トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

『オリクスとクレイク』(マッドアダム・シリーズ) マーガレット・アトウッド

[Oryx and Crake]

 『侍女の物語』でなんだか調子づいて(読書熱が)、アトウッドの作品を次々読み返している。

 『オリクスとクレイク』は、日本語版が出ていることを知ってこちらを読んだ。 

 MaddAddam(マッドアダム)シリーズ3部作の第1作目。

オリクスとクレイク

オリクスとクレイク

  • 作者: マーガレット・アトウッド,Margaret Atwood,畔柳和代
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2010/12/17
  • メディア: 単行本
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アトウッドが描く近未来ディストピア

スノーマンは夜明け前に目を覚ます。横たわったまま体を動かさずに入り潮に耳を澄ます。次から次へ波が打ちつけ、さまざまな障害物を乗り越えて流れ込む。ざざー、ざざー、鼓動のリズムだ。自分はまだ眠っていると信じられたらどんなにいいかと切に思う。

 スノーマンたる人物が絶望していることがひしひしと伝わる、この冒頭の文章。

 昔はジミーと呼ばれていたと回想するスノーマンがどういう人物なのかは、読んでいるうちに少しずつ明らかになる。背景の説明はなく、唐突に始まり、その新しい世界を手探りで読者が進んでいくというのがアトウッドの小説のスタイルだが、文章は簡潔で魅力的なので分からないなりにどんどん読み進めてしまう。

 

 2000年代までは通常に機能していた世界が、なんらかの感染病が原因で終末を迎える。人間は死に絶え、今ではスノーマンしか残っていないようだ。

 スノーマンは「クレイクの子供たち」と呼ばれる人々の近くで暮らしているが、この人々は文字通りクレイクという男性が遺伝子操作で創り上げた生き物(進化系の人間)で、少量の草花を食べ生きている。

 スノーマンは「ジミー」という名で呼ばれていた頃のこと、自身の親友だったクレイクのこと、そして最愛の女性オリクスのことを考える。その回想と、現在のスノーマンとなった彼の生活が交互に語られる。

 

 ジミーの父親は<オーガン・インク>という会社で働いていた。ピグーン(人間に臓器提供するために造られた豚)、ラカンク(ラクーンとスカンクの合いの子、ペット)といった動物を遺伝子操作で作り上げるのだ。

 このあたりは、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を思い出させるようなエピソードであるが、本作が出版された2000年代初めにはこのような最先端技術・医療と倫理のせめぎ合いが実際に話題となっていたことも記憶に新しい。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

 

 一方、ジミーとクレイクはパソコン上で<エクスティンクタソン(絶滅マラソン)>というオンラインゲームを見つけ、夢中になる。

モニターはマッドアダム。アダムは生ける動物に名前をつけた。マッドアダムは死んだ動物に名前をつける。プレイしますか?

 という言葉で始まる、消滅した動物や植物についての知識を争うゲームだ。

 (文系の)ジミーはすぐに飽きてしまうが、クレイクは魅了され続ける。大人になったクレイクは、マッドアダムのゲームマスターたちと一緒になり、「永遠の命」「若々しさ」を研究開発する仕事に就く。そして人造人間を作り上げるのだ。

  

文系が虐げられる世の中

 アトウッドの小説を読むといつもその先見性に目を見張るのだが、この小説は2000年代の出版当初よりも今の方が切実に共感しやすくなっていると感じた。

 ジミーとクレイクそれぞれの両親は科学に貢献しておりハイテク企業に勤務していた。

 これは、真理省で働くいわゆるエリートを描いた『1984年』のようでもある。 

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

 ジミーもクレイクも「ヘーミン」から隔離されたエリート用施設に暮らし勉学に励む。だが、残念ながらジミーは「理数系」ではない。

 「理数系」であることが重要とされる社会において、「文系」だとみなされることは屈辱でもあり落ちこぼれの烙印を押されるようなものである。

 立派な大学には入ることができず、いい仕事にも就けず、「ヘーミン」すれすれの生活を送ることとなってしまう。

 女性にモテる遊び人のジミーは、生物学的に、子孫永続という視点ではクレイクよりよっぽど優秀だとも思えるのだが

「クレイクの言うとおりね」とオリクスはひややかに言った。「あなたの頭脳はエレガントじゃない」

 なんて言われてしまうのだ。

 これはエンジニアリングやIT企業がもてはやされている現代を風刺しているようでもある。それでいて、この小説が発表されたのはiPhoneもまだ誕生していなかった2003年なのだから驚く。

 ちなみにアトウッドの父は科学者で、兄も神経生理学者だそう。「理数系」一族に生まれた「文系」としての観察眼が生かされた小説である。 

 

オリクスという「イブ」

 クレイクがマッドアダム(狂ったアダム)だとすれば、オリクスはイブにあたるだろう。東南アジアの貧困家庭出身らしい彼女は、売春を繰り返すことで自らの命をつないできた。そして自身の体と引き換えに学を得る。

「どうしてそんなに悪人だと思うの?」とオリクスは言った。「あなたがしていないことを、あの人が私とやったことはないわ。あんなにいろんなことしてないし!」

「君の意思に反してやっているわけじゃない」とジミーは言った。「ともかく、君はもう大人だ」

オリクスは笑い声を立てた。「私の意思って何かしら?」

 所詮甘ちゃんのぼんぼんであるジミーには、到底理解できない人生を歩んできた女性である。

 オリクスのエピソードは近未来を描くディストピア小説の中で異彩を放つようにも思えるが、これは女性にとってのディストピアであり(売春云々を別にしても)どれほど社会が発展しようと解決されない問題を描いているように思える。

 

ヒエロニムス・ボスの表紙絵がぴったり

 日本語版は表紙も美しい! なんと、ヒエロニムス・ボスの《快楽の園》の一部が使用されている。この左パネルの上部、『エデンの園』もしくは『地上の楽園』部分。

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 様々な架空の動物が描かれている。

 透けるように真っ白なキリン、2本足で歩くカンガルーハムスターのような動物、針が長く優雅なヤマアラシ風の動物、踊るキツネかタヌキか、ユニコーン、耳の長いイノシシと狼の中間のような動物。

 これが、作中に出てくる人間によって改造された動物たちを連想させるのだ。

 この絵を表紙にと選んだ出版社の方?翻訳者の方?は素晴らしいな……と思った。

 ちなみにまったく同じ絵が表紙に使用されている海外文学はもう1冊あって、それは白水社から出ているカルロス・フエンテスの『テラ・ノストラ』(目下積ん読中……)。

 

次々に映像化されるアトウッド作品

 ちなみにこのマッドアダム・シリーズはドラマ化も決定している。

 日本語に翻訳されているのは『オリクスとクレイク』のみだが、The Year of the Flood(洪水の年)MaddAddam(マッドアダム)と続いている。

*The Year of the Flood, MaddAddamのレビューはこちら。

www.tokyobookgirl.com

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 Huluの『侍女の物語/ハンドメイズ・テイル』、Netflixの『またの名をグレイス』と、アトウッド作品は次々映像化されているが、1980〜2000年代に書かれたこれらの小説が現代に警鐘を鳴らしていると再評価されているのだろう。

 視聴できるようになるのが楽しみ!

eiga.com

 みなさま、今日もhappy reading! 

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