[La Fin de Chéri]
以前『シェリ』を読んだらとても面白かったので、次々にコレットの作品を購入してしまった。『シェリの最後』はタイトル通り、『シェリ』の続編。
結婚してから6年後、30歳を迎えようとするシェリが主人公だ。
岩波文庫は絶版になっていて惜しいなあと思っていたら、おそらくコレット映画化に合わせて復刊されていた。
グーテンベルク21という出版社からKindle版も発売されているのですね。
エドメとの結婚から6年の間に何が起こったかというと、第一次世界大戦。
戦争に従事し、その後パリへ戻ってきたシェリを待ち受けていたのは、何もかもが変わってしまった世界だった。
ココットだった母は金儲けのために飛び回り、友人のデスモンも実業家となっている。何より、おどおどとして常にシェリの顔色を伺い、明け方まで戻ってこない彼を嘆いていたはずの新妻・エドメは別人のように生まれ変わっていた。
病院での仕事に精を出し、次のレジオン・ドヌールをもらうのではないかと囁かれている。知り合いも増え、赤毛で男らしい体躯の医師となんと不貞を働いている。シェリに相手にしてもらえない(セックスレス夫婦)ことなどもう気に病んでいないし、時代に置いていかれたようなシェリを半ば馬鹿にしているのだ。
「あたしがあなたをあてにしていると思う? 今朝お義母さまがすごいこと思いついたの、男爵夫人を病院から彼女の家に送ってゆく途中でね」
シェリの母とはかなり良好な嫁・姑関係を築いていることもあり、結婚生活は体裁を保つためだけに続けると割り切っている。
もうとっくにシェリの居場所など、パリにはなくなってしまっていた。この辺りは、まるで『風と共に去りぬ』のアシュレを見ているかのようでもある。
ここから見えるあなたって、白いプラストロンと白い顔だけが真っ暗闇に宙吊りになってるの……まるでダンス・ホールのポスターだわ。宿命の男って感じよ。
もう、シェリのごときオム・ファタルの時代ではない。エドメの不倫相手やアメリカ軍人のような「男らしい男」が幅を利かせる。
シェリ自身も、歳を重ねるとともに自身の容貌の衰えを感じている。と同時に、あれほど子供っぽいと感じていたエドメが美しく花開いたことに驚きを禁じ得ない。
そんな中、退廃的な恋愛を楽しんだレアに数年ぶりに再会する。
そしてシェリは、自分が幼少時代に与えてもらえなかった母の愛を探し求めるかのように年老いたかつての知り合いの女たちと話をするようになり、薔薇色で居心地のいい、狭い部屋に閉じこもるようになる……。
『シェリ』とこの続編小説の違いといえば、こちらは全てシェリの目線から描かれているということだろう。
また、コレットの私生活においては『シェリ』出版後、二番目の夫の連れ子・ベルトランとの仲が取りざたされるようになり、年上の女性と思春期の男の子の恋愛を描いた『青い麦』を執筆している。その次に出版されたのが『シェリの最後』なのだ。
この辺りのことも、あとがきに詳しく書かれてあってよかった。その自分に素直な(スキャンダラスな、というよりはそう呼びたい)人生が著作に大きく反映されている作家だけに、読んでいると『シェリの最後』が書かれた背景を知りたくなるからだ。
コレットは一体どんな思いで、60を迎え、見る影もなく老けてしまったレアを描写したのか。そして、これ以上の恋を味わうことはないのだと感じたシェリの心の内を描いたのか。
シェリの独白を読んでいると、村上春樹のとある短編を思い出した。のだが、タイトルもどこで読んだかも思い出せない。電車の中で出会った年上の女性と関係を持つことになる青年(少年)を描いたものだったのだけれど、『東京奇譚集』の中の一編だったかな?
「若い頃はこの手のカラフルな出来事というのは、何度も起こるのだと思っていた。歳をとってから、そんなことはないのだと知った」という文章がすごく心に残っている。それと同じ思いを、シェリもしたのだろうなと感じたのだった。
この自伝的エッセイもよかった。コレットの作品は日本語訳が絶版になっているものが多いのが残念。
- 作者: シドニー=ガブリエルコレット,Sidonie‐Gabrielle Colette,工藤庸子
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2006/03
- メディア: 文庫
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