

 フレッドという男性の侍女となったので"Offred"(フレッドの)と呼ばれているのである。

 ひどい話だ、と思うものの、夫婦別姓が認められていない日本では結婚した女性(一部の男性も)も同じ気持ちを味わっているよね、とも感じてしまう。

 

 日常とは、あなた方が慣れているもののことです、とリディア小母は言った。今はまだこの状態が日常には思えないかもしれません。でも、しばらくすればきっとそう思えるようになるはずです。これが日常になるのです。

 

 書きたいことはまだまだあるものの、あまりに長くなってしまいそうなので、Hulu版『侍女の物語』6〜10話の感想として別途記したいと思う。 

 

 最近は、アトウッドさんが"MeToo"運動関連で話題に上がっていた様子。読んだら分かることだが"MeToo"運動に反対しているわけではなく、その行き過ぎや間違った使われ方(セクハラで非難されたブリティッシュ・コロンビア大学の教授を、大学が事実確認の手続きをとらず解雇した問題など)に懸念を示しているということである。

www.bbc.com

 

『侍女の物語』の続編、The Testamentsのレビューはこちら。

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みなさま、今日もhappy reading!

 

 

 

 

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*1:日本語では通常、「つかえめ」と訳されている。

*2:TIME誌インタビューより。On the Urgency of the Handmaid's Tale | TIME

*3:TIME誌インタビューより。On the Urgency of the Handmaid's Tale | TIME

*4:Wikipediaより。

*5:TIME誌インタビューより。On the Urgency of the Handmaid's Tale | TIME

『オリーヴ・キタリッジの生活』 エリザベス・ストラウト(小川高義・訳)

[Olive Kitteridge]

 静かに、そっと始まる物語。文字を追っているつもりが、いつの間にかメイン州の小さな港町・クロズビー*1に足を踏み入れている。アメリカの北東部、寒く凍った土地。

 薬局を見て回り、カウンターの向こう側にいるヘンリーとデニースの何気ない会話に心が温かくなる。ティボドーとデニースという若い夫婦のやりとりをヘンリーの視点で見守る。そして、偏屈で息子に疎んじられているオリーヴの言葉にむっとする。

 嫌な女。そう感じたオリーヴの、辛口な言葉に包まれた心や、絶望や、後悔が、短編一つ一つを通じて見えてくる。

  

 教え子のケヴィンと話をするオリーヴ、息子クリストファーの結婚式の日花嫁の友人との会話を盗み聞きするオリーヴ。

この町で絶対に泣き顔を見せない人物がいるとしたら、オリーヴだろう、とハーモンは思っていた。 

 いろいろな人の人生を通して、オリーヴ・キタリッジという女性が浮かび上がってくる仕掛け(翻訳者は小川高義さん。面白いに決まっている)。

オリーヴ・キタリッジの生活 (ハヤカワepi文庫)

オリーヴ・キタリッジの生活 (ハヤカワepi文庫)

 

 サンフランシスコ・クロニクル紙の書評通り、「読書の純粋な喜びを味わえる」1冊だった。夫であるヘンリーのやることなすことが気に入らず文句をつけ、町の人には「なんであんな妻に我慢できるんだろう」と思われている。息子のクリストファーには愛情をかけて育てたつもりが、彼からはヒステリックでコントロール・フリークなところがある会話しにくい母だと思われている(というのは息子が町から出てから、語られる)。 

 何があっても動じなさそうな、つんけんした背の高い数学教師オリーヴ。彼女の抱え持つ様々な表情が、様々な人を通じて描かれる。あんなに嫌な女だと思った40代のオリーヴが、60代になると哀れになり、70代になるとその強さに感服し、彼女の悲しみにそっと寄り添いたくなる。何もないような小さな町の、なんでもないような老女の物語なのに、彼女の心の中の生活にはドラマが詰まっている。

 メインからニューヨークまで、飛行機で1-2時間たらずなのに、70代になるまで足を踏み入れたこともないオリーヴ。アメリカという広大な土地を持つ国の、架空の町の架空の人物の人生を、驚くほどのリアリティを持って描いた小説。

 

 この短編集の最初の4話を、HBOがミニシリーズ化。

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 ドーナツの上に、はらはらと降りかかる粉砂糖が雪に変わっていって…というオープニングも素敵です。小説にもダンキン・ドーナツがたくさん出てきましたね。

 ダンキン・ドーナツに行こうというオリーヴとヘンリーの会話やら、デイジーにドーナツを買っていくハーモン(結局オリーヴに食べられちゃうんだけど)やら。ダンキンのコーヒーを飲みながら、ドーナツを食べたくなる!

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 主演はアカデミー賞受賞歴のあるフランシス・マクドーマンド。まさに、小説を読んで思い浮かべていたオリーヴ・キタリッジその人。夫・ヘンリー役はリチャード・ジェンキンス。

 小さい町での静かな暮らしが情緒豊かに描かれていて、セリフがそれほど多いわけでもないのに役者さん全ての演技が秀逸で、それぞれの感情が手に取るようにわかる。手入れはされているもののどこか古ぼけたヘンリーとオリーヴの家だとか、80年代的な空気がありありと感じられるドラマだった。2015年のゴールデングローブ賞にもノミネート*2。AmazonのPrime Videoでも視聴可能です。

パート1:薬局

パート1:薬局

 

 

 新作『わたしの名前はルーシー・バートン』の感想はこちらから。

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*1:架空の町。

*2:Best TV Movie or Miniseries.

ヴォルテールの『カンディード』とSATC

[Candide]

大学を卒業してもうすぐ10年である。社会で働き始めてもうすぐ10年、でもある。

「もっと真面目に勉強しておけばよかったなあ」と思うことはあまりないのだが、「今だったら、あの授業をもっと楽しんで受けられたなあ」と感じることは本当によくある。

秋の夜長はそんな思いに耽りたい季節。ということで、思い出の1冊を再読した。 

ヴォルテールの『カンディード』。 

光文社文庫の表紙って、「人っぽい絵が描いてある」くらいにしか認識していなかったのだが、『カンディード』の表紙はすごい!

クネゴンデ姫にキスして、お尻を蹴られるカンディードが描かれているではないか。しかも、この表情……。なんか笑える。

カンディード (光文社古典新訳文庫)

カンディード (光文社古典新訳文庫)

 

あらすじ 

楽園のようなドイツの城で育ったカンディードは、クネゴンデ姫*1にキスしたところを姫の父親に見つかり、お尻を蹴られ城から追放される。

城の家庭教師パングロスに、オプティミズム(最善説)を教え込まれて育ったカンディード。

ものごとはすべて何らかの目的のためにつくられたものであるから、必然的にすべては最善の目的のために存在する。たとえば、鼻はメガネをかけるためにつくられた。したがって、われわれにはメガネというものがある。 

しかしお城の外で、人々を助けようとする善人が意地悪い男に殺されるのを目撃し、クネゴンデとも再会するものの、戦争で城は奪われ彼女の両親は殺され、彼女自身はユダヤ人の愛人になっていたことを知り、絶望の末に懐疑的な考え方を身につけていく。

その後クネゴンデのために新大陸へ渡り、大活躍するものの手に入れた財宝は奪われるわ、クネゴンデはお金目当てで現地の総督と結婚してしまうわ、踏んだり蹴ったりの目にあい、ついに

ぼくはあんたの最善説をついにここで捨てざるをえない……(最善説とは)すべてが最悪の時にも、これが最善だと言い張る執念のことだ。 

と宣言。ペシミストのマルチンとも出会い、

「それでは、この世界はいったいどういう目的でつくられたのでしょう」カンディードは尋ねた。

「何だこれは、と私たちを憤らせるためですよ」マルチンは答えた。

不幸なカンディードとマルチンは「幸せとは何か」について会話するようになる。

最終的に自分のためだけに働き、自分の人生に満足しているトルコ人の老人に会い、こう告げられる。

働くことは、私たちを三つの大きな不幸から遠ざけてくれます。三つの不幸とは、退屈と墜落と貧乏です。

お金もなくしたし、クネゴンデとはその後巡り会い結婚したものの彼女はすでに美貌を失い、カンディードにとって何の魅力もない女性となっている。 

そんな中で、カンディードは「とにかく自分の庭を耕さないと*2」と、初めて自分の意見を持つのだった。

 

哲学コント

『カンディード』は哲学コントであるとよく言われる。素直で楽天的だった青年が、オプティミズムを信じ込み、その後ヨーロッパ&アメリカ大陸各地を旅しながら戦争、貧困、伝染病などなど天災も人災もありとあらゆるものを経験し、ペシミズムを知っていくという物語だ。

カンディードの会話の端々から、当時のキリスト教に対するヴォルテールの考え方も垣間見ることができるし、

えっ、それでは修道士とかはいないんですね。教えを垂れたり、言い争ったり、支配したり、陰謀をたくらんだり、自分と意見のちがう人間を焼き殺したりする修道士などは、いないんですね。

出版社や編集者、批評家など、ヴォルテールと意見が対立する人物が作中で完膚なきまでに叩きのめされているのも面白い。

ユーモアを通して、ヴォルテールのオプティミズムに対する考え方が語られ、楽しみながら学べる作品というところだろうか。

 

大学生活とヴォルテール

The Open Syllabus Projectにて「英語圏の大学で最もよく使われる文献」リストが作られている。学部によっても本を読むか読まないかはかなり差が出てくると思うのだが、ちなみに『カンディード』は57位。

私は大学で政治学(専門は国際関係)を学んだ。大学生になって、最初の1年はまるまる政治の"schools of thought"を学ぶことに費やされた。

今までの歴史と、そこから生まれた政治に対する考え方だ。

プラトン、アリストテレス、アダム・スミス、トーマス・ホッブス、孔子、ルソー、マルクス。

その中でヴォルテールにおけるオプティミズム-ペシミズムのものの見方は、当時「テロとの戦争」を掲げていたアメリカ、そして混沌のイスラム世界と比較されることが多かったように思う。

何もかもを正当化して突き進んでいく様は、ヴォルテールの批判するオプティミズムと似通ったものがないだろうかという議論をよくした覚えがある。

とにかく1年かけて、読んで読んで読みまくったので、反動で卒業してからはヴォルテールの「ヴォ」の文字も見たくなかった。

しかし10年経って、仕事の専門分野が違うこともあり、大学に思いを馳せることはほとんどなくなり、さすがに勉強した内容も忘れた(気がした)今日この頃。

久しぶりにいざ再読とページを開いてみると、クラスを担当していたTA(Teaching Assistant)大学院生のフランス語なまりの「ヴォルテールの考え方は〜」という何度も耳にした決まり文句が頭にぽっと浮かび、当時の図書館のにおいやら、教室の雰囲気やらが、怒涛のように蘇ってきて、何とも言えない気持ちになる。

あの頃泣きながら読んだ大量の文献を、今ならもっと楽しく読めるのになと少し残念に思った。

 

私が『カンディード』から学んだこと(政治学以外)

さて、政治学の考え方はさておき、『カンディード』 は私にすごく重要なことを教えてくれた。

幸せとは、人生に対して満足していることであるということだ。

中盤から幸せとは何か、懸命に話し合うようになるカンディードとマルチン。

お金を持っていることではない、恋愛でもない、結婚でもない、地位でも名誉でもない。幸せは、自分が人生に満足しているか否かで決まるのではないだろうか。

就職、転職、結婚と、人生の転機を支えてくれたこの指針。

大学2年生の頃には既にうんざりしていた『カンディード』。この本を読んで持った感想が、まさか自分の人生においてこんなに大切なものになるなんて。

わからないものです。

 

『カンディード』とSATC

ちなみに、Sex and the Cityを見ているといつも『カンディード』を思い出す。

「物事には全て理由がある」と言い張るシャーロットは、永遠の楽観主義者。

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キャリーもシャーロットの前向きな考え方に感銘を受け、著書を"the eternal optimist"シャーロットに捧げていた*3

“That night, I dedicated my baby, my book, to... - What Would Carrie Say?

そして、シャーロットはこんなことも言っている*4

Charlotte: But Carrie, everything happens for a reason. Even if you don't know what it is yet.

Miranda: That's such bullshit.

Charlotte: It's not! Look at me. If I had never married Trey, then I never would have gotten divorced and I never would have met my divorce lawyer Harry, and I wouldn't be engaged now.

Miranda: Uh-huh. Paper covers rock. 

トレイと結婚して離婚しなかったら、離婚弁護士のハリーにも会えなかったし、ハリーと婚約できてなかったもの……パングロスもびっくりである。

対するミランダはもちろんペシミストかな。

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でも、だからこそ誰よりも早く好きな人との結婚を果たし、子育て、義母の介護と甘いだけではない結婚後の生活を続けつつも、スティーブとの絆を深められたのだろう。

 

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*1:キュネゴンドとも訳される。Cunégondeは、フランス語では"cul(お尻)"を連想させる名前である。翻訳者・斉藤悦則氏のあとがきによると、「日本語では、そのお尻に似た語感を楽しむことはないのだから、より女性的な響きを持つドイツ語風の読み方クネゴンデを採用した」とのこと。

*2:光文社バージョンでは庭ではなく畑と訳されている。

*3:Season 5, Episode 2 "Unoriginal Sin(愛こそすべて)"。

*4:Season 6, Episode 7 "The Post-It Always Sticks Twice(弱気な男のポストイット)"。

『ゼルダ すべての始まり』を観ました

 さて、前の記事で言及したアマゾン・オリジナルシリーズの『ゼルダ すべての始まり』についてです。

 クリスティーナ・リッチ主演。ゼルダ・フィッツジェラルドの生涯を彼女の視点から描いている。

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ドラマの感想

 1シリーズ全10話を鑑賞することが可能。

 ゼルダの少女時代から、フィッツジェラルドとの結婚・出産を経てフランスへ移住するまでの物語。

 

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 これが面白くて! あっという間に全話観てしまった。

 ゼルダという女性がどうやって出来上がったか、よく理解できる。

 ちょっと暗いけれど……モンゴメリでの少女時代やらニューヨークの狂騒やらは、もう少し明るくやんちゃなトーンで描いていただいてもよかったんじゃないかなとは思うのだが。続けて観ると余計にその暗さが際立ってしまって。

 全編を通して流れる気だるいジャズも素敵だし、F・スコット・フィッツジェラルド役の俳優さんなんて本人に生き写し! ちょっとぼん(おぼっちゃま)風で、繊細かつ傲慢な雰囲気がめちゃくちゃ良かった。お酒におぼれる様子もなんだか様になっている。

 クリスティーナ・リッチもはっきりとした南部訛りを物憂い感じで話していて、ゼルダの雰囲気がとてもよく出ている。

 全体的に素晴らしい再現力で、ゼルダの自伝的小説『ワルツは私と』に出てくる細かいエピソードまでちゃんと拾って描かれている。

 少女の頃は裸で池に飛び込み物議をかもした、とか。

 南部の男の人はみんな顔なじみ、フットボールしか頭にないから絶対に結婚したくない、と両親に言い張るところとか。

 

「南部の花」からニューヨークの「フラッパー」へ

 ゼルダのお洋服の変遷なんかも、「これは映像でないと描けないわ〜」と感動した。

 南部は北部に比べて、女性らしいことが良しとされる地域(1910年代当時ですよ)。スカートの丈は長く、カラフルな衣装がたくさん。

 ところが結婚してニューヨークへ移ると、そこに待っていたのは別世界。

 今はニューヨークで女優をしている幼馴染のタルーラと再会するも、「何あの服」と陰口を叩かれてしまう。

 それもそのはず、ニューヨークでは「新しい女性」旋風が吹き荒れており、みんなシックな服を着ているのだ。

 日本で言うところのモガである。髪を短くして、黒い膝丈のシャネルのスカートを身につけて。

 今まで当たり前だった価値観はニューヨークでは通用しない。

 しかも「南部らしいフェミニンな格好の君が好きだ」と言っていた夫・フィッツジェラルドが、こっそりニューヨークの女性に「ゼルダの服はまるでダメだ。代わりに選んでやってくれないか」なんてお願いしていたことも発覚!

 環境の変化に慣れようと頑張っている中で、これは大きな打撃である。

 南部では「一番の美人」ともてはやされるパーティーの花だったのに、「ダサい」みたいなことを方々から言われて……ショックも大きかったと思われる。

 その後ゼルダはこんな風に変身して、フィッツジェラルドの本がベストセラーになったこともあり、ファッションアイコン/時代の象徴となるわけだが。

 

ゼルダの感じていた閉塞感

 ゼルダは南部出身。街は美しく周りもおせっかいで優しい人ばかりなのだけれど、とにかく狭い世界。上流家庭出身者(いわゆる社交界デビューするような階級の人たち)はみんな知り合いで、デートしようにも地元の男の子はみんな幼馴染状態。そして、誰とデートしても噂がすぐに広まる。

 ゼルダはその環境に閉塞感を覚え、広い世界に出たいと願い続ける。

 その気持ちは現代人だって痛いほど分かる。

 

クリスティーナ・リッチの思い

 クリスティーナは主演のみならず、この作品のプロデュースも手がけている。

 ゼルダについて調べるうちに"I realized that so much of what I thought about Zelda was incorrect and actually defamatory(今までゼルダに抱いていたイメージが誤りで、実際のところ彼女は汚名を着せられている)"と気付いたと語っており、どうしても本当のゼルダを世に知らしめたくなったのだとか。

www.theguardian.com

 良くリサーチされている素晴らしい作品だと思います!

 原作はこちら。 

Z: A Novel of Zelda Fitzgerald

Z: A Novel of Zelda Fitzgerald

 

 

 

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