トーキョーブックガール

海外文学・世界文学や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

『ぼくを燃やす炎』マイク・ライトウッド

[El fuego en el que aldo]

先日Frankenstein in Baghdadの記事をあげたら、Twitterで作者のAhmed Saadawiさんがリツイートしてくださって、びっくりした(Twitter、あまり見ないのだけれど、記事アップだけはブログと連携させている)。アラビア語で執筆された作家さんの本が英語に翻訳されて、それを読んで書き綴った日本語の感想だったので、本当に驚いた。世界のフラット化を感じるとともに、これからも「これ読んでよかった!」、「面白かった!」をたくさん書き記したいなと思った次第です。

ぼくを燃やす炎 (PRIDE叢書)

ぼくを燃やす炎 (PRIDE叢書)

 

YA小説・文学を読むようになったのは、大人になってからだった。

ティーンエイジャーの頃は食わず嫌いで、大人が若い読者に媚を売るような作品ばかりなんじゃないかとたかをくくり、ほとんど読まなかったのに、最近のYA小説の面白さや先進性には目を見張るばかり。対象年齢だった時から色々読んでおけばよかったな〜と思う時もあるのだけれど、やっぱりここ最近ジョン・グリーンを始めとする素晴らしいYA作家が台頭してきたこと、政治や社会問題に焦点を当てた傑作が生まれていることが、大人になった私を惹きつけている理由なのだろう。

特に人種差別(アメリカやカナダ、オーストラリアといった他民族国家では特に)や性的指向、摂食障害や家族との不仲といった、現代の十代の中にも死ぬほど悩んでいる人がいるであろうテーマを扱った作品は増え続けていて、冗談ではなく「この本はいくつもの命を救ったかもしれない」、「この本は何人もの少年少女の考え方を変えただろう」と思える本と出会うことがある。 

『ぼくを燃やす炎』もそんな一冊。 

作者はマイク・ライトウッドという名前(もちろんペンネーム)だけれど、これはスペイン人作家によるスペインのYA小説だ。

ただし、読んでいて「スペイン」という国を感じることは全くない。

主人公のオスカルは、『GLEE』に出てくるようなポップソングやジョン・グリーンの小説、映画『ウォールフラワー』をこよなく愛する十六歳の男の子。 

ゲイだということが高校中に知れ渡り、毎日陰湿ないじめを受けるようになっている。おまけに父親は飲んだくれて暴力をふるい、専業主婦の母親はオスカルを連れて家を出る勇気も財力もない。毎日が辛く、希望なんてない。そんなわけでリストカットを繰り返しているのだが、あまりにもいじめがエスカレートしたことから、護身法を学びたいと近くの町の柔道教室に通うことになる。

そこで素敵な男の子セルヒオと出会い……。

というのが大まかなあらすじだ。

 

小さな村に暮らすオスカルは、高校生ということもあり、自分の日常の外にも世界は広がっているということをまだ知らない。

自分は高校でも唯一の異常者で、マチスモを地でいくような父親をがっかりさせるような息子だと思っている。生きる意味を見いだせない。つ、つらい……。

それでもフェルという思いやりと愛情にあふれた友人がいるし、途中からはマーベルのスーパーヒーローみたいに素敵なセルヒオがやってきて、物語のトーンも、彼の人生も大きく変わっていく。

特にオスカルとセルヒオの会話やメッセージのやりとりはめちゃくちゃキュートで、大人が読んでも、十代で恋することの素晴らしさを追体験できること間違いなし。

そういうわけで、結構ボリュームがあるずっしりとした本なのだけれど、チャットやメッセージでのやりとりやブログエントリー部分が多いこともあり、あっという間に読み終えてしまった。

 

著者のライトウッドはYA小説の翻訳者(英語⇨スペイン語。R・L・スタインの作品の翻訳などを手がける)で、本人も同性愛者であることを公言している。インターネット上で様々な少年少女の話を聞くうちに、「悩める若者のために小説を書かなければ」という思いが芽生え、本作を執筆したのだとか。

オスカルの音楽の好みのせいか、ドラマ『GLEE』のカートとブレインを思い浮かべながら読んでしまうシーンも多々あった(もちろん、カートのお父さんは、オスカルのお父さんとは比べものにならない、素晴らしい父親でしたが)。

最近アメリカやイギリスから出版されているLGBTQをテーマとしたYA作品は、「LGBTQであることの悩み」からは離れたものが多くなりつつあるように感じる。こういったYAの出版作品数の多い国では、ある意味語り尽くされたテーマだからだろう。「普通の恋愛」として描かれている小説や、LGBTQではあるもののメインのフォーカスは別のテーマにある作品、SF仕立てとなっていて性別を超えた恋愛を描いたデイヴィッド・レヴィサンの『エヴリデイ』、アセクシャリティを扱った物語など、ひとひねりもふたひねりもきいたような傑作を楽しむことができる。

しかし、だからこそ、マイノリティであることの苦悩をストレートに表現する本作が新鮮に感じられた。

ちなみに、ドメスティックバイオレンスが題材として扱われているが、スペインではDVはセクハラなどの職場での女性差別よりも色濃い問題で、かの国での"#MeToo"運動といえばDVに関するものが多くなっている。日本人の読者からすると、もしかして少し唐突に感じるかもしれない下りだが、こういう背景がある。

それ以外に関しては、スペインの地域色・国の色を一切排して書いたこともあり、世界中の悩めるティーンエイジャーに身近な話、等身大の話として読んでもらえるような本になっているのではないだろうか。 

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