[Cadáver exquisito]
アルゼンチンの牛肉は格別においしい、とよく聞く。パンパを走り回り、牧草を食べて育つ牛の肉は締まっていて脂身が少なく、いわゆる肉らしい肉なのだと。牛肉消費量も年間285万トンで日本の2倍*1、1人あたりの消費量はなんと日本の6倍だ*2。
そんなアルゼンチンだからこそ生まれたのではないかと思うディストピア小説がCadáver exquisitoである。2020年にはTender is the FleshとしてPushkin Pressから英訳が出版された。
原書はこちら。今回は英語で読んでから、スペイン語で読みました。
舞台となっているのは近未来のとある国。地球上のあらゆる動物が新型のウイルスに汚染され(これは「移行(Transición / Transition)」と呼ばれている)、人間は肉を食べることはおろか、ペットとして動物を身近に置くことすらできなくなる。今までペットを飼っていた人は泣く泣く捨てるか、自ら殺すか迫られ、すべての人がヴィーガンとなる。
もちろん肉を好んで食べてきた人は多い。野菜のみ食べる生活に満足できるわけがなく、そのうち「カニバリズム」が合法化され、食用人間の繁殖場や人肉処理場がいくつも作られる。「カニバリズムに関して進んでいる国」ということで、中国やらドイツから多くの人がその技術を学ぶため処理場を訪れる。そんな人肉処理場で働いているのが主人公のマルコスだ。
...El gobierno, su gobierno, decidió resignificar ese producto. A la carne de humano la apodaron “carne especial”. Dejó de ser sólo “carne” para pasar a ser “lomo especial”, “costilla especial”, “riñón especial”.
...The government, his government, decided to resignify the product. They gave human meat the name "special meat". Instead of just "meat", now there's "special tenderloin", "special cutlets", "special kidneys".
さすがに「人肉を食べる」というのは後ろめたいので、人肉は「特別肉(carne especial / special meat)」と呼ばれている。処理場でも、食用人間のことは「人間」とは呼ばずに「頭(cabeza / head)」と呼んでいる。そんなふうに言葉のオブラートに包んでも、人肉であることに変わりないのだが。
主人公のマルコスは、とある悲劇がきっかけで妻とは別居し、がらんとした家と職場(処理場)を行き来する味気ない日々を送っている。ところがある日、「プレゼント」としてメスの「頭」をもらいうける。
屠殺前にストレスを与えないことがおいしい(人)肉のコツ、血統書付きの(人)肉をありがたがる風習、家庭で「頭」を育ててパーティーがあるたびに「自家製特別肉」をふるまうのが富裕層のステータス……。思わず吐き気を催すようなおそろしい描写も多くあるのだが、すべて今日、人間が動物に対して行っていることでもある。肉を食べる意味について再考したくなる。
ほかにも政治家の腐敗など、アルゼンチンの文化や状況を風刺しているようでありながら、どの国にも(というか世界中のどの人間にも)当てはまるエピソードばかり。人間とはこれほど残酷で、これほど優しい生き物なのだと、人間が抱える業や矛盾について深く考えさせられる。
本書はタイトルがまた秀逸だ。原題も、英語版も。思わず日本語に翻訳されるとしたら、どうなるだろうと想像する。原題に沿って「優美な屍骸」(フランス語のle cadavre exquisより)でも、英語題のように「肉はやさし(あるいは肉はやわし)」でも、なんだか読書欲を「そそる」なと思う。ちなみに中国語訳ももう出版されていて、こちらにつけられた題は『食人輓歌』。
カニバリズムも近年多く見られるテーマだけれど、コーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』や、村田沙耶香の『生命式』にならぶほど鮮烈な印象を残す作品だ。忘れがたい読書体験となった。