[The End of the Affair]
『情事の終り』というタイトルから、いろいろと考えてしまった。原題は"The End of the Affair"。邦題もとても素敵。
情事って、なんだろう? デジタル大辞泉によると、
【情事】 恋愛に関する事柄。夫婦ではない男女の肉体関係。いろごと。 「情事を重ねる」
である。
では、不倫とは?
「不倫」は、不倫理からきており、「道徳から外れること」を指す。行うべき道からはずれることであり、現代では「情事」と並び、夫婦ではない男女の肉体関係を指している。
それでは、不倫と浮気の違いは? 一般的な見解としては次のとおりだろう。
不倫:結婚している、肉体関係あり、継続的な関係
浮気:結婚の有無や肉体関係の有無を問わない、一時的な関係であっても使用される
江國香織のエッセイ
ここでふと、江國香織のエッセイを思い出す。アメリカ人の男友達との思い出を綴ったエッセイだ。
手元にこの本がないので、覚えている範囲で書いてみる。
彼も、私も、お互い家庭のある人と恋愛をしていた。
ある日、彼と話しているうちに、私は日本における「不倫」という言葉の持つ暗さ、背徳感を説明しようとやっきになる。
英語では「不倫」は"affair"である。
「でも、不倫って"affair"っていう感じじゃないの。"Adultery"は肉体関係という意味が強すぎる気がしてもまた違うし、もっと精神的というか……」
すると彼は顔をしかめてこう言う。
「そんなstinkyな(いやらしい)言葉、英語にはないよ」
英語では、「浮気」は"cheating"、"fling"、"flirt(こちらは肉体関係なし、軽くいちゃつく程度)"で「不倫」は"affair"だろうか。もちろん"affair"は日本でいう「浮気」の場合も使用されるので、「私」が「それは違う」と感じるのも分かるような、分からないような。
ここでの"affair"はフランス語では"aventure(アバンチュール)"、スペイン語では"aventura(アベンチューラ)"だが、そういうフランス語やスペイン語のような語感を「私」は求めていたのだろうか?
あらすじ
1946年1月。土砂降りの雨の中を歩く作家モーリス・ベンドリックスは、かつての知人ヘンリー・マイルズを見かけて声を掛ける。打ちひしがれた様子のヘンリーは、ベンドリックスに「ここ最近妻・サラの様子がおかしい。浮気しているに違いない」と告げる。ベンドリックスは、以前ヘンリーの妻であるサラと不倫関係にあった。しかし1年半前に急に彼女に別れを告げられて以来、彼女には会っていない。
私は決して、決して、あなたを愛したように男の人を愛したことはないし、二度と愛することもない。
そうまで言っていた彼女が、急に冷たくなりベンドリックスには見向きもしなくなったのだ。なぜ彼女は自分を捨てたのか? 今彼女が不倫しているなら、その相手と出会ったから自分は捨てられたのだろうか? 確かに、不倫関係が抜き差しならなくなってからは、美しいサラには自分の他にも恋人がいるのではないかと終始疑い、彼女に喧嘩をふっかけてばかりいた。
どれだけ私たちが喧嘩し、どれだけ私が苛立ちから彼女に意地悪をしたかを考え始め、この愛が終わる運命にあると気づいた。愛は情事となり、始まりと終わりをもつものとなった。
とっくの昔に別れた愛人に対する嫉妬が湧き上がる。ベンドリックスはヘンリーを助けることを装って探偵を雇い、かつての愛人であるサラの監視を始めるのだが……。
愛と宗教
この小説にはテーマが2つある。1つは愛、もう1つは宗教だ。
サラはベンドリックスを愛している。その愛は今まで体験したことのないもので、二度と体験することはないだろうと彼女はベンドリックスに告げる。ベンドリックスもサラを愛しているが、彼女の愛を信じることができない。なぜなら、サラは既婚者なのだ。情事が終われば帰る場所がある。
そしてサラと初めて会った時、ベンドリックスはサラが別の男性(夫のヘンリーではない)にキスしていたのを目撃した、ような気がする。実際に目撃したわけではないのだが、ドアが開いた瞬間に二人が気まずそうにパッと離れるのを目撃したのである。サラにはおそらく前科がある。自分は初めての不倫相手でもなく、最後の相手でもないのではないか?
愛しているが故に、サラの発言すべての揚げ足をとって、彼女の真意を疑ってしまう。実際になぜサラが離れていったのか、彼女の愛は誰のものだったのかという答えは、彼女の日記を通して描かれる。この答えというか考え方、モチーフは現代の恋愛小説・ドラマ・映画にもよく使われるものである。『情事の終り』という小説の影響力を計り知る事ができる。
そして、宗教。
グレアム・グリーン自身はカトリック教徒の女性と結婚するため、大人になってからカトリックに改宗している*1。
この結婚はうまくいかず、グリーンは離婚を要望するがカトリックなので離婚が出来ない。グリーンはその後、既婚者でありながらアメリカ人女性と出会い彼女を真剣に愛するようになる。
グレアム・グリーンと第三の女―『情事の終わり』を生んだ秘められた情欲
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その、ほぼ自伝とも言える内容を小説にまとめたものが『情事の終り』なのだ*2。神の赦しは本当にあるのか? 罪を償うことはできるのか? カトリック信仰に苦しめられた立場のグリーンが、宗教についての思いを綴った物語である。
『東京タワー』に出てくる『情事の終り』
冒頭で江國香織のエッセイについて書いたが、江國さんは『情事の終り』が非常にお好きなようで、自身の小説『東京タワー』にも登場させている。大学生の透と、年上の人妻・詩史との恋愛物語だ。
グレアム・グリーンの『情事の終り』は、詩史が「透くんくらいの頃」に読み、読む前と読んだ後とで、「何もかも違ってしまった」小説らしい。
好きな人のことが何でも知りたい透は、もちろんそれを読んでみる。
「『情事の終り』を読んだ」
よく磨かれたカウンターの上の、グラスとコースターをみながら言った。
「どうだった?」
「……面白かったけど」
「けど?」
「たぶん、よくわからなかったんだと思う」
詩史は首をかしげた。透ははやくもっと説明しなければいけないという気がして、
「途中まではわかる気がしてたんだけど、最後まで読んだらわかんなくなった」
と。言った。詩史はまだ怪訝そうな顔をしている。
「だめ。もっと説明して。何が、途中までわかって、最後にわからなくなったの?」
詩史の言葉は好奇心と興味のように響く。透はその小説について思い出そうと努めた。詩史はおとなしく待っている。
「主人公の恋人の気持ちが」
ついにこたえをみつけて口にだすと、詩史は驚いたように眉をもちあげた。
「予想もしないこたえだったわ」
詩史は言い、一人で微笑んで、それからなぜか両目を閉じた。
「でもその通りね」
目を開けて透をみて、
「人の気持ちなんてわからないのよ。私はそのことに違和感さえもたなかったけど」
と、言った。
『東京タワー』を読んで、『情事の終り』が読みたくなったという人もたくさんいるのではないだろうか。魅力的な登場の仕方である。
また、『落下する夕方』の主人公は、「自分を捨てた恋人の新しい女と同棲する」女である。ふたりの女は、共通項である男のことを他人事のように話し合う。『情事の終り』のベンドリックスとヘンリーを彷彿とさせるエピソードだ。
三島由紀夫の『美徳のよろめき』もまた、『情事の終り』と似た感じの小説である。この愛してはいけない人を愛するというテーマは日本人が好き・得意とするものなのかもしれない。
それではみなさま、今日もhappy reading!