トーキョーブックガール

海外文学や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

『わたしたちが火の中で失くしたもの』マリアーナ・エンリケス

[Las cosas que perdimos en el fuego]

良作、英語訳も売れに売れていると評判を聞いていて、スペイン語で読もうか英語で読もうか迷っていたら、なんと本屋さんで日本語訳を発見した! 

どこに行っても海外文学のコーナーで平積みになっているから、注目されている様子。

「ホラー・プリンセス」という異名がつけられたアルゼンチン人作家による短編集だ。 

わたしたちが火の中で失くしたもの

わたしたちが火の中で失くしたもの

 

 アルゼンチン出身の女性作家といえば、シルビナ・オカンポ。エドガー・アラン・ポーはもちろん、ヘンリー・ジェイムズなどアメリカ人作家の影響も垣間見られるが、茫漠としたパンパが続くアルゼンチンらしい、自分のアイデンティティがどこへ行ってしまったのか分からなくなるような奇妙な作品を生み出したことで知られる。

なぜアルゼンチンでは、他のラテンアメリカ諸国と比較にならないくらい幻想文学が多いのか。訳者の安藤さんは『現代ラテンアメリカ文学併走』でこう語っていた。

その誘因のひとつは作家自身が立っている足元の不安定さゆえといえるかもしれない。ブエノスアイレスは二度創設された。一五三六年ペドロ・デ・メンドーサが建てたプエルト・デ・ヌエストラ・セニョーラ・サンタ・マリア・デル・ブエン・アイレは先住民に破壊され、住民はアスンシオンに移住、やがて一五八〇年フアン・デ・ガライが町を本格的に再建する。つまり現在のブエノスアイレスは廃墟の上に、記憶の幻影の上に作られたのだ……サバトの言葉を借りれば<虚無の上に建設された混沌の都市>が根本に持っている危うさ。

エンリケスは、そんなアルゼンチン流不気味小説の正統派後継者という風情。彼女自身もアメリカ人作家の影響を受けたと語っているのだが、それはクラシックではなく、同時代を生きるスティーブン・キングである。また、フェミニズムにつながる作品も多く登場し、伝統はそのままに、新しい時代のうねりをも感じられる。

 

「汚い子」 El Chico Sucio

例えば、エンリケスの「子供」というモチーフの活かし方にアメリカン・ホラーの面影が感じられる。ブエノスアイレスのコンスティトゥシオン地区に建つ豪奢な屋敷で暮らす主人公。地区自体はそれほど治安のいい場所ではないが、家のそばには路上のマットレスで生活する若い女性と息子がいる。ある日、男の子が家の玄関をノックすると「母親が帰ってこない」と訴える…。

見て見ぬ振りをしてきた社会の歪みを突きつけられるような物語。子供が決して、大人の意のままになるような素直で可愛い子ではないところがまた、それらしいというか。

女性になった男性も友人として出てきたりして、そこはかとなくアルゼンチンらしさを感じる作品。

 

「アデーラの家」 La Casa de Adela

片腕しかない女の子、幽霊屋敷、一夏の冒険&喪失と、ホラー小説の王道を行く短編。

フエンテスの「アウラ」や「女王人形」を思い出した。

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「蜘蛛の巣」 Tela de Araña

どうしてこんな男と結婚してしまったんだろう、と思うような男を夫に持ち、そんな夫と従姉妹とパラグアイのアスンシオンまで車で出かける主人公。ドライブしているとどんどん見えてくる、夫のしょーもなさ。

どうしてこんなに役立たずなんだろう? 死んだ母さんにそんなに甘やかされてた? わたしには物事を自分で解決させなくちゃいけないということをだれも思いつかなかったんだろうか? 何をしたらいいのか、どんな仕事をしたらいいのか、それがわからないので、あんなばかと結婚してしまったんだろうか?

結末にもびっくりで最後まで楽しめるのだが、アルゼンチン人が見たパラグアイ(時代に取り残された、野蛮な国)というのが何よりも興味深かった。特にガソリンスタンドのトイレのシーン。また、アルゼンチンではもう手に入らないファンタのグレープフルーツが、ここでは普通に売られているという描写。

でも、内陸部にはまだあった、もしかすると古い瓶、もしかするとまだ作ってる。そこ、リトラル地方では、ものが姿を消すにはいっそう時間がかかる。

 

「緑 赤 オレンジ」 Verde Rojo Anaranjado

 まずタイトルに首をかしげる。読み始めてなるほど、と思う。

自分の部屋から出てこなくなったボーイフレンドの話なのだ。「わたし」にとっては、彼はスクリーンのプレゼンスアプリ上の小さな点でしかない。緑(available)、赤(busy)、オレンジ(away)なのですね。

「あなたみたいな人のことをヒキコモリっていうの、日本での流行病」なんて会話も出てくる。

 

シルビナ・オカンポ

ビオイ=カサーレスの妻である。現在日本語で読める作品はほとんどないけれど、先日発売された『ボルヘス怪奇譚集』には「不滅の種族」という短編が収められている。

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 『ラテンアメリカ怪談集』には、「ポルフィリア・ベルナルの日記」が。

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 オカンポは不気味なホラー小説の書き手として知られて、エンリケスは彼女の正統な後継者という雰囲気の作品を生み出す。

 

サマンタ・シュウェブリン

こちらもアルゼンチンの女性作家。少女や若い女性が持つ男性性に対しての恐怖心をあぶり出すようなダークな短編が勢ぞろい。 

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ちょっと不気味な話を読みたくてマリアーナ・エンリケスを手に取ったのだけれど、満足。翻訳の文体は、翻訳文学を読みなれた方向けかも。

気がつくと肌寒くなり、夜も少しずつ長くなってきた。もうすっかり秋ですね。

次は、分厚い長編小説を楽しむ予定。

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 今年の秋は長いこと積ん読にしていた作品をいくつか読もうと思う。

それもまた楽しみ。

ではみなさま、happy reading!

 

原書

Las cosas que perdimos en el fuego: Things We Lost in the Fire - Spanish-language Edition

Las cosas que perdimos en el fuego: Things We Lost in the Fire - Spanish-language Edition

 

 英語バージョン

Things We Lost in the Fire: Stories

Things We Lost in the Fire: Stories

 

 

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