トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

『侍女の物語』 マーガレット・アトウッド(斎藤英治・訳): 結婚して初めて分かったこと

[The Handmaid's Tale]

 マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』を初めて読んだのはまだ10代の頃だった。

 その後大学の授業でも読んだし、社会人になってからも読み返した。 

 繰り返し読んだので思い入れのある作品ではあるが、どこか自分からは遠い架空の世界の物語だという印象があった。

 が、結婚してから初めて読み返してみて、私ははっとした。

 初めてこの小説の持つ意味が、その哀しみが、分かった気がした。

 だから今日は改めて『侍女の物語』について書こうと思う。

 

 Huluでドラマ化され、盛り上がっている『侍女の物語』。  

 2016年頃からドナルド・トランプの大統領立候補に伴い、アメリカをはじめとして世界中でベストセラーとなっているディストピア小説の1つである。

 さて、ディストピアやSF小説と聞いて思い浮かぶ小説はいくつもあるが、果たしてその中に女性を主人公にしたものはいくつあるだろうか?

 1985年に出版されたこの小説は、おそらくディストピア小説としては初めて女性を主人公に据えた作品だと思われる。

 アトウッド自身も、

是非こういうジャンルの小説を書いてみたいと思いました。私が読んだ小説はほとんどが男性によって書かれており、主人公も男性でした。だからそれをひっくり返して、女性の語り手の視点で書いてみたかったのです。私が読んでいた小説にも女性が出てこなかったわけではないし、女性が重要な役割を担っていなかったわけでもありません。ただ、女性が語り手ではなかったんです。

 と語っている(インタビュー記事は下記を参照)。

www.tokyobookgirl.com

  

 

「侍女」とは?

 "Handmaid(侍女)"とは、旧約聖書の創世記に出てくる言葉である*1

 ラケルに仕える奴隷、ビルハを指す。

 ラケルはヤコブという男性の妻である。が、二人の間には子供ができない。

 姉・レアには子供ができたことを知ると、妬んだラケルはヤコブにこう言う。

わたしに子どもをください。さもないと、私は死にます。

……わたしのつかえめ(handmaid)ビルハがいます。彼女の所におはいりなさい。彼女が子を産んで、わたしのひざに置きます。そうすれば、わたしも また彼女によって子を持つでしょう。

 そしてビルハはヤコブの子を産み、その子はヤコブとラケルの子として育てられるのだ。

 ちなみにこれは当時の一般的慣習だったとされている。

 

あらすじ

 

 『侍女の物語』でも、上記の旧約聖書の一部分は頻繁に登場する。 

 物語の舞台はギレアデ共和国。もともとはアメリカ合衆国と呼ばれた国に、キリスト教原理主義の国として誕生した全体主義の共和国である。法律は改変され、人々はギレアデ支配者層に従って生きることを余儀なくされている。

 <目>と呼ばれる組織が社会を監視しているため自由は許されず、アカデミックや有色人種、LGBTQといった反対派は次々に処刑されていく。

 ギレアデ共和国では環境汚染や原発事故などの影響で出生率は著しく低下し、健康な赤ちゃんが産める女性は非常に少ない(健康な赤ちゃんが生まれてくる確率はもっと少ない)。

 そのため、出産能力のある女性は「侍女」として共和国の支配者層に支えている。

 共和国の司令官および妻と同じ家に暮らし、「儀式」として1か月に1度、妻の監視下において司令官と交わることが義務付けられている。

 侍女とは、「聖なる器、歩く聖杯」であり、その存在価値は健康な子宮以上でも以下でもない。

 主人公のオブフレッドは、侍女の1人である。

 もちろん、生まれつき侍女だったわけではない。

 彼女はアメリカでヒッピー世代の母の元に生まれ、大学を出て、編集者をしていた。

 妻子ある男性と恋に落ち、その後結婚し、女の子を授かった。

 キリスト教原理主義が国に広がったことに懸念を感じ、家族で国外逃亡しようとしていた時に捕まり、女性教育施設に送られ侍女になり、とある司令官の家に派遣されたのだ。

 侍女には任期があり、任期内に妊娠できなかった場合は別の家に派遣される。

 3つの家を転々としても妊娠できなかった場合は、不完全女性との烙印を押され、<コロニー>に連れて行かれる。そこで汚染物質や放射能物質の始末をしながら一生を終えるのだ。

 反対に、妊娠し健康に問題のない赤ちゃんを出産した侍女は一生安泰である。

 だから妊娠した侍女は嫉妬と羨望の眼差しで見つめられることになる。

 本人が望んだ妊娠であろうがなかろうが。

 

 ありとあらゆるところに<目>が潜んでいて、誰も信頼することのできない日常。

 自分の記憶の中に逃避することでなんとか日々をやり過ごしていたオブフレッドだが、ひょんなことからパートナーである侍女・オブグレンが「メーデー」という反政府グループの一員であることを知る。そして彼女から、自身の司令官についてなんでもいいから情報を探れとけしかけられる。オブフレッドの司令官は政府で非常に重要な人物であり、反政府グループも彼について知りたいと考えているのだ。

 そんな時、「儀式」でしか顔を合わせない司令官に「2人きりで会いたい」と持ちかけられ……。

 

 ギレアデ共和国とは何か、侍女とは何か、はっきりとは明かされないままオブフレッドの独白という形で物語が進んでいく。

 オブフレッドの目を通して見えてくる社会のあり方には鳥肌が立つ。

I made nothing up*2. (自分で作り上げたエピソードは1つもない)

というのが『侍女の物語』に対するアトウッドの言葉だが、世界中のどこかで起こった(起きている)政府や社会の体制がギレアデ共和国という国に反映されており、だからこそこの小説は非常にリアルで陰鬱でもある。

 

『侍女の物語』はディストピア小説か? 

 アトウッドはこうも語っている。

When I first published the book, some people did the “it could never happen here” thing. “We’re so far along with women’s rights that we can’t go back.” I don’t hear that much anymore*3.

 

最初にこの本を出版した時、「こんなことは北米では決してありえない」という人がほとんどでした。「女性の権利が尊重されるようになっているから、北米がここまで退化することはありえない」と。でも今のアメリカを見て、そう発言する人は多くありません。 

 キリスト教原理主義は、アメリカにおいては下記の要素を含むとされる。

反同性愛、反中絶、反進化論、反イスラム主義、反フェミニズム、ポルノ反対、性教育反対、家庭重視、小さな政府、共和党支持*4

 これに基づくギレアデ共和国は当然ながら、男性優位の社会である。 

 男性のみが働き、権力を握っている。

 女性は家庭を中心にそれぞれが階級分けされている。

 

妻: ギレアデ共和国の支配者層の妻

侍女: 生殖能力のない妻の代わりに支配者層の子供を産む女

女中(マーサ): 家庭で妻の代わりに家事を行う女

小母: 侍女の教育を行う女

便利妻: 貧しい人々の妻

売春婦: 生殖能力はないが支配者層に性の喜びを与えることのできる女性

不完全女性: コロニーにいる社会不適合者、出産能力のない女など

 

 こうすることで女性の団結を防ぎ、力を奪い取っているとも言える。

 アトウッドも繰り返し語っている通り、

The control of women and babies has been a part of every repressive regime in history. This has been happening all along...The Handmaid’s Tale is always relevant, just in different ways in different political contexts. Not that much has changed*5.

 

女性や赤ちゃんをコントロールするということは抑圧的な政権が繰り返し行ってきたことです。いつも起こっていたことなのです……政治的背景が異なるだけで、『侍女の物語』はいつだって起こり得ることです。この物語を書いてから、それほど多くは変わっていません。

である。ディストピアというよりも、ある意味現実社会を描いているとも言えるのだ。

また、

...The kernel of the idea was how you would control women bu shutting down their bank accounts.

 

...…中心となるアイディアは、女性の銀行口座を凍結することで女性を管理するというもの。 

だそうで、これがフェミニズム小説の代表作と呼ばれる所以なのだろう。

 アトウッドにしてみると、「フェミニズムって何? 私は女性の権利を主張しているだけで、女性の権利=人間の権利よね? 女性は人間なのだから。私をフェミニストと呼びたいなら、フェミニズムが何なのかはっきり定義してくれないと」ということだろうが。

(これはアトウッドが様々なインタビューで繰り返す発言である。) 

 

In my own words

 最後に、私自身が今回読み返した感想を。

 もちろん、フェミニズム云々・今ここにある危機云々は、最初に読んだ時から理解しているつもりだった。

 それでも今回実感したのは「既婚女性が社会で感じる無力さ」だろうか。 

 これは、現代の女性の現実を描いた物語だったんだ! とびっくりした。

 一言で言うと、「名前をなくした女神」現象である。 

 これは少し前に話題になったママ友関係を描いたTVドラマのタイトルなのだけれど、言い得て妙だと思う。

 結婚して子供を産んだ女性は、仕事をしているしていないにかかわらず、「◯◯くん、△△ちゃんのママ」と呼ばれるようになる、というアレである。

 別に子供がいなくても同じである。

 結婚して、夫と二人で不動産を見に行く。夫の知り合いとの会合に出席する。

 たとえ妻の方が資産が多くても、妻名義で不動産を購入する予定でも、収入が多くても、知識があっても、スーパーモデルでも、宇宙人でも、関係ないのだ。

 妻は「◯◯さんの奥様」と呼ばれ、意見を求められることはない。人々は夫の目を見て話し、透明人間になったかのような気持ちを味わう。

 もちろんそれは常に起こることではないにしろ、現代日本ではかなりの確率で起こる。

 独身の頃には体験したことのなかった出来事で、こんなことが起きるなんて想像もしていなかった。まるで自分という人間が消えてしまったみたい。結婚しただけで、私自身は何も変わっていないのに!

 

 オブフレッドは、主人公の本名ではない。

 フレッドという男性の侍女となったので"Offred"(フレッドの)と呼ばれているのである。

 ひどい話だ、と思うものの、夫婦別姓が認められていない日本では結婚した女性(一部の男性も)も同じ気持ちを味わっているよね、とも感じてしまう。

 

 日常とは、あなた方が慣れているもののことです、とリディア小母は言った。今はまだこの状態が日常には思えないかもしれません。でも、しばらくすればきっとそう思えるようになるはずです。これが日常になるのです。

 

 書きたいことはまだまだあるものの、あまりに長くなってしまいそうなので、Hulu版『侍女の物語』6〜10話の感想として別途記したいと思う。 

 

 最近は、アトウッドさんが"MeToo"運動関連で話題に上がっていた様子。読んだら分かることだが"MeToo"運動に反対しているわけではなく、その行き過ぎや間違った使われ方(セクハラで非難されたブリティッシュ・コロンビア大学の教授を、大学が事実確認の手続きをとらず解雇した問題など)に懸念を示しているということである。

www.bbc.com

 

『侍女の物語』の続編、The Testamentsのレビューはこちら。

www.tokyobookgirl.com

 

www.tokyobookgirl.com

www.tokyobookgirl.com

www.tokyobookgirl.com

www.tokyobookgirl.com

www.tokyobookgirl.com

  

みなさま、今日もhappy reading!

 

 

 

 

保存保存

保存保存

保存保存保存保存

保存保存保存保存

保存保存保存保存

保存保存

保存保存

保存保存

保存保存

保存保存

保存保存

*1:日本語では通常、「つかえめ」と訳されている。

*2:TIME誌インタビューより。On the Urgency of the Handmaid's Tale | TIME

*3:TIME誌インタビューより。On the Urgency of the Handmaid's Tale | TIME

*4:Wikipediaより。

*5:TIME誌インタビューより。On the Urgency of the Handmaid's Tale | TIME