[Sylvie]
「シルヴィ」を読んだ。プルーストが『失われた時を求めて』を書くきっかけになった小説とどこかで読んで以来、読みたかったのだ。
[Updated: 2020-04-19]
岩波文庫からも発売に。
- 作者: ジェラール・ドネルヴァル,G´erard de Nerval,中村真一郎,入沢康夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2003/09
- メディア: 文庫
- クリック: 15回
- この商品を含むブログ (16件) を見る
もともと『火の娘たち』という短編集に収録されていたものだが、『シルヴィ』だけ抜き出されて大学書林語学文庫にもなっている。
右のページには原文(フランス語)、左のページは日本語で書いてあってフランス語の訳注も多く学習にもおすすめ。ただし、省略されている章がある。
あらすじ
パリで観劇を終え、劇場を出た「私」は
田舎の花束祭り。ー明日、サンリスの射手はロワジーの射手に花束を返すことになっている。
と書いてある新聞を見かける。そして、長いこと忘れていた幼少期の思い出が鮮やかに蘇ってくる。
「私」はパリ生まれ・パリ育ちだが、子供の頃ロワジーの伯父の家によく滞在していた。「黒い目と端正な横顔、そしてうっすらと日焼けした肌をもっていた」シルヴィという女の子と仲が良く、彼女を愛していると思っていた。
しかし、ある日祭りで踊っている金髪で背の高い美しい娘、アドリエンヌの歌声を聴いた瞬間、彼女に心を奪われてしまう。
翌年アドリエンヌは家族の意向で修道院に入ったと聞かされ、しばらく会うことはなかったのだが彼女は「私」の心を離れることはない。
数年後、田舎に戻りシルヴィに再会する「私」だが、大人になった二人は昔のように仲良く話すことができない。お互いに"vuvoyer"するようになっている(敬語を使い、お互いを「あなた」と呼ぶようになっている)。シルヴィは驚くほど美しく成長しているが、「私」の心の中にアドリエンヌがいつまでもいることを感じ取り、他の若者と結婚する。
その後、パリでオーレリーという女優と恋仲になる「私」だが、愚かにもオーレリーにアドリエンヌの話をしてしまう。アドリエンヌの身代わりとして愛されていると感じたオーレリーは「私」のもとを去る。何年も後、結婚したシルヴィと再会した「私」は彼女の家族を見てこう思う。
おそらくあそこに仕合わせがあったのだ。でも……
そして、アドリエンヌが1832年頃に亡くなっていたことを知る。
感想
短い物語だし筋書きもシンプルなものの、現在と過去を行ったり来たりするのでかなり時制が分かりにくい。ただし、フランス語は過去時制が非常に豊かな言葉なのでこういう書き方ができるのだとも思う。
最後に急に「1832年」という年号が出てくることで、いつまでも夢を見ているようなぼんやりとした物語から急に現実に引き戻される感覚がある。心はずっと少年のままの「私」が、実はもうとっくに大人になっていたのだと我にかえるような。
目の前にあるものが見えない症候群
「私」はシルヴィに愛されているものの、自分には手が届かない存在となったアドリエンヌのことがいつまでも忘れられない。現実家のシルヴィは、さっさと「私」を諦めて求婚者と結婚してしまう。その後出会うオーレリーも、あっという間に「私」に見切りをつける。
なんというか、恋に恋する男と「いま、ここ」を生きる女という構図が面白い。いや、「ファイル保存」の男と「上書き保存」の女というべきか。
プルーストはこの作品が非常に好きで、『失われた時を求めて』のインスピレーションを得たということだが、確かに似ているところがたくさんある。「新聞を見て田舎での恋愛を思い出す」ところは、「マドレーヌと紅茶でコンブレーを思い出す」ことを彷彿とさせるし、ジルベルトに恋をし彼女の名前やイメージだけでドキドキしてしまう様子や、ゲルマント公爵夫人と話をしたこともないのに憧れるのも『シルヴィ』のようだ。もっとも、『失われた時を求めて』では成長した「私」はゲルマント公爵夫人にがっかりすることになるのだが……。
岩波文庫で「アルベルチーヌ」も出たことだし、今年の夏は「ソドムとゴモラ」を読み進めたいものです。
失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)
- 作者: プルースト,吉川一義
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2010/11/17
- メディア: 文庫
- 購入: 6人 クリック: 67回
- この商品を含むブログ (26件) を見る