最近、恋愛小説が読みたくてたまらない。けれんみのない恋愛小説を心が求めている。どうしてだろう……と考えをめぐらせ、はたと気づく。これって、バブルの狂騒の時代に吉本ばななの小説が大ヒットしたのと同じ原理なのでは?
物質主義的な時代に辟易した人々が吉本ばななの作品に夢中になったのは、そこに描かれている人と人とのつながりや、何気ない日常に、「忘れてはいけないけれど忘れてしまっている大切な何か」を見出したからではないだろうか。
同様に、今までだったら「普通すぎる」、「ありきたりだ」と思っていたような物語が、きらめくダイヤモンドのように感じられるのは、新型コロナウイルス感染症によって日常の定義が大きく変化したからなのだろう。そしてわたしもやっぱり、長引くコロナ禍の生活に疲れてしまっているのだろう。
というわけで、発売をとっても楽しみにしていたCaleb Azumah Nelsonのデビュー作Open Waterを読みました。2021年の読みたいリストにも入れていた一冊。
どんな作品かというと、
・151ページという短さ(一般的な日本の小説と同じくらい)
・二人称小説(無条件に大好き!)
・物語を書いている主人公
・ゼイディー・スミスについての記述(『NW』などへの愛と尊敬)
「You」として登場する、名のなき主人公は若いカメラマン。写真を撮影するのと同じように物語を伝えたいと、「書くこと」も試みるようになった青年だ。そんな彼はある夜、パーティーで美しい女性と出会う。「アーティスト同士(彼女はダンサー)だから気が合うと思うよ」と紹介され、一目惚れする。そして彼女のことをもっと知りたいと願うも、ちょっとした問題が発覚する。この女性は友人の恋人なのだ。
二人称を用いているがゆえに、「I(ぼく、おれ)」で語られると自意識過剰に感じてしまったであろう描写が排除され、いい意味で主人公が透明化している。だから公平な目で、さまざまな出来事を観察できる。それでいて三人称ほど登場人物と読者の距離が開くことはなく、意中の相手に翻弄される主人公の息遣いを間近で感じることができる。この効果が、どことなく「まっさら」な感じのする主人公とよく合っている。
こういう感じの青年って日本文学にも登場するなあと、ふと思う。脳裏に浮かんだのは山田詠美の『風味絶佳』だ。どちらも一見、女の子に振り回される男の子を描いた物語。でも、芯なんてまるでないように見える男の子の中には、幼い頃から叩き込まれた美学や培われてきた信念が息づいていて、恋愛が与える心の痛みだって彼らの核となる部分を変えることはできない。祖母が大切なモチーフとして登場するところと、読み終えたときに「ああ、恋愛っていいなあ」としみじみ感じられるところも似ている。
とはいえ、本小説は恋愛に終始するわけではない。ロンドン在住の若き黒人男性である主人公が恋をする相手も黒人女性であり、恋愛を通して「Blackness」の素晴らしさを再発見するという、黒人文化への賛歌でもある。
黒人アーティストや作家(ボールドウィンからKei Millerまで!)がこれでもかとばかりに登場し、リズムを形成する。特に印象的なのがゼイディー・スミスで、主人公がサイン会に赴くものの感動のあまり緊張してしまって伝えたかったことを一つも伝えられないというエピソードも登場する。
「Blackness」が讃えられる一方、主人公はロンドンで黒人男性として生活することの息苦しさに耐えられなくなりつつある。ジョージ・フロイド事件以前(本作は2017〜2018年が舞台)とはいえ、アメリカではすでにBLMが大きな運動となっていた時期だ。歩いているだけで警察に呼び止められて身体検査をされたり、犯罪者を見るような目を向けられたりすることが、彼の心を蝕んでいく。
そんな主人公の流す涙が、ロンドンの街にしょっちゅう降る雨が、体内に吸収される大量のお酒と紅茶(コーヒーじゃないのがイギリスっぽい)が、果てしなく広がる恋愛の水域が、ページを埋め尽くす。世の中には、なんとなく湿度が高いように感じられる小説というのがあるが、本作はそれをはるかに超えた、たとえるならば「水の中で息をしている」レベルのウェット感を誇る作品だ。どのページもかなり「水水」しい。とにかく、圧倒的な水分量。
You know that to love is both to swim and to drown. You know to love is to be a whole, partial, a joint, a fracture, a heart, a bone. It is to bleed and heal. It is to be in the world, honest. It is to place someone next to your beating heart, in the absolute darkness of your inner, and trust they will hold you close.
これは日本語には翻訳されないかな〜となんとなく思うのだけれど、この作家が今後どんな作品を執筆するのか、どういう方向に伸びていくのか、楽しみである。ちなみにCaleb Azumah Nelsonのインスタでは、本作を執筆中に作成したと思われるmood boardを見ることができ、作品の雰囲気がよくわかる。そういうところもGeneration Z(よね?! 25歳は。微妙なライン?)らしい。
作中にダブリンのフェニックス・パークが出てくるので、Conversations with Friendsを思い出した。Normal Peopleについても早く書きたいんだけど、時間が……。
Girl, Woman, Otherでブッカー賞を受賞したバーナーディン・エヴァリストがおすすめする、黒人の英国人作家による(忘れ去られた)作品リスト。こちらも読みたい。
それではみなさま、今週もhappy reading!