トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

『肉体の悪魔』ラディゲ(中条省平・訳): いつ読んでも印象がまったく変わらない不思議な小説

[Le diable au corps]

僕は愛などなくてもいられるように早く強くなりたかった。そうすれば、自分の欲望をひとつも犠牲にする必要がなくなる。

 

Je souhaitais d'être assez fort pour me passer d'amour et, ainsi, n'avoir à sacrifier aucun de mes désirs.

 最初に読んだ14歳の頃から、印象がまったく変わらない不思議な小説。ついでに言うと、どの言語で読んでも、誰の訳で読んでも、変わらない気がする。これは一体なぜだろうか。

 非常に冷静で距離があるというか、ある意味読者を突き放すような筆致にもかかわらず、ものすごくダイレクトに感情が伝わってくる。今回読んだ光文社古典新訳文庫の訳者あとがきで、翻訳者の中条さんは「人間心理のエッセンスをとり出して濃縮し、それを冷凍保存したような硬さと冷たさがラディゲの天才のしるしです」と書いていて、あっそうだ、それそれ、そういう印象だとうなずいた。

『肉体の悪魔』を読んでいると、「僕」以外の人物、つまりマルトやその婚約者、両親の立場でものを考える余裕がなくなる。「僕」によって差し出される感情のすべてがあまりにうつくしい結晶のようで、ついみとれてしまい、それ以外のことが考えられなくなるのだ。

肉体の悪魔 (光文社古典新訳文庫)

肉体の悪魔 (光文社古典新訳文庫)

  • 作者:ラディゲ
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: Kindle版
 
Le Diable au corps (French Edition)

Le Diable au corps (French Edition)

 

 早熟な16歳の「僕」は、婚約者を持つ19歳の女性マルトと恋に落ち、逢瀬を重ねるようになる。弟のようだが頼りになる友だちを装い、婚約者が出兵しているのをいいことにマルトの新居の家具を2人きりで選びに行ったり、婚約者がマルトに読むなと言ったボードレールの『悪の華』を読ませたり。マルトの結婚後にはついに肉体関係を結ぶ。

マルトの喜ぶ顔が見たかったというより、今夜、その薔薇はどうしたの、と訊く両親に、マルトが嘘の理由を説明しなければならなくなることが楽しみだったのだ。いま電話でついている嘘を今夜自分の両親にも繰り返し、その嘘にさらに薔薇の嘘が加わる。それは僕にとってキスよりも甘美な愛のしるしだった。

 

Je ne pensais pas tant au plaisir de Marthe qu'à la nécessité pour elle de mentir encore ce soir pour expliquer à ses parents d'où venaient les roses. Notre projet, lors de la première rencontre, d'aller à une académie de dessin; le mensonge du téléphone qu'elle répéterait, ce soir, à ses parents, mensonge auquel s'ajouterait celui des roses, m'étaient des faveurs plus douce qu'un baiser.

 ここを読むといつも本から顔を上げて、「はあ」とため息をついてしまう。好きな人がつく嘘が何よりの贈り物なのだ、この人にとっては。

 幸せは長くは続かない。新婚で夫は出兵中のマルトの部屋にしょっちゅう「僕」がやってくることを近所の人は不審に思い、マルトの評判はガタ落ちするし、いくらマルトが「ジャックと幸福になるより、あなたと不幸になるほうがいい」なんて言おうが「僕」はしょせん16歳で、両親の許可がないとできないことだらけ。それで、この記事の冒頭の「早く強くなりたかった」という言葉が飛び出す。

 繰り返される死の予感についての描写は、わずか20歳で早逝したラディゲのその後や、映画化された際に主演したもののこちらも36歳という若さでこの世をさったジェラール・フィリップの運命につながっているようで、読んでいてなんとも言えない気持ちになる。

 

 少女の頃は、ジェラール・フィリップが表紙のアーティストハウス版(松本百合子訳)の『肉体の悪魔』を持っていた。何度も何度も読み返したので、ふと頭に浮かぶ『肉体の悪魔』はこちらの訳だ。

 映画で主演をつとめたジェラール・フィリップがそれはそれは美しくて、全体的に鮮やかな黄色で、主人公の経験する嫉妬や切望を表現しているようで、すてきな装丁だった。でも一度古い本を整理したときに手放してしまって、今でも後悔している……。古本で探そうかな〜。こんな感じの装丁(このヤフオクは終了してます)。

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