前回の記事に続いて、ディストピア関連の話題を。
ついに!
2018年2月28日、日本でもHuluが『ハンドメイズ・テイル / 侍女の物語』の放映を開始した。
ということで今日は5話まで視聴した感想を書きたいと思う。(全10話)
実は放映開始前にHuluの契約を一旦解除していたので、気づくのが遅くなってしまった……。最近Amazon Primeもあるし、スカイステージもあるしで、Huluを見ることがほとんどなくなっていたのである。
『侍女の物語』だって、アメリカでは2017年前半には放映されていたのに、いつ日本版で放映するのか待てど暮らせど情報が出ないし。
放映開始を知って、慌てて再契約した私。オホホ。
Huluオリジナル『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』を見るべき理由
1. 様々な国で何度も映画・演劇・オペラ(!)化されている『侍女の物語』だが、著者のマーガレット・アトウッド自身が今回のHuluドラマについて「とてもよくできていると思う」と発言しているのだ。
*アトウッドがHuluドラマについて語ったインタビューに関する記事がこちら。
2. しかも!
去年のエミー賞はなんとHulu『侍女の物語』が8部門受賞という無双状態。
ちょうど番組の撮影中に、トランプ政権が発足したのだとか。ディストピア小説が何かと取りざたされている現在、放映のタイミングも素晴らしかったと思う。
ちなみに下記ELLEの記事には、「見るべき理由」が9つまとめられているのでこちらもぜひ。
【ELLE】エミー賞総なめ! ドラマ「The Handmaid's Tale/侍女の物語」を見るべき9つの理由|エル・オンライン
これは見逃すわけにはいかない。
では私の感想を、ネタバレはなしで綴ってみる。
色彩が美しい
原作の『侍女の物語』も、色彩が心に残る。印象として一番に思い浮かぶのは「赤」「白」という色だろう。
侍女はみな、体型を完全に覆い隠す赤いマントを羽織るように義務付けられている。
この「赤」という色は、ほとんど子供が生まれなくなった世の中で、「出産可能な女性」ということを表している。それは経血を連想させる色である。
そして、頭には白いボンネットを被っている。これは「翼」と呼ばれ、侍女の顔を覆い隠すようなデザインになっている。侍女は他の人と目を合わせて話してはいけないからだ。
小説の表紙にもなっていたので(日本の文庫版は違いますが)、世界中の読者の心に刻みつけられているはず。
この服装は、Hulu版でもしっかりと再現されている。
普通の街並みを2人ずつのペアで静かに歩く侍女の姿は、かなりインパクトがある。
デザインのインスピレーションは、アーミッシュ、デンマークのカルト集団、ブルカなど宗教色の濃い文化で女性が着る服、日本の海女さんの被り物、などらしい。
実際に小説『侍女の物語』を読んで思い浮かべるのも、そのような衣装ですよね。
そして、その次に目に飛び込んでくるのは、「ピーコックブルー(グリーンとブルーの中間)」。妻(正妻)たちは全員、この色の洋服を着ているのだ。
キリスト教の社会で、この色から連想される女性はただ一人。
処女でありながら神の子を授かった「聖母マリア」である。
Hulu『侍女の物語』でも意識してこの色を使用しているのだとか。
Huluオリジナル『侍女の物語』の衣装についての記事はこちら。
この衣装、アメリカでの2017年のハロウィーンコスチュームとしても人気が高かったみたい!
Pinterestを見ていると、「翼」や赤いマントをハロウィーン用に作成している人が多数見受けられる。
非常に現代的
ちなみに『侍女の物語』は、1985年に出版されている(奇しくもディストピア小説の金字塔『1984年』の翌年である)。
その頃から見た近い将来を描いたディストピア小説なので、舞台となっているのはきっと「2018年現在」あたりだろう。
Hulu版も同じ解釈なのか、映し出されるのは現代社会である。
車があって、カジュアルな服装の家族がいて、、、今となんら変わらないアメリカ。
主人公の「オブフレッド」も現代のごくごく普通の女性として描かれる。
共和国以前のアメリカ時代の友人との会話には"fuck"を連発し、「オブグレン」のことは心の中で"pious little shit(敬虔なクソ女)"と呼び、オブグレンが友人であるというナレーションの後には、"it's bullshit(ウソばかりだ)"と付け加える。
小説を読むと、オブフレッドはある意味「不可解な共和国の一員」という印象を受ける。読者の目には、恐ろしい共和国の一部として映るのではないだろうか。
ドラマでは、完全に「私たちの側」の人間である。より共感できる。
感情豊かな俳優陣
主演のエリザベス・モスはもちろん、演技達者な俳優陣が揃うこの番組。
言葉はなくても、ほんのすこしの眉の動きや視線から、感情を読み取ることができる。
その表情が、ドラマにますますの奥行きを与えている。
そして、女性の肌の質感も共和国をよりリアルに見せる大事なポイントになっていると思う。
原作には、侍女は化粧することが許されず、ハンドクリームやボディクリームさえ支給されないという描写があった。これは「妻」が定めたこと(だったと思う)。もちろん、侍女が「歩く子宮」でしかないから。少しでも司令官を誘惑することのないように。
ドラマでは、きれいにメイクしている「妻」と保湿すらしていないであろう侍女の肌の質感の違いがすごい。オブフレッドも全体的にカサカサだし、オブグレンのおでこのしわなんて普通に保湿していたら絶対に目立たないと思う……。指や手もささくれていて、カメラマークと相まって侍女という存在の悲しみをより際立たせている。
「女性」の物語
フェミニスト作家と称されることもままあるアトウッド。
原作も、もちろん女性の生き方に関して考えさせられる作品なのだが、ドラマはその方向性をさらに深めるためにいくつかの設定を変更している。
例えば、「妻」のセリーナはオブフレッドと同年代になっている(原作ではセリーナは杖をついて歩いていて、高齢の印象だった)。高齢で子供が産めないのではなく、「不妊症で子供が産めない女性」になっているのだ。
それが、原作にはあまり感じられなかった家での女性対女性の対立関係を作る。
同じ家の中に暮らす女性でも、人を使う立場にある女性(妻)、子供を産むためだけに存在する女性(侍女)、料理を作るためだけに存在する女性(マーサ)と、立場はさまざま。それぞれに思惑があり、その狭い社会の中で敵対しあっている。妻は侍女のことを"slut(あばずれ)"と呼び、侍女はマーサに「手柄を取られないように」買い物にも精を出す。憎むべきは他にあるだろうに……。
個人的には、女同士の会話に時折存在する、自分以外の人の価値で自分の価値を測ろうとする謎のカーストシステムを、侍女同士の会話に存在させても面白かったんじゃないかな、と思った(侍女Aが仕えるコマンダーの役職は、侍女Bのコマンダーより高い=あの侍女の方が偉い、など)。
アトウッドを見つけられましたか?
著者マーガレット・アトウッド自身もカメオ出演しているという触れ込みがあったこの作品。「どこだろう?」と探しながら見たものの、うっかり見落としていた……。
後でインターネットでサーチしたところ、このシーンだということが判明。
第1話。レッド・センターで、侍女たちがジャニーンを指差しながら「彼女が悪い」と責め立てる一場面である。
その光景に戦慄し、言葉を失う主人公・オブフレッドを激しくビンタする「小母*1」……。
あっ! アトウッドだったよ!!笑
と、単純に面白いし、非常に考えさせられるこの作品。おすすめです。
原作を読んでいなくても楽しめます。
もちろん、原作を読めば2倍楽しめると思います。
私も久しぶりに原作を読み返す予定。
HuluではHBOの『オリーヴ・キタリッジの生活』も観ることができる。
こちらもお見逃しなく。
その他アトウッドの著書に関する記事はこちら。
*1:おば。レッド・センターにおいて、侍女の教育を行う女性たち。