[Surfacing]
古い本で、情報があまりないので感想を書き記しておこうと思う。
アトウッドの出世作、『浮かびあがる』。もう絶版となっている日本語訳が偶然手に入ったので読んでみた。
アトウッドの初めての長編小説『食べられる女』が出版されたのは1969年。『浮かびあがる』は2作目の長編小説で、1972年に出版された。
その後『侍女の物語』、『またの名をグレイス』と次々と素晴らしい作品を世に送り出すのだけれど、2000年代になっても(アトウッドは御年78歳)筆力は衰えず、というよりもさらに鋭さを増し、グラフィックノベルなど新たな分野にも積極的に挑戦しているのがなんとも驚異的。
いつまでも長編小説を書くエネルギーを保てるようにとマラソンに励むのが村上春樹だが、アトウッドは一体どうやってその精力を保っているのか。個人的に、どういう1日を過ごしているのか教えていただきたい人ナンバーワンです。
さて、『浮かびあがる』のテーマはフェミニズムで、その後のアトウッドの著作と共通するところがいくつもある。ただし、70年代に書かれたということもあり、その問題提起はより切実でもある。乱暴に言ってしまうと、「カナダ人のアイデンティティと、女性の中絶問題」が風刺されている作品だ。
カナダ人のアイデンティティに関しては、1960年代末から巻き起こったケベック分離運動がこの小説に大きい影響を与えているだろう。アメリカ人による経済的支配が強まり、英語第一主義、環境破壊などが問題となっていった。
また、女性の中絶問題であるが、カナダでは1988年まで妊娠中絶が犯罪とみなされていた。この年から中絶法ができ合法となったのだが、これは「女性の権利問題」として今でもよく話題に上がる。
この小説は非常に抽象的で、作品が書かれた時代背景も上記の通り現代とはかなり異なるので、短い物語ながらも読み込むのは少し骨が折れる。
主人公の女性はおそらく30代。恋人のジョー、友人夫婦デイヴィッド&アンナと一緒に、生まれ育ったケベックに戻ってきた。
一人暮らしをしていた彼女の父親が行方不明になったとの知らせを受け、父を探すためだ。深い森の奥にある家を訪ね、そこでしばらく父を探しながら過ごすことになる。
その間に彼女は、今までの生い立ちや既婚男性と付き合っていて妊娠し、違法なやり方で中絶したことなどを思い出す。
そうこうしているうちに、大自然の中では恋人や友人らのエゴがむき出しになり、4人の関係性はどんどん壊れていってしまう……。
さりげなく出てくる脇役たちや自然の描写が上記のテーマにつながっていくので、読み応えのある小説ではある。
また、「橋」、「水」などアトウッドの作品で必ず登場するモチーフも、この頃から使用されていたのだなということがよく分かる。
ということで、アトウッドファンにはおすすめの作者のルーツがよく理解できる一冊だった。
カナダ東部に暮らす者が感じる、英語圏とフランス語圏の文化の「狭間」感も丁寧に描写されている。
英語とフランス語のswear wordsの違いについて主人公が思いを巡らせるシーンなどもそう。汚い言葉・卑猥用語ってそれぞれの文化でタブー視されていたものなので、英語圏におけるswear wordsは「体にまつわる言葉」なのだけれど、フランス語圏のgros motsとは「教会にまつわる言葉」が主だったのですよね。
英語版はこちら。