トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

宝塚花組の『アウグストゥス』と、ジョン・ウィリアムズの『アウグストゥス』(布施由紀子・訳)

 宝塚ファンには、いわゆる駄作を愛でるという文化がある。「出来の悪い子ほどかわいい」気分になるのだ。初回の観劇こそ、「全然よくなかった! ◯◯先生ってば!」と演出家を責めるものの(ごめんなさい)、そのうちに「変すぎ」と思っていた曲やセリフが頭にこびりついて離れなくなり、名作だと思っている演目よりよっぽど何度も観劇したり、しょっちゅう歌を口ずさんだりするようになってしまう。

 花組の『アウグストゥス』は「アウグストゥスの風*1」なんて揶揄されていたので、わたしはちょっと警戒して、脳内補完できるようにきちんと下準備してから観劇しようと心に決めたのでした。

 

アウグストゥスが登場する物語といえば

『ローマ人の物語』塩野七生 

 これは6年前に読んでいるようだ。読書日記には「感動してむせび泣いた」とだけ書いてある。色々大変で、一言しか感想を書いてなかった時期だ……ああ、なにも思い出せない。

 

『ジュリアス・シーザー』シェイクスピア(松岡和子訳)

 若かりしオクタウィウス(のちのアウグストゥス)が登場するけれど、印象は薄い。

 

『アウグストゥス』ジョン・ウィリアムズ(布施由紀子訳)

 でも、他にもなにかあったような。気を取り直して本棚を眺めていると、ジョン・ウィリアムズの『アウグストゥス』が積んでありました! 去年のわたし、グッジョブ。4作しか小説を残さなかったウィリアムズの最後の作品で、全米図書賞を受賞している。 

アウグストゥス

アウグストゥス

 

 『ストーナー』が素晴らしくて大好きになったウィリアムズ。じゃあなんで『アウグストゥス』は積んでたんだというと、わたしは苦手なのである。古代ローマ時代が。ひたすらみんな名前が長いし、だれもかれも「ウス」か「オス」か「ヌス」がつくので覚えにくいし……。が、そんなわたしですら夢中になって読んだほどおもしろかったです。

 

ジョン・ウィリアムズの『アウグストゥス』

 『アウグストゥス』は書簡体小説で、将来的にアウグストゥス(尊厳者)と呼ばれるようになるオクタウィウス*2の青年時代から晩年までが描かれている。

 第1部では主に友人、敵対したマルクス・アントニウス、エジプトの女王クレオパトラなどが若かりしころのオクタウィウスについて綴り、第2部ではかつての乳母、母、妻、娘などがローマを収めるようになったオクタウィウスに手紙を書いたり回想したりする。そして第3部ではいよいよ本人が自身の人生を振り返る。

 目的も信念もさまざまな人々が綴るからこそ、オクタウィウスの人となりが浮き彫りとなり、ドキドキハラハラしながら読み進めることができる。

 若く引っ込み思案な青年だったころから、大叔父カエサルが暗殺され、レピドゥスやマルクス・アントニウスに「何も知らない若造」だと馬鹿にされながらも三頭政治を行うようになり、初代ローマ皇帝となるまでの第1部も面白いのだが、なにより娘ユリアとの関係性が浮き彫りになる第2部がすごい。

 

意外なほどフェミニズム小説

 第2部は……読んでいると、「あれ? タイトル『アウグストゥス』でOK? 『ユリア』に変えた方がよくない?」と思うほど、女に生まれたが故に国に翻弄されるオクタウィウスの娘、ユリアの心情がこまやかに綴られる。もう、脳天を撃ち抜かれるような衝撃だ。そもそも古代ローマのお話、タイトルも男性の名だし、男性の活躍だけが綴られるんでしょと思って読んでいるから、あれよあれよという間にまったく違う方向へ進んでいく話にぐっと引き込まれる。

 訳者・布施由紀子さんによるあとがきを読むと、ウィリアムズはオクタウィウスとユリアとの関係性を描きたくてこの題材を選んだとあった。やっぱりそうかと思ってしまうほど圧倒的な熱量を感じる筆致だ。

たびたび、思う。もし男に生まれていたら、わたしは自分の力をどのように扱っていただろう、と。慣わしでは、リウィアのように最高の権力を持つ女でさえ、つねに控えめに、従順にふるまわなければならなかった。多くの場合、それは本来の性質とは相容れないものだ。わたしは早くから、自分がそのように生きられないことを悟っていた。

 ユリアは賢い。子どもの頃から家庭教師が「自分にはもう務まらない」とお手上げ状態になるほどなんでも吸収し、男だったらオクタウィウスを凌ぐ名帝になっていたのではないかと思わせる。オクタウィウスはそんな娘を溺愛する。だが、ユリアは女だ。女は「ローマを喜ばせるために孕まなくてはならない」。彼女は3度も結婚させられる。

女は策略を用いなければ、力を見いだすことも、行使し、楽しむこともできない。いまはそのことを考えている。男とちがって女は、腕力や気力や欲望の強さによって、力を手に入れることができない……女は自分の中に、力の掌握や栄光を偽装する人格を備えていなくてはならないのだ。それゆえわたしは、観察眼の鋭い人をも欺く人格を、自分の内にいくつも育て、それを表に出してきた。世間知らずの無邪気な娘だったときには、過剰なまでに子煩悩な父親の愛を一心に受けた。貞淑な妻であったときには、夫に尽くすことを唯一の喜びとした。女王然とした傲慢な若い人妻を演じ、気まぐれを装って、人々の願いをかなえた。

 そんなユリアの姿は、いつしかオクタウィウスが支配するローマそのものと重なっていく。どちらもオクタウィウスにとって大事な娘だ。

「お父さま、それだけの価値がありましたか。お父さまの権威、お父さまが救ったこのローマは……お父さまがお築きになったこのローマは……? それだけの価値がありましたか」

 とユリアが尋ねるとき、読者は人生の儚さ、無常さに思いを馳せる。幸せって何だろうか。『ストーナー』は何者にもなれなかったが、その人生は幸せだっただろうと確信できる物語だった。一方、世界を手に入れたアウグストゥスは、その娘として何不自由ない暮らしを謳歌したはずのユリアは、どのような思いを胸にこの世を去ったのだろうか。わたしたち後世の者は、ローマ帝国の行く末を知っている。知っているからこそ、結末に胸を打たれる。

 

柚香光さんを彷彿とさせたオクタウィウス

 とくに周りの人の目に映るオクタウィウスは、まさに柚香光さんのイメージそのもので、あ〜やっぱり宝塚はよくわかっている……田淵先生すごい……と思った。たとえばこんな感じ。友人となるガイウス・キルニウス・マエケナス*3とオクタウィウスの出会いの場面より。

……オクタウィウスは振り向かなかった。わたしはその背中に、尊大と蔑みを感じ、こう言った。「ではきみが残るひとり、オクタウィウスと呼ばれている男だな」と。

 すると彼がこちらを向き、わたしはその瞬間、自分が愚かであったことを悟った。なぜなら彼の顔に、救いようがないほどの恥じらいを認めたからだ。彼は言った。「そう、わたしはガイウス・オクタウィウスだ。大叔父からきみのことを聞いているよ」それから彼はにっこりして握手を求めると、目を上げ、はじめてわたしを見た。

 黙っていると誰よりも自信満々に見えるサラブレッドだけど、自分から話しかけることができないどころか、同年代のマエケナスとなかなか目すら合わせることもできないオクタウィウス。黙っていると自信満々の野性味あふれる花男に見えるけど、音楽学校のエピソードやらスカステやらを見ていると、やさしい恥ずかしがり屋さんなのだなと思ってしまう柚香光さんそのものではありませんか。

顔立ちはあまりに品がよくて、とても運命の過酷な一撃に耐えられるとは思えなかったし、態度もおずおずとしていて、何か目標を達成できそうな感じがなかった。声もやさしすぎ、統率者として容赦のない言葉を吐けるとは思えなかった。有閑詩人か、あるいは学者にでもなるのではないかと思っていた。

 

宝塚キャストに見るウィリアムズの『アウグストゥス』というかただの感想

*引用はウィリアムズ『アウグストゥス』より

ポンペイア(華優希さん)

 ポンペイアは田淵先生オリジナルキャラなので、ウィリアムズの小説とは比べられず。そういうオチ〜って感じでしたが添い遂げじゃないから致し方ないのでしょうね。2017年に初めて『はいからさん』で華ちゃんを見た時の衝撃や、『青い薔薇の精』での素晴らしい演技に涙したことを思い出した。新たな娘役像をたくさん作っていただいて、本当にありがとうございました。華ちゃんのこれからも、宝塚と同じくらい、いえ宝塚ライフ以上に、幸せいっぱいでありますように!

 

マルクス・アントニウス(瀬戸かずやさん)

しかし魅力にあふれた男だ。うぬぼれが強く、しかもそれを隠さない……アグリッパと同じくらいに大柄だが、雄牛というより、猫のような歩き方をする……声は朗々としていて、愛情や力で相手を圧倒することができそうだ。

 ついにご退団。生粋の花男、瀬戸さんのいない花組なんて、いまだに想像できない。男役として頂点を極め、まるで椿の花のように、最高に美しいまま散っていくイメージ。アントニウスすごくよかった〜。男役、二番手の集大成という感じでかっこよく麗しく、見どころ満載だった。お歌も『蘭陵王』以降ますます磨きをかけていらして、聞き惚れた。

 

クレオパトラ(凪七瑠海さん)

ところが、ぼくが目にしたのは、抜けるような白い肌に、やわらかい栗色の髪、大きな瞳を持つ、ほっそりした女性だった。泰然としていて気品があり、しかも並々ならぬ魅力を備えておられた。

 かちゃパトラ、佇まいはもちろん凛とした声が印象に残る。あの声を聞いて、周りの娘役さんよりもはるかに小さなお顔を見ていると、「ああ、この方は娘役に転向していたらあっという間にトップ娘役になっていたんだろうなあ」と思ったり。でも、そうしなかったからこそ男役としてさまざまな挑戦を重ね、今のクレオパトラがあるんだなあと思ったり。瀬戸さん&かちゃさんのシーンが尊すぎた。

 

アグリッパ(水美舞斗さん)

(アグリッパ)は背が高く、筋肉が隆々としていて、農民かと思うような顔をしている……若い雄牛のように思い足取りで歩くが、その物腰は妙に優美だ。口を開けば、明瞭な言葉でゆっくり冷静に話し、感情を表に出さない。

 もうちょっと出番増やしてよ〜と二番手&トップ娘役退団公演にもかかわらず思ってしまうほど、印象的だったアグリッパ。水美さんにぴったりでしたね〜そしてちょっとした目の動きからオクタヴィウスとの絆がうかがえてさすがだなと唸る。

 

ブルートゥス(永久輝せあさん)

あなたが真にご自身のお立場の重みを心得ておられるとは思えません。あなたがわたしに好意を感じておられぬことはわかっています。わたしも、好意をいだいているふりをするほど愚かではありません。

 とんでもないオーラを放っていた。この方はおでこや眉毛や眉間の色気がすごいので、もっと頻繁にオールバックにしてほしい……。VISAガールとなった今は、役作りのことを読めるようになり嬉しい。

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オクタヴィア(音くり寿さん) 

オクタウィアはとてもやさしく、狡猾さなどみじんもない人だ。そして非常に美しかった。また、わたしの知るかぎりでは、あれほど広範な知識を持ち、詩と哲学に造詣が深い女性は、彼女のほかにはひとりしかいない。 

 可憐でどこまでも愛を信じる女性。こういうお役久しぶりでは? 鈴を転がすような美しい声にいつも聞き惚れます。これからはますますご活躍されるだろうなと思って楽しみにしています。 

*1:花組には『邪馬台国の風』というファンから酷評された作品があるのだが、この作品をもじったあだ名。展開が唐突、暗転ばっかりで盆が回らない(=舞台装置がしっかり活用されておらず場面転換がスムーズでない)、山場がない、死なせ方が雑、歌が微妙で心に残らない……作品であることを指す

*2:宝塚ではオクタヴィウス、小説ではオクタウィウス。

*3:宝塚では聖乃あすかさん。