トーキョーブックガール

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The Promise / Damon Galgut: 2021年のブッカー賞受賞作

デイヴィッド・ロッジは『小説の技巧』(柴田元幸・斎藤兆史訳)で、意識の流れについて、こう書いている。

明らかにこの種の小説は、内面がさらされている登場人物に対する読者の共感を喚起しやすい。その意識がいかに虚栄に満ち、利己的で、下劣であったとしても事情は変わらない。

まさにそれが、2021年にブッカー賞を受賞した作品The Promiseにおいて南アフリカ出身の作家Damon Galgutが、意識の流れを駆使した理由なのだろう。

The Promise

The Promise

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物語は白人の少女、Amor Swart(エイモア・スウォート)が学校で呼び出されるところから始まる。病気だったMa(母)が亡くなったのだ。Amorは、亡くなる直前の母と父の会話をこっそり聞いたことがあった。

(Do you promise me, Manie?

Holding on to him, skeleton hands grabbing, like in a horror film.

Ja, I’ll do it.

Becase I really want her to have something. After everything she's done.

I understand, he says.

Promise me you'll do it. Say the words.

I promise, Pa says, choked-sounding.)

母と同い年で40歳の黒人奴隷、Salome(英語読みだとサローミ?)が住んでいる家、といっても小屋に近いものなのだが、この所有権を彼女に譲り渡してほしいという(のだけれど、今読み返してみればはっきりとその言葉が口にされたという証拠はどこにもないことに気づく)。

母の死後、AmorはPa(父)に「約束は守るよね?」と問いかける。ところが「約束って?」と父が聞き返したとき、「Salomeの家のこと」と答えたAmorの小さな声は彼に届かなかった。代わりに「もうホステルに戻りたくない(幼いAmorは闘病中の母を煩わさないようホステル暮らしを強要されていた)」とひとりごちたのを聞き取った父は「約束」の内容を取り違え、「もう戻らなくていい。約束する」と話したのだった。

そんなわけで時が経ち、「どうしてSalomeに家をあげないの」とAmorが詰問しても父はそんな約束はしていないと言い張り、決して家を渡そうとはしない。どのみちアパルトヘイト下の南アフリカでは黒人に家を贈与することなどできなかった。

だが時は流れ、南アフリカは変わる。アパルトヘイトは終焉を迎え、ネルソン・マンデラが大統領となり、ソウェト蜂起が起こり、ラグビーのW杯が開催され、人々の生活は変わり続ける。

そんな南アフリカのSwart一家の約束の行方を、Galgutは意識の流れを用いて描き出す。この小説は「Ma」、「Pa」、「Astrid(アストリッド)」、「Anton(アントン)」の4章に分けられていて、それぞれの章のタイトルとなっている人物の死と葬式が描写されるのだが、そのすべてでSwart家の人々のみならず、遠縁の親戚やその場に居合わせた浮浪者まで、さまざまな人物の意識に焦点が当たる。まるでヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』や『灯台へ』のようだ。

Astridは美しさを失った事実を埋め合わせるかのように黒人男性との不倫にうつつを抜かし、軍隊を逃げ出したAntonは「小説家になりたい」と言いながらほとんど何も書くことはない。だがGalgutの用いる意識の流れによって、こうした人物に読者が寄り添えるように、というよりもこういう人物の中に入って彼らの視点で物事を見つめられるようになっている。

特に面白いのはAntonで、彼の言葉遣いや頭に浮かぶジョークを読んでいると、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を読んでいるような気持ちになる。小説の最後の最後でようやく、「約束」の相手であるSalomeが姿を表し、その意識が語られるというところも、レオポルド・ブルーム*1の妻であるモリーが最後の最後で登場する場面を彷彿とさせる。

Salomeがペネロペイアだとしたら、オデュッセウスは誰? もちろん、家を出て何十年もの後に帰還するAmorだろう。冒頭では、両親の会話を盗み聞きしていても誰にも気付かれないというAmorのエピソードが挟まれ、彼女は「They didn't see me, I was like a black woman to them」と考える。最後まで、まるで透明人間のように存在を忘れられていたSalomeがようやく物語に浮上し、Amorもようやく自分を受け入れられるようになるのではないだろうか。

でもそうした手法だけがこの小説の面白さではない。Galgutはとある白人一家と黒人一家を通して南アフリカの変遷を巧みに描き出す。Swart家の4人はなんと全員が全員、違う宗教の下に埋葬される。死の前に改宗していた母はユダヤ教、父は南アフリカの白人では多いであろうオランダ改革派(プロテスタント)、Astridはカトリック。Antonは宗教などこれっぽちも信じておらず無宗教での葬式を願っていたというのに妻が夢中になっているヨギがスピーチを行うことになり、限りなく仏教に近い「生まれ変わり」、「カルマ」の話が登場して出席者を困惑させる。ラビ、神父、牧師にヨギ。多くの人種が暮らす南アフリカの宗教を網羅するようだ(ヨガは宗教ではないけれど、少なくない南アフリカのインド系の人々を反映しているのだと思われる)。

国の贖罪を描いたようなこの物語で、わたしが一番気になった人物はSalomeの息子のLukas(ルーカス)だった。ルーカスは少年の頃、母を亡くしたAmorに「あなたの暮らしてる家は、あなたのものになるのよ」と告げられ、こう考える。

Our house?

It’ll be yours now.

He blinks, still confused. It’s always been his house. He was born there, he sleeps there, what is the white girl talking about? 

Amorが良かれと思って発した言葉を、Lukasの目を通してみると、色々な国で侵略者が土地を奪い、滅し、何十年、いや何百年も経ってから被侵略者に返還するときに語るような身勝手さが感じられる。大人になりずいぶん変わってしまったLukasに「What happened?」と問いかけたAmorに「Life happened」と返す場面もなんともいえない気持ちにさせられた。Galgutが用意しているのはまるで御伽噺のような結末で、それはきっと作家が祖国に見出している希望そのものなのだろう。パンドラの箱を開けてすべてを失ってしまっても、残る希望。

2021年のブッカー賞候補作は4冊読んだのだけれど、これを最初に読んでいたら、とても他の作品は読めなかっただろうなと思った。読んでいるうちに「あ、あれも読みたい」、「これも確かめたい」というのがどんどん出てくるし、何よりもう受賞作はこれしかないだろうと思わせる魔力のある作品だったから。

あ、そうそう、もう1つ面白いことがあった! 『ユリシーズ』といえば「Stately(柳瀬尚紀訳では「ふんぞりかえった」)で始まり、「yes.」で終わる、つまり「S」から始まり「S」で終わるということを『ユリシーズ航海記』で学んだ。いつまでも繰り返される、循環する物語。柳瀬尚紀さんってすごいなあ……と記憶に刻まれていたのだが、ふと気になってThe Promiseを最後まで読んでから、冒頭に戻ってみた。

すると、この小説も循環する物語だったのです。「The moment」から始まり、「next.」で終わる。もちろん偶然であろうはずがなく、こうした仕掛けがいくつも隠されているのだろうな、そしてわたしはそれにまったく気付かずただただ面白い物語として、幸せな読者として読んだに過ぎないのだ。この小説は、何度も繰り返し開かれることを待っている。読み終えてすぐに再読したくなってしまった。

ユリシーズ航海記

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「あれも読みたい」と思ったのは、このあたり。

 

*1:柳瀬尚紀訳ではリアポウルド