[Alias Grace]
なんと、アトウッドの名作『またの名をグレイス』が文庫化されるそう! 発売日は9月15日。『侍女の物語』に続きNetflixでドラマ化され、好評を博したらしいので、原作も売れそうですね。
個人的には、ナンシー役をアナ・パキン、ジェレマイア役をザッカリー・リーヴァイが演じているというのがすごく気になる。イメージしていた人物とは違っていて、そうきたか! という感じ。
文庫版はこちら。Amazonで予約可能。
我が家にはハードカバー版があるので、読み返してみた。
主人公のグレイス・マークスは19世紀に生きた実在の女性。酒で身を持ち崩した父。新天地でやり直そうと、家族でアイルランドからカナダに渡るが、船旅の途中母が亡くなる。カナダへ到着したグレイスは、家庭を離れてトロントの金持ちの邸宅で女中として働くこととなった。
ある日、ナンシーというリッチモンド・ヒル*1で働く女中頭と出会い、「給料は多く出すから、うちに移ってこないか」と誘われる。亡くなった親友メアリーに似ているナンシーに親近感を覚えたグレイスは、16歳でリッチモンド・ヒルに引っ越す。
新しいお屋敷は独身地主キヌア氏の邸宅。女中はナンシーとグレイスの二人だけで、グレイスが到着する少し前に、ジェイムズ・マクダーモットという男が使用人として雇われていた。
ナンシーは女中頭という身分でありながら金のイヤリングを身につけ、洋服も山ほど持っている。疑問を感じていたグレイスだが、しばらくして、キヌア氏とナンシーが恋愛関係にあることを悟る。キヌア氏はナンシーと結婚するつもりはおそらくないが、ナンシーはまるで奥方のように振る舞う。町中がそれを知っていて、ナンシーは「身を持ち崩した女」だと村八分にされているようだった。
そのうちナンシーは妊娠し、自分にとってかわられるのではという恐怖から、グレイスに辛く当たるようになる。グレイスと同じくナンシーに憤りを感じていたジェイムズは、ナンシーとキヌア氏を殺害する。
- 作者: マーガレットアトウッド,Margaret Atwood,佐藤アヤ子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2008/03/27
- メディア: 単行本
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そこにグレイスは関与していたのか? ジェイムズは「グレイスが計画したことだった」と自白するのだが、それは真実なのか?
グレイス以外の関係者が全て死亡しているので、真実は闇の中。 グレイスは自分が覚えていることを、医師のサイモン・ジョーダンに滔々と語る。その独白には、グレイスが大好きなキルト作品のタイトルがつけられ、それぞれの章となっている(各章のタイトルページにはキルト模様も描かれている)。キルトに関してグレイスが語る場面は多くあるのだが、印象的なのがこちら。
もうひとつのキルトは「屋根裏部屋の窓(ウィンドウ)」と呼ばれるものでした。たくさんのブロックを縫い合わせたもので、見方によってはしまった箱に見えたり、開いた箱に見えたりしました。しまった方は屋根裏部屋で開いた方は窓だと思います。これはキルト全部について言えることで、暗い色のブロックを見るか、明るい色のブロックを見るかによってキルトを二つの異なる模様とみる事ができます。
ちなみに「屋根裏部屋の窓」キルトはこんな感じ。
これを開いた窓ととるか、しまった窓ととるかは見る人次第。グレイスも同じことで、
私のことについてあれこれ書かれたことを考えてみる。冷酷な女悪魔だとか、身の危険を感じて、仕方なく悪党に従った罪のない犠牲者だとか、あまりに無知なため正しい行動がとれなかったとか、私を絞首刑にするのは司法による殺人だとか、私は動物が好きだとか、艶のある顔をしたすごい美人だとか、青い目をしているとか、緑の目をしているとか、髪の毛は鳶色だとか、茶色だとか、背が高いとか、あるいは平均以上の高さではないとか……。そして、どうして、一度にこんなに違うものになれるんだろう、と考えてしまう。
グレイスがどんな女性であるか。それは見る人によって変わる。メアリーと下世話な話をして笑っているグレイスだって、ジョーダン先生に理路整然と過去を語りいやらしい話はしたがらないグレイスだって、一人のグレイスなのだ。
それはある意味人間として当然のことなのに、このセックスと暴力まみれの事件を知った人は、グレイスとは「悪魔のような女」なのか、それとも「騙された聖女」なのか、どちらかでしかないと思い込んでいる。女性犯罪者はとかくそのような極端な見方をされがちだとアトウッドは語っている。*2
二重人格だったかそうでなかったかはともかく、人間にはいろいろな面があって当然なのだ。
この小説は事実に基づいており、各章の冒頭に引用される新聞記事や人々の証言も本物である。事実をなぞっているのに、これだけ面白いフィクションを生み出すというのは、やはり作家アトウッドの天賦の才能を感じる。
アトウッドが作り出した部分で特に興味深いのは、男性の名前が"J"で始まる名前ばかりということ。殺人犯のジェイムズ、村の少年ジェイミー、行商人ジェレマイア、医師のジョーダン先生。
これは、グレイスが占いで「"J"から始まる名前の男と結婚する」と言われたことにつながっていくので、読者はやきもきしながら読み進めることになる。
と同時に、これら"J"の男たちが全て、いかに「自分たちが望むグレイス」しか見ていないか、ということも思い知らされるのだ。娼婦、天使、自由な魂、憧れの人。みんながみんなグレイスの美しさを自分のものにしたいと思っていて、それ以上でもそれ以下でもない。誰と結婚しても同じだよな……と思うと同時に、グレイスの人生に対する絶望も理解できるような気がする。
グレイスが共感し、自分のことを分かってもらえると感じるのは女性だけ。親友のメアリーと、殺されたナンシー。最後のページを読むと、それを実感出来る。
ちなみに、The Year of the Floodも邦題を『洪水の年』として、岩波から発売予定だとか。前作の『オリクスとクレイク』は畔柳和代さんが訳者でしたが、『洪水の年』は『グレイス』を訳した佐藤アヤ子さん。
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