トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

The Coincidence Makers(偶然仕掛け人) / ヨアブ・ブルーム

[מצרפי המקרים]

出張先の本屋さんで見つけて、「おっ!」となった作品。

このタイトルと、著者のユダヤ系の名前を見て思い出したのです。もう10年近く前にイスラエル系の友人(村上春樹好き、初めて読んだ村上作品はNorwegian Wood)からこの本が面白いと聞いていたことを。

その時は英語訳されるとは思ってもいなかったので嬉しい。 

ちなみに調べてみたところ、スペイン語やイタリア語などヨーロッパ言語の翻訳は一通り出回っていた。

The Coincidence Makers: A Novel (English Edition)

The Coincidence Makers: A Novel (English Edition)

 

そして著者名をググっていたら、来月日本語訳『偶然仕掛け人』も発売されることを発見。ヘブライ語からの翻訳、それとも英語からかな。

偶然仕掛け人

偶然仕掛け人

 

 

というわけで、私は友人から最後までのあらすじを教えてもらっていたので(涙)新鮮な読書というわけにはいかなかったけれど、聞いていた通り楽しめる本だった。でも、オチを知ってしまったら面白さが半減する類の小説ではある。

映画でいうと『スライディング・ドア』とか『セレンディピティ』のような感じ。地下鉄のドアが閉まる前に電車に乗れるか乗れないかで、人生が変わってしまう……。偶然出会った人に、『コレラの時代の愛』のペーパーバックがきっかけで再会する……。

スライディング・ドア(字幕版)
   
セレンディピティ~恋人たちのニューヨーク~ [DVD]

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Coincidence makers(「偶然仕掛け人」とは素敵な訳!)とはそういった「偶然」を故意に作り出す人々を指している。偶然を仕掛けることで、恋愛を成就させたり科学者に大発見をさせたり、歴史を作っているのだ。

舞台は明記されていない、どこにでもありそうな街。主人公のガイ(Guy)は今まで主に子供たちのための「イマジナリーフレンド(空想の友人)」になるという仕事をしてきた。友達が作れなかったり、過去に傷を負ったことのある特定の子供にだけ見えているという設定で、その子が世界へ出て行く勇気を手に入れるまで寄り添い続けるのだ。

そんなある日、突然"coincidence maker"にならないかというスカウトを受ける。研修があるというので待ち合わせ場所として指定された公園に向かうと、そこには美しく若い女性エミリー(Emily)と皮肉屋な男性エリック(Eric)がいた。二人も同じようにスカウトを受け、この仕事に挑戦することにしたのだ。

三人は同期として厳しい勉学やテストに耐え、晴れて"coincidence maker"となったのだった。過去に忘れられない恋愛をしたことがあるガイは、今後の人生を一人で生きることに何の不満もない。恋愛に対して期待や希望も抱いていない。そんな彼だからこそ向いているということで、ガイは主に恋愛にまつわる偶然を仕掛けるという仕事をしていたのだが、ある日大きいプロジェクトの一端を担うことになり……。

コスモポリタンな感じではあるものの、ちょっと会話が理屈っぽいところとかどことなくユダヤ風というかイスラエル風でくすりと笑ってしまった。

で、なんだかイスラエル料理が食べたくなって、読んでいる最中にTA-IM(タイーム)を訪れたのでした。

"The difference is simple: happy people look at their lives and see a series of choices. Miserable people see only a series of sacrifices. Before every action you take when making a coincidence, you must confirm which type of person you're working with--the hopeful or the feaful. They look similar. They are not."

 

突拍子もないテーマながら、すごく爽やかで読みやすい王道SFロマンス。

『夏への扉』や『ハローサマー、グッドバイ』が好きな方におすすめ。

夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)

夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)

  • 作者: ロバート・A.ハインライン,Robert A. Heinlein,福島正実
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  • 発売日: 2010/01/30
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ハローサマー、グッドバイ (河出文庫)

ハローサマー、グッドバイ (河出文庫)

 

まだ読んでいないからなんとも言えないけれど、『クロストーク』もこんな感じかな? 

クロストーク (新・ハヤカワ・SF・シリーズ)

クロストーク (新・ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

 

ちなみに映画化も決定している。バックグラウンドや情景描写など、映画らしいところが非常に多い。

www.timesofisrael.com

『オペラ座の怪人』 ガストン・ルルー(平岡敦・訳)

[Le Fantôme de l'Opéra]

 わたしはミュージカルが大好き。生まれて初めて観たミュージカルは確かThe Wizard of Oz(オズの魔法使い)で、生まれて初めて「これ、好きだな!」と思ったミュージカルはAnything Goesだったと記憶している。だからなのか、大人になってもずっと、1930年代風の陽気な作品だとか、MGMやフレッド・アステアやジーン・ケリーに目がない。

 だが、人生で最も多く観ている作品は、もうダントツでThe Phantom of the Opera(アンドルー・ロイド・ウェバーのオペラ座の怪人)である。ブロードウェイでも何度も観たし、東京やシカゴやトロントやシドニーでも観たし、とにかく行く先々で必ず観てしまう。

 決してこの作品のストーリーが好きなわけではない、と思う。登場人物は割と皆クズだし、暗いし、救いがないし、ハッピーエンドじゃないし……。なのにどうして何度観ても見飽きないどころか、「もう一度観たい!」と思ってしまうのか?

 それはやはり、この作品に「音楽の天使」が宿っているから、なのでしょう。クリスティーヌ・ダーエが"Think of Me"を歌うシーンでは、私はいつだってラウル・シャニュイ子爵になって、胸をときめかせながら彼女を見つめている。


Think of Me - Andrew Lloyd Webber's The Phantom of the Opera

 

 怪人が歌う"The Music of the Night"の調べはあまりに美しくて、疑惑を抱きながらも、ついていってしまうクリスティーヌの気持ちがよく分かる。

(ビデオは25周年ロンドン公演。ラミン最高〜)


The Music of the Night (Ramin Karimloo) - Royal Albert Hall | The Phantom of the Opera

 はあ、延々とビデオを貼り付けてしまいそうなので、この辺で。

オペラ座の怪人 (字幕版)

オペラ座の怪人 (字幕版)

 

 そういうわけで、決してストーリーが好きなわけではないと思っていたから、今の今までガストン・ルルーによる原作『オペラ座の怪人』を読んだことはなかった。なぜ今回読もうと思ったかというと、例に漏れず宝塚で『ファントム』の上映が決定したからです。雪組版『ファントム』については、また記事の後半で。読んだのはもちろん、最近の私のご贔屓・光文社古典新訳文庫。

オペラ座の怪人 (光文社古典新訳文庫)

オペラ座の怪人 (光文社古典新訳文庫)

 

 

ガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』

 さて、最初に本を開いた時、音楽なしで、この「クズだらけのすったもんだ」をひたすら読むのは苦痛だろうな……という思いが頭をよぎったのは言うまでもない。 

 が、そこはさすがにフランスのミステリー界の礎を築いたと言われる作家ルルーだけある。エンターテイメント性に富んでおり、21世紀を生きる人間が読んでも&ストーリーを知っている者が読んでも楽しめる上に、古臭さは感じられない。また、平岡敦さんの訳が現代的かつ自然で非常に読みやすい!ので、600ページ近いボリュームながら一気に読めてしまう。

 新聞記者だったルルーらしく、オペラ座で起きた事件を聞き取るような形で始まるこの小説は、途中から「ペルシャ人」の手記になったりと、よりエンターテイニングな物語を実現できるよう様々な形態を取りながら進む。

 

 実際にガルニエ宮では幽霊騒動もあったし、シャンデリアの落下事故もあったし、地下には湖があったしということで、かなり綿密な取材を経て書き上げたらしく、ガルニエ宮の描写が緻密で、この「幽霊騒動」にリアリティを持たせている。

『二階五番ボックス席は全公演をとおして、オペラ座の怪人専用とする』

 支配人とそういう契約を取り交わし、オペラ座の地下に棲まう「怪人」ことエリック。「体中が屍肉でできている」という彼は、その醜さを隠すために仮面を被っている。そんな彼はオペラ座の団員クリスティーヌに恋をし、歌を教えるかわりに彼女の人生を縛りつけようとする。一方クリスティーヌは、幼なじみのラウール子爵と再会し恋に落ちるものの、「音楽の天使」エリックの怒りが恐ろしくて逃げ出すことができない。

 ラウール子爵はラウール子爵で、

そう、ラウールの哀れでうぶな心は、すっかり魅了されつくしていた。幼なじみのクリスティーヌを舞台のうえで再び見て以来、心を奪われまいとしてきたのに、彼女を目の前にすると甘美な興奮に包まれる。ラウールはそれを必死に追い払おうとした。愛するのは将来妻になる女性だけだと、われとわが信念にかけて胸に誓っていたし、歌手と結婚するには身分が違いすぎるから。 

 クリスティーヌに惚れているものの、当初結婚したいとまでは考えていなかった。しかし、怪人という障害があるからこそ二人の愛は燃え上がるといっていいだろう。

 

 『オペラ座の怪人』自体は恋愛やミステリーというよりはホラー小説といった趣で、初めて登場する時には人間なのかどうかも分からない怪人の存在は『フランケンシュタイン』を彷彿とさせる。 

 見た目が奇異だが心は周りの人間と何も変わらないところ、「愛されたい」と願い続けているところが、とにかくフランケンシュタインの怪物同様に、周りと違うからという理由で社会から排除・抹殺される怪人という存在の哀しさを際立たせている。そういえば最近では、村田沙耶香の『コンビニ人間』を読んだ時にも同じ感想を持ったのだった。 

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

 

 私はまだガルニエ宮に入ったことがないのです。見学ツアーもしているというし、『オペラ座の怪人』を片脇に携えて行くと、より楽しめそう。 

 

宝塚版『ファントム』は最高だった(2018-19年・雪組)

 どうしたってThe Phantom of the Opera贔屓だったので、ブロードウェイでは上演されたことのないアーサー・コピット&モーリー・イェストンの『ファントム』は今まで観たことがなかった。

 ずっと、『オペラ座の怪人』の二次創作である小説『ファントム』が原作なのだと思い込んでいたくらい。原作はどちらもルルーの『オペラ座の怪人』なのですね。ちなみに小説『ファントム』は、スーザン・ケイという作家が怪人の生い立ちについて、エリックの母の視点から綴った物語らしい。 

ファントム〈上〉 (扶桑社ミステリー)

ファントム〈上〉 (扶桑社ミステリー)

 
ファントム〈下〉 (扶桑社ミステリー)

ファントム〈下〉 (扶桑社ミステリー)

 

 ただし、アーサー・コピット&モーリー・イェストンの『ファントム』も、エリックの父・キャリエールとエリックの関係や、今は亡きエリックの母・ベラドーヴァの愛がストーリーの要となっている。だからこそより一層怪人という存在の悲哀が引き立つ。

 そしてラウル・シャニュイ子爵の代わりにフィリップ・シャンドン伯爵がオペラ座のパトロンとして登場する。フィリップはラウルの兄の名前&爵位を持っているので、どちらかというとラウルの兄を想像して作られたキャラクターといっていいだろう。クリスティーヌとの関係も純な恋愛とまではいかない。苗字がシャンドンなのは、「シャンパン」で財を成したから……らしい。 

 

 では、宝塚・雪組の『ファントム』の話を。あんな曲やこんな曲があってこその『怪人』だからな〜、『ファントム』って面白いのかな?と半信半疑で観にいった私。もちろん、ハートを撃ち抜かれて帰ってきました!

 雪組の望海風斗さん、真彩希帆さんトップコンビは、日本ミュージカル界でも屈指の歌声を誇る名コンビ。この二人がトップになってからというもの、雪組チケットは他の組と比較して取りにくくなってしまったことからも人気のほどが伺える。

 望海さんは力強く朗々とした男役声が魅力で、さらに演技も素晴らしかった。どちらかというと幼い印象のエリックに仕上げていたのだけれど、それが「9歳の頃からオペラ座の地下で暮らしている」という世間知らずの引きこもりオペラオタク的なキャラクター作りに功を奏している。見た目のせいで周りから受け入れてもらえない悲哀がひしひしと伝わる、母性本能をくすぐるエリックだった。

 そして、そういうキャラクター作りができたのも、相手役が真彩希帆さんという稀代の歌姫だったからこそ、だと思う。あまりの声の美しさはまさに「天使」。ともすれば「エリックに顔を見せろと要求しておいて、顔を見た途端に悲鳴を上げて逃げ出す嫌な女」になってしまいがちなクリスティーヌなのだけれど、「こんな歌声で誘われたら、エリックも抵抗できないよね……しかも、歌声が美しすぎて、生身の人間なのに天使だと勘違いされてしまうクリスティーヌもある意味可哀想だよね」と思わせる説得力があった。

 彩風咲奈さん演じるキャリエールの包容力も、彩凪翔さん演じるシャンドン伯爵の「これぞ宝塚!」なキラキラっぷりも、朝美絢さん演じるアラン・ショレの小物な支配人感もすごくよかった(役替わりAバージョンしか観劇できなかったのです)。 

 あれほど『オペラ座の怪人』推しだったのに、あちらよりもエリックに人間味があっていい作品だなと思ってしまった。もちろんBlu-rayも即買いしました(Amazonではなく、キャトルレーヴで)。

雪組宝塚大劇場公演 三井住友VISAカード ミュージカル『ファントム』 [Blu-ray]

雪組宝塚大劇場公演 三井住友VISAカード ミュージカル『ファントム』 [Blu-ray]

 

 

 で、こちらのラミン・カリムルーが怪人を演じた公演もまた観て、 

 

 映画版のBlu-rayも久しぶりに観たくなって購入して、

オペラ座の怪人 Blu-ray コレクターズ・エディション(2枚組) (初回限定生産)

オペラ座の怪人 Blu-ray コレクターズ・エディション(2枚組) (初回限定生産)

 

 と、『怪人』まみれの2月を過ごしたのだった。満足!

『82年生まれ、キム・ジヨン』 チョ・ナムジュ

[82년생 김지영]

 『VERY』 1月号を読んでいて、「色々と話題になりそうだな」と思った記事があった。

「きちんと家のことをやるなら働いてもいいよ」と将来息子がパートナーに言わないために今からできること、VERY1月号の記事が話題に - Togetter

 案の定Twitterでも賛否両論様々な意見が入り乱れていたみたいだけれど、論点からは少し外れたところで、数年前までは読者層のマジョリティは専業主婦だったはずの『VERY』でもこんな特集が組まれるようになったんだ、時代が移り変わっているなということを実感した。

 というよりも、時代は移り変わっているのに、女性を取り巻く環境はちっとも変わらないということを実感したというべきか(この話の続きは、終わりの方で書く)。ちょうど同じ時期に読んだのが、『82年生まれ、キム・ジヨン』だった。

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

 

 悔しい、悔しい、悔しい。

 絶対に読みたい!と思っていたものの予約をせずにいたら、売り切れ状態で手に入るまでに時間がかかった本作を読みながら、何度そう思ったことか。 

 「キム・ジヨン」とは韓国で1982年に生まれた女性に一番多い名前で、日本でいうところの「佐藤裕子」なのだとか(筑摩書房さんのツイートより)。一番多い名前とはいえ、実際に社会で「キム・ジヨン」さんや「佐藤裕子」さんに出会う機会はほとんどないかもしれない。少なくとも私は日本で「佐藤裕子」さんと知り合った経験はない。それでも、この本に書かれているキム・ジヨン氏の経験は韓国、そしておそらく日本に住む大半の女性の経験でもある。

 文学というよりはルポルタージュに近い文体で書かれた本作は、キム・ジヨンを診察した医者がまとめたレポートという体を成している。

 結婚し、出産とともに退職し、今は夫と娘と三人で暮らしているキム・ジヨンは、ある時から突然実母や先輩といった別の女性が憑依したような喋り方を始める。本人は自身の発言を全く覚えていないのだが、不安に思った夫が精神科に連れていくこととなる。カウンセリングで振り返られるキム・ジヨンの人生は、女性として読んでいて「悔しい」の連続だ。

 弟のために食べ物や好きな勉強を我慢させられ、ストーカー被害にあうと父親から「不注意だったお前が悪い」と責められ、大学の教授からは「女があんまり賢いと会社でも持て余す」なんて言われ、就職活動では性差別・格差をはっきりと自覚させられる。

 結婚し子供が生まれても、苦労は続く。好きで仕事をしていたのに、辞めざるを得なくなる。どうしたって失うものは女の方が大きい。この場面でキム・ジヨンが夫と交わす会話は、まさに冒頭の『VERY』の特集そのものである。ちなみに私の周りにもこういう会話がきっかけで離婚した日本人の女友達が複数いて、男と女の考え方とはこんなにも乖離しているのかと呆然としてしまう。

 最後の最後まで著者チョ・ナムジュの指摘は鋭く、問題提起は続く。背筋が凍るような恐ろしい物語、でもこれこそが韓国(や日本)で今起きている現実。

 

 『VERY』の記事に再三話を戻すようだけれど、「夫の意識改革もできない妻が、息子を思うように育てられるのか」なんて反論もあったみたいだが、私はそれは違うと思う。やっぱり子供の考え方を形作るのは母親(日本のようにワンオペが当たり前になっている社会においては。もちろん、「両親」といえる国もあるだろう)だもの。日本人男性の初婚年齢の平均が31歳だとして、こういう考え方で30年以上も生きてきた人の意識を変えることは困難だし、それは妻の役目ではない。

 とはいえ、息子だけではなく、娘の育て方だって留意しなければならない。お金と幸福に密接な関係があると思う人なら「二千万以上稼ぐ男と結婚しなさい」ではなく、「自分で二千万稼げるようになりなさい」と教えるべきだろう。

 

 キム・ジヨンの母だって同じような苦労を重ねてきた。弟のために自分の人生を犠牲にし、不本意な選択を重ねた。

 仕事がパッとしない夫の代わりにビジネスのアイディアを出し、大成功してマンションを買っても、夫はそれをさも自分の手柄のように話す。そして夫の母(義母)のために毎日あったかいごはんを炊いてあったかい布団を用意している。にも関わらず、義母はこう言う。「……四人も息子を産んだから、こうやって今、息子が用意してくれたあったかいごはんを食べ、あったかいオンドルでぬくぬくと寝られるんだ」。

 娘を同じような目に合わせたのだと気づいた母が流す涙は耐えられないほど痛々しい。同じ涙を経験しないでいいように、私がこれからできることはなんだろうと思わず考え込んでしまう。 

 

 本作に描かれている韓国の状況は驚くほど日本と似通っている。世界経済フォーラムが発表する「男女平等ランキング」の結果だって、毎年かなり似ており、どんぐりの背比べ状態なので当然かもしれない。

 それどころか、レイプを告発した女性がバッシングを受けたり、強制わいせつ容疑で書類送検されたアイドルグループメンバーの中年男性の件でも被害者となった女子高生について「家に行く方が悪い」、「美人局なのでは」なんてとんでもない意見が出たり(中年男性と女子高生、ですよ?)、アイドルが男性から暴行を受けたことを謝ったりせざるを得ないという現代日本の状況を鑑みると、こういった類の本が論争を呼ぶだけ韓国の方が進んでいるかもしれないと思い、羨ましくなるほどだ。

 最初こそ、儒教的価値観が重要視され、日本とは比べ物にならないほど親戚付き合いが濃く嫁姑事情が大変なのだなと思ったのだが、本作に描かれるエピソードは全て日本でも聞くことのあるものばかりだった。

 

 しばらくこの本のことばかり考えてしまいそう。それにしても韓国文学って面白い。次はこれを読むつもり。

『ずっとお城で暮らしてる』シャーリイ・ジャクスン(市田泉・訳)

[We Have Always Lived in a Castle]

 恐怖小説の女帝的存在のシャーリイ・ジャクスンによる『ずっとお城で暮らしてる』が、映画化(アメリカでは2019年5月公開予定)ということで、原作を再読した。 

ずっとお城で暮らしてる (創元推理文庫)

ずっとお城で暮らしてる (創元推理文庫)

 

 こちらがトレイラー。

www.youtube.com

 監督やキャストは次の通り。

 なんといってもチャールズ役がセバスチャン・スタン(『ゴシップガール』のカーター・ベイゼン)というのがいい。一見好青年風なのに、主人公のメリキャットに対しては徹底的にイヤな奴というチャールズを演じさせたら天下一品なのでは。早く観たい。

www.imdb.com

 

 『くじ』など、ぞくっとしてしまうような悪意のある小説を書かせたら右に出るものはいないシャーリイ・ジャクスンの作品の日本語訳は、ここ数年新装版の出版が相次いでいて、多くの読者に再発見・再評価されている感がある。

 『ずっとお城で暮らしてる』だって、一言で言えば「悪意の塊」のような小説だ。

 「あたし」ことメリキャットは十八歳。姉さんのコンスタンスと、体が不自由なジュリアンおじさんと、お城のような大豪邸で暮らしている。三人以外の家族は、食事に砒素が入っていたことが原因で全員死んでしまっていた。 

 村へ買い物へ行くのは週二回。村の人々は「ずっとあたしたちを憎んでいた」。

 これ見よがしに悪口を言われたり、かげでクスクス笑われたり、子供たちの遊び歌に名前を使われてからかわれたり。村へ出るたび、メリキャットはとんでもない憎悪を一身に受ける。平然としてそれを受け流すのだが、彼女の心の中だって村人たちに負けず劣らず真っ黒で、「村じゅうの人が死んじゃえばいいのに」と考えている。

 そんなある日、従兄弟だと名乗るチャールズという男性がお城を訪ねてくる。彼は、お城に引きこもっている美しいコンスタンスに、外へ出るよう促し……。

 

 村人はもちろん、メリキャットという少女の抱える憎しみの大きさには思わずのけぞってしまうほどだ。読んでいるだけでチャールズを見つめる冷たい視線を感じられるようだし、十八歳にしてはあまりに幼いその行動は狂気を秘めている。

 それでも、彼女のことを気持ち悪い、怖い、嫌いだと言い切れないのは、メリキャットの行動の裏に「寂しい、辛い」と叫ぶ魂が見え隠れするからだ。家族にネグレクトされてきた記憶。誰からも愛されなかった少女。

 チャールズを排除しようとするところなど、姉の結婚にすっかり意気消沈し、姉にかわる存在を必死に探す妹を描いた大島弓子の『バナナブレッドのプディング』を思い出した。

バナナブレッドのプディング (白泉社文庫)

バナナブレッドのプディング (白泉社文庫)

 

 

 『お城』はトリックアートのような面もあって、なんだか引っかかる描写がいくつも登場する。もしかして、こういうこと? ああいうこと? と、想像がどこまでもふくらむのもこの本を読む醍醐味。

 ちなみに、創元推理文庫の表紙も綺麗かつダークで、『お城』の世界観を巧みに表していてお気に入り。

『フランケンシュタイン』と『メアリーの総て』とFrankenstein in Baghdad(『バグダードのフランケンシュタイン』)

(バグダードのフランケンシュタイン)

 大人になってから初めて『フランケンシュタイン』を読み返した。

 子供の頃は、この話について、まあなんと理解できていなかったことか! 今だって理解できているのかと言われれば疑問が残るが、幼い時分はどこまでも追ってくる怪物がただただ恐ろしく、こんなに哀しい話だということは読み取れなかった。

フランケンシュタイン (新潮文庫)

フランケンシュタイン (新潮文庫)

 

 副題は「現代のプロメテウス」。土と水で人間を作り上げ、ゼウスに黙って天界の火を盗んで人間に与えた男神だ。人間は火で文明を築き上げた代わりに、戦争をするようにもなってしまった。

 怪物を創造するものの、その存在が末恐ろしくなり無視を決め込む若き科学者ヴィクター・フランケンシュタイン。そして彼の後を追いかけ続け、孤独なあまり伴侶が欲しいと頼み込み、願いが聞き入れられないと次々とヴィクターの周りの人間に危害を加える怪物。フランケンシュタインはプロメテウスと同じく、後悔先にたたずのとんでもないことをしでかしてしまったのだ。

巨大な体躯、醜悪でおよそ人間のものとも思えぬ面相。ひと目でわかりました、これはあの唾棄すべき生き物、わたしが生命を与えてしまった、あのおぞましい悪魔だ、と。

 創造主に憎まれる怪物は哀れである。

おれはまだ苦しみ足りないというのか、もっと不幸になれというのか? 生きていくことは苦悩の積み重ねでしかないが、それでもこの生命はおれにとって尊いものだ。だから、守る。

 愛されることを願い、夢見て、どれほど努力をしても拒まれ、誰からも顔を背けられる。

 新潮文庫にはメアリー・シェリーによるまえがき(1831年版)が収録されていて、物語がどのようにして生まれたか、バイロン卿の別荘での出来事(不朽の名作『フランケンシュタイン』と『ドラキュラ』が生まれた記念碑的な夜)について詳しく記載してある。また、恋に落ち、駆け落ちをするに至った妻&子供持ちの夫・詩人のパーシー・ビッシュ・シェリーについても驚くほど愛情深く描写されている。

夫は、結婚当初から、わたしが両親の名に恥じない娘であることを証明するためにも、わたし自身が名を挙げることを強く望んでいた。文学の世界で名声を獲得するよう、常に励まし、強力に後押ししてくれた……[略]……共に過ごした伴侶には、この世では、もう二度と会うことはかなわない。けれども、それはわたしの個人的な感傷である。

 そしてその夫パーシー・ビッシュ・シェリー自身による序文(1818年 初版)もついている。こちらも、妻への思慕に溢れている。どちらも読めて満足。

 さて、この作品を手に取った理由は二つある。

 

『メアリーの総て』12月に公開

 一つは、『フランケンシュタイン』の著者メアリー・シェリーの生涯を描いた映画が12月に公開されるから。楽しみ! トレーラーからして素敵で夢中になってしまった。 

メアリーの総て(字幕版)

メアリーの総て(字幕版)

 

 たったの16歳で父の知人だった妻子あるパーシーと恋に落ち、全てを捨てて駆け落ち。赤ちゃんを産むも、すぐに亡くなり、その後パーシーの妻が自殺。晴れて正式に結婚するものの……という、「めでたしめでたし」からは程遠い人生を生きた人という印象があったのだが、映画ではどういうふうに語られるのだろう。早く観たい。

 エル・ファニングは眺めているだけでため息が出るような透明感。パーシー役のダグラス・ブースも素敵。二人とも若い! と驚いたが、当然か。駆け落ちした時、パーシーだってまだ、たったの22歳だったんですよね。

 ちなみに、2015年には『100分 de 名著』で特集されていたようだ。観なかったことを後悔……。ムックだけでも映画を観る前に購入しようか検討中。

メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』 2015年2月 (100分 de 名著)

メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』 2015年2月 (100分 de 名著)

 

 

Frankenstein in Baghdad 

 そして二つ目の理由は、Frankenstein in Baghdadを読んだから。 

FRANKENSTEIN IN BAGHDAD

FRANKENSTEIN IN BAGHDAD

 

 2018年のブッカー国際賞ショート・リストにノミネートされていた作品だ。2018年の全米図書賞(Nationl Book Awards)翻訳部門のロングリストにもノミネートされている。

2018年 ブッカー国際賞ショート・リスト - トーキョーブックガール

The 2018 National Book Awards Longlist: Translated Literature | The New Yorker

 イラク出身&在住の作者Ahmed Saadawiによってアラビア語で書かれ2013年に出版、今年に入って英語に翻訳された。 

 タイトルの通り、バグダードに現れた怪物の話。時はイラク戦争開始後。バグダードでは毎日のように自爆テロが起こり、多くの人の命が失われていく。

 そんな中、「嘘つき」ハディ(Hadi)として知られる廃品回収業者は、テロや戦闘が起こった場所に現れ、そこらじゅうに散らばっている死体の一部を集めて回っている。ハディは家でこれらを組み合わせ、一つの死体を作り上げているのだ。ある夜、ようやくこの怪物は完成するのだが、なんとそこに自爆テロリストの攻撃を食い止めて命を落としたサディール・ノボテル・ホテルのガードマン、ハシブのさまよえる魂が入り込んでしまう。

 意識を得た怪物はむっくりと起き上がり、街を徘徊するようになる。そして自分の一部をなす人間の代わりとなり、復讐殺人を繰り返す。復讐を遂げると、その人間からもらった体のパーツがはがれおち(成仏したということだろうか)、怪物は徐々に弱くなっていくのだが、そんな彼が失った体のパーツをいつまでも補強し続けられるほど、イラクの情勢は悪化をたどり……。

 『フランケンシュタイン』のストーリーを忠実になぞりつつも、イラクの州兵(National Guard)と米軍、スンニ派とシーア派の民兵が闊歩するようになり、平穏な日常生活が失われたバグダードという都市の悲哀を浮かび上がらせる作者の手腕が光る。

Honestly, I think everyone was responsible in one way or another. I'd go further and say that all the security incidents and the tragedies we're seeing stem from one thing- fear.  

 バグダードはかつて多宗教都市・国際都市であった。イスラム教の信者だけではなく、キリスト教のおばあさんやユダヤ教を信じる人々も登場し、イラク戦争前は皆ご近所さんとして多様性を受け入れ、それなりに仲良くやっていたのだということが描かれる。

 これはイラク人作家による世界に対しての問題提起だ。

 忘れられがちだが、タイトルにもなっている『フランケンシュタイン』は怪物を指すのではなく、怪物を作り上げてしまった罪深き人間の名前なのだということにも注目したい。

保存保存保存保存

マルジャン・サトラピが大好き

 ブッカー賞で初めてグラフィックノベル(ニック・ドルナソのSabrina)がノミネートされたりと、2018年はますますバンド・デシネ*1やグラフィックノベル*2に注目が集まる年だった気がする。

 さて、私にとってバンド・デシネへの扉を開けてくれた、思い出の作品を久しぶりに読み返してみた。

 マルジャン・サトラピによる『ペルセポリス』だ。

 マルジャン・サトラピはイラン出身・フランス在住の漫画家。イラン革命やイラン・イラク戦争を経てオーストリアへ留学した、イラン上流家庭の出の女性である。

 彼女がイランで育ち感じていた疑問、留学してから知った疎外感、恋愛・結婚と挫折……。それら全てを詰め込んだB.D.が『ペルセポリス』なのだ。

 これは学生の頃手にとって、あまりの面白さに熱中して読み、次の日の朝起きるなり、『ペルセポリス II』を購入するため、文字通り本屋まで走った思い出のある本。映画にもなったので、ご存知の方は多いかも。映画はサトラピの絵がそのまま動き出したようで、特におばあちゃんが大切にしているジャスミンの花(がちらちらと舞い落ちる)のシーンが夢のように美しかった。

ペルセポリスI イランの少女マルジ

ペルセポリスI イランの少女マルジ

 
ペルセポリス [DVD]

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 マルジ(マルジャン)は裕福な家庭に生まれ、フランス人学校で教育を受けていた。そんな中、イラン革命が起こり、女の子と男の子は別々に学ぶこと・全ての女性はヴェールを被ることが義務付けられる。激動の時代の中、宗教や政治に疑問を持ちながらも、マルジは元気に育っていく。

 イランが階級社会であることに抵抗を覚えたり、

(若いメイドのマフリが隣の家の男の子に恋をした。字が書けないマフリの代わりに、男の子への手紙を代筆するマルジ。ところがある日それが父にバレて、父はこう言う。)

父:二人は愛し合っちゃいけないんだ。その辺をわからないといけないよ。

マルジ:どうして?

父:この国では、同じ階級同士しか仲良くしちゃいけないって決められているんだ。

……

メフリの部屋に行くと、彼女は泣いていた……。

私たちは同じ社会階級にはいなかったが、少なくとも同じベッドの中にいた。

 反革命派だったアヌーシュおじさんから人生について学んだり。ほどなくして戦争が始まり、マルジの家族は亡命を検討し始める。

 素直で可愛い女の子のマルジが、多くの親族や友人の死を経て成長していく。その過程が胸を打つ。

 『II』はオーストリアに留学したマルジが挫折を経験し、大人になるまでの物語。『I』の方を読むと、必ず『II』も読まないと気が済まなくなるに決まっているので(結末がね……これから購入する方は、セットでの購入を激しくおすすめします)、こちらのあらすじ・感想は割愛する。 

ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る

ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る

 

 とにかく、それ以来サトラピの大ファンになってしまった私。『ペルセポリス』は間違いなく傑作なのだが、『刺繍』という作品もお気に入りだ。これはイラン版『Sex and the City』のガールトークという趣。イラン女性たちが赤裸々に人生について、男について、語りまくる。

刺繍 イラン女性が語る恋愛と結婚

刺繍 イラン女性が語る恋愛と結婚

 

 サトラピと親族の女性たちとの会話がそのまま漫画になったB.D.である。上流階級の話なので、ヨーロッパで生活していた人、権力者の愛人になった人、結婚と離婚を繰り返した人など様々で、革命下でもそれなりに自由に生きていたことがわかる。

 でもそれは、彼女たちが必死で勝ち取った自由なのだ。そして彼女たちは、あっけらかんと自身の体験を語り他人の悪口を言いまくるけれど(おばあちゃん曰く、「陰口は心の換気」)、批判されることを恐れない。

 発売から十数年経って読み返してみれば、これは「#MeToo」ムーブメントの走りだったのだ、とする記事を先日見つけたのだが、うんうんと何度もうなずいてしまった。

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 『鶏のプラム煮』という、50年代のテヘランを舞台とした男性が主人公の物語もある。 

鶏のプラム煮 (ShoPro Books)

鶏のプラム煮 (ShoPro Books)

 

 鶏のプラム煮の美味しそうな描写、そしてそれさえも受け付けなくなったナーセルの深く強い死への決断が心に残る。黒白、簡単な絵でこんなにもユーモア、悲しみ、人生の色々を書ききるなんてすごい才能だとしかいいようがない。タールという楽器、イラン音楽を聴いてみたくなること間違い無し。

 

 残念ながらサトラピの作品はこれだけ。今はニューヨーク・タイムズにコラムを執筆中とのことですが、まとまって本になる予定はないのでしょうか…。

 才能あふれる漫画家だけに、新しい作品を早く読みたいという気持ちでいっぱい。

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*1:バンド・デシネ(B.D.)とは「漫画」を指し、これまた漫画大国のフランスやベルギー、スイスで尊ばれてきたもの。フルカラーのものも多く、芸術性が高いことも特徴。

*2:グラフィックノベルは、子供向けのコミックがもともと出版されていたアメリカで、大人向けの漫画として読まれるようになった、ストーリーも複雑かつ長めの作品を指す。

『傾城の恋 / 封鎖』 張愛玲

[傾城之恋]

・張愛玲の『色、戒*1が好き。

・映画化された『ラスト、コーション』や香港映画『花様年華』にはまった。

・『高慢と偏見』や『細雪』など、お見合い・結婚についてのドタバタ劇が好き。

・『風と共に去りぬ』のスカーレットとレッド・バトラーのプライドを賭けた恋の駆け引きが好き。

・イプセンの『人形の家』や田辺聖子の『言い寄る』といった、女性の自立を描いた作品が好き。

・太宰治の『斜陽』やチェーホフの『桜の園』、ランペドゥーサの『山猫』のような没落していく上流階級の人々についての物語が好き。

 一つでも当てはまったら、『傾城の恋』が大のお気に入りになること間違いなしです。いますぐ本屋さんへ!

傾城の恋/封鎖 (光文社古典新訳文庫)

傾城の恋/封鎖 (光文社古典新訳文庫)

 

 張愛玲(ちょうあいれい・チャンアイリン・Eileen Chang)は現代の中国文学にも多大な影響を影響を与えたとされる上海出身の作家。この短編集は光文社古典新訳文庫で今年発売となった。本当に、素敵な作品を新鮮かつ読みやすい新訳で提供してくださって、いつもありがとうございますという気持ち。

 私は前に「色、戒」という短編を読んだことがあるだけだったが、あまりの素晴らしさに「ひょえ〜」となってしまい、すぐさま映画版『ラスト、コーション』も観て、トニー・レオンとタン・ウェイの素晴らしい演技に心動かされたのを覚えている。特に、タン・ウェイ演じる女スパイがトニー・レオン演じる特務機関の高官の前で歌いながら舞う場面。その姿と声(実際に歌っているそう)の美しさには思わず涙してしまうほど。きっと男は、人生最後の日までその光景を忘れなかったに違いない……。都合のいい三文小説のようでありながら、恋愛感情の不条理さや行ったり来たりする気持ちの描写が天下一品なのだ。

 「あの感動を超えるものがあるのか」と思いながら読んだ「傾城の恋」だが、「色、戒」以上によかった。

 こちらに収録されているのは前書きのようなエッセイ「さすがは上海人」、短編小説の「傾城の恋」と「封鎖」、そして香港や上海での暮らしと戦争について綴ったエッセイ「戦場の香港」と「囁き」だ。

 

「傾城の恋」

 城を傾けてしまうほどの運命的な恋、かと思ったらこの「城」は香港を表していて、太平洋戦争・香港戦争勃発で損なわれていく街で花咲いた恋、という意味らしい。

 あらすじは「訳者あとがき」にものすごく素敵にまとめられていたので、こちらを拝借すると

上海の没落資産家の出戻りお嬢さまがイギリス華僑のプレイボーイを相手に繰り広げる大恋愛を、ゴージャスなコロニアル香港を舞台として華麗に描くのです。

 これだけでもう、読まずにはいられない。

 出戻りお嬢さまこと白流蘇(パイ・リウスー)は二十八歳。夫と離婚して上海の実家に戻ってきたのだが兄弟やその妻たちにいびられ、肩身の狭い思いをしている。

 そんなある日、妹のお見合いに付きそうことになる。すると見合い相手である范柳原(ファン・リウユアン)という三十二歳の裕福なプレイボーイは古き良き中国美人であるリウスーの方を気に入ってしまうのだった。

 さて、没落しつつある名家に生まれたリウスーは仕事をしたこともなければ、今更始められるわけもない。嫌な思いをしながら実家で暮らすことに耐えられないのなら、残された道は再婚しかないのである。というわけで、結婚なんて興味がなく好きな人を愛人にして好きな間だけ会っていたいというリウユアンと、なんとしても再婚して実家からの脱出と経済的安定を手に入れようとするリウスーの駆け引きの幕が切って落とされる。

 そのストーリーの面白さや文章の巧さもさることながら、いつまでも心に残るのはかなり冷めた目で結婚を見つめるリウスーだ。リウスーはお嬢さまながら(もしくはお嬢さまだから)かなりの現実主義なのですね。男性というのは浮気もするし、「本人の前では恭しくお相手してるのに、陰に回るとその女性には一文の価値もないって言う」生き物だし、三十が近づいて自分の美しさが損なわれる前に結婚しないといけないと考えている。彼女にとって結婚はビジネスであり、だからこそ恋愛主義のリウユアンに「結婚は長期の売春だと考えているんだろ」なんて揶揄される(実際図星なので、リウスーは激怒するのだが)。

 ふたりのやりとりも読み応えがあるし、リウスーをいびる兄嫁たちの言葉遣いもリアリティに溢れていて良い。

うちら良家では、ダンスなんて許されないけど、あの人だけは結婚後にろくでなしのお婿さんから教わっていたのよ!

とか

大勢のお嬢さんのどれもが気に入らなかったのに、あんたみたいな年増のバツイチを欲しがるわけないでしょう!

 とか。

 1984年に映画化済み、これも是非観たい。

傾城の恋 [DVD]

傾城の恋 [DVD]

 

 

「封鎖」

 封鎖で止まってしまった電車に居合わせた銀行の会計係のなんてことない三十代男性と、母校で英語の助手をしている美しいが地味な女性。

 ひょんなことから会話が始まり、恋愛の可能性についてお互いが思いを巡らすが……。

 街の息づかいを感じられるような作品。

 

読み終えて考えたこと

 中国というと、少しでもきわどい内容の小説(政治的でも性的でも)は発禁になるという印象があって、例えば1999年になってから出版された『上海ベイビー』も発禁になった本という売り文句がついてまわっていた気がする。

 主人公の女性をめぐる三角関係があったりソフトSM的な描写があったりはしたものの、「これで発禁……?」と読みながら、子供ながらに疑問に思った。

上海ベイビー (文春文庫)

上海ベイビー (文春文庫)

 

 ところが張愛玲の小説のきわどさは、そんな作品を大きく凌駕しているのだ。もちろん性的描写が続く……というわけでは全くなく、伝統的価値観と現代の価値観のせめぎ合いや体の関係を持つことについての云々など、1940年代に出版された時は物議を醸したのでは?と考えてしまう。

 しかし、彼女の書いていることに嘘は一つもないというか、中国の「今」としっかり向き合っているからこそ出てくる言葉であふれた作品ばかりなのである。そういうところも、中国文学を代表する作家と言われる所以なのだろう。

 もっともっと、彼女の作品を読みたくなってしまった。

 そして、「魯迅と比較されている」ということから未読の魯迅も読みたくなった。もしや、相当面白い作品を私は見逃し続けてきたのでは!? という気持ち。

故郷/阿Q正伝 (光文社古典新訳文庫)

故郷/阿Q正伝 (光文社古典新訳文庫)

 

 中国文学をほとんど読んでこなかったこともあり、最近二、三冊別々の作家&翻訳家による作品を読んで感じたことは、当然ながら言語や文化によって表現は異なるし、中国語翻訳には中国語翻訳のクセというか文体や表現の特徴があるのだなあということ(もちろんどの翻訳家さんの翻訳も素晴らしかったです)。知っている言語だと、あの表現をこう訳したのだなと見当をつけながら読み進められるが、中国語は全く知らないので、なんだか新鮮だった。

 

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*1:池澤夏樹 世界文学全集の『短編コレクションI』にも収録されていた。

短篇コレクションI (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

短篇コレクションI (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

 

 

『美しさと哀しみと』 川端康成

 このブログは「海外文学&洋書レビュー」と銘打って始めたので、日本文学のことは書くつもりはなかったのだけれど、本作は「ガーディアンの1000冊」にも選ばれた1冊なので特別に。

1000 novels everyone must read: the definitive list | Books | The Guardian

 ちなみに「ガーディアンの1000冊」はイギリス人によるイギリス人のためのリストということもあり、ほとんどがイギリス文学で、世界文学はさほど入っていない。日本文学は7冊のみ。安部公房の『他人の顔』、大江健三郎の『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』、遠藤周作の『沈黙』、谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』、村上春樹の『ノルウェイの森』、『ねじまき鳥クロニクル』、そして『美しさと哀しみと』である。読んでいないのは本作のみだったので、今回読めてよかった。

美しさと哀しみと (中公文庫)

美しさと哀しみと (中公文庫)

 

 そもそも川端康成は『雪国』や『伊豆の踊子』、ガルシア・マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』のインスピレーション源となった『眠れる美女』くらいしか読んだことがない。どれも子供の頃に読んだからか、いまいちピンとこなかった。

 『美しさと哀しみと』は、日本ではそれほど高い評価を得ているとは思えない。むしろ川端作品の中では二流とみなされているのではないだろうか。が、海外では不思議と人気のある作品である。

 英語圏だけではなく、フランスでは映画が作られ、スペインでも愛読者に会ったことが多々ある(その他の地域でどうなのかはちょっと分からない、聞いたことがなくて)。とすると、これは「英語版の翻訳が巧みだからという理由だけで、ガーディアンに選ばれた訳ではないのだろうな」と常々感じていた。

 読んでみての感想としては、欧米文化が好む「ファム・ファタール」もので破滅への道のりが分かりやすい、ということ。欧米古典文学が好きな読者は、シンパシーを感じやすいのではないだろうか。

 そして、大人になって川端康成を読んでみてグッときたのは日本語の美しさ! 文豪の作品に対して今更何を言ってるんだと言われそうだが、京都の情景も、赤ちゃんを亡くした音子の気持ちも、音子を忘れられない大木の言葉も、心に染み入るような文体で書きつけられていた。それがあまりに心地よくて、喉が渇いた時に水をごくごく飲むような勢いで読み終えてしまった。日本の古典を読む機会が最近なかったので、余計にその日本語の美しさにじーんときたのだろう。美しい日本語で書かれた書物をもっと読まなければ、と実感した次第です。

 確かに現代人が読むと、突っ込みたくなるような設定であることは確か。大木は自己中のエゴイストでどうしようもないロリコン男だし、けい子を口説こうとする場面は気持ち悪すぎて笑えるし、こんな男に惚れたままで何十年も過ごしたなんて絶対嘘でしょ音子さんと言いたくなる。「男のしようのなさ」を描きたくての設定だという人もいるけれど、どうだろう。時代の違いもあるし、単純にこれが川端康成の男女観だったのかもしれない。

 本作に登場する「ファム・ファタール」は二人いて、一人は大木の記憶の中の『十六七の少女』音子である。三十を過ぎた大木に家庭があるのを知りながら彼を愛し、子供のように甘やかし、夢中にさせる。全てを失うと精神に錯乱をきたしてしまう。ただし音子は破滅的になりきれないところがあるというか、その後の人生は京都で画家として名を上げ、心の平静を保ち過ごすことになる。

 もう一人は音子の弟子けい子で、けい子の大木に対する復讐劇がこの小説の主なプロットとなっている。同性愛の関係にある音子を傷つけ、何十年経ってからも突然会いに来て彼女の心を乱すような大木のことが許せない。先生の人生をめちゃくちゃにしたように、お前とお前の家族の人生を破滅させてやる……。まだ若き女性が、かわい子ぶったり、おかしそうにくすくす笑ったりしながら目的を遂行するさまは凄みがある。

 この同性愛というテーマは、川端自身の経験に基づいて書かれたものだという。だが、音子とけい子の関係性を読んでいると、やはりあの作家の作品にインスピレーションを受けて、というかオマージュとして、書いてみたかったのかなと思わざるをえない。

 谷崎潤一郎の『卍』だ。夫のいる園子と光子の、誰にも止められない恋愛。

(まんじ) (新潮文庫)

(まんじ) (新潮文庫)

 

 個人的に面白いと感じるのは、大阪出身の川端が『美しさと哀しみと』を標準語で書き、東京出身の谷崎が『卍』を関西弁で書いたこと。

 ただし、『細雪』では完全に関西人としての視点を得ている谷崎だが、『卍』はエトランゼ(異邦人)として関西の女たちを描いている。

 外から見て、関西の女性の持つ「声」……女性たちの使う関西弁、そのリズム、言い回しや艶、温かみにある意味カルチャーショックを受け、書き上げた物語という印象がある。卑猥な話や人の度肝を抜くような打明け話すら、たいしたことなく聞こえさせる魔力がある言葉を、文豪らしく上手く調理したのではないだろうか。

 一方川端は標準語を用いることで、音子の静とけい子の動を書き分けることに成功している。

 

 川端が、映画化の際にけい子を演じた加賀まりこに夢中になり、朝食を一緒にとるためにいそいそと出歩いたというのは有名な話。確かに彼女は、けい子が本から抜け出してきたような小悪魔的美しさと奔放さ(川端のことを「あのおじいさん」呼ばわりしちゃう!)の持ち主である。

美しさと哀しみと [DVD]

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 加賀まりこのメモワール『純情ババァになりました。』も素っ頓狂で面白すぎるのでおすすめです。こんなに素敵な人、なかなかいない。とにかく自分に正直で、素直なのだ。川端康成に崇められたり、二十歳で突如仕事を辞めるとフランスに渡りトリュフォーやゴダール、サガンなどと交流したり。その頃を知らない私にとっては驚きと発見の連続。自分なりの美学に従って生きる、格好いい女性。 

純情ババァになりました。 (講談社文庫)

純情ババァになりました。 (講談社文庫)

 

 本作はフランスで映画化もされている。これも観てみたい。

 

『失われた時を求めて スワン家のほうへ』 マルセル・プルースト

[À la recherche du temps perdu]

 というわけで、今夏も読み返した『失われた時を求めて スワン家のほうへ』の感想を。ちょうどいいタイミングで、9月15日にBSで映画『スワンの恋』も放送されたのです。この話も後ほど。

スワンの恋 [DVD]

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 ちなみに私は、何度か実家の文学全集で読んだことのある「スワン家のほうへ」だけ光文社のものを所有し、あとは岩波文庫を読んでいる。どちらもいい訳だと思う。岩波で読み終わったら、光文社の方も最後まで読んでみたい。

失われた時を求めて 1?第一篇「スワン家のほうへI」? (光文社古典新訳文庫)

失われた時を求めて 1?第一篇「スワン家のほうへI」? (光文社古典新訳文庫)

 
失われた時を求めて〈2〉第1篇・スワン家のほうへ〈2〉 (光文社古典新訳文庫)

失われた時を求めて〈2〉第1篇・スワン家のほうへ〈2〉 (光文社古典新訳文庫)

 

 

第一部 コンブレー

 なんといっても、冒頭の文章が印象的でしばらく頭の中で反芻してしまう。

長い間、私はまだ早い時間から床に就いた。ときどき、蠟燭が消えたか消えぬうちに「ああこれで眠るんだ」と思う間もなく急に瞼がふさがってしまうこともあった。そして半刻もすると今度は、眠らなければという考えが私の目を覚まさせる。私はまだ手に持っていると思っていた書物を置き、 蠟燭を吹き消そうとする。眠りながらも私はいましがた読んだばかりの書物のテーマについてあれこれ思いをめぐらすことは続けていたのだ。

(光文社文庫 高遠弘美訳)

 誰もが味わったことのある眠りと覚醒の間を行ったり来たりする感覚、幼少時の寝室や嫌いだったヴェチヴェル(ヴェチバー)の香りなどを丹念に描き出す。

 そして、かの有名な「マドレーヌ」。

母は溝の入った帆立貝の貝殻で型をとったように見える、「プチット・マドレーヌ」と呼ばれる、小ぶりのぽってりしたお菓子をひとつ持ってこさせた。やがて私は、陰鬱だった1日の出来事と明日も悲しい思いをするだろうという見通しに打ちひしがれて、何の気なしに、マドレーヌのひと切れを柔らかくするために浸しておいた紅茶をいっぱいスプーンにすくって口に運んだ。とまさに、お菓子のかけらのまじったひと口の紅茶が口蓋に触れた瞬間、私のなかで尋常でないことが起こっていることに気がつき、私はおもわず身震いをした。

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 「私」が思い出したのは、コンブレーでレオニ叔母がいつも出してくれたマドレーヌの味。そしてここから、長い長い回想が始まる。

いま、私たちの家やスワンの家の庭に咲くあらゆる花が、ヴィヴォンヌ川の睡蓮が、善良な村人たちが、彼らの小さな住まいが、教会が、コンブレー全体とその周辺がーそうしたすべてが形をなし、鞏固なものとなって、街も庭もともに、私の一杯の紅茶から出てきたのである。

 特に印象に残るのは、スワンの娘であるジルベルト(少女の黒い目がきらきらと輝いていた)との出会い。この描写は何度読んでもうっとり。 

そう、ジルベルトという名前は、ジャスミンと夜咲紫羅欄花の上で、緑色のホースの穴からほとばしる水のようにするどく冷たい調子で発せられて、それが通りすぎた澄み切った空間を虹色に染め、そこに、少女の生活の神秘をしみ込ませた。 

 そして、長らく「私」の憧れとなるゲルマント夫人との出会い。

なんて美しい人だろう!それにあの高貴さといったら!ぼくの目の前にいるのは、誇り高きゲルマンとの女性、ジュヌイーヴ・ド・ブラバンの後裔なんだ!

 最近「スワン家のほうへ」とググると、続く言葉として一番に「サイコパス」と出てくるのです。

 「え? 主人公のこと? スワンのこと?(どちらでも否定はできないな)」と思いつつ調べてみると、『PSYCHO-PASS』というアニメで登場人物が「スワン家のほうへ」を読んでいたり、マドレーヌのシーンがモチーフとして使われていたりするらしい。見てみようかな〜と思った。

 

第二部 スワンの恋

 さて、『失われた時を求めて』の中で一番好きな章はといえば、やっぱり「スワンの恋」だ。恋や嫉妬、苦しみなど、スワンという男性を通して様々な感情が味わえ、色鮮やかで強い印象を残す部分だと思う。

 女好きで洗練されていて、社交界でも重宝されるスワンというユダヤ系男性が、ドゥミ・モンドの花ともいえるオデット・ド・クレシーという高級娼婦と知り合いになる*1。スワンに好意を見せ、「いつでもいらしてね」と微笑みかけるオデットだが、スワンは当初興味を持てず邪険に扱っていた。

 それが、意外と芸術的な彼女の家のインテリアを見たり、知的な発言に驚いたりしているうちに、オデットのとりこになってしまう。現代でいうところのギャップ萌え。

 そして、あれほど冷たく接していたのに、オデットが他の男と会っているのではないか、自分に隠していることがあるのではないかと詮索するようになり、嫉妬に苛まれていく。それとは裏腹に、オデットの態度は徐々に硬化するのだった。

 もうこれは……恋愛小説の傑作中の傑作としかいえないくらい、愛することによって変わってゆく感情が美しく、かつ醜く描写されていて、何度読んでも面白い。

 そして今年、初めて映画『スワンの恋』も見ることができた(この章だけを映画化したもの)!

 たまたま今月BSでやっていたのですが、これまた素晴らしかった! DVDはなかなか手に入らないので、見ていない方は是非BSの次回放送をお待ち下さい! It's so worth it!! ほんと、BSって素晴らしい&映画配信サービスには含まれていない名作映画をよく放映してくださるんですよね。貴重な存在。

 有名どころでは、アラン・ドロンがシャルリュス男爵を演じている。

 とにかく百聞は一見に如かずですので、IMDbのPhoto Galleryをご覧あれ。

www.imdb.com

 スワンの神経質なユダヤ系男前度、オリヤーヌの傲慢そうな顔、オデットのちょっとケバい化粧、シャルリュス男爵の妖しい美しさ。感動的なまでに、『失われた時を求めて』の世界が再現されていた。

 もう、小説から抜け出してきたようなキャスティングである。

 スワンは、オデットがボッティチェリが描くチッポラ(モーセの妻、リンク先の絵の左側)に似ていると思っているのだが、もちろんそう思っているのは社交界でもドゥミ・モンドでもスワンだけであろう。が、この絵のチッポラの眉毛や額は、演じた女優オルネラ・ムーティに確かによく似ている。そしてちょっと下品な感じがまたオデットらしい。

 これから『失われた時を求めて』を読もうかなと思っている&フランス映画らしいフランス映画がお好きな方には是非おすすめしたい作品。

 

第三部 土地の名、名

 こちらでは一転、幼い「私」のジルベルトへの淡い恋愛感情がメインに。ジルベルトは気分屋で、「私」に特別な好意を抱いているということもなく、随分とつれない態度の日もあったりするのだが、「私」はジルベルトがいつもいる公園や家の周りをうろつくだけで満足したりもする。この頃からストーカー的気質が見え隠れしている……。 

 

www.tokyobookgirl.com

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*1:ちなみに、オデットのモデルはリアーヌという実在の高級娼婦だといわれている。Wikipediaで写真も見ることができます。リアーヌ・ド・プジー - Wikipedia

『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ あなたがくれた憎しみ』 アンジー・トーマス

[The Hate U Give]

 メンバーの投票で決定した2018年5-6月のOur Shared Shelf(エマ・ワトソン主催のブッククラブ)お題本は2冊あるのだけれど、1冊目は『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ』というYA小説!

 そろそろ読み始めようかなと思った頃、偶然書店で日本語訳を発見。今年の3月に出版されていたらしい。せっかくなので日本語訳を読んでみた。

ザ・ヘイト・ユー・ギヴ あなたがくれた憎しみ (海外文学コレクション)

ザ・ヘイト・ユー・ギヴ あなたがくれた憎しみ (海外文学コレクション)

 

 映画化もされている。

ヘイト・ユー・ギブ (字幕版)
 

 

 これは若干30歳の著者アンジー・トーマスのデビュー作である。ベルヘブン大学でクリエイティブ・ライティングを学んでいる時に執筆を始めた作品で、多くの出版社が出版権獲得に名乗りを上げたとか。

 タイトルの"The Hate U Give"はヒップホップ好きの方なら聞いたことがあるだろう言葉。サグ(ギャングスタ)として知られた伝説のアーティスト2pacの発言から来ている。

 "Thug Life"とは25歳でこの世を去った2pacが結成したグループの名前でもあり、死後に発表されたベストアルバムのタイトルでもあるのだが、彼はその意味をこう説明した。

"The Hate U Give Little Infants F**s Everybody"

子どもに植えつけた憎しみが社会に牙をむく*1

 カルマのようなもので、憎しみを知ってしまった子供たちはやがて成長し憎しみを与えた人に復讐するだろう、ということ。

www.youtube.com

 この物語の主人公スターはいわゆるゲットーに住みながらも、白人だらけのお金持ち学校に通う高校生。

 ある日ゲットーのパーティーに参加したスターは、幼馴染のカリルの車で帰路につく。しかし車が途中で白人の警官1-15に止められ、いかにもギャングのような風貌のカリルは何も抵抗していないのに武器を持っていると勘違いされ射殺されてしまう。

 その後、カリルは麻薬の売人でギャングだったらしいという報道があり世間は「殺されても仕方がないやつだったらしい」という風潮に染まっていく。警官1-15の父親もニュースに登場し、「息子は悪いことはしていない。ただ安全に妻と子供の待つ家に戻りたかっただけだ」と訴える。

 しかし、カリルが武器を所持していなかったと知ったゲットーの住人たちは警察に対するデモを繰り広げる。

 スターは証言を求められるのだが、法廷に立つと決意するまでの彼女の心の揺れも「読ませるポイント」である。

 アメリカの社会が抱える人種差別、階級といった問題とともに、スターのアイデンティティの問題も語られるのだ。

 スターはゲットーで生まれ育ち、父親は元ギャングである。しかし裏社会から足を洗った父親は子供たちの安全を確保したいという思いから、スターたちを「家から離れた白人コミュニティのお金持ち学校」に通わせている。結果、スターはゲットーや家の中では黒人の英語を話し、学校では白人の英語を話しているのだ。ボーイフレンドもお金持ちの白人。「ゲットーでのスター」、「学校でのスター」をうまく演じわけないといけないというプレッシャー。誰にも本当の自分は見せられないという悲しみ。

 それでも自分の声で戦おう、憎しみの連鎖を終わらせようとするスターは魅力的で応援したくなる。

 現代アメリカの抱える社会問題も理解できる、大人にこそおすすめというべきYA小説だった。

 

 主人公は現代の高校生なので、ビヨンセやテイラー・スイフトがよく例えに出てくるのだけれど、それ以上に90年代のブラック・カルチャーが頻繁に登場する本だった。スターとボーイフレンド・クリスのお気に入りのドラマはウィル・スミスを一躍スターダムへ押し上げた『ベルエアのフレッシュ・プリンス』だし。 

Fresh Prince of Bel-Air - The Complete Series [DVD] [Import]
 

 タイトルの由来となっている2pacはもちろん、

www.youtube.com

Thug Life: Vol. 1

Thug Life: Vol. 1

 

 名前は出てこないものの「90年代の怒れる歌姫」なんて描写もあって、ローリン・ヒルやアリーヤ、ミッシー・エリオットを指しているのかなと思ったり。

 この辺のディーバの楽曲は梅雨の日にもぴったりでいいですよね。


Lauryn Hill - Ex-Factor


Aaliyah - Try again

 

  アンジー・トーマスの2作目の小説もとてもよかった。

www.tokyobookgirl.com

 

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*1:『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ』の日本語訳より。素晴らしい訳。

『ベル・ジャー / The Bell Jar』 シルヴィア・プラス: 映画化が決定

[The Bell Jar]

It was a queer, sultry summer, the summer they electrocuted the Rosenbergs, and I didn’t know what I was doing in New York.

 10代の頃の自分の読書ログを眺めていたら、The Bell Jarについて「ここ数年読んだ本の中で一番好き」とだけ書いてあった。「オーブンに頭を突っ込んでガス自殺した詩人」シルヴィア・プラスの自伝的小説である。よく『ライ麦畑でつかまえて』と比較される物語でもある。

 私が持っているのはこちら(英語版)。 

The Bell Jar

The Bell Jar

 

 日本語訳もあるものの、絶版になっているようす。残念だが、映画(下を参照)が公開になったら再度出版されるかもしれない。

ベル・ジャー (Modern&Classic)

ベル・ジャー (Modern&Classic)

 

 

嫉妬と焦燥のニューヨーク

 物語の主人公、エスター(Esther)は19歳でボストン出身。

 雑誌も買えないような貧しい家庭で育ったが、大学の成績は優秀で、イェールに通うボーイフレンドもいる。

 『ベル・ジャー』はそんなエスターがファッション誌のエッセイや詩のコンテストで勝ち抜き、ご褒美としてニューヨークの出版社で1ヶ月インターンのようなことをして過ごした夏の描写から始まる。

 同じコンテストで選ばれた11人の女の子と一緒にホテル暮らし。人生を謳歌して(I was supposed to be having the time of my life)、何千という女子大生の羨望の的になっているはずなのに気分は晴れない。

 エスター以外の女の子は裕福な家庭出身のお嬢様ばかり。

These girls looked awfully bored to me. I saw them on the sunroof, yawning and painting their nails and trying to keep up their Bermuda tans, and they seemed bored as hell. I talked with one of them, and she was bored with yachts and bored with flying around in airplanes and bored with skiing in Switzerland at Christmas and bored with the men in Brazil.

 「こういう子たちを見ていると気分が悪くなる。羨ましすぎて口も聞けない(Girls like that make me sick. I’m so jealous I can’t speak)」とはエスターの言葉。

 19年間、いい点数を取ることだけを目標に田舎で暮らしてきたエスターにとってニューヨークとは自分の限界や挫折を知る場所でもあった。

 

絶望

 インターンを経て実家に戻ったエスターを待っているのは、ある意味自分を裏切ったボーイフレンド(自分と同じくヴァージンだと思っていたのに実は違ったのでショックを受けている)や受けたかった講座の不合格通知。

 繊細なエスターは人生が終わってしまったように感じ精神のバランスを崩していく。

 どこに行っても何をしても、まるでベル・ジャーの中で一人座っているよう。

Because wherever I satー on the deck of the ship or at a street café in Paris or Bangkokー I would be sitting under the same glass bell jar, stewing in my own soul air.

 

若者の抱える将来への不安

 ちなみに初めて読んだのは、主人公のエスターと同じく19歳の頃。

 私自身も、大学を卒業した後の将来に漠然と不安を感じていたこともあり「分かる分かる!」と感じた覚えがある。

 男性に対してのエスターの考えにも深く共感した。1950年代の話なので、女の子にとっての人生の選択肢は現代とは比べ物にならないほど狭かっただろう。

And I knew that in spite of all the roses and kisses and restaurant dinners a man showered on a woman before he married her, what he secretly wanted when the wedding service ended was for her to flatten out underneath his feet like Mrs. Willard's kitchen mat. 

 「だから絶対に誰とも結婚したくない」とエスターは考える。ボーイフレンドのバディにプロポーズされると固まってしまう。

 でも大人になった今読むと、「青い」ところに突っ込みたくなってしまう部分も多々ある。「もう少し時間が経てば、自分を理解してくれる人と出会えるよ」、「そんなに全てを難しく考えることはないんだよ」とエスターを励ましたくなる。悲しいのは、小説の中ではエスターが乗り越えた心の病を、作家であるプラスは乗り越えられなかったということだ(プラスはこの小説を書き上げた1ヶ月後に自殺している)。

 

映画化

 『ベル・ジャー』は映画化される予定がある。撮影はすでに終了していて、編集段階に入っているはず。監督はこれがデビュー作となるキルステン・ダンストで、エスター役にはダコタ・ファニングがキャスティングされているらしい。

キルステン・ダンストが監督デビュー 主演にダコタ・ファニング : 映画ニュース - 映画.com

 『ベル・ジャー』自体の靄のかかったような雰囲気や大人の社会へ足を踏み入れる少女の戸惑い・絶望はどことなくソフィア・コッポラが好きそうな題材だなとも思えるし、『ヴァージン・スーサイズ』とどこか重なる部分もあるのでキルステンが監督でダコタが主演というのはすごく楽しみ。

 シルヴィア・プラスはキルステン・ダンストによく似ているなとも思うのですけれど。

 金髪の美女ドリーンは誰が演じるのかな? 個人的にはクリステン・リッターのイメージがある(黒髪だけど)。

 

 これとは別に、シルヴィア・プラスの人生を描いた『シルヴィア』という映画もあって、観てみたいなと思っているところ。 

シルヴィア [DVD]

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 2014年にはメグ・ウリッツァーがBelzharというYA小説を出版しているのだが、これは学校でプラスの『ベル・ジャー』を読むことになり、それについて日記を書き始めた高校生がBelzhar(ベルジャー)という不思議な世界に迷い込み、死んだはずの元彼と再会する……というストーリーらしい。これも読んでみたい。

Belzhar (English Edition)

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 それではみなさま、今夜もhappy reading!

 

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ボリス・パステルナークの『ドクトル・ジバゴ / Doctor Zhivago』が宝塚にぴったりな理由

[Доктор Живаго]

I also think that Russia is destined to become the first realm of socialism since the existence of the world. When that happens, it will stun us for a long time, and, coming to our senses, we will no longer get back the memory we have lost.

 2018年2月の星組公演『ドクトル・ジバゴ』の予習として入手したパステルナークの原作。その「命」の描き方に圧倒され、熱中して読んだ。

 ちなみに邦訳は新潮文庫版が廃盤となっていて、現在入手可能なのは単行本の『ドクトル・ジヴァゴ』のみ。これがなんと上下巻に分かれておらず重そう&お値段も重めの8,640円だったのでちょっと逡巡してしまい、

ドクトル・ジヴァゴ

ドクトル・ジヴァゴ

  • 作者: ボリースパステルナーク,イリーナザトゥロフスカヤ,工藤正廣
  • 出版社/メーカー: 未知谷
  • 発売日: 2013/03/14
  • メディア: 単行本
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 結局Vintage Classicsの英語版を読むことにした。こちらは1,000円ちょいでした。ただし観劇後、未知谷の日本語版も購入しました。夫が読みたいと熱望したため。

 ロシア文学の常として、大量の名前が登場&名前がいちいち分かりにくい*1ことを考えると、アルファベットで読んだ方が、実名とあだ名の相関関係や人間関係は把握しやすくて良かった気がする。

Doctor Zhivago (Vintage Classics)

Doctor Zhivago (Vintage Classics)

  • 作者: Boris Pasternak,Richard Pevear,Larissa Volokhonsky
  • 出版社/メーカー: Vintage Classics
  • 発売日: 2011/09/01
  • メディア: ペーパーバック
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 いい作品なのに、しかも宝塚で公演となると原作を必ず読むファンも多いから売上もそれなりに見込めそうなのに、文庫版での復刊がないのは残念。

 

 

あらすじ

 『ドクトル・ジバゴ』は激動の時代に生を受けた人々の「生きた証」のような小説だ。

 物語は、主人公であるユーリ(ユーリイ・ アンドレーヴィチ・ジバゴ)が父に次いで母を亡くし、親戚であるグロメコ氏に引き取られるところから始まる。

 モスクワに暮らすグロメコ家は裕福で、ユーリも不自由なく育つ。詩や音楽が大好きで芸術に魅かれていたのだが、大学を卒業すると医師になり、グロメコ夫妻のたっての願いもあり、一緒に育ったグロメコ家の娘トーニャと結婚する。

 その後医師として戦争に駆り出されたユーリは、戦地でラーラという看護婦と知り合う。ユーリはモスクワで二度、ラーラを見かけたことがあった。一度は少年の頃、もう一度はとあるパーティーで、ラーラがコマロフスキーという男を銃で撃つところである。遠くから見かけただけではあるが、その美しさは彼の心に残っていた。

 愛情はあるものの、どちらかというと義務感からトーニャと結婚したユーリにとって、ラーラは初恋の人のようなものである。

 しかし戦地でラーラはやんわりとユーリを拒み、戦争の終わり(ロシア革命の成功)*2とともに二人は別々の道を行く。

 社会主義のソヴィエト連邦となったロシアで、モスクワに暮らし続けることは不可能だと悟ったユーリは、家族を連れウラル地方へ引っ越す。

 そこで、ウラルへ戻ってきていたラーラと再会してしまう。そして、お互いに家族のいる二人の情事が始まる。

 

ユーリという男 

 ユーリの悲しさは、「自分の望むままに生きることができない」ということだろう。もともと詩が大好きで芸術の道に進みたかった彼は、医師という職業の安定性を選び、好きなことを犠牲にしてしまう。それでもずっと詩は書き続けるのだが。

How I would like, along with having a job, working the earth, or practising medicine, to nurture something lasting, fundamental, to write some scholarly work or something artistic.

 結婚もそうで、トーニャという幼馴染に愛情は感じているものの、それは恋ではないし、燃え上がるような愛もそこにはない。どちらかというと、自分を育ててくれた親戚に対する恩返しという気持ちだ。

 そんな彼の目に、ラーラという女は自由そのものを生きているように映る。だからこそ惹かれてしまうのだろう。 

 でも、トーニャと子供を捨てるわけにもいかない……その辺りの心の迷いが随分細かく描写されるのは、パステルナーク本人の経験に基づく物語だからこそだと感じる。そしてそのリアリスティックな感情の揺れがあるからこそ、この作品はただのメロドラマでは終わらない。

 

ラーラという女

 ユーラの物語と並行して、ヒロイン・ラーラ(ラリッサ・フョードロヴナ・ギシャール)の物語も語られる。

 ラーラの母親はフランス人で、夫を亡くしてからはコマロフスキーという弁護士の支援を受けて洋裁店を営んでいる。コマロフスキーは母親の愛人兼パトロンなのだが、美しく成長するラーラに惹かれ、関係を持つよう迫る。

 そんなコマロフスキーを「気持ち悪い!」と拒絶していればなんてことはないのだが、この場面でのラーラの葛藤が物語の最初の見所である。

 ラーラもコマロフスキーに惹かれてしまうのだ。

The girl was flattered that a handsome, greying man who could have been her father, who was applauded in assemblies and written about in the newspapers, spent money and time on her, called her goddess, took her to theatres and concerts and, as they say, 'improved her mind'.

 ここから、ラーラとコマロフスキーによる、情熱と嫌悪のタンゴが始まる*3。そのうち、ラーラは年下の青年パーシャと付き合うようになり、母を裏切っていたという罪悪感や、コマロフスキーから逃れられないという絶望感から、コマロフスキーを銃で撃つ。

 ラーラはその後パーシャと結婚し、ユリアーチンというウラル地方で生活するようになる。だか、コマロフスキーと関係を持っていたラーラをどうしても許すことができないパーシャが志願兵となり家を出ると、彼女も看護婦となりその後を追う。

 ラーラは当然聖女ではない。(向こうから迫られたとはいえ)母親の愛人と関係を持ってしまうし、そこに罪悪感はもちろんあるものの、自分が注目されて嬉しいという気持ちも確かに存在する。パーシャとの結婚後も、ジバゴとも関係を持つ。

 だが、一概に悪女とも「身持ちの悪い女」とも言えない何かがある。自分の運命をただ嘆くのではなく脱出しようと試みる強さ、自分を卑下することのない凛とした佇まい。

 

『ドクトル・ジバゴ』はまさに宝塚向けの作品

 

 そもそも、三人の男と関係を持つ女性が宝塚のヒロインというのはなかなかないことだが、聖女でもなく悪女でもないアンビヴァレントなラーラを演じた有沙瞳さんは歌よし・演技よし・ダンスよしの正統派娘役。公演前は「ラーラのイメージではない」という意見が多かったように思うが、そこはさすが有沙さん。何があっても自分に正直でどこか清潔感の漂うラーラには目を奪われた。「私がファム・ファタールよ!」みたいな押し出しは全くなく、有沙さんの持ち味である野の花のような可憐さが逆にラーラにぴったりだったように思う。

 しかも、考えてみればみるほど『ドクトル・ジバゴ』は宝塚の舞台にぴったりだ。

1. 70名超と組子が多いから(今回は別箱公演だったが)、白軍や赤軍の兵士まで演じることが可能

2. 登場人物は圧倒的に男性が多く、軍服やスーツ姿などファン的見所も豊富

3. ラーラとトーニャという対照的な女性が登場するので、娘役も見せ場が多い

4. ファンは往々にして歴史の知識を蓄えているので、ロマノフ王朝・ロシア革命などややこしい時代背景も把握できる人が多い

 今なんと! Amazon Primeで視聴できます。 

ドクトル・ジバゴ('18年星組・ドラマシティ)

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  • 発売日: 2020/11/29
  • メディア: Prime Video
 

 

 

 というわけで、映画も見たし観劇にも行ったのだけれど、原作はとにかく細かく書き込まれていて(人物しかり、それぞれの感情しかり)エピソードも映画や舞台とは違うところがそれなりにあった。エフグラフの存在意義など、考えさせられるところもあった。

 逆に映画と舞台では時代背景が分かりやすくなっていて恋愛が主軸とされているがために、ラーラの存在が強く心に残った。タイトルは『ドクトル・ジバゴ』で、ジバゴという男の一生を描いているにもかかわらず。 

 映画のジュリー・クリスティも美貌の女優だが、どこか少女のような雰囲気を持っていてそれがラーラにぴったりだった。目で語る女優だな、と実感。

ドクトル・ジバゴ (字幕版)
 

 映画よりも有名かもしれない「ララのテーマ」は、今年のフィギュアスケートで使用している選手がいましたね。 


Doctor Zhivago - Lara's Theme

 

これもおすすめ&これも読みたい

 統制の厳しいソヴィエト政府の影響で、外の世界からは知ることのできなかったロシア革命や当時の人々の様子が描かれてことで評価された『ドクトル・ジバゴ』。

 でも、やはりこの小説は恋愛小説だと思う。矛盾をはらんだ、理性ではどうしようもない、花火のように一瞬燃え上がり散ってゆく愛を描いているので、『存在の耐えられない軽さ』がお好きな方におすすめ。

 ナボコフが不器量な小説だと評している通り文体は決して優雅ではなく、とはいえストーリー性が楽しめる訳でもないものの「ガーディアンの1000冊」の中では、"Love"ジャンルに含まれる本を一番多く読んでいるような恋愛小説ラバーはきっとお好きだと思う。

1000 novels everyone must read: the definitive list | Books | The Guardian

Love – 英ガーディアン紙必読小説1000冊決定版リスト(ジャンル別) – iREAD @ YuriL

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

 

 そして、今読みたい本がこちら。

 パステルナークと血縁関係にあるアンナ・パステルナーク(ボリスの甥だか姪だかの娘さん)によるノンフィクションで、ラーラのモデルとなったパステルナークの愛人オルガ・イヴィンスカヤについて書かれたもの。 

Lara: The Untold Love Story That Inspired Doctor Zhivago

Lara: The Untold Love Story That Inspired Doctor Zhivago

 

Pasternak’s Muse: The Real-Life Inspiration for ‘Doctor Zhivago’ - The New York Times

ボリス・パステルナークについての7つの事実 - ロシア・ビヨンド

 

名前一覧表

 邦訳は読んでいないため、名前の日本語表記は異なるかもしれません。

 ピンク字はニックネーム*4

 

<主要人物>

Yuri Androyevich Zhivago / Yura(ユーリイ・アンドレーヴィチ・ジバゴ / ユーラ / ユーリ):主人公。幼い時に両親を亡くす。医師だが芸術が好きで、詩を書き続ける。 

Larissa Fyodorovna Guichard / Lara / Larochka(ラリッサ・フョードロヴナ・ギシャール / ラーラ / ラロチカ):パーシャと結婚後はラリッサ・フョードロヴナ・アンティーポワ。

Antonia Alexandrovna Gromeko / Tonya / Tonechka(アントニア・アレクサンドロヴナ・グロメコ / トーニャ / トネチカ):グロメコの娘。のちのユーラの妻。革命後はフランスに亡命。

Pavel Pavlovich Antipov / Pasha / Strelnikov(パヴェル・パヴロヴィチ・アンティーポフ / パーシャ / ストレリニコフ):ラーラの恋人、のちの夫。ストレリニコフという名前でボリシェヴィキに参加し広く知られるようになる。

Viktor Ippolitovich Komarovsky(ヴィクトル・イッポリトヴィチ・コマロフスキー):ラーラの母親のパトロン。ラーラに惹かれ、手を出してしまう。

 

<ユーラを取り巻く人々>

Marya Nikolaevna Zhivago(マリア・ニコラエヴナ・ジバゴ):ユーラの亡くなった母親。

Nikolai Nikolaevich Vedenyapin / Kolya(ニコライ・ニコラエヴィチ・ヴェデニャピン / コーリャ):ユーラのおじ。 

Alexander Alexandrovich Gromeko(アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ・グロメコ):化学の教授。両親を亡くしたユーラを引き取る。

Anna Ivanovna(アンナ・イワノヴナ):グロメコの妻。鉄鋼業界で成功した父を持つ。

Innokenty Dementievich Dudorov / Nika(イノケンティ・デメンティヴィチ・ドュドロフ / ニカ):ユーラの幼馴染。

Mikhail Grigorievich Gordon / Misha(ミハイル・グリゴリエヴィチ・ゴードン / ミーシャ):ユーラの学友。 

Gaiulin(ガイユーリン):第一次世界大戦でパーシャが率いる軍隊の中尉だった。看護婦ラーラにそのことを伝える。その後白軍で戦うようになる。

Anfim Efimovich(アンフィム・エフィモヴィチ):ジバゴ一家がウラルへ向かう列車の中で出会う弁護士。ジバゴ家を助け面倒を見る。

Liberius Avercievich Mikulitsin(リベリウス・アヴェルチエヴィチ・ミクリツィン):パルチザンのリーダー。

Evgraf Andreevich Zhivago / Granya(エフグラフ・アンドレーヴィチ・ジバゴ / グラーニャ):ユーラの腹違いの弟。

Sasha / Sashenka (サーシャ / サシェンカ):ユーリとトーニャの息子。

Marina(マリーナ):ユーリの3番目の妻。

 

<ラーラを取り巻く人々>

Amalia Karlovna Guichard(アマリア・カルロヴナ・ギシャール):ラーラの母親。フランス人。

Rodion Fyodorovich Guichard / Rodya(ロディオン・フョードロヴィチ・ギシャール / ロディア):ラーラの弟。

Olya Demina(オーリャ・デミーナ):アマリアの洋裁店で働くお針子。ラーラの友人。

Jack(ジャック):コマロフスキーが飼っているブルドッグ。ラーラに噛み付く。

Nadya Kologrigova(ナディア・コログリゴワ):リパの母。ラーラはコマロフスキーから身を隠すために家出し、リパという女の子の住み込み家庭教師になる。

Katenka(カーチェンカ):パーシャとラーラの娘。

Tanya(ターニャ):ユーリとラーラの娘。ニカとミーシャに発見され、その後エフグラフに保護される。

 

地名一覧

モスクワ:革命前にユーラやラーラが住んでいた。

ドゥプリャンカ(Duplyanka):母親の死後、ユーラがおじのニコライと滞在する。

ユリアーチン(Yuriatin):結婚したパーシャとラーラが移り住んだウラル地方の村。

メリュジーヴォ(Meliuzeevo):戦争に駆り出されたユーリとラーラが再会した村。

ヴァリキーノ(Varikyno):戦争後、ユーリが家族と移り住む村。ユリアーチンの近く。

チェルン(Chern):ユーリとラーラの娘ターニャが暮らす村。

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*1:男性か女性かで名字が変わるし、略名・あだ名がポンポン出てくる……ロシア文学あるあるですよね。

*2:

www.tokyobookgirl.com

 

*3:これは、映画版『ドクトル・ジバゴ』でも印象的に描かれていて非常によかった。

*4:ロシア語の"chka(マトリョーシカのシカ)"は、スペイン語の"ito/ita"・日本語で言うところのの「君・ちゃん」。

『蜘蛛女のキス』 マヌエル・プイグ

[El Beso de la Mujer Arana]

人が見た映画や、読んだ小説の話を聞くのが大好きである。

人の記憶の中の映画や小説はとんでもなく面白く感じられる。その後話題に上がった映画を見たり小説を読んだりしても、話を聞いている時ほど面白く感じない。その人の主観が多分に入った、記憶違いも少々あるような「個人的体験」だからこそ面白いのだろうな……。

『吉野朔実は本が大好き』の中で、吉野朔実さんも同じようなことを語っていた*1

そういう人は絶対にはまってしまうだろう小説が『蜘蛛女のキス』だ。

*集英社文庫のカバーデザイン、変わってた! 前の映画版「モリーナ」を使用したカバーは暗い感じであまり気に入っていなかったので嬉しく感じ、買いなおしてしまった。

蜘蛛女のキス (集英社文庫)

蜘蛛女のキス (集英社文庫)

 

「少し変わってるの、そこらの女とは、ちょっと違ってるのよね。まだ若い感じ、二十五を少し超えたぐらいかしら、顔は小さくて猫みたいで、花はつんと上を向いて、かわいくて、顔の輪郭は……卵形というより丸顔かしら、額は広くて、頬はふっくらしてて顎の先はとがってるのよ、猫みたいに」

という会話文から始まり、だんだん映画の話をしているんだなというのが分かってくる。

どうやら刑務所の同室受刑者同士の会話らしい。男と女の会話そのものだが、同室なのだから男同士に決まっている。バレンティンはヘテロ、モリーナはゲイ(生物学的な性別は男性、性的指向も男性で、女性としてふるまっている)なのだと分かる。 

そしてバレンティンが革命派としての活動で逮捕され、モリーナは未成年者に対するわいせつ罪で逮捕されていることも。

所属階級も社会も異なるので外では関わり合うことなんてなかったであろうバレンティンとモリーナだが、ここでは運命共同体である。

映画好きのモリーナが大好きな映画のあらすじを話しバレンティンが茶々を入れることで暇つぶしをし、調子が悪い時はお互いの面倒を見る。

そのうちにモリーナはバレンティンに恋愛感情を抱き、バレンティンもモリーナに情が湧いてくる。結局バレンティンはモリーナを利用しただけではないかという解釈もあるかと思うが、モリーナに人間としての尊厳を失わないでほしいと願うバレンティンに、いくら彼が冷酷で感情がないと評されているとはいえ、モリーナへの愛情が全くないなんてことはありえるだろうか。

もうひとつ約束してくれないか……他人から大事にされるようにすること、自分を粗末にさせたり搾取させたりしないこと。他人から搾取する権利なんて誰にもないんだから。

その他にも大事なストーリーラインはいくつかあるのだが、それら全てが二人の会話を通して浮かんでくるというのがこの小説の面白さである。

 

読み終えて心に残るのは、どれほど会話を交わしても決して分かり合うことのできない人間の哀しさだ。

ねえ……このシーンがどんなにすてきか、あなたには想像できないと思うわ。

そしてモリーナという「究極の女性」。邦訳がまた絶品で、いわゆる「オネエ言葉」になっているのだが、このねっとりとした語り口がこの物語を輝かせていると思う。モリーナの声の太さや抑揚まで、頭の中で完璧に再現されている。自分の「モリーナ」像を壊されたくなくて、映画版『蜘蛛女のキス』を観ていないほど! 

イレーナよ、何考えてんのよ。ヒロインなのよ、バカみたい。あたしはいつだってヒロインのつもりよ。

映画が大好きな彼女だが、バレンティンに話して聞かせる映画のあらすじはすべて彼女風に解釈されている。

で、彼は真っ黒な海を見つめていたわ、夜だったからよ、それから彼女を見るんだけど、まるでこう言っているみたいだったわ、<この娘は何が自分を待っているのか知らないんだ>って、でも実際は何も言わないの。

自分の好きなように設定をもじっている場合すらある。それらの映画はすべて悲恋に終わっており、バレンティンとモリーナの関係を暗示しているかのようでもある。

最後の映画はあまりにバレンティンへの気持ちに溢れていて、プイグの創造なのかモリーナの創造なのかと考えを馳せる。

モリーナについて読んでいるとミュージカル『RENT』のドラァグクイーン、エンジェルの言葉を思い出す*2。その優しさ、強さ、深い深い愛情。

I'm more of a man than you'll ever be, I'm more of a woman than you'll ever get.

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蜘蛛女のキス <HDニューマスター・スペシャルエディション> Blu-ray(特典なし)

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『蜘蛛女のキス』に登場する映画

『蜘蛛女のキス』で、モリーナがバレンティンにあらすじを話す映画は5本。どれもB級映画と評される作品ばかりだが、なんと魅惑的に感じられることか。 

Kiss of the Spider Woman (novel) - Wikipedia

 

1. 『キャット・ピープル』 

冒頭の黒豹女の話。

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2. プイグの創作ナチ映画(Paris Underground

2本目はおそらくプイグの創作だとされているが、複数のナチ・プロパガンダ映画とアメリカ映画Paris Undergroundのシナリオをミックスされたものらしい。 

 

3. プイグの創作映画 

カーレースに燃える若き革命家が年上の女性と恋に落ちる。彼の父親がゲリラに誘拐され、彼は助けようとするものの父親は警察との銃撃戦の末命を落とす。その後若き革命家はゲリラの一員となるのだった。

 

4. 『私はゾンビと歩いた』

ゾンビ女の悲しさよ。

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5. プイグの創作映画

新聞社に勤める編集者がマフィアの女(有名女優)と恋に落ちる。彼が勤める新聞社では女がマフィアと関係しているとすっぱ抜こうとしていたのだが、彼は女を守るためにその記事が掲載されないよう画策する。その後、女が彼を愛していると感づいたマフィアは女を捨て、女と彼は海辺の町で一緒に暮らすようになり、仕事もなく貧しい彼を女が支える。しかし、彼は芸能活動に復帰できない女が実は娼婦になり稼いでいるということを知ってしまい……。

 

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*1:

吉野朔実は本が大好き (吉野朔実劇場 ALL IN ONE)

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*2:おそらく元ネタは『カーウォッシュ』。

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『侍女の物語』 マーガレット・アトウッド(斎藤英治・訳): 結婚して初めて分かったこと

[The Handmaid's Tale]

 マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』を初めて読んだのはまだ10代の頃だった。

 その後大学の授業でも読んだし、社会人になってからも読み返した。 

 繰り返し読んだので思い入れのある作品ではあるが、どこか自分からは遠い架空の世界の物語だという印象があった。

 が、結婚してから初めて読み返してみて、私ははっとした。

 初めてこの小説の持つ意味が、その哀しみが、分かった気がした。

 だから今日は改めて『侍女の物語』について書こうと思う。

 

 Huluでドラマ化され、盛り上がっている『侍女の物語』。  

 2016年頃からドナルド・トランプの大統領立候補に伴い、アメリカをはじめとして世界中でベストセラーとなっているディストピア小説の1つである。

 さて、ディストピアやSF小説と聞いて思い浮かぶ小説はいくつもあるが、果たしてその中に女性を主人公にしたものはいくつあるだろうか?

 1985年に出版されたこの小説は、おそらくディストピア小説としては初めて女性を主人公に据えた作品だと思われる。

 アトウッド自身も、

是非こういうジャンルの小説を書いてみたいと思いました。私が読んだ小説はほとんどが男性によって書かれており、主人公も男性でした。だからそれをひっくり返して、女性の語り手の視点で書いてみたかったのです。私が読んでいた小説にも女性が出てこなかったわけではないし、女性が重要な役割を担っていなかったわけでもありません。ただ、女性が語り手ではなかったんです。

 と語っている(インタビュー記事は下記を参照)。

www.tokyobookgirl.com

  

 

「侍女」とは?

 "Handmaid(侍女)"とは、旧約聖書の創世記に出てくる言葉である*1

 ラケルに仕える奴隷、ビルハを指す。

 ラケルはヤコブという男性の妻である。が、二人の間には子供ができない。

 姉・レアには子供ができたことを知ると、妬んだラケルはヤコブにこう言う。

わたしに子どもをください。さもないと、私は死にます。

……わたしのつかえめ(handmaid)ビルハがいます。彼女の所におはいりなさい。彼女が子を産んで、わたしのひざに置きます。そうすれば、わたしも また彼女によって子を持つでしょう。

 そしてビルハはヤコブの子を産み、その子はヤコブとラケルの子として育てられるのだ。

 ちなみにこれは当時の一般的慣習だったとされている。

 

あらすじ

 

 『侍女の物語』でも、上記の旧約聖書の一部分は頻繁に登場する。 

 物語の舞台はギレアデ共和国。もともとはアメリカ合衆国と呼ばれた国に、キリスト教原理主義の国として誕生した全体主義の共和国である。法律は改変され、人々はギレアデ支配者層に従って生きることを余儀なくされている。

 <目>と呼ばれる組織が社会を監視しているため自由は許されず、アカデミックや有色人種、LGBTQといった反対派は次々に処刑されていく。

 ギレアデ共和国では環境汚染や原発事故などの影響で出生率は著しく低下し、健康な赤ちゃんが産める女性は非常に少ない(健康な赤ちゃんが生まれてくる確率はもっと少ない)。

 そのため、出産能力のある女性は「侍女」として共和国の支配者層に支えている。

 共和国の司令官および妻と同じ家に暮らし、「儀式」として1か月に1度、妻の監視下において司令官と交わることが義務付けられている。

 侍女とは、「聖なる器、歩く聖杯」であり、その存在価値は健康な子宮以上でも以下でもない。

 主人公のオブフレッドは、侍女の1人である。

 もちろん、生まれつき侍女だったわけではない。

 彼女はアメリカでヒッピー世代の母の元に生まれ、大学を出て、編集者をしていた。

 妻子ある男性と恋に落ち、その後結婚し、女の子を授かった。

 キリスト教原理主義が国に広がったことに懸念を感じ、家族で国外逃亡しようとしていた時に捕まり、女性教育施設に送られ侍女になり、とある司令官の家に派遣されたのだ。

 侍女には任期があり、任期内に妊娠できなかった場合は別の家に派遣される。

 3つの家を転々としても妊娠できなかった場合は、不完全女性との烙印を押され、<コロニー>に連れて行かれる。そこで汚染物質や放射能物質の始末をしながら一生を終えるのだ。

 反対に、妊娠し健康に問題のない赤ちゃんを出産した侍女は一生安泰である。

 だから妊娠した侍女は嫉妬と羨望の眼差しで見つめられることになる。

 本人が望んだ妊娠であろうがなかろうが。

 

 ありとあらゆるところに<目>が潜んでいて、誰も信頼することのできない日常。

 自分の記憶の中に逃避することでなんとか日々をやり過ごしていたオブフレッドだが、ひょんなことからパートナーである侍女・オブグレンが「メーデー」という反政府グループの一員であることを知る。そして彼女から、自身の司令官についてなんでもいいから情報を探れとけしかけられる。オブフレッドの司令官は政府で非常に重要な人物であり、反政府グループも彼について知りたいと考えているのだ。

 そんな時、「儀式」でしか顔を合わせない司令官に「2人きりで会いたい」と持ちかけられ……。

 

 ギレアデ共和国とは何か、侍女とは何か、はっきりとは明かされないままオブフレッドの独白という形で物語が進んでいく。

 オブフレッドの目を通して見えてくる社会のあり方には鳥肌が立つ。

I made nothing up*2. (自分で作り上げたエピソードは1つもない)

というのが『侍女の物語』に対するアトウッドの言葉だが、世界中のどこかで起こった(起きている)政府や社会の体制がギレアデ共和国という国に反映されており、だからこそこの小説は非常にリアルで陰鬱でもある。

 

『侍女の物語』はディストピア小説か? 

 アトウッドはこうも語っている。

When I first published the book, some people did the “it could never happen here” thing. “We’re so far along with women’s rights that we can’t go back.” I don’t hear that much anymore*3.

 

最初にこの本を出版した時、「こんなことは北米では決してありえない」という人がほとんどでした。「女性の権利が尊重されるようになっているから、北米がここまで退化することはありえない」と。でも今のアメリカを見て、そう発言する人は多くありません。 

 キリスト教原理主義は、アメリカにおいては下記の要素を含むとされる。

反同性愛、反中絶、反進化論、反イスラム主義、反フェミニズム、ポルノ反対、性教育反対、家庭重視、小さな政府、共和党支持*4

 これに基づくギレアデ共和国は当然ながら、男性優位の社会である。 

 男性のみが働き、権力を握っている。

 女性は家庭を中心にそれぞれが階級分けされている。

 

妻: ギレアデ共和国の支配者層の妻

侍女: 生殖能力のない妻の代わりに支配者層の子供を産む女

女中(マーサ): 家庭で妻の代わりに家事を行う女

小母: 侍女の教育を行う女

便利妻: 貧しい人々の妻

売春婦: 生殖能力はないが支配者層に性の喜びを与えることのできる女性

不完全女性: コロニーにいる社会不適合者、出産能力のない女など

 

 こうすることで女性の団結を防ぎ、力を奪い取っているとも言える。

 アトウッドも繰り返し語っている通り、

The control of women and babies has been a part of every repressive regime in history. This has been happening all along...The Handmaid’s Tale is always relevant, just in different ways in different political contexts. Not that much has changed*5.

 

女性や赤ちゃんをコントロールするということは抑圧的な政権が繰り返し行ってきたことです。いつも起こっていたことなのです……政治的背景が異なるだけで、『侍女の物語』はいつだって起こり得ることです。この物語を書いてから、それほど多くは変わっていません。

である。ディストピアというよりも、ある意味現実社会を描いているとも言えるのだ。

また、

...The kernel of the idea was how you would control women bu shutting down their bank accounts.

 

...…中心となるアイディアは、女性の銀行口座を凍結することで女性を管理するというもの。 

だそうで、これがフェミニズム小説の代表作と呼ばれる所以なのだろう。

 アトウッドにしてみると、「フェミニズムって何? 私は女性の権利を主張しているだけで、女性の権利=人間の権利よね? 女性は人間なのだから。私をフェミニストと呼びたいなら、フェミニズムが何なのかはっきり定義してくれないと」ということだろうが。

(これはアトウッドが様々なインタビューで繰り返す発言である。) 

 

In my own words

 最後に、私自身が今回読み返した感想を。

 もちろん、フェミニズム云々・今ここにある危機云々は、最初に読んだ時から理解しているつもりだった。

 それでも今回実感したのは「既婚女性が社会で感じる無力さ」だろうか。 

 これは、現代の女性の現実を描いた物語だったんだ! とびっくりした。

 一言で言うと、「名前をなくした女神」現象である。 

 これは少し前に話題になったママ友関係を描いたTVドラマのタイトルなのだけれど、言い得て妙だと思う。

 結婚して子供を産んだ女性は、仕事をしているしていないにかかわらず、「◯◯くん、△△ちゃんのママ」と呼ばれるようになる、というアレである。

 別に子供がいなくても同じである。

 結婚して、夫と二人で不動産を見に行く。夫の知り合いとの会合に出席する。

 たとえ妻の方が資産が多くても、妻名義で不動産を購入する予定でも、収入が多くても、知識があっても、スーパーモデルでも、宇宙人でも、関係ないのだ。

 妻は「◯◯さんの奥様」と呼ばれ、意見を求められることはない。人々は夫の目を見て話し、透明人間になったかのような気持ちを味わう。

 もちろんそれは常に起こることではないにしろ、現代日本ではかなりの確率で起こる。

 独身の頃には体験したことのなかった出来事で、こんなことが起きるなんて想像もしていなかった。まるで自分という人間が消えてしまったみたい。結婚しただけで、私自身は何も変わっていないのに!

 

 オブフレッドは、主人公の本名ではない。

 フレッドという男性の侍女となったので"Offred"(フレッドの)と呼ばれているのである。

 ひどい話だ、と思うものの、夫婦別姓が認められていない日本では結婚した女性(一部の男性も)も同じ気持ちを味わっているよね、とも感じてしまう。

 

 日常とは、あなた方が慣れているもののことです、とリディア小母は言った。今はまだこの状態が日常には思えないかもしれません。でも、しばらくすればきっとそう思えるようになるはずです。これが日常になるのです。

 

 書きたいことはまだまだあるものの、あまりに長くなってしまいそうなので、Hulu版『侍女の物語』6〜10話の感想として別途記したいと思う。 

 

 最近は、アトウッドさんが"MeToo"運動関連で話題に上がっていた様子。読んだら分かることだが"MeToo"運動に反対しているわけではなく、その行き過ぎや間違った使われ方(セクハラで非難されたブリティッシュ・コロンビア大学の教授を、大学が事実確認の手続きをとらず解雇した問題など)に懸念を示しているということである。

www.bbc.com

 

『侍女の物語』の続編、The Testamentsのレビューはこちら。

www.tokyobookgirl.com

 

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みなさま、今日もhappy reading!

 

 

 

 

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*1:日本語では通常、「つかえめ」と訳されている。

*2:TIME誌インタビューより。On the Urgency of the Handmaid's Tale | TIME

*3:TIME誌インタビューより。On the Urgency of the Handmaid's Tale | TIME

*4:Wikipediaより。

*5:TIME誌インタビューより。On the Urgency of the Handmaid's Tale | TIME