[República Luminosa]
大好きなアンドレス・バルバの日本語訳が! 出ている! すぐに購入して数多の積読を差し置き読了。
翻訳者は宇野和美さん。児童文学を中心に、スペイン語の作品を訳されている。子どもの頃に読んだ『アドリア海の奇跡』が大好きで大好きで、新しく買い直して今も本棚に飾っているわたし。
『きらめく共和国』、装丁もとてもすてき。一見鮮やかだけれどもどこかくすんだ色がジャングルを思わせる。絵本みたい、と見せかけて右下にはガイコツのような女の子が蛇にしめつけられている。
この本は(同じようなテーマを扱ったLas Manos Pequeñasも)一見可愛らしいぬいぐるみのようだ。ふわふわとした白や茶色の、うさぎのぬいぐるみ。つぶらな瞳が愛くるしいと思い手を伸ばすと、なんと! 低い唸り声を上げて尖った歯を剥き出しにし、襲いかかってくる。無防備に差し出した手に噛みつき、血飛沫が舞い、こちらの口の中には鉄の味が広がり、あたりは一変、阿鼻叫喚の地獄絵図と化す……。
「わたし」は22年前「サンクリストバルで命を落とした三十二人の子どもたちのこと」に思いを馳せる。
サンクリストバルは、描写からは中南米の国にある町だということが察せられる。スペイン語圏である。すぐそばにはジャングルが広がり、自然の色彩が鮮やかな、小さな町だ。
そんななんということはない町に、いつからか「肌の色の浅黒い縮れっ毛の」9歳から13歳までの子どもたちが32人、住み着くようになる。どこから来たのかは誰にもわからない。スペイン語ではなく大人たちには「理解不能」な独自の言語を操る子どもたちは、町の子どもたちの憧れとなったり、大人たちの悩みの種となったりしながら、ある日悪夢のように恐ろしい事件を起こす。
「わたし」たちの子どもと一見何も変わらないようなのに、この異質さは何なのか。計画性がないようでいて団結し、凶悪な犯罪を繰り返すのはなぜなのか。夜はどこにいるのか。どうやって日々生き延びているのか。すぐそばにいるはずなのに、何もわからないという不気味さに背筋が凍る。
それは、まるでジャングルそのもののようでもある。人間の知恵などとても及ばない生命力に溢れたジャングルには数多の命が息づいている。その呼吸は力強く、ぼうっとしていたら取り込まれてしまいそうだ。ジャングルに神という存在がいるとすれば、それは決して願い事を叶えてくれるようなやわな神様などではなく、人間を生きたまま引き裂き、むしゃむしゃと食べてしまうような、残酷だけれど、吸い込まれてしまいそうなきらめく瞳を持った何かなのだろうと思うのだが、そんな得体の知れない命の存在を、子どもたちにも感じる。
ちょっとでも人間が気を許したらサンクリストバルという町もジャングルの緑におおわれて「なかったこと」になってしまいそうだ。ジャングルに侵食されつつある、朽ち果ててもなお美しいアンコールワットの遺跡群を思い出す。
タイトルの意味が理解できるようになると、なおさらその思いを強くする。本来生とは、性とは、これほど残酷で、容赦無く、わたしの都合のいい想像などからは大きくかけ離れているのだ。
やめてやめて、もう見たくないと思いながらも、目が離せない。
22年前、1995年のことだ。それほど昔とはいえないし、現代人がタイムスリップしたとしてそれほどの違和感も感じない時代。決定的な違いといえば、まだインターネットがそれほど普及していないこと。今や手足のようにわたしたちの生活に必要不可欠となったコミュニケーション手段が、当時はまだ想像もつかなかったということ。
時の流れ以上に恐ろしく変化したのは、信じることへの態度だ。
と「わたし」は語るが、つくづくインターネットの登場は神話の死でもあると感じさせられるのだった。
宇野さんはバルバの絵本『ふたりは世界一!』も翻訳されている。
同じく実際に起こった事件を元にアンドレス・バルバが書き上げた「子ども」についての物語、Las Manos Pequeñasも素晴らしかった。バルバは今後もどんどん読みたい。