今年の国際ブッカー賞のロングリストにノミネートされたのは13冊。
Permafrostの著者、Eva BaltasarのBoulderとか、初めてノミネートされたブルガリア語&タミル語からの翻訳作品とか、気になる作品がたくさん。
『鯨』チョン・ミョングァン(斎藤真理子訳)
ノミネートされた作品の中で、日本語訳があるのはチョン・ミョングァンの『鯨』(Whale)。物語に出てくるモチーフを使った邦訳の装丁も美しいし、英語版の装丁もすてき↓。
ずっと積んでいた邦訳を読んだ。なんでもっと早く読まなかったんだろうと後悔してしまうほど面白かった!
行く先々で人々を魅了し、商いの才を備えた女性クムボクと、その魅力をかけらも持ち合わせない代わりに「並外れた怪力」が特徴の娘、チュニ。
クムボクは辛い少女時代を経て成長しピョンデという町に辿り着き、その町で煉瓦工場や劇場をつくる。そして娘のチュニが成長しピョンデから去り、紆余曲折を経て工場の跡地に帰ってきたという、その場面から始まるのだが、現実と幻想の世界をひょいひょいと行き来する様はまるでラテンアメリカ文学のようで、でももっと血なまぐさくもあり、いたるところに女性の活力が満ち満ちている。
本のそでにはこの著者が「ストーリーテラーとして名高い」とあり、確かにディケンズやアーヴィングを彷彿とさせる「読ませる」物語でもある。
でも一番の特徴は、どのページもウィットに富んでいてとにかく面白い!こと。そのウィットをもたらしているのが饒舌な語り手の存在だ。「この人、この後こうなりまっせ!」、「あの人はああなるけど、それはまた別のお話」など登場人物に茶々を入れまくり、種明かしをしまくり、読者が出来事を解釈しようとした途端にしゃしゃりでてきて「そう解釈したくなりますやろ? でも、解釈なんて無意味なんです。そのまま受け取って!」とツッコむ。なんか井原西鶴っぽいな……と思って読んでいたのだが、あとがきで訳者の斎藤さんがパンソリという韓国の伝統芸能との類似性を指摘していて、ぜひ聞いてみたいなと感じた。
今年のベスト本とか決めないタイプなのだが、これは読み終えた途端「2023年のベスト本かも……」とふと頭に浮かんだ。間違いなくショートリスト入りだろう、とも思う。
『ペンギンの憂鬱』アンドレイ・クルコフ(沼野恭子訳)
アンドレイ・クルコフはJimi Hendrix Live in Lvivがノミネート。
邦訳されている作品はいくつかあるが、ロシアのウクライナ侵攻後はじめて『ペンギンの憂鬱』を読み返した。
どういう状態を「正常」と呼ぶかは、時代が変われば違ってくる。以前は恐ろしいと思われていたことが、今では普通になっている。つまり、人は余計な心配をしなくていいよう、以前恐ろしいと思ったことも「正常」だと考えて生活するようになるのだ。だれにとっても、そう、自分にとっても、大事なのは生き残るということ。どんなことがあっても生きていくということだ。
キーウ在住のアンドレイ・クルコフは、ロシア語で執筆する意義やロシアに対する怒りについて朝日新聞に寄稿していた。
『ペンギンの憂鬱』は売れない小説家、憂鬱症のペンギン、小さな女の子が共同生活を営むことになるという物語で、登場人物はソ連崩壊後のウクライナなどの国々を暗示しているに違いないのだが、一見ユーモラスでシュールレアリスティックな展開の底に流れる絶望、諦念、悲哀が今の情勢につながっているようでなんともいえない。
そして『SPY×FAMILY』はこの作品のオマージュなのかなとも思う(1巻くらいしか読んでいないので詳しいことはわからないけれど)。
『現代ロシア文学入門』
新しいロシア文学作品とともにロシアのウクライナ侵攻後の作家たちの様子を伝えるこちらも去年読んで、とても印象に残っている。
そして、訳者およびインタビュアーとして登場していた
『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』奈倉有里
ロシアでの学生生活の描写から、その寒さや夏の美しさ、彼の地での人々の気質が伝わってくるようだった。
後半の展開にはギュッと心をつかまれる。「ひとりでいてもひとりじゃない」と思えるほど、安心できるほどって、作者が見つけた(文学や人に対する)愛の大きさに圧倒される。
『花びらとその他の不穏な物語』グアダルーペ・ネッテル(宇野和美訳)
邦訳としては『赤い魚の夫婦』に続き去年こちら(↑)の短編集も発売になったネッテル、ブッカー賞にはStill Born(『花びら』のあとがきで訳者の宇野さんが『ひとり娘』として紹介されている作品)がノミネート。
『花びら』は最後の「ベゾアール石」に打ちのめされた。
村上春樹を意識して書かれたという東京を舞台に据えた「盆栽」は、村上春樹らしい絶妙な文体の訳が光る。