トーキョーブックガール

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『憂鬱な10か月』 イアン・マキューアン: 生まれるべきか、生まれざるべきか。それが問題だ

[Nutshell]

 『波 6月号』の小山田浩子さんによる書評がとても面白かったので、発売日に購入したマキューアンの最新作。ようやく読む時間がとれた。

憂鬱な10か月 (新潮クレスト・ブックス)

憂鬱な10か月 (新潮クレスト・ブックス)

 

 マキューアンの繊細な言葉選びやピリリと皮肉がきいたプロットが好きで、ほとんどの作品を読んでいるのだけれど、この作家は特に「子供」を描くのが上手いと思う。

 のだが、『憂鬱な10か月』の主人公はなんと胎児! お母さん(トゥルーディ)のお腹で、羊水の中を漂いながら、成熟した口調で語りかけてくるのだ。

 口調だけは大人の男性のそれで、苦悩する様子はまさにハムレットそのもの。ジョイスの『ユリシーズ』を引用したかと思うと、母が妊娠中にもかかわらず飲むワインをお腹の中で一緒に嗜み、ソムリエ顔負けの感想を並べ立てる。が、まだ生まれていないので、「色」が何なのかよく分からなかったりするところがご愛嬌。

 で、名前もまだない彼は、生まれるべきか迷っている。なぜなら、母親に愛されているという確信が持てないし、おまけに母親は父親を暗殺して、愛人と一緒になろうとしているのだ。詩を愛する父親とは裏腹に、愛人(父親の弟)は頭が悪くチンピラのよう。森の妖精のように美しい母がどうしてこんな男に惚れたのか、全く解せない。

 ところがその後、父にも愛人がいることが発覚し、事態はいよいよ収拾がつかなくなってくる。文章の美しさを味わうとともに、マキューアンの軽妙なストーリーテラーっぷりも楽しむことのできる作品だった。

 

 ちなみに、原題はNutshell。「胡桃の殻」とくると思い出すのはもちろん、『ハムレット』のあのシーン。ハムレットが学友だったローゼンクランツとギルデンスターンに再会し、語り合う場面だ。

「デンマークは牢獄だ」と言うハムレットに、「ハムレット様のように大志を抱く方にとっては、この国はいかにも狭すぎましょう」と返すローゼンクランツ。それに対して、

俺は胡桃の殻に閉じ込められても、無限の宇宙を支配する王者だと思っていられるー悪い夢さえ見なければ。

(松岡和子訳『ハムレット』より)

とハムレットは言うのだった。胎児も、母親のお腹の中に閉じ込められているとはいえ、小さい部屋にこもって美しい詩や戯曲を発表する芸術家と同じように、無限の夢を見ることができる。そう、何か悪いことさえ起きなければ。

 冒頭にも、このハムレットの言葉が引用されている。というわけで、久しぶりに『ハムレット』も読み返してみた。我が家にあるのはこの2冊。

 まずは新潮文庫の福田恒存版『ハムレット』。こちらは、日本語での舞台化を念頭に訳されたもので、発表当初は意訳すぎるという批判もあったらしい(あとがきより)が、会話が流れるようで、とにかく日本語として美しい。

ハムレット (新潮文庫)

ハムレット (新潮文庫)

 

 もう一つは、ちくま文庫の松岡和子版『ハムレット』。いろいろな訳が出尽くした後に登場したもので、シェイクスピアの段落替えなどに忠実でありながら、現代的な日本語が使用された作品。現代人が読むとなると、これが一番読みやすいかもしれない。 

シェイクスピア全集 (1) ハムレット (ちくま文庫)

シェイクスピア全集 (1) ハムレット (ちくま文庫)

 

 小田島雄志さんの訳も素晴らしいと聞くので、こちらも読みたいと考えているところ。

ハムレット (白水Uブックス (23))

ハムレット (白水Uブックス (23))

 

 『ハムレット』を読み返して思うのは、「ガラスの仮面って、私の人生に大きい影響を与えたんだなあ……」ということ。だって、オフィーリアがハムレットの乱れた姿を見て嘆き悲しむあのシーンも、ハムレットが生きるべきか死ぬべきかと悩むシーンも、最初に知ったのは『ガラスの仮面』を通してだったんです! 白水社文庫だと、この巻かな。

ガラスの仮面 (第5巻) (白泉社文庫)

ガラスの仮面 (第5巻) (白泉社文庫)

 

 マヤが『石の微笑』で人形役に徹している間、向かいの劇場で劇団つきかげが『ハムレット』を演じていたはず。もちろんハムレット役は青木麗ちゃん、オフィーリアは水無月さやかちゃんでした。ちょっと宝塚っぽい感じ笑。ブログを書いていると、全巻読み返したくなってきてしまった……。

 

 さて、このようにシェイクスピア作品をモチーフにした『憂鬱な10か月』、てっきりVintage社のHogarth Shakespeareの一環だと思いきや、そうではないらしい。こちらはこちらで、2021年にギリアン・フリンがOn Hamletという作品を発表するそう(随分先だな)。フリンは『ゴーン・ガール』の作者である。

Hogarth Shakespeare

www.tokyobookgirl.com

 それではみなさま、今週末もhappy reading!

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