[El Beso de la Mujer Arana]
人が見た映画や、読んだ小説の話を聞くのが大好きである。
人の記憶の中の映画や小説はとんでもなく面白く感じられる。その後話題に上がった映画を見たり小説を読んだりしても、話を聞いている時ほど面白く感じない。その人の主観が多分に入った、記憶違いも少々あるような「個人的体験」だからこそ面白いのだろうな……。
『吉野朔実は本が大好き』の中で、吉野朔実さんも同じようなことを語っていた*1。
そういう人は絶対にはまってしまうだろう小説が『蜘蛛女のキス』だ。
*集英社文庫のカバーデザイン、変わってた! 前の映画版「モリーナ」を使用したカバーは暗い感じであまり気に入っていなかったので嬉しく感じ、買いなおしてしまった。
「少し変わってるの、そこらの女とは、ちょっと違ってるのよね。まだ若い感じ、二十五を少し超えたぐらいかしら、顔は小さくて猫みたいで、花はつんと上を向いて、かわいくて、顔の輪郭は……卵形というより丸顔かしら、額は広くて、頬はふっくらしてて顎の先はとがってるのよ、猫みたいに」
という会話文から始まり、だんだん映画の話をしているんだなというのが分かってくる。
どうやら刑務所の同室受刑者同士の会話らしい。男と女の会話そのものだが、同室なのだから男同士に決まっている。バレンティンはヘテロ、モリーナはゲイ(生物学的な性別は男性、性的指向も男性で、女性としてふるまっている)なのだと分かる。
そしてバレンティンが革命派としての活動で逮捕され、モリーナは未成年者に対するわいせつ罪で逮捕されていることも。
所属階級も社会も異なるので外では関わり合うことなんてなかったであろうバレンティンとモリーナだが、ここでは運命共同体である。
映画好きのモリーナが大好きな映画のあらすじを話しバレンティンが茶々を入れることで暇つぶしをし、調子が悪い時はお互いの面倒を見る。
そのうちにモリーナはバレンティンに恋愛感情を抱き、バレンティンもモリーナに情が湧いてくる。結局バレンティンはモリーナを利用しただけではないかという解釈もあるかと思うが、モリーナに人間としての尊厳を失わないでほしいと願うバレンティンに、いくら彼が冷酷で感情がないと評されているとはいえ、モリーナへの愛情が全くないなんてことはありえるだろうか。
もうひとつ約束してくれないか……他人から大事にされるようにすること、自分を粗末にさせたり搾取させたりしないこと。他人から搾取する権利なんて誰にもないんだから。
その他にも大事なストーリーラインはいくつかあるのだが、それら全てが二人の会話を通して浮かんでくるというのがこの小説の面白さである。
読み終えて心に残るのは、どれほど会話を交わしても決して分かり合うことのできない人間の哀しさだ。
ねえ……このシーンがどんなにすてきか、あなたには想像できないと思うわ。
そしてモリーナという「究極の女性」。邦訳がまた絶品で、いわゆる「オネエ言葉」になっているのだが、このねっとりとした語り口がこの物語を輝かせていると思う。モリーナの声の太さや抑揚まで、頭の中で完璧に再現されている。自分の「モリーナ」像を壊されたくなくて、映画版『蜘蛛女のキス』を観ていないほど!
イレーナよ、何考えてんのよ。ヒロインなのよ、バカみたい。あたしはいつだってヒロインのつもりよ。
映画が大好きな彼女だが、バレンティンに話して聞かせる映画のあらすじはすべて彼女風に解釈されている。
で、彼は真っ黒な海を見つめていたわ、夜だったからよ、それから彼女を見るんだけど、まるでこう言っているみたいだったわ、<この娘は何が自分を待っているのか知らないんだ>って、でも実際は何も言わないの。
自分の好きなように設定をもじっている場合すらある。それらの映画はすべて悲恋に終わっており、バレンティンとモリーナの関係を暗示しているかのようでもある。
最後の映画はあまりにバレンティンへの気持ちに溢れていて、プイグの創造なのかモリーナの創造なのかと考えを馳せる。
モリーナについて読んでいるとミュージカル『RENT』のドラァグクイーン、エンジェルの言葉を思い出す*2。その優しさ、強さ、深い深い愛情。
I'm more of a man than you'll ever be, I'm more of a woman than you'll ever get.
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『蜘蛛女のキス』に登場する映画
『蜘蛛女のキス』で、モリーナがバレンティンにあらすじを話す映画は5本。どれもB級映画と評される作品ばかりだが、なんと魅惑的に感じられることか。
Kiss of the Spider Woman (novel) - Wikipedia
1. 『キャット・ピープル』
冒頭の黒豹女の話。
2. プイグの創作ナチ映画(Paris Underground)
2本目はおそらくプイグの創作だとされているが、複数のナチ・プロパガンダ映画とアメリカ映画Paris Undergroundのシナリオをミックスされたものらしい。
3. プイグの創作映画
カーレースに燃える若き革命家が年上の女性と恋に落ちる。彼の父親がゲリラに誘拐され、彼は助けようとするものの父親は警察との銃撃戦の末命を落とす。その後若き革命家はゲリラの一員となるのだった。
4. 『私はゾンビと歩いた』
ゾンビ女の悲しさよ。
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5. プイグの創作映画
新聞社に勤める編集者がマフィアの女(有名女優)と恋に落ちる。彼が勤める新聞社では女がマフィアと関係しているとすっぱ抜こうとしていたのだが、彼は女を守るためにその記事が掲載されないよう画策する。その後、女が彼を愛していると感づいたマフィアは女を捨て、女と彼は海辺の町で一緒に暮らすようになり、仕事もなく貧しい彼を女が支える。しかし、彼は芸能活動に復帰できない女が実は娼婦になり稼いでいるということを知ってしまい……。
*1:
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*2:おそらく元ネタは『カーウォッシュ』。