[The Story of My Teeth / La Historia de Mis Dientes]
てっきり最初に英語が出版されたのだと思っていた、『俺の歯の話』。スペイン語だった。
作者のバレリア・ルイセリはメキシコ人だが父の仕事(NGOに勤務したのち外交官になる)の影響で、米国、コスタリカ、韓国、南アフリカとそれはもういろいろな場所を転々としながら育った。なんていうと、まるまま「カルロス・フエンテスじゃん!」と思うよね(訳者あとがきにも書いてある)。
それにしても装丁が素敵すぎてうっとりする。紙の厚さもいい。「どうだ特別な本だぞ」とアピールしまくっているようだ。
歯はどこへ行った
グスタボ・サンチェス・サンチェス(ハイウェイ)の「俺の歯と、俺のコレクションやモノの変わりやすい価値についての話」。ハイウェイは自称「世界一の競売人」である。そんな彼の人生は、誇張法、比喩法、循環論法、寓意法、省略法を使って語られる。
まるで、突拍子もないお話が子供の口から出てくるときの愉快な気分、自由な発想力に感嘆する。
本当にはちゃめちゃ、キテレツなのだが、激しいname-droppingにより、歯どころではなくなってしまうというか、「何か裏があるな……」という気持ちにさせられる。たとえば、サンチェスに影響を与えたおじたちは、プルーストだったり、ドストエフスキーだったりする。ハイウェイが口から出まかせを言って売り飛ばす歯は、チェスタトンの歯、ヴァージニア・ウルフの歯、ボルヘスの歯だという触れ込み。また、後の方になるとルイセリを含むラテンアメリカの若手作家たちそろい踏み!(『盆栽』のアレハンドロ・サンブラ、米国でも評判のユリ・エレーラ、『文学会議』や『わたしの物語』のセサル・アイラなど)まるで、「今、ここ」のラテンアメリカを売り込んでいる感すらある。
ディケンズ+MP3÷バルザック+JPEG
面白いのは、訳者(英語&日本語)による年表やあとがきも含めて、1つの作品となっているところ。そしてこれは、フメックス・ギャラリーにおける現代アート展の一部として書かれた作品なのだ。展示の内容はこちら。El cazador y la fábrica(狩人と工場)。
その小説の書き方もさることながら、一通り読んだ後に巻末の写真やら展示内容やらを見ていると、「これがハコボ・デ・ボラヒネの言ってた<文化コーナー>か!」とか、「これが例の《糞の山》ね!」とか、今まで本の中で彷徨っていた世界に現実が入り込んできた感じがする。はじめて見るはずのアート作品に、すでに愛着を抱いているという不思議。
つい読み返したくなり、最初のページに戻ると、ハイウェイはこう呟いていた。
そこまで行ったら、もう俺が一人称で語ることはあるまいよ、俺は死人、人もうらやむ幸せな男になってるさ。
これを思い出した
『競売ナンバー49の叫び』トマス・ピンチョン
最初にアート作品があり、小説ができた(おそらく)ということと、「競売人」というキーワード、そして「訳者のあとがきまで作品の一部」で、ピンチョンの作品を思い出した。
ピンチョンの作品にはレメディオス・バロ(バロはスペイン生まれで、後にメキシコで活躍した画家)の《大地のマントを刺繍する》が、主人公エディパの感じている閉塞感の象徴として登場する。
のみならず、訳者による「解注」を読むと、《呪文(インヴォケーション)》という喇叭を持った女の子の絵を、ピンチョンが所有していたのではないか、そしてこの作品のインスピレーションとしたのではないかという考察が示されているのだ。
作品を執筆したとき、ルイセリもピンチョンも20代、ピンチョンは舞台とするカリフォルニアを歩き回り、ルイセリはフメックスから送ってもらった写真などでエカペテックを「バーチャルな形で歩き回った」という偶然も楽しい。
『継母礼賛』マリオ・バルガス=リョサ
わたしの好きな「歯の物語」
歯の登場する話は、印象的なものが多い気がする。たとえば、
『ホワイト・ティース』ゼイディー・スミス
こちらもまた、"teeth"をタイトルに使用した作品。下町育ちのアーチーとバングラデシュ出身のサマードを中心に、移民が集まる現代のロンドンにおける日常をシニカルに描いている。初めて読んだときの驚きと喜びは忘れがたい。「これこれ! こういうのが読みたかった!」と思ったものだ。再読したい。タイトルの意味は、今でもわかったようなわからないような。
『ミューズ』赤坂真理
17歳の少女が30代の歯科医(既婚)を誘惑するところから始まる物語だと聞けば、タイトルの「ミューズ」は当然少女のことを指しているのだと思うではないか。冒頭の数ページで明かされるから書いてしまうけど、薬用石鹸・ハンドソープのミューズなのだ!
「先生の手、なんでこんないい匂いなの?……って、言おうとした」
もちろん、ハンドソープ以上の意味もあるし、最初から最後までうまいこと使われている。タイトルを見て、あらすじを読んで想像した物語とはまったく違う、どこか硬質でひんやりとした印象の作品。それこそ歯科医院そのもののような。
今いる場所から逃げるために「歯の矯正」を決心する少女、「歯並び」が示す社会的階級や格差。
朝起きる。目が開いて次に、舌や口の中の粘膜がブラケットをみとめる。今日も金属が私についているという、憂鬱と、きれいになる未来への淡い希望。
『わたくし率 イン 歯ー、または世界』川上未映子
川上未映子の『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』を初めて読んだときの「うっひゃ〜」感は忘れ難い。その独特の語り口はクセになるし、頭の中でどんどん増殖されて「ゴッホにゆうたりたい」の語り口の誰かが自分の中にどんと居座ることを決めてしまったみたいに、何をしていてもしゃべり続けている中毒性!
そしてその次に読んだこちらも。「歯ー」はあのイントネーションの「はぁ」なのね、またわたしの頭の中でしゃべり続けるつもりなのね。どうぞどうぞ、と招き入れたくなる。
装丁・ブックデザイン
ちなみにどう考えても日本の装丁が一番すてき。
*スペイン語
*英語
The Story of My Teeth: A Novel in Six Instalments (English Edition)
- 作者:Luiselli, Valeria
- 発売日: 2015/04/02
- メディア: Kindle版
*ドイツ語もかわいい。