ここ数週間、やたらと出版社さんのSNSでネラ・ラーセンのPassingを見かけるので、???と思っていたら、Netflixで映画化されていたのだった。
いい機会だから読んでみようと購入した原作も短めだし、映画も1時間半ちょっとと短めなので、さっと読んでさっと視聴したのだが、深い余韻の残る作品である。映画の方は女優レベッカ・ホール(『それでも恋するバルセロナ』のヴィッキー役など)の監督デビュー作。1920年代を舞台にした物語で、白黒で撮影されているのだが、その色調によって「白人のふりをする黒人」という問題が浮き上がってくるのはもちろん、ニューヨークの街の光と音の美しさが際立ち、なんとも印象的。
こちらはNetflix版の装丁。
日本語訳もあるようですが、絶版になっているみたい。映画化を機に復刊されるといいなあ。
【Updated: 2022-03-14】
と思っていたら、新訳が出るみたいですね。みすず書房より、翻訳者は鵜殿えりかさん。装丁もすてき!
主人公のIrene Redfield(アイリーン・レッドフィールド)は、肌の色の薄い黒人だ。1920年代の黒人文化ルネッサンスの中心地、ハーレムに暮らしている。自分よりも肌の黒い黒人男性と結婚し、子どもの肌の色も黒い。夫は医師で、Ireneは専業主婦として日々の生活を営んでいる。
そんな彼女はある日、1人で買い物に行った際、一時的に「passing(白人のふりをすること)」して、黒人の入店は許されないような高級喫茶店に立ち寄った。店内では見覚えのない白人女性から声をかけられる。黒人であることがバレたのだと思ったIreneは焦るが、実はその「白人女性」はかつてのクラスメイトで黒人のClare Kendry(クレア・ケンドリー)だった。Ireneよりさらに肌の色の薄いClareはpassingして、現在は白人として生活していた。黒人を忌み嫌う白人男性と結婚し、生まれてきた娘も肌の色は白いのだという。
だが、自分自身に嘘をつくような生活に疲れているClareは、Ireneと接するうちに自分が捨て去ったはずの黒人文化に魅せられ、ハーレムに居場所を持つIreneを羨むようになる。Ireneもまた、Clareにイライラさせられながらも、その魅力に惹かれていく。
この作品の魅力はなんといっても、白黒つけられない「曖昧さ」にあると思う。たとえばpassingをしているClareにIreneは批判的な視線を向けるのだが、Ireneだって一時的にpassingをすることはある。それだけではなく社会的階級の高い黒人としてメイドを雇い白人に近い生活をしているし、息子は(米国の白人がよくやるように)スイスの寄宿学校に入れたいと考えているのだ。夫はブラジルへの移住を望んでいるのだが、Irene自身は未開の地では生きていけないといわんばかりの態度をとる。
おまけに米国にはまだ黒人差別が根強く残っているという事実を、彼女は息子たちに教えようとしない。何も知らなければ純粋なままでいられるとでも信じているかのように、人種差別が存在しているという事実から顔を背けようとする。差別があることをきちんと説明し、世界へ羽ばたいていくであろう息子たちに現実を教えたいと考えている夫とは、当然ながら対立関係にある。2020年代を生きている私たちは、そういう無知が差別を助長するのだということをよく理解しているから、Ireneについて読んでいるとなんともいえない気持ちになる。
もう1つ曖昧なのが、セクシュアリティだ。Ireneは夫がClareに惹かれているのではないかと疑ったりもするし、Clareのことをかなり鬱陶しいと感じているのだが、誰よりも彼女の魅力のとりことなっている。会うまではイライラして、会いたくないとすら感じているのに、いざClareの姿を見るとそのあまりの美しさに感嘆し、惜しげもなく賞賛の言葉を投げかける。夫にも他の男性にも感じない魅力を、Clareに感じていることがよくわかる。しつこいほど何度も登場する「queer」という言葉(主にアイリーンが息子の性的なジョークに言及する際使うのだが)が2人の曖昧な関係性を浮き立たせているようだ。
そんな曖昧さ、白でも黒でもなく、あらゆるトーンのグレーを集めたようなこの小説の味わい深さが映画でも存分に表現されていてすごくよかった。
アリス・ウォーカーの『カラー・パープル』も、トニ・モリスンの『青い眼がほしい』も、ネラ・ラーセンから影響を受けていたのだということがよくわかった。あと、去年話題になった、ブリット・ベネットのThe Vanishing Halfを(ベネットは、新しく出版されたPassingの紹介文も書いている)読みたくなった。
ほんと、実に2年ぶり!?に映画を観ることができるようになりました。嬉しい。来年は映画館にも行きたい。いや、まだ数週間あるから今年中に行けるかな?