(フェミニスト・マニフェスト 15の提案)
アディーチェといえば、昨年の10月9日にPEN ピンター賞を受け取ったばかり。
Chimamanda Ngozi Adichie accepts PEN Pinter prize with call to speak out | Books | The Guardian
丸の内の丸善でペーパーバックを見かけて、そういえばブログに書いていなかったなと思い、今日はこちらの感想を。アディーチェが出版したものの中では最新で、We Should All Be Feministsと同じくらいの短さのエッセイ。
ペーパーバックは文庫サイズで、移動中や待ち時間にさっと読むのによさそう。
Dear Ijeawele, or A Feminist Manifesto in Fifteen Suggestions
- 作者: Chimamanda Ngozi Adichie
- 出版社/メーカー: Knopf
- 発売日: 2017/03/07
- メディア: ハードカバー
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私は半額(420円)だった時にKindleで読んだけれど、もともとは2016年にアディーチェがFacebookにポストしたもの(ちなみに今でも閲覧可能。編集されている部分もあるが、ほとんどそのまま)。
友人のIjeaweleがアディーチェに「自分の娘をフェミニストに育てるにはどうすればいい?」と尋ねたのだとか。アディーチェはこの質問に答えるのはリスキーかもしれないとためらいつつも、誠実で実用的な手紙を書いた。それが、この15の提案ということである。
面白いのは、その数年後にアディーチェ自身も女の子を生み、
I realize how easy it is to dispense advice about raising a child when you are not facing the enormously complex reality of it yourself......(as for the 15 suggestions) I too am determined to try.
とコメントしているところ。
このエッセイも、アディーチェの他の作品と同じように温かなユーモアと人生に対するおおらかな姿勢が見受けられ、読んでいるだけで楽しくなる。
私が後学のためにとメモした箇所をあげると、
Motherhood is a glorious gift, but do not define yourself solely by motherhood. Be a full person. Your child will benefit from that.
(First Suggestion)
で、さらに仕事を好きでいる必要なんてない、仕事があるという事実と経済力がくれる自信と自己実現を好きでいればいい、と続く。
'Because you're a girl' is never a reason for anything. Ever.
(Third Suggestion)
とか。
A friend of mine says she will never call her daughter 'princess'. People mean well when they say this, but 'princess' is loaded with assumptions, of a girl's delicacy, of the prince who will come to save her, etc.
(Sixth Suggestion)
そう、言葉の持つ力というのは偉大で、特に子供に対しては本当に注意して使わなければいけないと感じる。
Find ways to make clear that marriage is not an achievement, nor is it what she should aspire to.
(Seventh Suggestion)
これは日本で子育てするのであれば周りから植え付けられがちな価値観だと思うので、親が繰り返し教える必要があるだろうな。
......Please do not ever put this pressure on your daughter. We teach girls to be likeable, to be nice, to be false. And we do not teach boys the same.
(Eighth Suggestion)
などなど。
本当はメモをとった箇所はもっとたくさんあって、全部ここに書き残したいくらいなのだけれどそれでは短い本作の全てを書き出すことになってしまうから……。
でも、後から見返してふと気づいた。私が「大切だ! 子供ができたら絶対に教えよう」と思ってマークした言葉は実は全て、母から繰り返し聞かされてきた言葉だった。
フェミニストだと自身を定義づけたことは一度もなかったものの、私の母も間違いなくアディーチェがいうところのフェミニストだった。「夢がお嫁さん、だなんてとんでもない」とリカちゃん人形に激怒し、様々なキャリアを築いていて恋愛も謳歌している(ケンとは破局経験まである)バービーちゃんばかり買ってくれた。『白雪姫』や『眠り姫』を見た後は必ず「王子様を待つことを人生の目的にしちゃだめ、頭を使ってやりたいことをやってみよう」と言った。「必ず仕事をして、自分が満足して生きていけるだけの経済力を身に付けよう。今の社会では、それが自由ということだから」と繰り返した。
最近だと、数年前に私が入院したことがあったのだが「旦那様のために早くよくなって」という発言をしたお見舞い客の方に向かって「よくなるのは自分のためで、夫のためではない」とはっきり言ったのだった。
昔は、周りの何気ない発言をそういう風にいちいち訂正したり注釈したりする母を面倒くさいと思うこともあった。でも今なら分かる。おそらく悪気なんてない女性軽視・蔑視を指摘し、子供に「それは間違っている」と話すことにどれほどのエネルギーがいるか(日本ではより一層大変だろうが)、母がどれだけの苦労をして自分の信念を伝えてくれたのか。私も同じことがしたい。だが、果たして自分が同じことをできるだろうか、と問われると不安で仕方がないのだもの。