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今年のギラー賞ロング・リストやノーベル文学賞代わりのスウェーデンの文学賞にも新作Viがノミネートされていたヴェトナム系カナダ人作家キム・チュイ。
The Scotiabank Giller Prize Presents its 2018 Longlist - Scotiabank Giller Prize
村上春樹さん、ノーベル賞代わりの文学賞ノミネート辞退:朝日新聞デジタル
読みたいなと思っていたところ、デビュー作のRuの日本語訳『小川』を書店で見つけたので家に連れて帰った。表紙には、真っ白な三角の帽子を被り軽やかなアオザイを着て小川を渡る二人の少女。今にも色あせてしまいそうな写真で、この本の折れそうな細さと相まって、眺めているとなんだか心もとない気分になる。
1968年にヴェトナムのホーチミンで生まれたキム・チュイは、10歳の時にカナダに移民した。自らの移民体験も多分に織り込まれているのであろう本作ではカナダ総督文学賞を受賞している。短くて数行、長くても数ページという章から成り立つビネットで、すごく短い(145ページ。原書であるフランス語のペーパーバックはたったの152ページ)のだが、各章、心にずしりとくるような不思議な重みと美しさがあり、何度も繰り返し読んでしまう。短いからこそ、文章が映像のように立ち上がってくるのを感じられる。
主人公はチュイと同じく1968年生まれの女性、グエン・アン・ティン(An Tinh Nguyen)。その両親はホーチミンでは特権階級で、
並外れた生活を送っていたせいで……[略]……何でも夢見ることができた。
ところがヴェトナム戦争のテト攻勢で家族の運命は一変する。一家は「ボートピープル」としてマレーシアへ避難し、さらにカナダへたどり着く。
グエン・アン・ティンの母は嘆き悲しむことなく前だけを見て進む。三十四歳にして初めて労働を体験する。家政婦をしたり、工場やレストランで働いたり。カナダ移住は子供達が恵まれた人生を始めるための最良の選択だった。ところが、三十代の両親にとってそれはある意味「人生の終わり」を意味していたのだ。祖国と同じように、親アメリカ派と共産主義者に分かれた一族。家族や友人と離れ、見知らぬ土地で慣れない言葉を使って生きることの大変さ。自身の夢をあきらめ、子供のために生きること。命をなんとか繋げようとする世代と、恵まれていることを当たり前として育つ世代。作者と同じようにフランス語圏で育ち、ヴェトナムのことを「そういうエキゾチックな国には行ったことがなくて、両親の出身国ではあるのだけど」と、どこか遠いものとして話していたヴェトナム系の友人のことをふと思い出した。
大人になったグエン・アン・ティンがハノイに戻り、そこで見かけた老婆の折れ曲がった背中や、貧しい暮らしを営む女の子の細さにヴェトナムの過去を重ねるシーンも印象的だ。
悲しみの重みで腰が曲がり、もう立つこともできなくなっていた…背中にのしかかるベトナム人たちの声にならない歴史の重みに、こらえ続けた。しばしば、ベトナムの女たちはその重みの下敷きになって、静かに息を引き取った。
冒頭にもある通り、フランス語では「小川」や「流れ(涙、血、金銭など)」を意味する言葉"ru"。ヴェトナム語では、「子守歌」や「ゆりかご」という意味らしい。そのダブルミーニングは作品そのものにも当てはまり、小川のようにさらさらと流れていくようでいて、子守歌のように優しくいつまでも心に残る物語だった。
食いしん坊にはたまらない、美味しいものの描写もあったので抜粋。
父方の祖父はいつも真っ白なパジャマを着て、彫刻の施された脚のついた黒檀の大きなベッドに横になっていた……祖父の好物は、ご飯に焼豚を乗せたものだった。豚肉は挽肉のように細かく刻まれていたが、挽いたのではなく、二ミリ角に刻まれていた。それを銀の輪でふちどられた白と青の茶碗に、炊き立てのご飯と一緒に盛った……何十年もの間、毎日、その茶碗は丁寧におばさんの手のくぼみに収められていた。おばさんは熱くなった繊細な茶碗を指で支えた。そこに醤油を少しと、赤い文字が書かれた保存容器に入ったフランス製のブレテルのバターを加えた。祖父を訪れるたび、そのご飯をご馳走になった。
ひゃー。食べたい。バター醤油ご飯なんて、『美味しんぼ』の「恥ずかしい料理」じゃないですか(私の一番のお気に入り回)! バター醤油ご飯と、ソーライスが出てきて、若く美しい男女が結ばれて……。
新作(出版されたのは2016年、英訳されたのが2018年)Viの紹介文がこちら。これまた『小川』と同じように短い章で構成された物語で、主人公はヴェトナム出身の女の子。
三人の兄の下に生まれ、「小さく尊いもの」という意味を持つ名前(バオ・ヴィ)をつけられる。裕福な家庭ですくすくと育つが、ヴェトナム戦争がきっかけで一家はサイゴンからモントリオールへと移民する。成長したヴィは旅するようになり、変わっていく世界を目撃するのだが……。
Au temps de l'Indochine, le domaine de la famille Lê Van An englobe d'immenses terres et une vaste demeure où s'affairent près de trente domestiques. C'est là que naît le père de Vi, avec le destin d'un prince comblé que l'histoire va déchoir de son royaume. Dans l'ombre dévolue aux femmes, son épouse dirige d'une main de fer l'exploitation fragilisée par les réformes, puis la guerre. Lorsque Vi voit le jour, le dix-septième parallèle sépare déjà le Nord du Sud. La réunification et la chasse aux possédants l'obligent à fuir son pays sur un bateau de fortune. En quittant Saigon pour Montréal, celle dont le prénom signifie "minuscule" et "précieuse" devra apprendre à apprivoiser la grande vie et ses tumultes. Et à saisir les hasards qui lui ouvriront à nouveau, un jour, les portes du pays natal.
著者インタビューもYouTubeにあったので、貼っておきます(フランス語)。