どうやら、犬を飼うDNAというものがあるらしい。犬とヒトとの共存の秘密は、遺伝子に刻まれているらしい(英国とスウェーデンの研究による)。
人生の大半を犬と暮らしている人間としては、わかるわかるーと頷いてしまう。家族の古いアルバムを開けば、父方&母方どちらの祖父母もおじ・おばも嬉しそうに犬と写っているもの。
犬とはまったく縁がないと話していた恋人(今の夫)の実家に初めて遊びに行ったときも、アルバムを見せてもらって嬉しくなったものだ。彼の祖父母、おじ・おば、いとこたちの写真にはしっかり犬が写り込んでいた。大型犬を赤ちゃんみたいに抱っこしてにっこり笑っている人、お座りする犬に寄り添っている子ども、すました小型犬と乳児のツーショット。初めて見る人たちが犬を見つめる表情は、わたしもよく知っている表情で、どこか懐かしく甘やかに感じた。
さて、こちら(↓)は最近読んだ&読んでる&これから読む、犬小説です。
- 『雌犬』ピラール・キンタナ(村岡直子訳)
- 『ぼくの名はチェット』
- 『犬婿入り』多和田葉子
- 『子犬たちのあした: ロンドン大空襲』
- "Neighborhood Dogs" / Taisia Kitaiskaia
- 今読んでる&これから読む「犬」小説
『雌犬』ピラール・キンタナ(村岡直子訳)
雌犬(しかも野良出身で出産経験あり)と暮らしているわたしとしては「これ、絶対に読んじゃいけないやつ……結末はわからないけど、多分冒頭からとんでもなく辛い気持ちになるやつ……」と思って避けていたのだが、スペイン語文学イベント「女と動物のままならぬ関係」での訳者・村岡直子さんのお話がとんでもなく面白くて即買いした(『兎の島』訳者の宮崎真紀さんのお話も面白かった! こちらはイベント前に入手済み)。
舞台はコロンビアの大西洋岸にある小さな村。首都ボゴタから延々と伸びる40号線の終着地、ブエナベントゥーラからさらに海の方へと進んだ場所だ。家があるのは崖の上、裏にはジャングルが広がる。
何よりほしかった子どもに恵まれぬまま40歳を迎えようとしているダマリスは夫ともうまくいかず、希望の見出せない日々を過ごしている。ところがひょんなことから雌の子犬を譲り受け、寒がらないようブラジャーの中に入れて育てる。女の子が生まれたらつけたいと思っていた名前をつけるが、成長した雌犬はダマリスの思い描いていたような犬にはならない。
ダマリスが暮らしているのは、決して楽園のような場所ではない。彼女も含め周りはみな貧しく、嵐がくると揺れるような木造の小屋に住んでいるのだが、その嵐や真夜中の雷、すべてをぼんやりと覆い隠す雨、息を呑むような夕景、凪いでいる海、そしてなにより鬱蒼としたジャングルについて読んでいるうち、自分も確かにこの風景を見たことがあるような気持ちになる。
ダマリスは子どもができないことで「女性としてぽんこつ」という劣等感を抱えているばかりか、幼少時のとある事件によって罪悪感に苛まれてもいる。だからもっと痛めつけられて当然なのだという思いがどこかにある。そしてこの思いこそが、娘のように、つまり自分の分身のように大切に育てたのに、自分と正反対の存在になってしまった雌犬に対する歪んだ感情を生む。原題のLa Perraも、英語訳のThe Bitchも、犬というだけではなく女性性に対するそうした侮蔑的な感情を彷彿とさせる……せっかく犬に与えた名前をダマリスが呼ぶことはほとんどないのだ。
こんなにも赤ちゃんを待ち望んでいる自分は不妊なのに、愛犬は何の苦労もせず妊娠してぽこぽこと子どもを生むんだからと、そういえば『セックス・アンド・ザ・シティ』のシャーロットもぼやいていたなあと思い出す。もちろんシャーロットは愛犬を疎んじたりしない。出産が始まれば「Elizabeth Taylor! Mommy's coming!」(ぎょっとするほど台詞を覚えてるSATCオタ)と大切な「娘」の元へ駆け寄り、幸せいっぱいの笑顔で子犬を抱き上げる。
ダマリスの友だちだった裕福なニコラシートだって『ジャングル・ブック』が大好きで、動物に人間が助けられる物語を当然のものとして受け入れていた。ダマリスはありえないと一蹴するような物語を。愛とお金はこういうところで切っても切れない関係性を見せつけるのかもしれない。
偶然、この本の前に読んでいたのがロルカの『イェルマ』を含む三大悲劇集だったので(つながりについて訳者の村岡さんがあとがきに書いている)、不妊=呪いのモチーフというか関連性も興味深かった。
『ぼくの名はチェット』
これは犬人間から貸してもらったミステリ。面白かったー!
私立探偵のバーニーが、警察犬訓練所を優秀な成績では卒業しなかった愛犬、チェットとチームを組んで謎を解決する。物語がチェットの視点から語られるのがよい。擬人化された犬ではなく、リアル「犬」な感じが、他にはちょっとない特別な作品。バーニーが口にするちょっとした比喩が理解できなくて「え?? 何言ってんの?」って感じになるチェットがとにかくかわいい。
犬好きなスティーヴン・キングが絶賛したというのも頷ける。3巻まで邦訳が出ているから読もうっと。
『犬婿入り』多和田葉子
表紙がすべてを物語っている。ちなみに先月待ちに待った『太陽諸島』を購入したところで、「犬婿入り」ってどんな話だったかなあと思って久しぶりに再読。この文庫は、「ペルソナ」との2本立て。
『子犬たちのあした: ロンドン大空襲』
これは装丁のわんちゃんが、子どもの頃きょうだいのようにして一緒に育った犬ととても似ていたので即買いし、内容も素晴らしくて将来子どもと読みたい本リストに入れている作品。ドイツ軍の攻撃が毎日のように続く戦時下のロンドンで、人間の家族とはぐれてしまった雌犬(しかも妊娠している)の体験と、彼女が紡ぐ人間同志の絆の物語。
ウクライナの情勢を見ていて犠牲となった動物のことを知ると、この頃と何も変わっていないなと落胆することもあるけれど、本書と同じように小さな命を助けることにすべてを捧げている人がいることを学び畏敬の念でいっぱいになることもある。
"Neighborhood Dogs" / Taisia Kitaiskaia
The Literary WitchesのKitaiskaiaの短編? エッセイ?
めちゃくちゃ面白かった。「Most of the dogs in my neighborhood are unremarkable, uncharismatic.」から始まり、犬種から人を連想する。
たとえば、金色の毛をした陽気なゴールデン・レトリバーは「アメリカらしい犬、屈託がなく何の心配もしなくていい」。一方、ソ連からの移民である彼女の両親はレトリバーを飼おうなんて思いもしなかった。気難しく、人を見れば吠えたて噛み付くことさえある黒いテリアを何匹も育てていた。
とあるゴールデン・レトリバーを見ると彼女が思い出すのは、幼少時代の友人の父親。そして当時決して裕福ではなかった彼女に対する冷たい視線。そこからばーっとレトリバーでもテリアでもない、彼女らしい生き方を見つけた解放感が語られるのだが、その流れと最後の文章がすてきで、犬好き人間らしさがあふれてる感じ。
今読んでる&これから読む「犬」小説
Dogs of Summer / Andrea Abreu(Julia Sanchez訳)
カナリア諸島出身(テネリフェ島)の著者が、その方言を用いて綴る10歳の女の子と彼女の親友、Isolaの日々。原書が手に入らなくて、英語訳を。ちなみに原題はPanza de Burroで、特に犬は関係ない。すごく工夫されているのだろうなという訳で、方言と子どもならではの視点が入り混じる様に魅了される。
犬は出てくるのか? なぜ英語タイトルは犬?? 原題から察するに、Dog days of summerにかけてるのかな? まだわかりません。とりあえず、著者はめちゃくちゃかわいいわんころりんと同居している様子(Instagram調べ)。読み終えたらまたレビューを書きたい……です。
『十五匹の犬』アンドレ・アレクシス(金原瑞人・田中亜希子訳)
とても味わい深く、なぜだか少しずつ読んでいる本(今半分くらい)。なぜかトロントのタヴァーンにアポロンとヘルメスが降臨し、人間の性質について話し合う。そして、なぜだか犬に人間の知性を与えたら、死ぬとき幸せを感じるかどうか賭けようという話になり、ランダムにフリーダムに、近くの動物病院に預けられていた15匹の犬に知性を授けるのだが……というお話。
神々の不条理さはリアルギリシャ神話だし、知性を与えられて苦悩したり言葉遊びに無情の喜びを感じたりする犬に共感を覚え、野良の生活の厳しさには身をつまされる。
そして、プリンスという犬のつくる詩が! とても良いです。これは……?と不思議に思って付記を読んだら、詩のコンセプトについて説明してあり、思わず膝を叩きました。本書はひいては翻訳に関する物語でもあるのだというようなことを語っている著者のインタビュー(下)も面白い。この記事の写真で著者と一緒に写っているプードルさんは著者のわんちゃんなのか?
『犬身』松浦理恵子
これは長らく積んでいる本! そろそろ読みたい。