トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

『グレート・ギャツビー』のリテリング2作品:Beautiful Little Fools と The Chosen and the Beautiful

現在公演中の宝塚歌劇団・月組による『グレート・ギャツビー』。

トップスターでギャツビーを演じる月城かなとさんは、類い稀な美貌を誇るタカラジェンヌの中でも一際美しい人。

ところが、公演中はその美貌がまったく話題にならないほど、巧みな演技力に話題が集まる。

今回も、フィッツジェラルド好きでも知られる演出家、イケコ(小池修一郎)に、今回「宝塚に入ってくれてありがとう」と言わしめたことが広まっていて、期待が高まる。

作品を何倍も楽しむために、ここぞとばかりに熟成させていた積読本を味わうことにしました。

 

 

Beautiful Little Fools / Jillian Cantor

娘のパミーが生まれたときにデイジーが口にしたというセリフ、「I'm glad it's a girl. And I hope she'll be a fool--that's the best thing a girl can be in this world, a beautiful little fool.」に込められていたのは、どのような思いだろうか。

お金がないと生きていけないとどこかで考えている自分自身に対する嘲り、夫の浮気に傷つく心に対する恨めしさ。

どうせ女の子はひとりでは生きていけない、ならばほしいものをなんでも手に入れられるだけ美しく、傷つけられたことにも気づかないほど愚かであればいい。

ジリアン・カンターによるこの作品は、ジェイ・ギャツビーが殺される場面から始まる。だが手にした拳銃をギャツビーに向け、殺人を犯すのはジョージ・ウィルソンではなく女性。現場にはダイヤモンドのヘアピンが残されていた。ギャツビーを手にかけたのは一体誰だったなのか? ウルフシャイムに雇われた刑事、フランク・チャールズは彼の死の真相に迫る。

『グレート・ギャツビー』で描かれたニューヨークの一夏が、デイジー・ブキャナン、ジョーダン・ベイカー、そしてマートルの妹であるキャサリン・マッコイの視点から綴られる。

ジョーダンがゴルフでインチキをしたという噂の真相、ギャツビーに求められるデイジーの感情の揺れ、マンハッタンでのキャサリンの生活など、あくまで『グレート・ギャツビー』に忠実でありながらも、あまり光の当たっていなかった女性たちの気持ちがていねいに描写される。

文章は『ギャツビー』のように優美というわけではなく、結末もちょっとこじつけっぽさが否めないものの、声や香りなど五感のすべてで感じられる「お金」の力、デイジーの南部娘らしいユーモアのセンスなどは思わず「お見事!」と叫びたくなる出来。

そして、やっぱりジョーダン・ベイカーは謎に満ちていて、想像を膨らませる甲斐のあるキャラクターなのだなと思う。

 

というのも、こちら(↓)のリテリングもジョーダンが主人公なのだ。

The Chosen and the Beautiful / Nghi Vo

2021年の読みたいリストに挙げていた小説です。

www.tokyobookgirl.com

こちらでは、ジョーダン・ベイカーはベトナム系の孤児という設定。

ルイヴィルの名家、ベイカー家のひとり娘イライザ・ベイカーがトンキン(ベトナム)で出会って保護し、アメリカに連れ帰ったことになっている。

どこか一匹狼のような雰囲気を漂わせ、ゴルフに精通しているという「普通のお嬢様」では決してないジョーダンに、アジア系の孤児でクィアというアイデンティティを与えているのが新鮮。

こちらも、『ギャツビー』の一夏を忠実に辿っている。描写の美しさはフィッツジェラルドが現代に蘇ったようなのだが、絶妙な匙加減でファンタジーがミックスされる。

南部ゴシック的な描写(幽霊が登場する)もあれば、トンキンの伝統工芸である切り絵、ベトナムのもとを築いたとされる貉龍君(ラク・ロン・クァン)と嫗姫(オウコー)の異種婚と別れらしきエピソードが書き込まれていたりもする。

ファンタジーも残したフィッツジェラルド(「リッツ・ホテルくらいに大きなダイヤモンド」とか)。『ギャツビー』でもニックとの邂逅の場面で天井まで浮き上がっているようなデイジーとジョーダンなど、ふんわりと魔法がかった描写や「お金」がもたらす魔法の素晴らしさが印象的なので、さほどの違和感はない。

そして、ベイカー家の娘として白人社会で育ったジョーダンが感じる孤独ややるせなさが、本家本元の『ギャツビー』での謎めいたジョーダンの種明かしになっているのも面白い。とはいえ『ギャツビー』は100%白人社会の物語で、非白人や異人種間の結婚に否定的なセリフも登場するので、その辺りをもう少し深堀りするなり、原作とつなげるなりしてほしかったなという思いは残る。

 

どちらも、たとえばギャツビーのパーティーで再会した女性とのジョーダンの「髪を染めたみたいね」という会話だとか、ジョーダンが連れていた大学生だとか、デイジーがトムと結婚した理由だとか、「あれってなんだったんだろう? どういう意味だったんだろう?」と『ギャツビー』を読んで不思議に思う箇所がきちんと取り上げられ解釈されていて、それがなんだか好ましかった。

そして『ギャツビー』でお飾り程度に登場し、それこそお人形のように扱われる娘パミーに対するデイジーの思いというか関心の有無というか、が正反対なのが興味深い。