(洪水の年)
*2018年9月22日、岩波書店から日本語訳が発売されるそうです。
MaddAddam(マッドアダム)シリーズ第二作目の"The Year of The Flood(洪水の年)"を読んだ。 もう、傑作! 後を引く面白さ。
前作『オリクスとクレイク』はそれだけで完成された作品であるとともに、「もっとこの世界を知りたい」と思わせる終わり方をしていた。例えば、スノーマンは最後に人間と出会う。これは一体誰だったのか?
熾した火のまわりには三人しかいない。やはりスプレーガンを持っている……三人はやせて、へばっているようだ。男二人。一人は茶色で一人は白い。紅茶色の女が一人。男たちはカーキの熱帯服を着ている。標準装備だが、ひどく汚れている。女は何かの制服の名残りをまとっているーナースか? 警備員か? かつてはきれいだったのだろう。激やせする前は。
『オリクスとクレイク』
こういう気になる箇所が全く別の方向からきちんと補填され、読み進むにつれて『オリクスとクレイク』とThe Year of the Floodが歯車のようにきっちりと噛み合っていく様が素晴らしかった。
<神の庭師> から見た世界
『オリクスとクレイク』は、なんらかの感染症で人類がほぼ消滅した世界で生き残ったスノーマンが過去を振り返る物語だった。
- 作者: マーガレット・アトウッド,Margaret Atwood,畔柳和代
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/12/17
- メディア: 単行本
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現在スノーマンと呼ばれている男性のかつての名前はジミー。ヘルスワイザーという大企業に勤める父を持つ特権階級のおぼっちゃまで、ヘルスワイザーに勤務する者およびその家族のみが生活することを許される特別な閉ざされた世界<構内>で育つ。
一方、The Year of the Floodに登場するのはヘーミン地(pleebland)に暮らす「平民女性二人」だ。彼女たちは、人類を駆逐した感染症を「水のない洪水(Waterless Flood)」と呼んでいる。
一人はトビー(Toby)。母が大企業のサプリが原因で亡くなり父は自殺。行き場をなくしSecretBurgersというハンバーガーチェーン店でオーナーに虐待されつつ働いていたところを、宗教団体<神の庭師>の創設者アダム・ワン(Adam One)に助けられる。<神の庭師>では植物や蜂の世話をし、子供たちの先生となり、最終的にイブ(女性のリーダー)の1人になる。スパに潜むことで「水のない洪水」を生き延びる。
もう一人はレン(Ren)。ヘルスワイザー構内に暮らしていたが、母ルサーン(Lucerne)が<神の庭師>のZeb(ゼブ / アダム・セブン / Mad Adam)と駆け落ちしたためルサーンとともに<神の庭師>にやってくる。その後、紆余曲折を経てストリップクラブScalesで働くようになるのだが、偶然Scales内の無菌室に入っていた際に「水のない洪水」が人々を襲ったので一人だけ生き延びる。
<神の庭師>は『オリクスとクレイク』にも登場した宗教/菜食主義者団体で、キリスト教をベースにしており、環境汚染を繰り返す人間を非難している。そしていつか「水のない洪水(Waterless Flood)」がやってきて人間は滅びてしまうという教えを説き、その事態に備えて自給自足の生活をしている。
常に世界が抱える問題を小説でも提起してきたアトウッドだが、本作が出版される数年前には彼女が暮らすカナダでSAASが大流行していたことや、この後相次いで起こる大企業の汚職や崩壊を反映しているのかと思わされる。
ヘーミン女性たちの物語
物語は「Year 25 / 洪水の年(the Year of the Flood)」に生きるトビーとレンが過去を語るという形で交互に進む。
そして、Year 5から始まりYear 25で終わるアダム・ワンによる説法や<神の庭師>信者らが唱える歌も間に挟まれる。つまりは20年間を振り返る物語。
アダム・ワンはイエス・キリストを彷彿とさせる語り口。トビーの物語は三人称で、非常に洗練されている。一方まだ10代のレンの物語は一人称で、使用される言葉も幼さが目立つ。その繰り返しがリズムになって、話にどんどん引き込まれる。
そして、レンは前作の『オリクスとクレイク』と本作をつなげる役割も果たしてくれる。彼女はヘルスワイザー構内で生活をしていた時期もあり、ジミー(スノーマン)とグレン(クレイク)のクラスメートだったのだ。
「理数系ではない落ちこぼれだけれど、女性にはやたらとモテる」という設定だったジミー。The Year of the Floodでは、レンやレンの親友アマンダとも学生時代に恋愛関係にあったことが明らかにされる。
映像化がとにかく楽しみ
本作品は女性のサバイバルに重きが置かれていることもあり、アトウッドの本領発揮という感じで楽しめた。日本語訳が出ているのはシリーズ一作目の『オリクスとクレイク』のみなのが残念……だが、TVシリーズ化も決定したのでこれから出版されるかも?
非常に視覚的な部分も多く、特にレンが働くストリップクラブScalesはその名の通り鳥のように緑の羽根やうろこで覆われた女性たちが踊るという設定で、圧巻の眺めになること間違い無し。
第三作目にして完結編のMaddAddamはこれから読む予定。こちらも楽しみ!
MaddAddam (MaddAddam Trilogy, Book 3)
- 作者: Margaret Atwood
- 出版社/メーカー: Anchor
- 発売日: 2013/09/03
- メディア: Kindle版
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「マッドアダム」用語集
備忘録として*1。固有名詞が全て工夫されていて面白いのが特徴。恐ろしいことに現在既にRejoovやNooSkinsといった同名のアンチエイジングサプリメントや商品が発売されている(ありそうな名前ですよね)ので、ググるとなんだか現実がディストピアのように感じられる。
組織
CorpSeCorps / <コープセコー>: Coporation Security Corpsの略で、警備会社。この世界では警察の役割を果たしており、大企業の構内や学校の安全を守り反体制派を調査している。社員たちはCorpsmenと呼ばれる。
OrganInc / <オーガン・インク>: ジミー(スノーマン)の父親が昔勤めていた会社。ピグーンを作り上げる。
NooSkins / <ヌースキンズ>: ジミー(スノーマン)の父親が引き抜かれた会社。アンチエイジングや若返りに特化(=New Skins)。
HelthWizer / <ヘルスワイザー>: <ヌースキンズ>の親会社。ジミーたち親子はヘルスワイザーの構内に引っ越す。
HappyCuppa / <ハッピーカッパ>: ヘルスワイザーの子会社が開発したハッピーカッパ低木の豆をコーヒーように販売している。これにより多くのコーヒー関連企業が倒産し、ヘーミン地では暴動が起きた。
Rejoov / <リジューヴ>: クレイクが大学卒業後に勤務する新進気鋭の企業。クレイクはここで人造人間Crakers(クレイクの子どもたち)を作り上げる。
AnooYoo / <アヌーユー>: ジミーが大学卒業後勤務する会社。ヘルスワイザーの子会社で、美容に特化。給料はさほどよくなく、「比較的荒廃したヘーミン地にごく近い」とされている。"The Year of The Flood"ではトビーが隠れるスパは、この会社が所有するAnooYoo Spa(=A New You)。
CryoJeenyus : ルサーンの再婚相手トッド(Todd)が働く企業。
God's Gardeners / <神の庭師>: 宗教団体。厳格な菜食主義者。
SecretBurgers /<シークレットバーガー>: トビーがはたらいていたバーガーチェーン。死体の処理や臓器売買を行っているコープセコーが余った人肉を卸していると噂されている。
Watson-Crick <ワトソン - クリック研究所>: クレイクが入学した名門大学。「水没する前のハーバード」のようなもの(このディストピア世界におけるアイビー・リーグ)。
Martha Graham Academy <マーサ・グレアム・アカデミー>: ジミー(スノーマン)、トビー、レンが入学した「文系」の大学。理数系になれなかった構内落ちこぼれやヘーミンが通う大学のようだ。ジミーの寮のクラスメートはバーニス("The Year of the Flood"で<神の庭師>から出て行く娘。レンの元友達)。
土地
Compound(構内): 各会社の社員が暮らす場所。学校などがあり、一通りの生活は構内から出ずに送ることができる。コープセコーにより警備されている。
Pleebland(ヘーミン地): 一般市民が住む都市(=Plebs、平民)。
食べ物・飲み物
BlyssPlus(ブリスプラス/幸福増幅):健康・性欲改善・アンチエイジング用の薬。
Soybits(ソイビッツ) : 大豆のパテ。
ChickeyNobs(チキーノブ): ワトソンクリック研究所でクレイクのクラスメートが作り上げた遺伝子操作された鳥の肉。
Joltbar : エナジーバー。
Zizzy Froots : フルーツジュース。
動物
Pigoon(ピグーン): 人間への臓器提供のためにヒトの幹細胞を埋め込まれた豚。
Rakunk(ラカンク): ペット用に作られた生物、ラクーンとスカンクの合いの子。
Snat(スナット): 蛇とネズミの合いの子。
Mo'Hair : 人の植毛用に作られた羊の亜種。
Liobam : ライオンと羊の合いの子。
*1:日本語訳は『オリクスとクレイク』より。