トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

The Dangers of Smoking in Bed / マリアーナ・エンリケスの原点(Megan McDowell訳)

[Los peligros de fumar en la cama]

 

 国際ブッカー賞のショートリストにノミネートされていた、マリアーナ・エンリケスのThe Dangers of Smoking in Bedを読んだ。エンリケスの初短編集。読みながら何度も、「いいなあ……好きだなあ……」としみじみ思う。何度でも繰り返し読みたい。

The Dangers of Smoking in Bed

The Dangers of Smoking in Bed

 

 どの短編もぞっとするような物語だけれどホラーのみにとどまらず、現代のアルゼンチン(や1話のみスペイン)が抱える問題を浮き上がらせる。日本語訳も出版された『わたしたちが火の中で失くしたもの』に比べると荒削りか、というとそんなことはまったくなく、すでにエンリケスらしさが確立されているのがよくわかる。アルゼンチン流幻想文学の正統派な後継者ながら、ホラーという手法を通して社会格差やフェミニズムや子どものネグレクトなど、現代社会の闇を提示している。

 悪臭に満ち満ちた短編が非常に多かったのも印象的だ。ごみや汚物にまみれた『荒涼館』時代のロンドンや、残雪の『黄泥街』のように読んでいるだけで鼻がひんまがりそうな描写が多く、今までかいだことのあるあんな悪臭やこんな悪臭の記憶を総動員して脳内での再現に励んでいると、まるで主人公となり物語を生きているような気持ちになるから不思議。

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 短編それぞれの備忘録を。

 

"Angelita Unearthed"

 しとしとと降る雨から始まる物語。庭を掘り返していた「わたし」は骨を見つけた。その骨を見た祖母は取り乱して「アンヘリータ! アンヘリータ!」と叫ぶ。祖母の妹の骨だったのだ。曽祖母の10人目の子どもだったか、11人目の子どもだったか。当時は子ども1人1人に注意を払うような時代ではなかったので、それも定かではないのだが、生後数か月で死んでしまった女の子だということだった。アンへリータが骨に還ったあとも雨が降ると、その泣き声が祖母にだけは聞こえるのだという。

 その後祖母は亡くなり、家族は引っ越し、「わたし」は大人になって一人暮らしを始める。ところがとっくに忘れていたアンへリータがなんと「わたし」のデパルタメント(アルゼンチンのスペイン語でピソ)に現れるのだ。幽霊としてではない、見ただけで「オエ〜」となるような半分腐った姿で。なぜ今になって突然やってきたのか? アンへリータが求めているものは何なのか?

 インパクト大でとにかく笑える味わい深い短編。土地に縛られる人間の業について考え、ヒロインの力強さ(腐った妖怪のような怪物のようなのを発見してとりあえず首を絞めて殺そうとする勇気や最後の行動よ……)に喝采を送る。なんか痛快で元気になれる。

 

"Our Lady of the Quarry"

 「わたしたち(we / nosotros)」が主語の物語が大好きなので、頭の中のリストにそっと加えた作品。

 この物語の「わたしたち」は16歳の女の子たちで、ひょんなことから知り合ったディエゴという18歳の男の子が大好きだ。「わたしたち」には決して手を出そうとしないディエゴが夢中になったのは、「大人」のシルビアだった。なんだって知っていて、働いていて自分の自由になるお金を持っているシルビアが「わたしたち」のものだったディエゴを奪ってしまう。その嫉妬や集団心理の恐ろしさの描写の見事さといったら。

 

"The Cart"

 悪臭物語その1。カニバリズムは小説のテーマとしてここ数年で急によく見るようになった気がする。

 

"The Well"

 シルヴィア・プラスの詩を冒頭に掲げた作品。南米らしい魔術と、母と娘・姉と妹の関係性が描かれる。

 

"Rambla Triste"

 

 ブエノスアイレスから観光に来た女性が5年ぶりに見たバルセロナは汚く、汚物にまみれ、どんよりと曇っていた。移民の苦しさやネグレクトされる子どもをテーマにした物語。

 

"The Lookout"

 オーステンデ(ベルギー)のとあるホテルに滞在した若い女性や、ホテルにとどまっている幽霊(女性)の物語。どうして各国の怪談で「狂女」が登場するのか、どうして狂女は決まって塔に閉じ込められているのか、どうしてこのサイクルは終わらないように思えるのか。

 

"Where Are You, Dear Heart?"

 『ジェーン・エア』、『白痴』、『ヴェネツィアに死す』の共通点とは?

 

"Meat"

 とあるアイドルとファンガールたちの物語。

 

"No Birthdays of Baptisms"

 インターネットがあぶりだす、人間の心の闇。ペドフィリアや、少女が日々感じる抑圧について。

 

"Kids Who Come Back"

 行方不明となっていたはずの10代の少年少女がある日を境に、次々と家族の元に帰ってくるという物語。ところが、奇妙なことが判明する。外見は絶対にその子のはずなのに何かが違う。何がとは言い切れないものの、親しい人にだけはわかる。その子そっくりの何か別の生き物なのだ。しかも、何年も行方不明だったはずなのに、どの子もまったく歳をとっていない……。

 アルゼンチンで行方不明、というとやはり汚い戦争(Guerra Sucia)が頭に浮かぶ。軍事政権によって行われた政治活動家や学生らの取り締まりで、多くの人が強制拉致され拷問された。今も3月24日になると、大切な人を失くした遺族らを中心にデモが行われる。多くの人が「Nunca Más(二度と繰り返さない)」と書かれたハンカチを掲げる。

 社会の犠牲となるのは必ず子どもなのだという思いを強く実感させられる。どことなくアンドレス・バルバの『きらめく共和国』にも似ている。

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"The Dangers of Smoking in Bed"

 蝶だか蛾だかの生き物の死骸に、主人公の頭のフケと、カサカサに乾ききってタバコの火で何もかも燃え上がりそう。

 

"Back When We Talk to the Dead"

 日本語でいうところの「こっくりさん」に夢中になる女の子たち。こういうぞっとする話ってどこの国の怪談にもありそうなのだけれど、それを10代の女の子の抱える不安やアンバランスな感情とうまく結びつけているところがさすがエンリケス。冒頭に心が持っていかれる。

At that age there's music plaing in your head all the time, as if a radio were transmitting from the nape of your neck, inside your skull. Then one day that music starts to grow softer, or it just stops. When that happens, you're no longer a teenager. But we weren't there yet, not even close, back when we talked to the dead.

 
 
 
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エンリケスのその他の作品 

 これも読みたい。

Nuestra parte de noche/ Our Part at Night

Nuestra parte de noche/ Our Part at Night

 

 こちらはエッセイで、なんと世界中の墓園・墓地を歩いた記録(!)だそう。

 

ひとりごと 

 今季は珍しく、日本のドラマにハマったわたしです。何を見ているかというと、『リコカツ』(北川景子さん&永山瑛太さん)。北川景子好きの夫が見ているからなんとなく一緒に見始めたのですが、北川景子さんのジュエリー使いがすてきすぎて!

 北川景子さん演じる咲が30代半ばで仕事に邁進している(編集者)という設定もあり、ブシュロンやカルティエのジュエリーを普段使いしていて、うっとり。このお洋服とネックレスの組み合わせかわいい〜ブシュロンのキャトルかわいい〜似合ってる〜〜北川景子さん顔が小さくて首が細いからカルティエのラブネックレスが50cmくらいあるように見える〜咲は現実世界にいたらカルティエのタンクを愛用してるタイプだと思うけど北川景子さんシチズンのイメージキャラクターだからシチズンの時計なんだ〜と頭の中が忙しく、もはやドラマを見てるんだかジュエリーを見てるんだか状態……笑。

  このブログは海外文学ブログだけど、またどこかで日本文学とジュエリーについて書きたいな〜と思う今日このごろ。ではみなさま、今週あと半分もhappy reading!

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