[Mrs Dalloway]
どんな本も、出会うタイミングというものがあるのだなと最近とみに感じる。
昨年『100分で名著』で、『赤毛のアン』を紹介していた茂木健一郎さんの話を聞いていたときも、そう実感したのだった。茂木さんは、11歳の時に図書館で『赤毛のアン』と出会い、「この作品には何かある」と魅了されたのだとか。すごい! と思ってしまった。
私も多分同じくらいの年齢の時に初めて『赤毛のアン』を読んだのだけれど、ちっともその良さが分からなかった。アンはひたすら鬱陶しい女の子のように思えて、彼女が抱える孤独や恐怖はまったく読み取れなかったし、ギルバートは憎たらしいばかりで、彼の格好よさや秘められたまっすぐな気持ちに気づくことはできなかった。
今読み返すと、なんと大人っぽい小説なのだろうと思う。10代の私には到底理解できるものではなかったな、と。
前置きが長くなってしまったけれど、『ダロウェイ夫人』も同じように感じる一冊だ。
初めて読んだときは学生で、この小説の偉大さや面白さはほとんど分からなかった。でも分からないなりに、「何かすごいものを読んでいる」という感覚があった。
だからこそ光文社古典新訳文庫から新訳が出た時も迷わず買い、積んだのだった(5年近くも……ですが)。
訳者はカズオ・イシグロの名訳で知られる土屋政雄さん。
私は今までペーパーバックのMrs Dallowayしか持っていなかったので、日本語で読むのは初めてで、他の訳と比較することはできないものの、素晴らしい訳だということはよく分かる。文体が麗しく、読みやすく、意識の流れが「流れている」感覚がある。
あとがきでは土屋さんは、「バージニア」と「ヴァージニア」など、カタカナ表記についての説明に終始されているのだが、これがまた面白いし、読者が小説に没頭できるよう骨を折ってくださっているのがよく分かる。「ヴ」は使用せずに「バビブベボ」で統一し、「レインコート」も「レーンコート」だし、とにかく日本語の発音のままにカタカナが訳されているところにも注目したい。ちょうど今年に入ってからの国会で、国名表記から「ヴ」をなくし、すべて「バビブベボ」で表記する改正案が提出されていたことを思い出した。個人的にはヴがあると、少なくとも英語圏での綴りがVなのかBなのか分かるから便利かな、とは思うのだけれど。
ちなみに本ブログでよく読まれている記事の一つは『ボヴァリー夫人』のレビューなのだけれど、「ボバリー夫人」と検索されている方がかなり多くいる(「ボヴァリー夫人」検索ほどではないものの)ことを記しておく。
6月のある朝、夜自宅で開催するパーティのために花を買いに出かけるダロウェイ夫人。
バスを眺めたり、店を覗き込んだり、道路を横切ったりしながら彼女は清々しい空気を吸い込み、戦争が終わったという喜びに包まれる。
今、この瞬間を生きているという喜びだ。周りの環境と一体になり、自分が「ありとあらゆるところにいる」ように感じる。
現代で例えるならばマインドフルネスが説くような「今、ここ」を、このたった一日を描いた物語で、もう決して若くはない登場人物たちが味わっている様子が伺える。
例外といえば精神を病んでいるセプティマスで、彼だけは「今、ここ」を見つめようとはしない。もちろん他の登場人物たちも自身の人生を振り返るので、現在だけに滞在しているわけではないのだが、セプティマスの姿勢の明らかな違いが今後彼を待ち受ける運命を暗示しているようにも感じられる。
そして私が一番面白いと感じるのは、誰よりも心の声をさらけ出しているはずのクラリッサという人物が全然見えてこないことだ。
そもそもタイトルが『ダロウェイ夫人』だけれど、多くの場面において彼女はクラリッサ(と呼ばれる)。
若い頃に恋愛や友情を楽しみ、それでも割と冷静に計算高く結婚相手を選んだ美しきクラリッサと、ダロウェイ氏の妻としてロンドンで裕福な暮らしを送るようになったダロウェイ夫人は、どこまで同じでどこから異なるのか。夫の名を冠した「ダロウェイ夫人」でしかなくなってしまった自分に気づくとき、クラリッサは愕然とする。自分はどこに行ってしまったのかーー。
愛と宗教、と思いながら客間に戻った。全身がじんじんしていた。大きらい。どちらも大きらい。ミス・キルマンの肉体が目の前から消えたいま、愛と宗教という観念がクラリッサを圧倒した。この世で最もむごいもの、と思った。無様、強引、傲慢、偽善、盗聴、嫉妬。愛と宗教がその無限に残虐で破廉恥な姿をレーンコートに包み、階段の下り口に立っていた。わたしが誰かに考えを改めさせようとしたことなどあっただろうか。わたしは、どんな人にもその人自身であってほしいと願ってきた。
ある人には軽薄に見え、ある人には気品を失わず魅力があるようで、ある人には無邪気だが俗物根性があるように思われる。
いくらクラリッサ自身の意識を読み込んでも、この人がどういう人なのだか分からない。でも人間ってそういうものじゃないだろうか。多面的で複雑。
同じくパーティを迎える日に身分の違う人物の死を主人公が知る(パーティに死がやってくる)、という話で有名なのはウルフの永遠のライバルともいうべきキャサリン・マンスフィールドの「ガーデン・パーティー(園遊会)」だが、こちらの方が先に書かれていたのですね。てっきり『ダロウェイ夫人』が先だったと思っていた。

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