トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

Normal People / サリー・ルーニー: フツーのひとって、どんなひと

(ふつうのひと)

2018年のブッカー賞にもノミネートされた、サリー・ルーニーの長編2作目。2020年には映像化もされた(下にApple TVのリンクを貼りました。ドラマもよかったですね〜!)。描かれるのは2011年から2015年にかけて起こったできごと。高校から大学へ進学し、関係性がたびたび変化する若き男女を描いている。

Normal People (English Edition)

Normal People (English Edition)

  • 作者:Rooney, Sally
  • 発売日: 2018/08/28
  • メディア: Kindle版
 

tv.apple.com

要はくっついた別れたのすったもんだか、これはパスかな……と思ったあなたにこそ! 読んでいただきたい作品かもしれない。

 

 

ふつうのひととは誰のこと

Marianne(マリアン)とConnell(コネル)はアイルランドのCarricklea*1で生まれ育ったティーンエイジャー。メインストリートが1本あって、そこにパブや商店が立ち並び、住民全員が知り合いというような小さな町だ。2人は同学年だが、友人というわけではない。

マリアンは裕福な家出身の女の子。父は早くに他界し、母と兄と暮らしている。母からはネグレクトされ(息子と娘への態度が180度違う、いわゆる毒親)、兄から暴力を振われることもあり、家族とはうまくいっていない。おそらくそうした生い立ちも原因で学校になじめず、友人が1人もいない。周りから「浮いてる」とされる子である。やることがなくてしょうがないから勉強しているおかげで、成績はトップクラス。

一方コネルはシャイで口数が少ないものの、スポーツが得意な学校の人気者。気のおけない男友達も多く、女の子からもモテモテ。実は読書が好きなのだが、世間体を気にするコネルは「ダサい」と思われることを恐れているのか、人前で本の話をすることはない。母親、Lorraine(ロレイン)はシングルマザーということもあり生活は困窮してこそいないものの、余裕はない。

ロレインはマリアンの家で掃除婦として働いている。そんなわけで学校では決して口を聞くことなんてない2人はマリアンの家でたびたび顔を合わせるようになり、ひょんなことから寝てしまう。だが、「付き合う」という選択肢は、クラスメイトの反応を気にするコネルにはなかった。マリアンには「ヤッてることは誰にも言わないで」と口止めし(最低だな)、その生い立ちゆえに自己肯定感があまりにも低いマリアンは同意する。

ところが、その後大学に進むと2人の関係は180度変化する。2人ともCarrickleaを出て、首都ダブリンのトリニティカレッジ(ダブリン大学)に進学したのだが、大学で一躍人気者となったマリアンとは裏腹に、コネルは友だちもできず、なかなか馴染めない。生活レベルや生い立ちといった面で「コネルみたいな子」が多かった高校とは違い、トリニティカレッジの大学生らは一様に裕福な家庭出身で、両親はインテリで、「マリアンみたいな子」ばかりなのだ。コネルのことをかげで「労働者階級の子」呼ばわりする学生だっている。

自分自身は何も変わっていないのに、環境が違うだけで周りの反応がこんなにも異なるなんて。そのことにびっくりするのは、マリアンもコネルも同じである。そして2人とも、高校と大学時代を通して「自分じゃない誰か」になろうともがこうとしたり、どこまで行っても(地元を離れても、留学しても、新たな恋人ができても)自分は変わらないんだと気づいて絶望したり、逆にほっとしたりする。

I don't know what's wrong with me, says Marianne. I don't know why I can't be like normal people.

私ってどうしてこんななんだろう、とマリアンは言う。どうしてふつうのひとみたいになれないの。

会話に「normal people」という言葉が出てくるのは1か所(↑)のみだけれど、心から絞り出したようなマリアンのセリフがとても印象的だ。大学を卒業して、大人になって、みんなそういう思いとなんとなく折り合いをつけて生きていくんだよと若者に言うことは簡単だけれど、そうやってもがいた日々を忘れたり嘲笑したりはしたくないものだなと、いい大人のわたしは考えたのだった。

 

どうしてこんなに人気なの

あっという間に小説の世界に引きずり込まれて、夢中になり、たったの1晩で読み終えた作品なのだが、その秘密は構造にある。2011年の1月から始まるこの小説、章が変わるたびに時間が経過する。それは「1か月後」だったり、「3か月後」だったりする。読者には明かされない章と章の間で、マリアンとコネルは仲違いしたり、何もかもがうまくいって人生薔薇色状態からどん底に落ち込んだり、他の恋人ができたりしている。

読者は新たな章に移るたびに、まるで数か月ぶりに会った友人との会話のごとく「えっ、夏の間にそんなことがあったの!?」と驚きながら状況を把握する。その感情の揺さぶられ方がクセになるのだ。新たな章で色々説明する必要が出てくるわけだが、登場人物による振り返り方も巧みである。

ともすればティーン向けドラマになりそうな題材なのに静謐な雰囲気が感じられるのは、今やルーニーの代名詞ともいえる現代的な語り口(現在形、括弧を用いない)のおかげだろう。日本でも増えつつある会話文に「」を使用しない文体だが、これはもしかすると、テクノロジーの発展に起因しているものなのかなと考えることがある。

実際に会って話したり電話したりするだけではなくて、音のない会話、つまりSNSやメールを介した画面上のテキストベースの会話が増えたからなのではないかなと。知り合いからのメッセージが自分の頭の中の考えと同じ周波数、同じ大きさで聞こえてくる(読まれる)ようになったからなのかもしれない。そういえば『文藝 夢のディストピア』に掲載されていた児玉雨子さんの「誰にも奪われたくない」では確か、電話とSNSのやりとりは括弧なしになっていたような……(不確かなので読み返さないと)。

 

さて、この小説には出版以前に書かれた「後日談」ともいうべき短編"At the Clinic"があって(ちなみにルーニーのデビュー短編)、それが2020年に公開されたのでこちらも合わせて読んでみた。のですが、知りたくない人もいるかもしれないから、別記事で書きます。

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マリアンとコネルが読んでいた本

作中で、マリアンとコネルが読んでいた本。

 

『失われた時を求めて スワン家のほうへ』

高校では友だちが1人もいなくて、ランチの時間も1人ぼっちのマリアン。「表紙にフランスの絵画がプリントされていて、背表紙はミントの色」の「スワン家のほうへ」を、細い指でめくっている。マリアンから醸し出される、他の人とは一線を画した空気に、コネルは惹かれるのだった。 

小説の中でスワンが体験する恋(「スワンの恋」)、燃えるような嫉妬を、マリアンものちに経験することとなる。そのとき、この本のことを思い出しただろうか。

実はわたしも、恋愛の嫉妬というのは「スワンの恋」で初めて知って、その後大学生になったときに「ああ、これ! スワンの気持ちを追体験している!」と思ったくちなので、読んでいてなんともいえない感傷的な気持ちになった。

そういう風に、本作に登場する小説がその後の登場人物たちの気持ちに見事にリンクしているのも、読んでいて楽しい。

 

『黄金のノート』ドリス・レッシング

黄金のノート

黄金のノート

 

こちらは、高校時代のコネルが読んだ本。マリアンの後を追うようにしてトリニティに進学するのだったら、その後の人生が大きく変わるな……と大学について考えるコネル。そんなとき、以前読んだこの本のことを思い出す。新たな世界の象徴のような1冊。

 

『エマ』ジェイン・オースティン 

エマ (上) (ちくま文庫)

エマ (上) (ちくま文庫)

 
エマ (下) (ちくま文庫)

エマ (下) (ちくま文庫)

 

大学へ進むと、マリアンが政治学部でコネルが英文学部ということもあり、小説を読むのはもっぱらコネルに。コネルは大学に入って初めてオースティン作品と出会った様子。ナイトリーはハリエットと結婚するのか!? どうなんだ!? というところで図書館が閉まるから帰宅しなくちゃいけなくなって、続きが気になる〜というコネルの心境が綴られる。

 

『アーサー王の死』トマス・マロリー、ウィリアム・キャクストン

シャイで授業中発言もできず、どうにもクラスになじめていないコネルがこの作品についてプレゼンテーションをして、拍手喝采を浴びる。その解釈に「天才」とまで呼ばれるようになり、一躍文学部のスターに。 

 

ジェイムズ・ソルターの小説

夏休み、友人と海外旅行に行ったコネルが読んでいる。タイトルが明かされないので不明だが、日本だと岸本佐知子さんの訳で短編がいくつか出版されていますね。

楽しい夜

楽しい夜

  • 発売日: 2016/02/25
  • メディア: 単行本
 

 

フランク・オハラの詩

同じく旅行中、コネルがベルリンの本屋さんで見つけ、イタリアで休暇中のマリアンにお土産として持って帰る。

Selected Poems

Selected Poems

  • 作者:O'Hara, Frank
  • 発売日: 2009/09/08
  • メディア: ペーパーバック
 

 

本書がノミネートされた2018年のブッカー賞では、初めてグラフィックノベル(ドルナソの『サブリナ』)がノミネートされたり、時代の流れを受けてディストピア的な作品が集まったりしていた。審査委員長の「既存の価値観を破壊するようなユニーク」な作品が集まったという言葉が心に残っている。受賞したのは『ミルクマン』だった。

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サリー・ルーニーの長編デビュー作のレビューはこちら。 

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みなさま、今日もhappy reading!  

*1:架空の場所だが、スライゴ付近であることが示唆される。ドラマ化された際もスライゴで撮影が行われたそう。