[Llamadas Telefónicas]
ボラーニョの短編集『通話』を読んだ。昔売っていたものと若干表紙が変わったなと思ったら、改訳バージョンらしい。収録されているのは全部で14作品。
駆け出しの青年作家たちが主人公の「センシニ」、「アンリ・シモン・ルプランス」、「エンリケ・マルティン」、「文学の冒険」、「通話」。ロシアに移住したチリ人やバルセロナで出会ったロシア人を描いた物語を中心とした「芋虫」、「雪」、「ロシア話をもうひとつ」、「ウィリアム・バーンズ」、「刑事たち」。登場人物の記憶にいつまでも残る女性たちを描いた「独房の同志」、「クララ」、「ジョアンナ・シルヴェストリ」、「アン・ムーアの人生」。
「センシニ」
20代で食うや食わずの生活をしている小説家「ぼく」はスペインの文学賞に応募し三位に入賞する。他の受賞作を見ると、なんとアルゼンチン人のアントニオ・センシニの名前がある。センシニといえばラテンアメリカの雑誌に掲載された作品を何度か読んだことがあった。
ぼくは早速センシニに連絡を取り、二人は長い間文通を続けることとなる。軍事政権で国を追われたセンシニはバルセロナで驚くほど貧しい生活をしていた……。
ピノチェト独裁政権で国を追われたボラーニョが書いた、同じく軍事政権により国を去ったもしくは命を失ったアルゼンチン人作家らに対するレクイエムのような物語。
彼は1920年代に生まれた中間世代の作家で、コルタサルやビオイ=カサーレス、エルネスト・サバト、ムヒカ=ライネスらの下の世代に属している。この世代を代表するのはアロルド・コンティで、彼はビデラとその取り巻きたちの軍事政権の特別収容所で行方不明となっている…僕はそんな作家たちのことが好きだった。
といった調子で、ボラーニョが読んできたであろうチリの作家たちの名前が羅列される。アベラルド・カスティージョ、ロドルフォ・パルシュ、ダニエル・モヤーノ。
センシニが「ぼく」に対してなんども繰り返す
がんばれ、さあ仕事だ
という言葉はボラーニョ自身や彼が愛するアルゼンチン人作家を鼓舞する言葉のようで、胸に残る。
「エンリケ・マルティン」
ボラーニョの友人だったエンリケ・ビラ=マタスに捧げられた作品。アルトゥーロ・ベラーノを主人公とした物語(ボラーニョの作品に繰り返し登場するボラーニョを反映させたと思われる人物)。三流詩人の思い出とその死が語られる。笑っていいのか泣いていいのか。とにかくボラーニョの小説には死が頻繁に登場する。
「通話」
Bという主人公の電話を通した恋、失恋、再会、そして元恋人の死。とても短いのに、表情が見えない電話で行われる会話の合間に「……」という見えない沈黙が、そしてそれがもたらす焦燥や嫉妬や恐怖が立ち上がってくるよう。
「雪」
「ぼく」が、ロシアに住んでいたことのあるチリ出身の男ロヘリオと出会うところから始まるのだが、二人が会話していると思いきやいつのまにか怒涛のロヘリオの一人語りが始まる。ロシアにいた頃の、恋の物語。
いつの間にかロヘリオに感情移入し、その半生に同情する。
生きる喜び?分からんね。近いうちに飛行機に乗ってチリへ戻るとするかな。
ロヘリオは序盤で今世紀最大の作家は間違いなくミハイル・ブルガーコフだと「ぼく」に言い張るのだが、これはかつての恋人ナタリアから影響を受けている。『巨匠とマルガリータ』や『劇場』だけではなく全ての作品を読んでいるようだ。なんだかブルガーコフを読みたくなってしまう。
アジェンデを支持していたボラーニョはチリのクーデターに巻き込まれ拘留された経験を持つ。その後はメキシコやスペインに移住し詩人として活動しつつ、小説を書き始めた。『通話』に含まれる短編のいくつかにもチリのクーデターの話がちらっと登場するのだが、あくまでもちらっと「匂わせる」程度で主題ではない。主題は、ネズミのようにくたびれてしまった男や失敗ばかりしてきた女の人生と死。独特の「へろへろ感」というか悲哀が感じられてそれがまたいい……なんとなく斉藤和義が好きな方はボラーニョが好きに違いないと思うのは私だけ?
『2666』はまだ読んでいないので是非今年中に読みたい。
- 作者: ロベルトボラーニョ,野谷文昭,内田兆史,久野量一
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2012/09/26
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