[Nocturno de Chile]
白水社から出ているボラーニョ・コレクション最後の一冊。
そのタイトル通り、チリという国、そして語り手のセバスティアン=ウルティア=ラクロワというチリ人神父にとっての「夜」、死にゆく心中を描き出した物語だ。
死の床にあるセバスティアンが、自身の人生を振り返る。意識は途切れることなく(独白が本になっているので当たり前だが)次々と彼の人生に起こった出来事を繰り出してくる。
神学生の頃に出会った、フェアウェルというチリ最大の批評家。彼の農園に招待されたこと。そこでチリの国民的詩人パブロ・ネルーダと出会ったこと。
そこにネルーダがいて、彼のつぶやく言葉の意味は頭に入ってこなかったが、その本質をわたしは最初の瞬間からあたかも聖体のように受け取った。そしてわたしはそこで、目に涙を浮かべ、広大な祖国で道に迷った哀れな一聖職者として、我々の最も卓越した詩人の言葉の甘美な味わいを享受していた。
詩や小説を慈しむセバスティアンは神父となり、仕事柄多くの死と対面することになる。そして、アジェンデ政権成立からピノチェト(ピノチェ)による独裁政権を経て、チリが変わっていく様子を内側から見ている。
変わりつつある社会の様子と重なるように描写されていて印象的だったのが、「鳥」だ。
神学生の頃のフェアウェルを訪ねていくエピソードでは、
木立の陰から数羽の鳥が飛び立った。その鋭い鳴き声はケルケンと、忘れられた村の名前を叫んでいるようだったが、それは誰、誰、誰(キエン、キエン、キエン)という叫びにも聞こえた。
彼が祈りの言葉を呟いている間中、彼のアイデンティティを問うかのように鳥が泣き叫ぶ。
神父となってからのエピソードでは、別の神父が飼っていたロドリゴという鷹が何度も登場する。飼い主が死に、鷹自身も年老いていなくなってしまったはずが復活を遂げたかのように「颯爽とし、誇らしげで、優雅に枝に」とまっている姿を見せるところなどは、まるでチリという国の再生と復興を願うセバスティアンの、ひいてはボラーニョの祈りと重なるようで心に残った。
ボラーニョにしては珍しく政治を真っ向から(それでも他の作家に比べると、真っ向からという言い方は正しくないかもしれない)描いた作品だった。
そのときフェアウェルが口を開き、わたしはまた、わかるかね? と訊かれるだろうと思っていたところ、彼はこう言った。パブロはノーベル賞を取るだろう。そう言ったときの彼は、まるで焼け野原の只中ですすり泣いているようだった。そしてこう言った。ラテンアメリカは変わるだろう。続けてこう言った。チリは変わるだろう。それから顎の骨が外れてもなおこう言った。私がそれを見ることはないだろう。
夜想曲(nocturne)といえば、こちらも。イシグロによる音楽をめぐる短編集。