トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

Anything is Possible / エリザベス・ストラウト

[何があってもおかしくない]

発売日: 2017年5月4日

ペーパーバック版の発売を待って読み始めたエリザベス・ストラウトの最新作。

むさぼるように読んでしまった。

舞台は前作『私の名前はルーシー・バートン』の主人公ルーシー・バートンの故郷、イリノイ州のアムギャッシュ(架空の町)。ストラウトにとってのヨクナパトーファというところか。トウモロコシ畑や大豆畑の広がる田舎町という設定だ。 

ストラウトは、アメリカ北東部のメイン州出身(初期の小説の舞台はメインだった)。舞台となった中西部のイリノイ州とは縁もゆかりもないようで、小説を書き始める前に何度か訪れたくらいらしい。

なぜイリノイ州を舞台にしたのか、というインタビュアーの質問にはこう答えている。

When I was just playing around with scenes from My Name is Lucy Batron- writing scenes, messing them around on my table...Then, as I realized that her mother had never been on a plane before, I thought, "Oh". And then it just came to me: She comes from the sky. I saw sky, tons of sky, all around, the only kind that you can get in the Midwest.*1

Anything is Possible

Anything is Possible

 

Anything is Possibleは9章から成り立つ。それぞれが独立した短編のようになっていて、別々の人物の人生を描いている。

が、それらの人物はすべて『私の名前はルーシー・バートン』において母娘のゴシップに登場した人々である。

というわけで、これ一冊でももちろんストラウトのシンプルながらも胸にグイグイ刺さってくる文章を存分に満喫できるのだが、『私の名前はルーシー・バートン』を読むと2倍!楽しめること間違いなし。 

『私の名前はルーシー・バートン』を購入した方へ。

本は読み終わったら間髪入れずに譲るもしくは売る派の方も(私か……)、Anything is Possibleを読むまでは『ルーシー・バートン』を手元に置いておくことをおすすめする。絶対に読み比べたくなるはず。

私の名前はルーシー・バートン

私の名前はルーシー・バートン

 

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たとえば、ルーシー・バートンの母のゴシップに出てきた「可愛いナイスリー・ガールズ」。

バートン家とは正反対のお金持ち一家出身、美人のナイスリー姉妹。しかし、母親のキャシーが不倫の末家を出たという事件が彼女たちのトラウマとなっており、大人になってからの人生は決して幸福とは言えないようだ。

「たったの一年でリンダは離婚して、ベロイトの町へ行った。金持ちの男をさがしに行ったんだと思うよ。うまく見つけたって噂を聞いたようにも思う」

(『私の名前はルーシー・バートン』)

姉のリンダは金持ちの男と再婚したものの、夫は自宅にやってくるゲストの女性を隠し撮りし楽しんでいる変態野郎である。付近で女子高生の殺人事件があったときは、リンダ本人でさえ夫の犯行ではないかと疑ってしまったほど。

また、美しかった妹のパティは職場で"Fatty Patty(おでぶのパティ)"なんて呼ばれてしまうほど体重を増やしている。父親に性的虐待を受けてセックス恐怖症に陥った男性セバスチャンと愛し合い結婚するものの、セバスチャンはすぐに亡くなってしまう。

 

それから、ミシシッピ・メアリ。

「ミシシッピ・メアリが金持ち男と結婚して、ええと、どうだったかな、五人か六人の娘が生まれた。たしか女の子ばっかりだったと思うよ。すごく感じのいい人で、大きな家に暮らして、その家で旦那が、どんな商売だったか、何かしらの事業をしていた。よく出張があったみたいだね。さて、ところが、と……この旦那が秘書と浮気をして十三年にもなるということが発覚した」

(『私の名前はルーシー・バートン』)

エルヴィス・プレスリーが大好きだったミシシッピ・メアリは、老年になってから離婚し、イタリア人と再婚し、今はイタリアに住んでいる。未だに母親が出て行ってしまったことを受け入れられていない末娘アンジェリーナに、メアリは愛を語る。

「家族を捨てて去る母親」というのは、ストラウトの作中で何度も使われるモチーフだが、この時代・地域における女たちの立場を痛感させられる。

 

バートン家の子供たちも、もちろん登場する。が、本小説での焦点はどちらかというと姉ヴィッキーや兄ピートに当てられており、ルーシーはあくまで脇役。引きこもりになっていて、イリノイ州に住んでいながら一度もシカゴに行ったことのないピートに、里帰りをしないルーシーに怒りを感じながらもお金をせびるヴィッキー。3人の会話から、バートン家の抱えていた闇や子供たちの苦しみが浮かび上がる。

 

そして全ての人をつないでいるのが、ルーシーが出版した本(表紙にビルの絵が描いてある自伝、という描写からはもちろん『私の名前はルーシー・バートン』が思い浮かぶ)。

「あの貧しいバートン家の娘がニューヨークへ行って、作家になって成功するなんてねえ」と声に出して言わないまでも、誰もがそう思っていることが伝わってくる。

ルーシーの従姉妹ドティーが考えるように、みんな本当は「ゴミ箱をあさっていた私たちが成功したのはアメリカン・ドリームだってみんな言うけれど、まだ貧しいままの人に対しては"they deserve it"と思っている」のかもしれない。

She thought that this matter of different cultures was a fact that got lost in the country these days. And culture included class, which of course nobody ever talked about in this country, because it wasn't polite, but Dottie also thought people didn't talk about class because they didn't really understand what it was.

ホワイト・トラッシュと呼ばれるような家庭に育ったルーシーたちの、成功してもいつまでも心に残る傷が痛々しい。

同じような家庭で育った女優アニー・アプルビーは、成功してから実家に帰った際に祖母にこう言われる。

Don't come back. Don't get married. Don't have children. All those things will bring you heartache.

それにしても、よくもまあ一冊の本の母娘のゴシップ話からこれだけ話を膨らませられるものだとストラウトの才能に驚嘆してしまう。

ストラウトらしい観察眼が冴え渡り、ちょっとした動き(車から出る前に口紅を塗り直すパティだとか、B&Bにて無言でTVを観るチャーリーを見守るドティだとか)から登場人物それぞれの「らしさ」を感じることができる。

パッとする登場人物はおらず、派手な展開もない。決して明るくもないけれど、最後にちょっとした救いを描くのが本当に上手。いやらしくなく、それでいて希望が持てる。「なんだってあり」、「なんだってできる」というタイトルが胸に染み渡る。

1つの章を読み終えるたびに「この小説の中で一番好きかも!」と感じる。それが9回、最後まで繰り返される……というとんでもない小説だった。

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*1:"A Reader's Guide"