トーマス・C・フォスターによる『大学教授のように小説を読む方法』()には、「疑わしきはシェイクスピアと思え……」という章がある。
芝居が好き、登場人物が好き、美しい言葉が好き、追い詰められてもウィットを忘れない台詞が好き。……おそらく世の作家たちも博識をひけらかして引用句を使うというよりは、読んだり聞いたりしてきた言葉が自然に出てくるのだと思う。そしてたいていの作家にとって、シェイクスピアの台詞は頭にこびりついて離れないのだろう。
読んだときに、そうだよねえと深く頷いてしまった。万の心を持つというシェイクスピア。どの台詞をとっても、その年齢の、その性別の人物そのものとしか思えない。言葉が生き生きしている。400年以上前に書かれたというのに、「言葉が生き生きしている」ってどういうこと。
上記の「疑わしきは……」とは、小説(特に西洋、だがこの限りではない)を読んでいて、「なんか意味があるんだろうけど、その意味がわからない」、「どういうテーマなのだかよくわからない」と思ったら、「シェイクスピア(あるいは聖書、あるいはギリシャ神話)であることが多いから、そう疑ってかかれ!」という話である。
アリ・スミスの季節四部作(Seasonal Quartet)もそんな作品であった。『テンペスト』、『シンベリン』、『ペリクリーズ』というシェイクスピアのロマンス劇が作中に登場するだけではなく、なんとなくそれらの登場人物を彷彿とさせる登場人物が出てくる。ああ、これは一見英国糾弾のようにも読めるけれど、実は英国讃歌なのだと思える箇所が多く、胸が熱くなった。
さて! この四部作、最後のSummerが2020年夏に出版されたところ。
一作目の『秋』は木原善彦さん訳で発売中。『冬』、『春』、『夏』も待ち遠しいですね!
そして、Summerは『冬物語』をモチーフにした作品であるはずだ。というわけで、2020年はどっぷりと『冬物語』に浸かって過ごした。幸か不幸か、コロナの影響でさまざまな劇団による『冬物語』が配信され、自宅でも観劇を楽しむことができたのもよかった。
ロイヤル・バレエ団にグローブ座と、色々観て本当に充実したオンライン観劇ライフを送ったのであった。嬉しい(でも2020年に映画をたった二本しか観なかったのは、このせいだとも言える)。
改めて戯曲を読んで実感したこと。冒頭のレオンティーズ*1の行動が瞬間湯沸かし器的で唐突だとよく言われるけれど、わたしが今まであまりそう感じなかったのは、ひとえに演出家らの技量と、舞台上のレオンティーズたちの演技力ゆえだったのだなあ……。ハーマイオニのお腹が大きいというのも要因の一つかもしれない。もうすぐ自分の子どもが生まれるという幸せの絶頂にあったはずなのに、この一年近くずっと騙されていたのかもしれないという絶望を、舞台では、そのお腹を通して視覚的に感じ取ることができるから。『冬物語』は断然舞台で観ることの方が多かったので(蜷川シェイクスピアなど)原作を久しぶりに読み返してみて、確かに唐突かも、と思った。
今回は原書(原文)と、小田島雄志訳と、松岡和子訳を読みました。
原文は、Project Gutenbergで。
The Winter's Tale by William Shakespeare - Free Ebook
松岡和子さんは、以前も何度かブログで書いた通り蜷川シェイクスピアなどの監修に入っていらして、その経験から学んだことなどを『深読みシェイクスピア』という本にまとめている。これはめちゃくちゃ面白い。面白い上に、「あ、松岡和子訳読まなきゃ!!」という気になること必至。
やっぱり舞台で演じてみないとわからないことってたくさんあるのだと実感する。『冬物語』の章では唐沢寿明さんによる驚くべきレオンティーズの解釈について書かれているし、何より『オセロー』でデズデモーナを演じた蒼井優さん! 翻訳者としてシェイクスピア作品に日々触れている松岡和子さんですら気づかなかった、たった一言のセリフのわずかなニュアンスに気づいてしまうのだ。そしてその気づきから、松岡和子さんも、とある場面に込められたアイロニーを初めて理解することになる。それは、蒼井優さんが舞台の上で、いや、練習の場でも、すでにデズデモーナとして生きているからこそ。あ〜すごい。本当になんてすごい女優さんなんだろう。
さて……ここまで書いて、ほとんど『冬物語』の話になっていませんが、一番重要なポイントは、生まれたての赤ん坊が一世一代の恋をするようになるまでという、とても長い時の隔たりを経てようやく訪れた赦しと、友情・愛情・死者の復活を描いた作品だということだろう。
物語の中で、幼馴染のボヘミア王、ポリクシニーズが自分の妻であるハーマイオニと密通していると思い込み、激しい嫉妬に駆られたシチリア王のレオンティーズはハーマイオニを投獄し、やがて生まれた娘の顔を見ようともしない。ポリクシニーズはどうにかボヘミアまで逃げおおせる。
それから十六年もの時が経ち、ボヘミアにて羊飼いの娘として育てられたレオンティーズとハーマイオニの娘、パーディタは、ポリクシニーズの息子であるフロリゼルと恋に落ち、それがきっかけで断絶状態にあったレオンティーズとポリクシニーズの友情も復活する。そしてようやくハーマイオニの死を悼むようになったレオンティーズを前に、侍女ポーライナはハーマイオニを蘇らせてみせるのだ。
現実では決してやりなおすことのできない過ちをしっかりと認識させた上で、時を巻き戻すかのように幸福を呼び戻す。とても鮮やかな魔法を目にすることができる。
わたしが一番好きなのは、最後のレオンティーズのセリフ。
Good Paulina,
Lead us from hence, where we may leisurely
Each one demand an answer to his part
Perform'd in this wide gap of time since first
We were dissever'd: hastily lead away.(原文)
ポーリーナ、案内を頼む、
むこうへ行ってから、おたがいにゆっくり尋ねたり
答えたりしよう、われわれが離ればなれになって以来、
長い長い歳月の舞台で、それぞれがどのような役を
演じてきたかを。さあ、いそいで案内してくれ。
(小田島雄志訳)
善良なポーライナ、
案内してくれ、どこかゆっくりできる所がいい。
お互いにいろいろと尋ねたり答えたりしたい、
私たちが離れ離れになって以来、広大な時の隔たりの中で
それぞれがどんな役を演じたかを語り合おう。すぐにも案内してくれ。
(松岡和子訳)
ちくま文庫の松岡和子訳では、ここに注釈がついている。"this wide gap of time"という箇所だ。これが、第四幕第一場でコロス(説明役)として登場する「時」のセリフに呼応しているのだという。小田島訳は、「長い歳月」という言葉を用いて呼応させている。
...in the name of Time,
To use my wings. Impute it not a crime
To me or my swift passage, that I slide
O’er sixteen years, and leave the growth untried
Of that wide gap...(原文)
(間違いを起こしたり解きほぐしたりする)「時」と名乗って
翼を使わせていただきます。十六年間を飛び越えて、
その長い歳月のあいだに生じたいっさいのことを
説明抜きにいたしますが、その早すぎる飛翔を、どうか
お叱りになりませぬよう、
(小田島雄志訳)
「時」と名乗ったこの私、ただいまから
翼を使わせていただきます。一気に飛び越す十六年、
時が大きく隔たるうちに生じたことは
説明せずにおきますが、目にも留まらぬ一足飛びを
お咎めなきよう願います。
(松岡和子訳)
果たして2020年のアリ・スミスは、どのような赦しと再生を描いたのだろうか? 読んで確かめるのが楽しみです。
ではみなさま、happy reading!
*1:当記事での登場人物名は、松岡訳で統一しています。