『フィーメール・マン / Female Man』ジョアナ・ラス(友枝康子訳)
数年前、『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだときに「あ、あれ再読しよう」と思い、先日ついに発売されたよしながふみの漫画『大奥』の最終巻を読んで「あ、今度こそあれ読もう」と思った『フィーメール・マン』をついに読んだ。
どうしてそう思ったかというと、
・『キム・ジヨン』は主人公の女性の名前が「J」から始まる名前だったから
・『大奥』は、「疫病で男性がいなくなった世界」を描いていたから
この2つは『フィーメール・マン』の大事なポイントでもある。
初めて読んだのは大学生のときで、めちゃくちゃ難解だなと思った。大人になって社会経験も積んだ今なら、さらさら読めてしっかり理解できるだろうと期待しながら開いたが……やっぱり難解だった〜!
*日本語訳は、サンリオSF文庫で絶版になっています。
第2波フェミニズム下の1970年に執筆され、1975年に出版された作品。『闇の左手』や『時を飛翔する女』が出版された時代だ。
語り手となるのは、さまざまなバックグラウンドを持つ4人(登場順)。
・ジャネット(Janet)
ホワイルアウェイという未来の世界からやってきた。未来では疫病が流行して男性が死に絶え、女性はみな同性婚をし、どちらかの卵子から生まれた子を育てる。秩序のある平和な世界だ。
・ジーニイン(Jeannine)
第二次世界大戦が起こらず、結果としてウーマンリブ運動なども発生しなかった閉鎖的かつ抑圧的なパラレルワールドのニューヨークで、図書館司書として働く女性。「女の子だというのはすばらしいことなのよ」、「なぜって、きれいな服を着られるし、それに何もしなくたっていいのよ。男の子がやってくれるから」と言う母親や周囲に抑圧されている。
・ジョアナ(Joanna)
作家本人を投影したと思われる人物で、1969年のアメリカで生きる作家。他の3人を観察し、読者に語りかける。
・ジェイル(Jael)
男性だけの国と女性だけの国が戦争をしている近未来の地球からやってきた人類学者。上の3人とコンタクトを取ろうと試みる*1。
「J」から始まる名前はもちろん、Jesusなどキリスト教的な意味が込められているとともに、「よくある名前」=「これはあなたの物語でもある」というメッセージでもあるのではないか。冒頭のThe Politics of Experience(Laing)の引用でも、使用されているのは「Jack and Jill」(太朗と花子的な)だ。
これを書きながら思い出したけれど、アトウッドの『またの名をグレイス』でも男性の登場人物はみな「J」から始まる名前であることが、物語のキーとなっていた。
原書だと表紙がもうそのまんま(4人の同じ女性が天体に手を伸ばしている)なのだが、上記の点からも、この4人はパラレルワールドに暮らす同一人物としてとらえることができる。1969年のアメリカ(パラレルワールドも)で女性が人間として扱われないことに苦しみ、もがいている様子を読むと、もちろん第2波フェミニズムで多くが変わったとはいえ、2020年代の今でも問題は解決していないのだと感じたりもする。物語の構成上読みにくいところがあるものの、ラスがサイエンスフィクションという型から外れてでも「これが書きたかった」という情熱が伝わってくる。
最後の、登場人物から物語への語りかけが印象的。残念ながら、まだまだこの本は「quaint and old-fashioned」にはなっていない、「自由」だと喜ぶにはまだ早いのだから、日本語訳もどこかから復刊してほしいな。
この文脈はしっかりと現代の『パワー』などに受け継がれている。
『女の国の門 / The Gate to Women's Country』シェリ・S・テッパー(増田まもる訳)
The Gate to Women's Country: A Novel (English Edition)
- 作者:Tepper, Sheri S.
- 発売日: 2009/10/21
- メディア: Kindle版
「この人の子どもは産みたくないと思ったんだよね」
20代のとき、離婚した年上の女友だちから聞いて「へ〜!」とびっくりした言葉(結婚したいと思ったことも、子どもほしいと思ったこともなかったから、その感覚がよくわからなくてびっくりしたのだった)。30代になると離婚する友だちも増え、何度も何度も耳にするようになり、この作品を思い出して、つまみ読み。こんなに面白かったっけ!?
戦争で文明が滅んだ未来の米国(であるということが読んでいるとわかってくる)。男性と女性は別々の国に暮らしている。男性は〈戦士の国〉で外敵から女性を守り、女性は〈女の国〉で戦争以外のすべてを担う。政治も、食料生産・調達も、医療も〈女の国〉にしか存在しない。ちなみに〈女の国〉はいくつかあって、どれもマーサタウンとかエリザベスタウンとか女性の名前がついているのもなるほどと思う。
戦士らが、「女たちは男に何か隠しているに違いない」と勘繰るようになり、こっそりスパイを送り込むようになるのだが、若き女性であり医師である主人公のスタヴィアはその計画に巻き込まれる。
冒頭からまるでギリシャ神話のような世界が広がり、男性と女性が別々に暮らしているという描写からは『女の平和』が思い浮かぶ。
また、〈女の国〉では毎年〈イリウムのイピゲネイア〉が上演されることになっている。『トロイアの女たち』をもとにした物語で、男が起こした戦争によって運命を変えられる女たちの嘆きを描く。
『女の平和』でも、『トロイアの女たち』でも、描かれるのは男性が起こした戦争によって傷つき、疲弊する女性だ。そして『女の平和』はハッピーエンドで終わるが、『女の国の門』はけっしてそうではない。静かな抵抗は続き、作者であるテッパーから問題が提起される。
いつも夢に見る英雄的な探求の旅では、恐怖と死の顔を見たことはなかったが、オデュッセウスが旅をおえたときには、そのような顔をたくさん見たはずだった。どこにいっても、彼は殺戮と略奪のかぎりをつくしたのだ。武勇伝(サーガ)ではいかにもかっこよく描かれていた。女の顔のことなどなにも語られていなかった。どうして女の顔にはまったく触れないんだろう?
ギリシャ神話モチーフといえば、Circeはもうすぐ日本語訳が出版されますね! これも楽しみです。
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*1:ちなみにこの世界でのトランスジェンダーの描き方に関しては差別的な要素があったと、後年ラスは謝罪している。