トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

『Small Things Like These』(クレア・キーガン)、『Treacle Walker』(アラン・ガーナー)と2022年のブッカー賞ショートリスト

2022年のブッカー賞ショートリストにノミネートされた2冊を読んだ。

 

 

Small Things Like These / クレア・キーガン

著者と同じアイルランド出身の作家、オスカー・ワイルドの童話や、寓話のようでありながら当時の政治理念に対する疑問を潜ませたチャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』を彷彿とさせる作品。

献辞に「...to the women and children who suffered time in Ireland's mother and baby homes and Magalen laundries...」とあるとおり、1990年代まで存在していたマグダレン洗濯所が題材となっている。

舞台となっているのはアイルランドのニュー・ロス、1985年の冬。クリスマスが近づきつつある。主人公のBill Furlongは石炭や木材を取り扱う商人(40歳)で、この冬も多くの注文を受け大忙し。妻のEileenとの間には5人の娘がいて、みな学校での成績もよく礼儀正しい。

決してぜいたくな生活を送っているわけではないけれど毎日が小さな幸せであふれていて、妻のEileenに「Aren't we the lucky ones?」と話しかけることもある。そんなある日、BillはThe Good Sheperdという修道院の洗濯所で働く少女に「助けてほしい」と声をかけられる。そして洗濯所のあり方に疑念を抱くようになる。

いかにもキーガンらしい短い小説で、登場人物たちの気持ちが描写されることはほとんどなく、過去や出来事が静謐な筆致で綴られる。カトリックが権威として存在するこの小さな町で、娘たちの将来を天秤にかけ(娘たちもカトリックの女子校に通っているのだから)、リスクを冒してまで自分が倫理的に正しいと思うことを実行できるかというのが大きなテーマとなっていて、物語の鍵となるのは何度もBillの記憶に蘇る自身の生い立ちだ。

ウィルソン夫人というプロテスタントの金持ちの家でメイドとして働いていたBillの母は、16歳のときにBillを出産した。母の家族を含め、カトリックの人々は母を見放したものの、ウィルソン夫人は彼女を擁護し、病院にも連れて行って世話をして、うちで働き続ければいいと言ってくれた。Billが生まれてからは読み書きを教え、クリスマスには『クリスマス・キャロル』を贈り、かわいがってくれた。

若くして私生児を出産した女性たちを矯正するために経営されている洗濯所(洗濯には自分の罪も洗い流すという意味が込められている……)を見て、Billの頭に浮かぶのは間違いなく自分の母親やウィルソン夫人のことだろう。女性に庇護されて育ち、今では5人の娘を持つBillの女性に対する考え方は、当時のアイルランド人男性としてはかなり珍しいかもしれない。

'What have I against girls?' he went on. 'My own mother was a girl, once. And I dare say the same must be true of you and half of all belonging to us.'

腐敗した権力に屈するのは、「Christian」らしい生き方と矛盾するのではないかと考え始めるBillを勇気づけるのも記憶の中の「small things」だ。この言葉は登場するたび重みを増し、最初のページをめくったときには考えもしなかったような場所へと読者を連れていく。

 

『マグダレンの祈り』

さて、この作品は邦訳が出版される可能性が高いと思う。

それを待つ方は、『マグダレンの祈り』を読んで(観て)おくといいかも。マグダレン洗濯所で起こった出来事を、収容された女性の視点から描いた作品。著者は洗濯所で助産婦として勤務した経験を持つ。婚外交渉で妊娠した少女、レイプされた少女、美しすぎて男を破滅させると言われた少女が、家族から見放されて洗濯所に送られ、本名を取り上げられ、修道女や神父から虐待される日々を描いている。

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『青い野を歩く』

キーガンによる短編集『青い野を歩く』も、アイルランドの田舎町に住む人々を描いている。

冒頭に収録された「別れの贈りもの」は、生まれ育った田舎の家を出て飛行機に乗り、ニューヨークへ向かう「きみ」の物語。夏に出ていくのだから、きっと大学へ行くのだろう。「きみ」がついに出ていく実家の床に射しこむ光を、犬が入ってくる音を、ニオイアラセイトウのにおいを、去る者しか持たない感覚を研ぎ澄ませて観察している様子とは裏腹に描かれることのない気持ちが際立つ。

表題作は、神父のとある1日を描いたもので、思いを言葉にできないそのもどかしさと最後に登場する癒しはもちろん、色彩の美しさが忘れがたい。深紅の花、つややかな赤毛、酒で真っ赤になった顔など人間同士のふれあいを表しているかのような赤に、真珠のネックレスや中国人の家など清浄を意味する白、そしてタイトルにもなっている青。

何十年ともに暮らしてもわかりあえない夫婦と、物語ることを通じて秘密がほころびはじめる描写が忘れ難い「森番の娘」など、そこはかとなくケルト文化を感じられる作品もある。

 

Treacle Walker / アラン・ガーナー

神話や伝説をテーマにした児童書を多く発表しているアラン・ガーナーの作品。

主人公はJoeという少年で、弱視を治すため眼帯をしている。ある日Joeの前にTreacle Walkerという名の「rag and bone man(廃品回収業者)」が現れる。Joeは古いパジャマと羊の骨と引き換えに、瓶と石を手に入れるのだが、瓶にはJoeの名前が掘られていて、石には馬の絵が描いてあった。

Joeはその後家の近くでThin Amrenという男に出会い、弱視は「the glamourie」、つまり人には見えない時間を見る力を与えてくれるのだと告げられる。そして大好きな漫画の世界と現実が入り混じり、ヒーローや魔法使いとともに戦うことになるのだが……。

冒頭に引用されているのがなんとカルロ・ロヴェッリで、

Il tempo è ignoranza(時とは無知なり / Time is ignorance)

という『時間は存在しない』の第9章のタイトル。

アラン・ガーナーらしいイギリスの伝説やおとぎ話に基づくシンボリズムと、量子力学の魅力を混ぜ合わせた物語なのだけれど、いかんせんそのシンボリズムが理解できないことが多く、消化不良気味。子どもの頃、ガーナーの本を手にとって読んでいたころは難しいとは思っても、題材となっている神話を知らなくても、疑問を持たずに読み進めることができたのに……あの頃のようにまっさらな状態で本を読むことができたらいいのに……とちょっとうらめしく思った。

Joeが眼帯をすることでコミックの世界と行き来するようになるというのが個人的に興味深い。以前の記事にも書いたとおり、吉本ばななやグアダルーペ・ネッテルなどの作家も幼少期に眼帯をしていたことで想像力が磨かれたようなことを話している。

 

『時間は存在しない』

シェイクスピアやリルケなど、多くの文学作品を引用しながら量子論を説明する名作。死に対する考え方まで綴られていて、読み始めると止まらなくなる。

そういえばもうひとつ、量子力学に大きな影響を受けているのではないかと読みながら思った作品がある。それはクラリッセ・リスペクトルの『星の時』。これについてもまた書きたい。

 

『ふくろう模様の皿』

ウェールズに伝わる神話『マビノーギオン』を題材に、義理の兄妹ロジャとアリスン、そして2人の住まうお屋敷のコックの息子でウェールズ人のグウィンという3人の恋や憎しみ、すれ違いを描いた作品。

神話で伝えられる三角関係が、現代に至るまで何代も繰り返しよみがえり、人々を苦しめている。後半はほぼほぼ会話だけで物語が進行するし、神話についても土地の因縁についてもまったく説明されないのに、もしくは説明されないからこそ、神話に込められた悲哀が美しく昇華される。

訳者の神宮輝夫はあとがきにこう書いている。

ガーナーは、前三作のファンタジーで、一貫して善と悪との対立と、善の勝利を追求してきました。それぞれに特長あるおもしろさを持っていますが、そのテーマと、テーマの追求のしかたは、やはり抽象性が高かったというべきだろうと思います。「ふくろう模様の皿」で、悪にいどむべき具体的な方法が、現代の若者の生活の中で追求されている点に、ガーナーのテーマの発展と力量の進歩がはっきりと見られると、私は考えています。

 

その他のノミネート作品はこちら。

Oh William! / エリザベス・ストラウト

www.tokyobookgirl.com

 

The Seven Moons of Maali Almeida / Shehan Karunatilaka

 

The Trees / Percival Everett

 

Glory / NoViolet Bulawayo