トーキョーブックガール

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『ダイヤモンド広場』 マルセー・ルドゥレダ(田澤耕・訳): ガルシア=マルケスいわく「内戦後にスペインで出版された最も美しい小説」

[La plaça del Diamant]

 この文庫の帯にも使用されている、ガルシア=マルケスによる賛美の言葉を使わずに、この小説の素晴らしさを伝えたいけれど、「内戦後にスペインで出版された最も美しい小説」、これ以上にぴったりとくる言葉はないとも感じる。

 祖母から聞いた戦争の話、迷信や言い伝えが作品のインスピレーションだったというガルシア=マルケスにとって、内戦の時代をぼろぼろになりながら生き抜いた女性、ナタリアの一人称で語られる小説は、この時代のスペインを表す鏡であったとともに、どこか懐かしいものでもあったはずだ。

ダイヤモンド広場 (岩波文庫)

ダイヤモンド広場 (岩波文庫)

 

 とにかく最初から最後まで大好きで、言葉のひとつひとつをネックレスやイヤリングにして持ち歩きたいくらい素敵な小説。岩波文庫の表紙の、ピカソによる鳩の絵も大好き。

 

 ナタリアが友人のジュリエタに誘われ、ダイヤモンド広場のお祭りに出かけていくところから物語は始まる。

 ジュリエタはそれを伝えるためにわざわざケーキ屋に来てくれた。ブーケより前に、コーヒーポットのくじ引きがあるって。見てきたけど、コーヒーポットは、それはそれは可愛くて、白地に半分に切って種が見えているオレンジが描かれているんだって。私は踊りになんて行きたくなかった。出かける気にさえなれなかった。だって、一日中ケーキを売り続けていて、金色のリボンをしごいて飾り結びにしたり、取っ手を作ったりして指の先が痛くて仕方がなかったから。

 まず、まだ幼さが残る主人公の、観察眼の鋭さに驚く。感覚よりも聴覚よりも、視覚の人なのだ。友人とやってきたダイヤモンド広場の飾り付けや、楽団員の汗や、声をかけてきた男の子のシャツの柄について、まさに目を皿のようにして、いや、全身を目のようにして観察している。

 と同時に、何度も繰り返される、

お母さんは何年も前に死んじゃってて、私に何も教えてくれないし、お父さんはほかの人と結婚している。お父さんはほかの人と結婚しちゃってて、私のことばかり気にかけてくれていたお母さんはいない。

を読むと、心がギュッと締め付けられる。

お父さんは結婚しちゃってて、 年端もいかない私はひとりぽっちでダイヤモンド広場、コーヒーポットのくじ引きを待っている。

 ナタリアはきっと、その心の拠り所のなさを埋めてくれるものを探している。ペラという恋人がいるのに、お祭りで出会った強引な男の子、キメットと付き合うようになり、あっという間に結婚してしまう。彼からクルメタ(小鳩さん)、クルメタと呼ばれるようになり、新たな生活が始まる。

  サグラダ・ファミリア教会やミラ邸(カサ・ミラ)、グエイ公園(グエル公園)といったバルセロナの名所でデートしていると思えば、これまたあっという間に妊娠し、アントニという男の子と、リタという女の子を生む。キメットの気まぐれで何十匹もの鳩の飼育を始め、鳩が飛び回る家の中で忙しく過ごしていたかと思うと、内戦が始まり、キメットは友人らとともに市民戦争に加わる。

 

*Spoiler Alert [ネタバレあり] 

 結婚し、子供を生み、一人で必死に育て、再婚し……と、ナタリアの人生は目まぐるしく変わっていくのに、内戦によってそれ以上の速さですべてが変わっていくのは、まるで内側と外側が反対向きに渦を巻いている二重の螺旋を見ている気分だ。

 そして、その目まぐるしさの中で、変わらずにナタリアに寄り添うさまざまな物体が、余計に心に残る。ルドゥレダの作品はシンボリズムに富んでいて、たとえば自分のあだ名にもなる「鳩」は、戦争が始まる前の生活そのものであり、常に空の「青さ」とつながっている。「コルク」は、すべてを無くしたナタリアの「雪みたいに冷たい心」を、何も感じずにやっていかないと生きていけないという辛さを表している。「ナイフ」は、訳者のあとがきにもある通りセックスのシンボルであり、ナタリアとキメットの初夜の描写にも出てくるし、最後にも印象的な登場の仕方をする。

 キメットはマチスモそのもののようでもあるし、その死後に現れるアントニは年齢こそキメットより上だけれど、新時代を表しているように感じられる。

 と同時に、ナタリア自身も、キメットの友人らや豆屋のアントニにとって、若さや楽しさのシンボルでもある。内戦前の楽しかった時を思い出させてくれる存在なのだ。

 そしてきっと、読者にとっても。わたしにとってナタリアはワーキングマザーの象徴だ。毎日くたくたで、なのに何も達成できていないような打ちのめされた気分でベッドに入る、この非常時の日々の絶望を慰めてくれる、美しい巻貝のよう。耳を寄せれば波の音がかすかに聞こえ、人生への希望が湧いてくる。ずっとナタリアの話を聞いていたい、ナタリアの記憶に浸っていたい。そう思わせてくれる物語だった。

 

 同じくバルセロナで過ごす青春を描いたラフォレットの『なにもない』や、 

なにもない

なにもない

  

二度と帰ってこない10代の夏を描いた、パヴェーゼの『美しい夏』がお好きな方は、絶対に好きなはず。 

美しい夏 (岩波文庫)

美しい夏 (岩波文庫)