トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

3月に読んだ韓国文学 #koreanmarch

 去年に引き続き、インスタでは世界文学読みさんたちが「#koreanmarch」を開催していたので、これ幸いと韓国文学三昧な日々を過ごした。色々な方が読んだ本や積読している本を眺めているだけで、幸せな気分に……。 

 わたしはといえば、新しいものは購入せずに積読を消化したり、読んだけれど感想を残していなかったものを再読したりしました。どれも大好きで、大切な作品ばかり。

 本を読んで知ったこと。韓国ではお葬式にユッケジャンを食べる(大量に作ることができるから)らしい。これは以下の本のうち、なんと3作品に登場したのでしっかり頭にインプットされた。異性が使っていた座布団を盗むと、受験に合格するというおまじない(迷信)があったらしい。そうなんだ〜! 韓国人の友人や同僚がいても、1年に何度旅行で訪れても、知ることのなかった事実。あらためて、文学って知らない世界を教えてくれるのだなあと、こんなところから実感したりした。

 

『アンダー、サンダー、テンダー』チョン・セラン(吉川凪訳) 

アンダー、サンダー、テンダー 新しい韓国の文学
 

 去年『フィフティ・ピープル』を読んで、ハマったチョン・セラン。1つ1つのエピソードは本当にシンプルで短いのに、どうしてここまでと思うほど、それぞれの人々が抱える仕事への思いが書き込まれている点がすてきで、その観察眼にやられたのだった。それから数週間の間に、チョン・セラン作品を読みまくった。怒涛のチョン・セラン月間。どれもとてもユニークで、SF、ラブコメ、青春ものと、ジャンルも書き方もテーマも異なるのに、それぞれ面白い。ジャンル小説寄りのものもあれば、本作のような純文学寄りの作品もあり、とても軽やかにいろんな垣根を乗り越えていく作家というイメージ。

 『アンダー、サンダー、テンダー』は、北朝鮮との国境近くにある小さな町、坡州(パジュ)で育った幼なじみたちの物語。1990年代の雰囲気がとてもよく出ていて、ノスタルジックで、読みながら岡崎京子の『リバーズ・エッジ』を思い出す。

十代を過ごすというだけでも楽なことではないのに、世紀末に十代を過ごすというのは、いっそうきつい経験だった。絶望と無力感、悲観的展望が異常なほど私たちを覆いつくし、私たちはそれを忘れるためにやたらとピアスの穴を開けた。

 口の中で鉄の味がすると思っていたら実は血だった、みたいな、遠くで蜂の羽音がすると思っていたら実は戦車だった、みたいな、徐々に忍び寄ってくる不穏さがある。

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『保健室のアン・ウニョン先生』チョン・セラン(斎藤真理子訳) 

保健室のアン・ウニョン先生 (チョン・セランの本 1)

保健室のアン・ウニョン先生 (チョン・セランの本 1)

 

 これは作家自身が「楽しんで書いた」と語っているとおり、肩の力を抜いて楽しく読める大好きな作品。春風みたいに爽やか。

 養護教論のアン・ウニョン先生は実は霊能力者。高校にうごめく悪霊たちをBB弾銃とおもちゃの剣で次々にやっつけていく。唯一彼女の秘密を知っているのは、漢文教師のインピョ先生。

 ファンタジーかと思いきや、「湿気でいっぱいの建物の中は、掃除をしていない金魚鉢みたい」という学校特有の息が詰まるような感覚とか、「通気性というものを考慮していない合成繊維」の制服の着心地の悪さとか、ティーンエイジャーたちが抱えるどうしようもない気持ちが丁寧かつそれとなく描写されていて、現代韓国の受験の熾烈さだったり、始まったばかりの恋愛の楽しさだったり、「エロの力」だったり、『韓非子』モチーフが登場したりと、とにかく盛りだくさん。そして、ぽやーっとしているように見えて社会からとんでもない圧力をかけられストレスを感じている子どもたちを守ろうとするウニョン先生の深い愛に感じ入る。

 Netflixのシリーズはまだ観ていないので、これから観たいな〜。

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『屋上で会いましょう』チョン・セラン(すんみ訳)

屋上で会いましょう (チョン・セランの本 2)

屋上で会いましょう (チョン・セランの本 2)

 

 こちらも、現代社会を映し出すような短編集。冒頭の「ウェディングドレス44」は、1着のウェディングドレスをレンタルして着ることになった44人の女性たちの物語。淡々とした描写で、幸せだったりそうじゃなかったりする女性たちの結婚式や人生について語られるが、読んでいるうちに彼女たちの肩にのしかかる周りからの期待やプレッシャーの大きさを感じるようになる。ぐいぐい締め付けるコルセットのように。

「結婚生活はどうですか」

「屈辱的だよ」 

 後輩から聞かれて思わずそう答えてしまった女性。夫には何の問題もないのに、韓国社会が自分に押し付けてくる数々の難題。「自分の人生の所有権が、別の誰かにゆだねられてしまった気がする」の言葉に思わず「はあ」とため息が出る。

 大学院のために日本に留学していたけれど、ひょんなことからお菓子職人になった女性が韓国にいる親友と会話する「ヒョジン」はそのカジュアルな語り口から、ぶっきらぼうなようでいて親切な語り手の性格が垣間見えるようで、エピソードもそれぞれ印象的で、心に残る。

 魔術で運命の相手を呼び出す方法を先輩から伝えられる表題作「屋上で会いましょう」、ダイエットの話かと思いきやまさかのゾンビもの「永遠にLサイズ」、美しくセンスがよく料理も上手でみんなの憧れの的だった女友だちが繰り広げる「離婚セール」など、絶望しているときでも本の向こう側から誰かが手を差し伸べてくれるような、その手の温もりをしっかりと感じるような作品。

 

『わたしたちが光の速さで進めないなら』キム・チョヨプ(カン・バンファ、ユン・ジヨン訳) 

わたしたちが光の速さで進めないなら

わたしたちが光の速さで進めないなら

 

 『文藝』で2020年に「韓国・SF・フェミニズム」が特集されていて、それがとてもおもしろくて興味を惹かれ(デュナさんの作品はもっと翻訳&単行本化されないのかしら、ぜひ読みたい)、購入した1冊。

 どの短編にも最新技術が登場し、宇宙旅行やコールドスリープ、ファーストコンタクトなどクラシックなSFのモチーフが扱われている。しかもかなり丁寧に技術的な部分が描写されている(それもそのはず、チョヨプさんは生化学で修士号をとったとのこと)にもかかわらず、どれもテーマは人間が抱く感情というところがテッド・チャンやケン・リュウにも通じる。さまざまな愛、マイノリティとして生きる孤独、損失の悲しみ。ユートピア社会に生きる若者が抱く疑問を描いた「巡礼者たちはなぜ帰らない」、時間も空間も超えて誰かを思い続ける「わたしたちが光の速さで進めないなら」、死後の人間の「マインド」が図書館で管理されるようになった社会が舞台の「館内紛失」など、どれもユニーク。

 『文藝』では「2019年はSF元年」、「マーガレット・アトウッドやオクテイヴィア・バトラーなどを読んで育った世代がSF作家となり、新たな作品を発表している」とあった。同じ作家群を読んで育ったわたしも、これからの韓国SFの翻訳をただただ楽しみに待ち望んでいる。

 

『娘について』キム・ヘジン(古川綾子訳) 

娘について (となりの国のものがたり2)

娘について (となりの国のものがたり2)

  • 作者:キム・ヘジン
  • 発売日: 2018/12/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 語り手は60代の女性。夫を亡くし、大好きだった教職を退いて今は介護の仕事に励んでいる。そんなある日、住む場所をなくした娘が恋人と一緒に家に転がり込んできて……。

 この小説では、女性が名前を持たない。男性はそれなりの役職についている者も(クオン課長)、難民の若者も(ティパ)名前で呼ばれるのに、女性は死んだ者か限りなく死に近づいた者以外、1人も名前を持たない。年長の者は職業や立場で呼ばれ(教授夫人、新入り)、娘たち世代は両親につけられた名前を拒むかのように、自身で決めたあだなで呼び合う。そんなところにも、女性に課せられた苦しみが見え隠れする。

 冒頭の、老いていく悲しみや30代の娘のはつらつとした若さの描写、その観察眼に圧倒される。どうしてかかとが斜めにすり減ったスニーカーを履くの、どうしてジーンズの裾をほつれたままにするの、どうして人が重要視する価値を「ことごとく無視」するの。語り手の心の奥にそっとしまっておかれるものの批判的な意見の数々は、娘がレズビアンであることに対する葛藤を反映しているのだということが後々明かされる。

 性的マイノリティで、しかも自分の利益はそっちのけで他者の幸福のために体力もお金も差し出す娘。「私」は歯痒くてしかたない。娘の恋人である「あの子」を見れば、「料理も掃除も上手なのに、なぜ結婚しないのだろうか」と考える。自分は「善い人」であるよう努力してきたのに、なぜこんな仕打ちを受けるのだろうか、と。

 私生活でみせる頑なな姿勢とは裏腹に、仕事(介護施設)での語り手は揺れている。とある老女のことを理解しようと努力し、その孤独に寄り添う。機械のように老人を世話することに疑問を覚え、処遇の改悪は断固拒否する。

 相反する感情。娘のことになると、「人並みの幸せ」という言葉が頭を離れない。それは彼女の幸せを本当に願っているからなのか、それとも世間体を気にしているからなのか。それすらわからなくなってくる。

そして未来の娘が到達する、おそらく私が行き着くことのない次の時代は、どんな姿をしているのだろう。さすがに今よりはマシだろうか。いや、今よりも厳しいだろうか。

 

 3〜4月は久しぶりに、腰を落ち着けて本を読むことができそうで嬉しいわたしです。みなさま、今週もhappy reading! 

 

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