[Se una notte d'inverno un viaggiatore]
初めてこの本を読んだときのことを、手に取るように覚えている。
なぜかというと、ひどくがっかりしたからだ。
大学に入って初めての長期休暇だった。受講していたクラスの期末試験が随分と遅い時期にスケジュールされていたので、私が全てを終える頃には、寮にはほとんど誰も残っていなかった。私は試験が終わった次の日、ウキウキとした気分で雪の中トランクを引きずり、寮を出た。
南半球にいた家族にメリークリスマスの電話をしてからタクシーに飛び乗って、友人とチャットしながら空港へ向かった。手持ち鞄にはIf On A Winter's Night A Travellerを忍ばせていた。目的地に到着するまでは本当に久しぶりの一人きりの時間。飛行機に座り、思いっきりフィクションの世界に浸ろうと思って本を開いたら……。
読んでも読んでも、物語は始まらない。始まらないどころか、最初の章だけ読まされて後はさようなら、こんな思わせぶりな仕打ちを繰り返し受けて、「どっぷりと本の世界に浸りたい」と思っていた私は心の底から失望したのだった。
今考えれば、どういう内容なのか確かめてから読みなよという話なのだが、致し方ない。これがカルヴィーノと私の出会いだったのです。
「読書をめぐる冒険」
白水Uブックスの帯にはそう書いてあって、これ以上に、このメタフィクションを的確に表す言葉はないだろうなと感じる。
あなたはイタロ・カルヴィーノの新しい小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている。さあ、くつろいで。精神を集中して。余計な考えはすっかり遠ざけて。そしてあなたのまわりの世界がおぼろにぼやけるにまかせなさい。
そして、これ以上に素敵な小説の始め方というのはちょっと思いつかない。
カルヴィーノの言われるがまま楽な姿勢になり、飲み物なりお菓子なりを用意して、読書に身をまかせるのだが、残念ながら「あなた」(読者であり、この作品の主人公でもある)は小説に没頭することはできない。
せっかく楽しみに書店から家に連れ帰った『冬の夜ひとりの旅人が』は乱本で、一章しか読むことができなかったのだ。
どうしても続きが読みたい「あなた」は小説を求めて様々な人に巡り会うこととなる。女性読者(ルドミッラ)、大学教授、編集者、翻訳者、小説家、ゴースト・ライター……。
一つの小説を読み通すはずが、次から次へと魅惑的かつ多様な作者による作品が顔を出し、「あなた」は自分ではどうすることもできない強い力に流されるように、理想の読書体験を求めてさまようこととなる。
「あなた」の冒険もさることながら、その出会いを通じて「物語」の在り方や「翻訳」(「あなたはこの文体の厳密さに満足しながらも実のところを言えばすべてが指の間からこぼれ去ってしまうのに気づいていたはずだ、おそらくは翻訳のせいだということになるかも知れない、翻訳はごく忠実なものであっても、それがいかなる言語であれ、原語の中にあるはずの本質を丸ごと再現しはしないからだ。」)、読書の悦びについて考えを馳せることができるのもいい。
一章ずつ登場する「別の作家」による作品も、文体も題材も作品ごとに七変化を遂げるカルヴィーノらしくて面白い。『影の立ちこめた下を覗けば』はどことなくフランコフォン・ミステリーという趣があるし、『月光に輝く散り敷ける落葉の上に』なんて翻訳された日本文学感がすごくて笑ってしまう。その変態的キモ性描写は、川端康成か谷崎潤一郎か(はたまた村上春樹か)といった感じ。『うつろな穴のまわりに』は『ペドロ・パラモ』のようで、まさにラテンアメリカ文学を想起させる逸品。
これだけ手を変え品を変え、全く異なる文体で物語を綴るカルヴィーノも素晴らしければ、的確な翻訳をあてはめている翻訳者の脇功さんも素晴らしい!
『冬の夜ひとりの旅人が』(イタリア / イタロ・カルヴィーノ)
『マルボルクの村の外へ』(チンメリア / バザクバル)
『切り立つ崖から身を乗り出して』(チンメリア / ウッコ・アフティ)
『風も目眩も怖れずに』(チンブロ / ヴォルツ・ヴィリャンディ)
『影の立ちこめた下を覗けば』(ベルギー / ベルトラン・ヴァンデルヴェルデ)
『絡みあう線の網目に』(アイルランド / サイラス・フラナリー)
『もつれあう線の網目に』(アイルランド / サイラス・フラナリー)
『月光に輝く散り敷ける落葉の上に』(日本 / タカクミ・イコカ)
『うつろな穴のまわりに』(アタグィタニア / カリスト・バンデラ)
『いかなる物語がそこに結末を迎えるか?』(イルカニア / アナトリー・アナトリン)
本作を読み終えると必ず、「長く熱いフィクションの世界に浸りたい」と思ってしまう。読書欲を掻き立てられる作品であるがゆえに、今では大のお気に入りになっている。
「今私がいちばん読みたい小説は」とルドミッラが説明する。「物語ろうとする欲求のみが、ストーリーにストーリーを積み重ねようとする欲求のみが原動力になっているような作品なの、世界のヴィジョンを示そうとする意図なんかなく、ただ、植物が成長し、枝や葉が繁茂していくように、作品が成長していくのに立ち合うことができるような小説なのよ……」
同じく「読書」をテーマの一つに掲げた物語といえばAutumn。
その他「冬」をテーマにした海外文学はこちら。
カルヴィーノの作品はどれも旅や読書がテーマになっていて、一度その魅力に引き込まれたら、もう後戻りはできない(嬉)。『見えない都市』レビューはこちら。
みなさま、今日もhappy reading!