[피프티 피플]
もう本当に面白くて面白くて! どのくらい面白かったかというと、読み終わったあとすぐにチョン・セランの日本語訳が出ている作品すべて購入して、かたっぱしから読んでしまったくらい。
読まずにいた理由
この本は発売当初からずっと積んでいた作品。読まずにいた理由はいくつかある。主なところでは
・ちょっとページ数が多い
・50人も登場する上に、それぞれのエピソードが「あやとりのように絡まり合う」らしい。自分の記憶を管理するのが大変そう
・病院が舞台で、「読者を泣かせる」系の物語なのかも……
という偏見だろうか。
まだまだ先、時間ができたときのためにと取っていたのだが、ふと開いて読んでみると、最初の「ソン・スジョン」のエピソードで早くも心を奪われページを繰る手を止められなくなった。おかげで今週は幸せな寝不足状態。
冷静な視線で描かれる、誰かの人生のひとこま
末期ガンだと診断された母さんのために結婚式の日程を繰り上げるスジョン。彼女は、「容赦なく直線的に突進する、そういう性格」の母さんが「最後のエネルギーで稼働させているベルトコンベアに乗せられて、結婚式準備の節目節目を通過して」いく。夫となる男性も「僕らが主人公じゃないからね」とまで言い出す始末。当日にはスジョンが会ったこともない母さんの友人一同が「盛装の限りを尽くし」てやってくる。
母さんはその中に立って、スジョンには聞こえない言葉であいさつをしていた。結婚式のふりをしたお葬式だった。すてきなお葬式だった。
なんだかすごい。感傷的になりがちな場面がいくつも出てくる小説だが、その視点は常にちょっと離れた位置にある登場人物からは決して見えないカメラのようで、あくまで客観的で公平だ。誰にも肩入れしない。でも、皆にやさしい。
ソウル近郊の大学病院のある地域が舞台となっていて、多くの登場人物が病院に出入りしているのだけれど、焦点が当たるのは病院ではなくそれぞれの生活だ。
面白かったポイント
上に書いた、読まずにいた理由を吹き飛ばすものばかりだったので、ちょっと箇条書きにしてみます。
それぞれの職業の描写が丁寧かつリアル
たとえば、「アドレナリン・ジャンキー」で救急治療室の医師となったギユン。麻酔医という自らの職業を「舞台監督」に例えるヒョッキン。
「自分のやりたいことが、今の社会では無用扱いされていると知っているが、確固たる意思を持ってこの専攻を選び、自分たちのあとから来る人の選択の自由を保証するために」デモに参加する文芸創作科の学生たち。
MRの足の痛み、図書館司書が抱える将来への不安、会えなくなった人を懐かしく思うようにつぶれた店を恋しく思うバーの元経営者。
1つ1つがこれほど短いエピソードで、どうしてここまでと思うほど、それぞれの人々が抱える仕事への思いが書き込まれている。
韓国の現代社会を垣間見ることができる
最初から最後まで、主に2010年代の韓国で起きた事件や出来事が登場する。今まで何度も旅行しても全然気づくことのできなかった、韓国の日常や人々のフラストレーションを学ぶことができる(そして、訳者の斎藤真理子さんの解説が素晴らしい!)。
喉に引っかかる魚の小骨のような感情をすくいあげる
自分と似たような男に引っかかる娘に対する母の思い、「なんてばかなんだろう、私に似て」。
LGBTQであることを理由に家族から異常者扱いされた男性が、仕事をしながら「今この瞬間を家族に見せてやれたなら」、自分はこんなに正気なことを証明できるのに、と考える。
笑顔で歩いている人を見るたびに、「あなたたちはなぜ不幸を知らないの」と問い詰めたくなるという、大切な人を失った女性。
昔よく行ったレストランがテレビで特集され、自分たちがよく座っていた席に座る客を見つめて「あそこ、私たちのテーブルだったのに」と悲しげに言う妻。
「こういうことってあるよね」というものから、あまりの辛さや驚きに言葉を失ってしまうものまで、この小説は喜びと悲しみに溢れている。
作家と翻訳家の登場人物への愛
50人も登場したらわけがわからなくなるかも、という私の懸念は杞憂であった。なぜなら、どの人もものすごく印象的で、どれほど章が離れていても、すぐに誰のことかピンと来るから。
インタビューなどを読んでも、チョン・セランは身近な人の名前を借りて小説を書くことが多いそうで(本作の登場人物の名前も、卒業アルバムや近しい人から借りたそう)、だから余計にキャラクターがしっかり肉付けされているのかなと思う。そういう名前の付け方をする作家の話をあまり聞いたことがないのだけれど、これほどまでに人がしっかりと書き分けられているエピソードを読むこともなかったので、なんだか不思議なコネクションを感じる。
そして、それぞれの登場人物に対する平等な愛も感じられる。それは作家だけではなく翻訳者も然りだ。
たとえば日本語版の冒頭にそれぞれの人物の似顔絵をつける提案をしたのは翻訳者の斎藤真理子さんだそうで、このイメージにぴったり合ったイラストがあるだけで、韓国語の男性名と女性名の区別がつかないわたしも、どれほど読みやすかったか。
日本語訳から滲み出る韓国
語尾を伸ばして発音する感じとか、両親に使う敬語とか、ちょっとした訳から韓国の文化を知ることができるこの感じ、翻訳文学ならではの楽しみ。
しばらくチョン・セラン祭りです
さて、週末に『フィフティ・ピープル』を読んで、『保健室のアン・ウニョン先生』も続けて読んで、今は『アンダー、サンダー、テンダー』を読んでいる。
どれも素晴らしくて、子供の頃太宰治を「発見」して夢中になって読んだあの感じを本当に久しぶりに思い出した。
そして今日6月24日は『屋上で会いましょう』の発売日! これも予約済みです。ああ幸せ。
みなさま、今週後半もhappy reading!