(黄金の軍鶏)
フアン・ルルフォのEl Gallo de Oroを読んだ。
2冊の本を出版した後、フィクションの執筆はやめてしまったルルフォだが、その後は映画やテレビの脚本を手がけるようになる。本作はルルフォ作の映画用プロット(原案)で、映画化の際にはカルロス・フエンテスとガブリエル・ガルシア=マルケスが脚本を担当したという。
El gallo de oro y otros relatos
- 作者: Juan Rulfo
- 出版社/メーカー: RM Verlag, S.L.
- 発売日: 2017/04/01
- メディア: ペーパーバック
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今年岩波文庫化された『燃える平原』を読んで、どうしても読みたくなって購入したもの。
『燃える平原』 フアン・ルルフォ - トーキョーブックガール
『ペドロ・パラモ』 フアン・ルルフォ - トーキョーブックガール
日本語訳は発売されていないので、あらすじを書いておく。
無から始まって無で終わるというルルフォらしいシナリオが出来上がっている。行間からは、人生の空しさやメキシコのからからに乾いた風を感じた。その他『燃える平原』には収録されなかった短編も含まれている。選ばれなかったということで、やはり『燃える平原』の作品群には技術的に劣るのだけれど、ルルフォ独特の土臭さが感じられるような「死」にまつわる作品ばかりだった。ルルフォにしては珍しく、女性を主人公にしている物語が散見されるのも特徴。
- El gallo de oro(黄金の軍鶏) あらすじ
- La Fórmula Secreta
- La vida no es muy seria en sus cosas(人生はそれほど深刻じゃない)
- Un pedazo de noche(夜のかけら)
- Cartas a Clara - XII(クララへの手紙)
- Castillo de Teayo(テアヨの城)
- Después de la muerte(死んだ後)
- Mi tía Cecilia(セシリアおばさん)
- Cleotilde(クレオティルデ)
- Mi padre(おれの親父)
- Igual que ayer, dijo el padre(昨日と同じだと親父は言った)
- Susana Foster(スサナ・フォステル)
- Iba adolorido, amodorrado de cansancio(疲れ果てて眠かった)
- Angel Pinzón se detuvo en el centro(アンヘル・ピンソンは真ん中で止まった)
- El descubridor(発見者)
El gallo de oro(黄金の軍鶏) あらすじ
Amanecía.
Por los calles desiertas de San Miguel del Milagro, una que otra mujer enrebozada caminaba rumbo a la iglesia, a los llamados de la primera misa. Algunas más barrían las polvorientas calles.
サン・ミゲル・デル・ミラグロの町には、死んだ動物や女子供の弔いのために泣きわめく「泣き屋」がある。主人公のディオニシオ・ピンソン(Dionisio Pinzón)はそこで働いている。年老いた病気の母親と二人暮らしで貧困にあえいでいるものの、腕に怪我を負ったため力仕事ができないのだ。
ある日ピンソンは、祭りで闘鶏を見かける。そして戦いに敗れ瀕死の軍鶏を、殺そうとしていた持ち主から譲り受ける。家に連れ帰ると母の助けを借り、この軍鶏を必死に看病する。軍鶏は持ち直すのだが、病気だった母が亡くなってしまう。
棺を買うお金すらないピンソンは、家のドアを壊すとそれで母親を墓地まで運んでいく。それを見て、死んだ動物でも埋めるつもりなのだと思った村人たちはピンソンを笑う。ピンソンはこの機会に軍鶏を連れて町を出て行くことにする。
ピンソンは行く先々で軍鶏を闘鶏に出すのだが、軍鶏は勝ち続けピンソンに富をもたらし、「黄金の軍鶏」(金を生む軍鶏)と呼ばれるようになる。また、ある日たどり着いたアグアス・カリエンテスでは、「ラ・カポネーラ(La Caponera)」というあだ名の歌手と、その愛人ロレンソ・ベナヴィーデス(Lorenzo Benavides)という男と知り合う。
ピンソンの軍鶏とベナヴィーデスの軍鶏は闘うのだが、黄金の軍鶏はついに負けて死んでしまう。ピンソンはその後ラ・カポネーラと親しくなり、付き合うようになる。彼女は黄金の軍鶏に取って代わるような幸運の女神で、一緒にいると必ず賭け事で勝つのだった。ピンソンはラ・カポネーラを崇拝し、その願いはなんでも叶えてやるようになる。2人は大金を手にし、町を後にする。
ラ・カポネーラとピンソンは世界を旅し、のちに結婚して娘が生まれる。最終的に2人は一箇所に留まり、ピンソンは家にこもりきりになり、ラ・カポネーラに見守られる中で賭け事を続ける。ラ・カポネーラはアルコールに溺れるようになり、二人は娘の世話を怠りだす。
誰にも構ってもらえない娘は成長し、自由に出歩きはじめ、次第に町の恐怖の対象となる。町中の男と寝て、暴力を振るい、不倫で円満な家庭を壊すのだ。しかし家から出ずに賭け事や酒に浸っている両親は娘の行動を知ろうともしなかった。
ある日とうとう全てを失ってしまったピンソンは寝ていた妻を揺り起こし、その首からパールのネックレスを奪い取るのだが、その場に居あわせた医者は彼に、妻は1時間前に眠ったまま亡くなっていると告げる。アルコール中毒が原因で死に至ったという。絶望したピンソンは家で銃で自殺してしまう。1人残された娘は母と同じ道を辿り、母が歌っていた歌を軍鶏の中で歌うのだった。
La Fórmula Secreta
La Fórma Secretaというメキシコのシュルレアリスム映画のためにルルフォが書いた詩。
La vida no es muy seria en sus cosas(人生はそれほど深刻じゃない)
ルルフォの作品では珍しく、女性が主人公となっている。クリスピンという夫を亡くしやもめとなった女が過去に思いを馳せ、これから生まれる赤ちゃんのことを考えながら、未来を夢想するという短編。
Un pedazo de noche(夜のかけら)
ヴァレリオ・トルハノの娼館で働いていた主人公が、のちの夫となる人物との出会いを語る。主人公は、ある夜男から「君と一夜を過ごしたい」と持ちかけられる。ところが、その男が赤ちゃんを連れていたから大変! 子供が見ているのにそんなことをするのは嫌だという主人公に、男は事情を説明する(自分の子供ではなく友人の子のベビーシッターをしているなど)。そして主人公はとりあえず食事をとることに同意するのだ。3人はチョリソス・フリートス(チョリソーのフライ)なんかを食べながら、打ち解けていくのだ。
Cartas a Clara - XII(クララへの手紙)
1947年の2月末に、のちの妻となるクララへ宛ててルルフォが書いた手紙。意外とロマンチスト……というか、一世一代の恋なんだという若者の気概が感じられるところがなんとも言えず良い。
Castillo de Teayo(テアヨの城)
車でテアヨを訪れ、城を探し求める人々の話。
Después de la muerte(死んだ後)
昨日死んだ男が、死について語る。感情もなくし、変化にとぼしい土の中のこと。
Mi tía Cecilia(セシリアおばさん)
忘れっぽい語り手だが、セシリアおばさんが死んだ午後のことは忘れられない。ルルフォが死や死体に対して持つオブセッションを浮き彫りにしたような作品。
Cleotilde(クレオティルデ)
両親もセシリアおばさんも亡くし、孤独に生きる主人公。でも夜に天井を見上げると、そこにはクレオティルデがいる。クレオティルデも死んでいるはずなのに。8日前に俺が殺したのだ。なのにいつまでも俺を追いかけてくる。彼女について覚えていることやあの日の記憶を、1人で何度でも生きる男の話。
Mi padre(おれの親父)
「おれの親父はいい男だった。何もかもが最悪な時代に生きた」という言葉から始まる短編。明日のことだって考えられないような時代に、いい人であり続けて人生を信じた男のことを息子がぽつぽつと語る、ルルフォによくあるスタイル。
Igual que ayer, dijo el padre(昨日と同じだと親父は言った)
ミサの間、スサナ・サン・フアンという魅力的な女の胸のことを考え続ける息子の話。
Susana Foster(スサナ・フォステル)
夏の雨を感じて微笑む女性の話かと思いきや、鳥の話だった。
Iba adolorido, amodorrado de cansancio(疲れ果てて眠かった)
疲れ果てて、38スペシャル弾を握りしめたまま、黄色いひまわりの上を行く男。霧がかった町に入ると、彼に父を殺された子供たちの泣き声が聞こえてくるようになる。逃げるように立ち去り、歩き続けてどうにか自分の町へ戻って来る。姉のカルメラがレイプされてからというもの、立ち入ることのなかった町だ……夢とうつつの間を彷徨いながら、旅=人生の終わりを受け入れる男の物語。
Angel Pinzón se detuvo en el centro(アンヘル・ピンソンは真ん中で止まった)
アンヘル・ピンソンと姉妹たちの死について。
El descubridor(発見者)
カンデラリオ・ホセという男がもうインディオではなくなったからと、カンデラリオ・ロペへと名を変え再び現れる。メキシコ人の運命について。
ルルフォらしさというのは、中編(ペドロ・パラモ)でも短編でも感じられるのだが、映画のシナリオでも彼がフォトグラファーとして撮影した写真からも、しっかりそのエッセンスが息づいている。
格好いいなあとため息が出てしまうほど。願わくばもう少しいろいろ書いて後世に残していただきたかったが、そういう風に多くの読者に惜しまれつつも潔く文壇を後にしたというのも、なんとも格好いい。