トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

夏〜秋に読んだ世界文学

いつの間にか夏が終わり、9月1日からぐっと冷え込み、秋らしい秋を感じることのできないまま11月がやってきた。

我が家では9〜10月、コロナの影響で保育園休園、夫が不調でMRI(問題なしだった、よかった)、わたしは料理中に「彼女の体とその断片……薬指の標本……」と思わず頭に浮かぶほどザックリと指を切ってしまい、愛犬の具合まで悪くなり2次病院や名医を探して東奔西走(結局病気の疑いは晴れ、投薬で回復)と、踏んだり蹴ったりだったけれど、こうして振り返ってみると大したことなくてよかった。家族みんな生きててまあまあ健康なら◎と、幸せのハードルがダダ下がりしたため毎日が楽しく、まさに怪我の功名です。コロナ以降初めての旅行もして、何も考えずにぼーっとすることの素晴らしさを噛み締めました。そんな数か月の間に読んだ世界文学を、連想順に。

 

 

Beautiful World, Where Are You / サリー・ルーニー

サリー・ルーニーの新作。今までの長編2作品とは異なり、主人公たちは社会人。さらに1人称だった『カンバセーション・ウィズ・フレンズ』、3人称だったNormal Peopleをミックスしたようなナラティブに。3人称部分はカメラで撮影しているような「遠さ」があり、1人称部分は親友2人が交わす手紙という「近さ」があって、そのコントラストが面白い。

あと印象に残ったのが、前作2つでは絶対にありえなかった言い回しや言葉遣いが随所に見られたこと。たとえば、「女は○○なもの」、「男はみんな○○」という表現とか、「ふつうは○○」みたいな会話とか。あまりに男性本位な性行為ばかり登場し、性教育関連の本を読んでいると「性教育の知識がないと女の子はこうなってしまう!」とよく書いてあるそのままの行動を女性2人がしているのも印象的だった。もちろんそれは作為的に違いなく、終わり方も含め「結局こうなんでしょ? アイルランドの『ふつうの人』って」という皮肉混じりのメッセージが込められている気がした。

はっきりとわかるわけではないものの、首都ダブリン在住のEileen(アイリーン)とSimon(サイモン)がミドルクラス、Alice(アリス)がミドルクラスの教育を受けて今やミドルクラスより多くのお金を稼ぐようになったワーキングクラス、地元を離れないFelix(フェリックス)がワーキングクラスと、一見存在しないようでいてしっかりと根付く社会格差も感じられる。

FelixとAliceのくだりでは大好きな田辺聖子の『うたかた』を思い出して、ついつい読み返してしまった。この短編小説は小説家になって出世した友人「ナベちゃん」に失恋の話を聞かせる尼崎のチンピラの話。大阪のお嬢さんに恋をして、「通る女がみな、ひどい醜女(ブス)に見えた」というほど惚れていたのに……繰り返し登場する佐藤春夫の詩、「水辺月夜の歌」を何度も心の中でなぞってしまう。

そうそう、詩といえばBeautiful World, Where Are Youというタイトルもシラーの詩「ギリシャの神々」の一節(Schöne Welt, wo bist du)からとられているとのこと。それでスペイン語のタイトルもためらいなく「Dónde estás」だったんだな。

あと年初に話題になっていた映画『花束みたいな恋をした』に通じるところもあるかもしれない(最近やっと観た)。わたしがこの映画を見て気になったのはさりげなく描かれる社会や男女の格差(麦くんは新潟出身で父親は花火師、絹ちゃんは東京出身で両親は広告代理店勤務)で、その生い立ちが「好きを仕事にできるか否か」の決め手になったのではないかと思うし、ミソジニスティックな固定観念が実は「男性の」自由を奪っているのだと感じたのだった。

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『花束みたいな恋をした』といえば……

The Woman in the Purple Skirt(むらさきのスカートの女) / 今村夏子(Lucy North訳)

『花束』といえば今村夏子。「ピクニック」と「あひる」が言及され、特に「ピクニック」は、好ましくない人を批判する言葉として登場する。「今村夏子の『ピクニック』読んでも何も感じない人なんだよ」と。

テーマは近いものの主語が「ルミたち(We)」だった「ピクニック」よりぐっと対象に近づいた感じのあった『むらさきのスカートの女』の英語訳を、夏に読んだ。しつこく繰り返される主語とかどうやって訳出しているのだろうと興味があったからなのだが、Lucy Northさんの訳はいつもながら素晴らしかった。

そして、今手元にない「あひる」も読み返したくなってKindleで文庫版を購入したら西崎憲さんによるあとがきがついていて、今村夏子とテーマを共有している作家が何人もあげられていた。その中にフリオ・コルタサルの名前を見つけ、確かに!!!!とぶんぶん頷く。それから、シルビナ・オカンポにも似ていると思った。オカンポはもうすぐ新刊が出版されますね! しかも2冊も! とても嬉しい。小山田浩子にも似たものを感じるときがあるのだが、もしかしてアルゼンチンのパンパって広島とつながっているのでは??

『むらさきのスカートの女』は特に女性の生きづらさが底に流れているような作品で、今回英語で読んでみてふと、紫と黄色(黄色のカーディガンの女)は補色だということに気づいた。つまり正反対の色、コントラストの強い組み合わせ。一番かけ離れている色、でも補色の中でも紫と黄は明度の差が激しいので不思議としっくりマッチする。2人の女性の性格が色のイメージ通りだと見せかけて、実は正反対だったというところまでもってくるストーリーテリングといい、隠された言葉遊びといい、まるで子どものような視線と言葉といい、今村夏子はやっぱりすごい。

 

 

女性の生きづらさといえば……

『韓国文学ガイドブック』黒あんず(監修)

こういうガイドブック、ほしかった!と思って購入したのだが、まえがきが素晴らしくて。

……これは「私たち」の物語なのだ。これらの物語を読んだ私たちは、いつのまにか見えないバトンを手にしたのだ。その責任が私の心を重くする。無視なんかできない。一度気づいてしまったら、一度この光景が見えてしまったら、もう元に戻ることはできない。バトンを持って走り続けるしかない。ハラスメントや理不尽な攻撃、無視、差別、嘲笑。自分一人がされることなら我慢できる。でも、自分の次に来る人は? 自分が黙っていたことで、自分ではない他の人がそんな目に遭うとしたら? 我慢できない。声を上げなければならない、そう思う。

黒あんずさんのこの言葉……本当にその通りだと感じた。私もまったく同じように韓国文学を読み始めてフェミニズムについて考えた。他にも色々な作家の作品を読んでみたいと思って手に取ったこの本、ふせんだらけになってしまった。民主化運動と韓国文学とか、喪失とトラウマに向き合う韓国文学とか、さまざまな切り口で作品が紹介されているのも魅力的。

そして、黒あんずさんによるあとがきがまためちゃくちゃよかったので、再度引用。

 大学に入学して初めての講義で、教壇に立った教官はこう言った。「文学というものの定義は何ですか? わかる人は今後この授業には出席しなくて結構です。単位は差し上げます」。私はなんとなくわかった気がした……「文学に定義はない」ということなんじゃないかと。

この教官はこう教えてくれたのだという。「文学に定義はない、しかし文学とは何かと問いづつけることが文学を文学たらしめる。つまり、あなたがたが文学をつくるんです」。

 

「文学をつくる」といえば……

Home Is Not a Country / Safi Elhillo

いま、わたしは文学がつくられる瞬間を目撃している。数年前に種だった新たな文学が、大きく花開くのを目撃している。

「こういうのは文学じゃない」「こういうのは詩じゃない」という言葉を目にするたびに、主人公たちにエールを送りたくなる。「あなたたちは文学の最先端に立っている、道を切り開いている、大きな翼でどこまでも飛んでいって!」と。

今年の全米図書賞のYoung Readers(YA)部門のロングリストには、ヴァースノヴェルが2作品もノミネートされていた。Home Is Not a Countryは母と2人でスーダンからアメリカに移民としてやってきた15歳の女の子Nima(ニーマ)の物語。「テロリスト」なんて揶揄されるようなアメリカはわたしの国じゃない。ジン(精霊)の登場するスーダンの昔話を誰よりも愛しているのに、アラビア語は片言しか話せない。ファンタジーを取り込んだ作風が新鮮であるとともに、自分ではない誰かの声がふと頭の中で聞こえることってあるよね……こういうことだったら嬉しいな……と思った。現実と幻を組み合わせたヴァースを追いかけているとNimaの頭の中にいるような気持ちになる。

こちらも全米図書賞のロングリストにノミネートされていたヴァースノヴェル。

日本語訳されているヴァースノヴェルは主人公シオマラの熱い気持ちが痛いほど伝わってくる『詩人になりたいわたしX』(すごくよかった!)を読んだ。そして、アイルランド人作家による『タフィー』を今から読むところ。

 

詩といえば……

『地上で僕らはつかの間きらめく / On Earth We're Briefly Gorgeous』オーシャン・ヴオン(木原善彦訳)

タイトルに惹かれて購入していた作品。なんと丸2年積んでしまい、日本語訳も出版されたので、どちらも読んだ。とてもよかった。

ベトナム系の友人に、ベトナムの人の名前について訊ねたことがある。タイの人の名前は長ければ長いほど良く、美しい音をなんでもかんでも入れちゃうのだと聞いて(これは別の友人の言葉で、本当かどうかはわからない)、ベトナムもそういう感じなのかと問うたのだ。友人はそんなことはないけど、と前置きし「タイと同じく家庭内で子どもは本名とまったく関係ないニックネームを持っていて、ずっとそのニックネームで呼ばれる」とも教えてくれた。日本とは違うな、つまり名前=アイデンティティが2つあるんだ、と感心したことを覚えている。

リトル・ドッグと呼ばれる青年は、ベトナムからアメリカへ渡った祖母と母、そして自分について語る。動物のモチーフは登場するたびに形を変え、それに呼応するようにさまざまな言葉に潜む複数の意味が示され、広い海を越えて2つの世界が、ベトナムとアメリカが、つながっていく。瞳を閉じるとまぶたの裏に色の洪水が見えるような気持ちになった。

 

若きアジア系作家の作品といえば……

You Are Eating an Orange. You Are Naked. / Sheung-King

2021年度のカナダ総督文学賞ノミネート作品。トロント在住の作家のデビュー作で、翻訳を生業とする中国人の男性と自由気ままでとらえどころのない日本人女性の恋愛を描いた、おそらくオートフィクション。2人の香港、マカオ、東京、台湾などへの旅行を通して何年かにわたる関係が浮かび上がる。

紹介文には「村上春樹のような」と書かれていて、「ちょっと内省的で一人称は『ぼく』って感じの若いストレートの男性を主人公に据えた、アジア人男性作家による小説をまるっと『村上春樹的』って表現するのはやめて」と思いながら手に取ったのだが、これは! 村上春樹構文(っていうの? 文体模写?)で菊池良さんが翻訳したら面白いのではないかと思うような作品だった。なんとキュウリのサンドイッチまで登場する。村上春樹はもはや古典となったのだな。

それでいて章ごとに文体が変わるのも面白く、主人公と恋人がお互いに語るおとぎ話や昔話、そしてウォン・カーウェイの映画とかハン・ガンとか夏目漱石の「月がきれいですね」とか、『ロスト・イン・トランスレーション』やとあるアーティストなどの植民地主義的視点への批判を通じて東アジアの文化への愛を叫んでいるような作品。東アジア文学入門的な一面もあり、東アジア以外の人が読んだ方が楽しめるかもしれないとも感じる。

今年に入ってからScribd(audible & ebookのサービス)に登録していて、そちらで読んだ。ブラウザかスマートフォンからしか読めないから目が疲れるし、もう解約しようかなと思うのだが、そのたびに本作のようにKindleにはないものが現れるので、やめられない。

 

Scribdといえば……

Woman World / Aminder Dhaliwal

Woman World (English Edition)

Woman World (English Edition)

Amazon

こちらも、Scribdで読んだもの。男性が絶滅して女性のみになった世界で生きる人々を描いたグラフィックノベルということで、『女の国の門』や『アマノン国往還記』や鈴木いづみの「女と女の世の中」みたいな感じなのだが、表紙からもわかるように風刺を効かせつつもユルさがあって、笑える。おばあちゃんが孫に「昔は『That's what she said』っていう言い回しがあってね……今じゃ意味わかんないわよね」みたいな話をしたりとか(笑)、昔の芸能人(男性)の話をしているときに小さな子どもは当然その人物が女性だと思っているので「So she is...」、「And does she...?」と繰り返して、そのたびに大人に「He」と直されるとか。

ただただ面白いギャグ漫画のようで現代社会を皮肉っているエピソードも多く、すごく新鮮だった。この作家さんの作品は初めて読んだのだが、忘れられない面白さがあり、今後の作品もすべて読みたい。

 

すべて読みたいといえば……

『複眼人』(小栗山智訳)、『歩道橋の魔術師』・『自転車泥棒』(天野健太郎訳) / 呉明益

『複眼人』を読んでとりこになり、日本語訳されている呉明益の作品を読み漁った。『複眼人』は2006年に実際に出現した巨大なゴミの島をモチーフに、現代の台南と、自然の中で生きることを選択したワヨワヨという架空の民族を描いていて、登場人物それぞれが非常に死に近い場所にいて、でもまったく感傷的ではなく、絶望や恐れが冷静な筆致で書きつけられているのになんともいえない感動を覚えた。水は記憶、言葉は記憶と表現されているのだが、ひどくかけ離れているように感じられる台南の布農(ブヌン)族や阿美(アミ)族の言葉とワヨワヨの言葉には共通点があったりして(たとえば「イナ」という言葉は阿美語では「母」を、ワヨワヨ語では「海」を意味する)世界が循環していることを感じさせる。神様に対する認識は日本にとても近いものがあるのでは。読んでいて、なんとなくダイダラボッチを思い出し、初めて読むのに狂おしい郷愁を覚えた。

『歩道橋の魔術師』では、どの短編も中華商場を舞台にしているというのに、作品ごとに少しずつズレが生じる世界観が新鮮で、『自転車泥棒』はどのシーンにもうっすらと靄がかかっているような記憶にまつわる物語。

今年の夏と秋に出版された『眠りの航路』と『雨の島』も積んでいる。早く読みたい。呉明益の作品はどれも装丁がとにかく美しく(全部違う出版社なのに)、見入ってしまう。

 

装丁が好きといえば……

Summer / アリ・スミス

4年かけて出版され、わたしも4年かけて読み進めた四季4部作。表紙に据えられたデイヴィッド・ホックニーによる絵画が美しく、これも楽しみにしていた。日本語訳の装丁もすごく素敵! 『冬』も購入しました。

Summerはとにかくこれまでの集大成というか、大団円を迎えるという言葉にふさわしいというか、今までそれぞれの作品に登場した人物たちが一堂に介し、一見ばらばらに見えた物語がつながっていく有機的な美しさを堪能できる作品。Brexitだけではなくコロナやオーストラリアの山火事という世間を賑わせたニュースもしっかり取り込まれていて、まさに「タイムカプセル(ジョージ・オーウェル賞の審査員の言葉)」のように2010年代から2020年にわたり、イギリスという国が見てきたものが記録されている。

それぞれの季節に読みたくて、出版から1年遅れの2018年〜2021年の4年で読んだ四季4部作。思えば、ダニエルが病院に横たわる『秋』も、おかしな4人がクリスマスをともに過ごす『冬』も、友人を亡くしたリチャードが彷徨う『春』も、そしてこの『夏』も、同じ病院の同じ待合室で読んだのだった。わたしにとってこの4年は「死から生に向かう」不思議な歳月で、特別な時間や奇跡のような出来事を思い出すたびに、この4部作のことが頭に浮かぶのだろう。なんて幸せなことだろうか。

心残りはモチーフとして重要な役目を担う『デイヴィッド・コパフィールド』の内容をほとんど覚えていないまま読んでしまったこと。来年くらいに読みたい。同じく作中に登場し、大きな意味を持つシェイクスピアの『冬物語』は偶然にもコロナのおかげでライブビューイングを浴びるように観ることができていたのでよかった。

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シェイクスピアといえば……

Hamnet / マギー・オファーレル

日本語訳ももうすぐ出版される『ハムネット』。幼くして亡くなったシェイクスピアの息子の名前がタイトルに掲げられていて、シェイクスピアの妻アグネス(アン)の視点から語られる。なぜシェイクスピアは『ハムレット』を書き上げたのか? そして、アグネスの人生をなぞるように描くこの物語の題名は、なぜ『ハムネット』なのか?

シェイクスピアの妻というと、「2番目にいいベッドと家具」というそっけない遺言がまず頭に浮かぶが、この小説を読み、アグネスという強くやさしい女性の姿を追っていくうちに、この人について驚くほど何も知らないことに改めて驚かされる。夫である人の作品は何百年にもわたり世界中で上演され、読まれ、愛されてきたというのに。

そしてアグネスの言葉や行動の端々に、シェイクスピアの戯曲に現れる魔法や自然への畏怖、独特な時間の感覚の元となった何かが存在していると感じさせる書き方が非常に巧みである。特に心に残ったのは「A year is nothing...It's an hour or a day. We may never stop looking for him」という夫への言葉だった。彼女の人生そのものが、後世まで残る数々の戯曲より鮮やかで美しく魔力に満ちたものに思えるという、この筆力に感嘆する。

それにしても、幼児を育てている母(特にこのコロナ禍で! ハムネットは黒死病で亡くなったという設定になっているので)としてはこれから彼女の身に起こることを勝手に想像するだけで身を切られるように辛く、読み終えるまで異様に長い時間がかかってしまったのでした。でも、そこではなかったのですね。そこじゃないし、あっちでもない、と、最後の最後まで読者として自分の気持ちがどう動いていくのかわからないまま読み進めるというのも印象的な体験だった。

日本語訳を待っていようと思いながら待てずに読み始めた割には、読み終わるころに結局訳書が出版されているという……小竹由美子さんの翻訳が好きなので、もちろん予約した。

 
 
 
 
 
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