トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

『ペドロ・パラモ』 フアン・ルルフォ

[Pedro Páramo]

ラテンアメリカ文学の「はじまり」

「もう一度読み返したくなる」、「必ず二回読みたくなる」と銘打たれて書店に並んでいる本のほとんどは(わりとバレバレな)叙述トリックを用いたミステリー小説である。 

そういう説明文をつけていい小説は『ペドロ・パラモ』以外にない! と主張したい。これぞ「読み終えてすぐにもう一度読み返したくなる」小説の最高峰。

もう一度どころか、三度でも四度でも百度でも!

「おれ」が母親を亡くし、会ったことのない父親ペドロ・パラモに会う為にコマラという町に到着するところから物語は始まる。

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

 

 

父を訪ねて黄泉の国へ

途中でロバ追いの男と一緒になり、「ペドロ・パラモを知っているか」と訪ねるとロバ追いは「おれもペドロ・パラモの息子なんだ」と答える。 

コマラに到着すると、人一人住んでいる気配はない。不思議に思っているとロバ追いは「この町にはもう誰も住んでいない。ペドロ・パラモも死んだ」と言う。

それから、「おれ」はロバ追いに紹介してもらった女性エドゥビヘスの家を訪ねるのだが……。

さて、ここからめくるめくルルフォワールドが始まる。

物語は短い断片から成り立っており、語り手はコロコロと変わる。

「おれ」がコマラに行く話を読んでいると思いきや、ペドロ・パラモがスサナへの愛を語り出し、そうかと思っているとエドゥビヘスがミゲル・パラモが死んだ時のことを話し出す。

しばらくは誰が何を話しているのかも分からないし、時系列も登場人物の相関関係も不明のまま。生きていると思った人が実は死んでいる(死者も生きている者と同じく雄弁だ)。

この町はいろんなこだまでいっぱいだよ。壁の穴や、石の下にそんな音がこもってるのかと思っちまうよ。歩いてると、誰かにつけられてるような感じがするし、きしり音や笑い声が聞こえたりするんだ。

終わりに近づいてから、全体像が浮かび上がるという仕掛け。

今では『ペドロ・パラモ』よりよく読まれている気がするラテアメ文学の名作『百年の孤独』も『緑の家』も、この小説の影響を色濃く受けており、ルルフォの存在なくしては生まれなかった。 

(謙虚な? ルルフォさんはそんなことはないとインタビューで言い張っているが。

No creo que García Márquez esté influido por mí...Ahora, no sé, solamente algunos críticos tal vez habrán encontrado influencias en algunos otros autores, pero no conozco ningún autor en quien yo haya influido.

ガルシア=マルケスが私の影響を受けたとは思いません…私の作品が他の作家に影響を与えたと一部の批評家が言うのかもしれませんが、私の影響を受けた作家なんて一人も知りませんよ。*1

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

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緑の家(上) (岩波文庫)

緑の家(上) (岩波文庫)

 
緑の家(下) (岩波文庫)

緑の家(下) (岩波文庫)

 

とにかく、何がなんだか分からないまま読み進み、「こういうこと、かな?」と思った時には読み終えている。そしてなんと、終わりの文章が、冒頭の文章につながっていることに気づく。だからまた読み返すのだが、読み返すたびに新しい発見がある。

コマラを理想郷として捉えているのは「おれ」の母親だけだということとか。 

こぼれた蜜の匂いを漂わせる町……暖かい日差しのもとで、みかんの花の香りだけがするの。

 

 

メキシコ版『嵐が丘』 

『ペドロ・パラモ』にはいろいろな解釈があり、岩波文庫の解説では翻訳者杉山亮さんが「失楽園の物語」と語っているのだが、私が感じるのはやはり『嵐が丘』との相似性だ。 

嵐が丘 (新潮文庫)

嵐が丘 (新潮文庫)

 

『嵐が丘』というのは荒野で育ったヒースクリフとキャサリンの魂の愛、ヒースクリフによるキャサリンへの復讐というのが主なプロットだが『パラモ』と同様、よそものが荒野に訪ねてくるところから回想が始まり、ヒースクリフがすべてを破壊しつくし家系が死に絶えるところで終わる。

時系列がバラバラで語り手が次々と変わるところも良く似ている。

極め付けは登場人物の名前だろう。ヒースクリフとは、Heath(荒野)cliff(崖)で、その土地そのものを表している。一方、ペドロ・パラモはPedro(ペドロはスペイン語の男性名だが、もともとはラテン語で石を表す"petra"から派生)Parámo(草も生えない平原)で、こちらもコマラそのもののようだ。

ルルフォは『嵐が丘』に何を見出したのだろうか?

生命の激しさ、愛の不条理さ、全く違う土壌における「不毛の土地」という相似性だろうか。

 

こちらではフアン・ルルフォの1979年のインタビュー記事を読む事ができる(エル・パイスはスペインの新聞社)。『パラモ』について特別語っているわけではないけれど……。

elpais.com

 

登場人物一覧

ペドロ・パラモ:フアン・プレシアド、アブンディオ、ミゲル・パラモの父

ドロレス(ドロリータス):フアン・プレシアドの母。

おれ(フアン・プレシアド):コマラにペドロ・パラモを探しに行く。

 

アブンディオ:ロバ追い。ペドロ・パラモの息子。

ミゲル・パラモ:ペドロ・パラモの息子。町中の女を襲うので、悪人と恐れられている。馬に乗っている時に事故で死ぬ。

ルカス・パラモ:ペドロ・パラモの父。

スサナ:ペドロ・パラモが一生恋い焦がれ続ける女性。のちにペドロと結婚するもののながらく自身の父親と近親相姦関係にあったことに罪悪感を抱いており、精神がおかしくなってしまう。

 

エドゥビヘス・ディアダ:ドロレスのおさななじみ。

レンテリア神父:町の神父。姪のアナもミゲル・パラモに襲われた事があり、彼を憎んでいるが何もできないことに良心の呵責を覚えている。

ダミアナ・シスネロス:ドロレスがフアン・プレシアドを産んだ時にフアンの面倒を見てくれた女性。

フルゴル・セダノ:中年男性。借金をペドロに救ってもらう。

 

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*1:上記El Paísのインタビューより。