[The Difference Engine]
黒丸尚さん。漢字にルビをふるという独特のやり方や個性的な文体で、SF翻訳の歴史に名を残した翻訳家である。
去年スチームパンクやサイバーパンクをわりと読んだのだけれど(YA含む)、どれもこれもめちゃくちゃ面白かったので、これは記念碑的な作品である『ディファレンス・エンジン』も読んでみようと手に取ってみた。
- 作者: ウィリアムギブスン,ブルーススターリング,William Gibson,Bruce Sterling,黒丸尚
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2008/09/01
- メディア: 文庫
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- 発売日: 2008/09/01
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- あらすじ
- 感想:それにしても
- 上下巻は同時に買うべし&あとがきは読み終えてから
- エイダ・バイロンがプログラミングの母なら、バイロン卿はホラー小説の父
- そのほかにも、あわせて読むと面白そうなフィクション
- 登場人物 一覧
あらすじ
舞台になっているのは19世紀(1855年前後)・ヴィクトリア朝のロンドン。産業革命の時代だ。
世界で初めてプログラム可能な計算機を考案し、「コンピューターの父」と呼ばれているチャールズ・バベッジ。彼が完成させようとしていた二作目の「差分機関(ディファレンス・エンジン)」 が実際に出来上がり、世に普及していたらどのような世の中になっていたか? という"if"の世界が描かれている。
石油も最初からちらっと登場はするものの、差分機関を動かしているのは蒸気なので、蒸気画像(キノトロープ)や蒸気機関が大活躍して発展しつつある社会が描写される。
面白いのが、実在の人物がばんばん出てきて、どの人も私たちが生きる世の中とは異なる役目を担っていること。差分機関の影響から、人生がくるりと変わってしまっているのだ。
例えばイギリスの詩人ジョージ・バイロンはブリテンの首相になっているし、現実世界で首相だったはずのディズレイリは扇情小説を書く作家になっているという始末。また、カール・マルクスはアメリカでコミューンを立ち上げているし、福沢諭吉は渡英し蒸気コンピュータを日本に紹介しようと奮闘している。主要な登場人物に近い人々も大半が実在の人物だというところが興味深い。
上巻では二人の登場人物の視点から物語が進む。
一人はシビル・ジェラード。ラッダイト運動の革命家を父に持つ彼女は、父が志半ばで命を落とした後、名前を偽り遊び女に身をやつしていた。
そんなある日、ミック・ラドリーというシビルの正体を知っている客から、一緒にパリに行って女冒険家にならないかと誘われる。要するに、フランスのアカデミーが持つ最強の機関(エンジン)・大ナポレオン計算機(オルデナトゥール)をフランスへ送るなど、ラドリーの仕事を手伝って欲しいというのだ。その代わり新しい人生が保証される。シビルはその提案を受け入れるのだが、ラドリーがテキサス将軍に盗まれたというキノ・カードをこっそり取り戻そうとしている時に思わぬ事件に出くわしてしまう。
もう一人は古生物学者のエドワード・マロリー。新大陸での研究を終え、ロンドンに帰還したばかりのマロリーはゴロツキに襲われている貴婦人を助ける。この貴婦人こそが、総理大臣の娘で"機関の女王"としても知られるエイダ・バイロンだった。彼女はマロリーに預かっていて欲しいと紫檀の箱を手渡す。中に入っていたのはモーダスだった。
これを守ろうとするマロリーは知らず知らずのうちに社会勢力の陰謀に巻き込まれていくのだった。
感想:それにしても
この"if"の世界では、チャールズ・バベッジが試作機以降の差分機関(ディファレンス・エンジン)の制作に成功し、蒸気で全てが動くようになっている。
だからなのか、ロンドンは"大悪臭"に見舞われており、この描写も妙に生々しくリアリティがある。
アメリカで南北戦争が起こるも統一は達成されず、北部連邦、南部連合、テキサスとカリフォルニアにはそれぞれ共和国ができている。
そういう世界で起きる様々な出来事、多くの登場人物が絡まっていく様は圧巻で、
時にチャールズ・ディケンズやコナン・ドイルなどのヴィクトリア朝英国小説を、時にウィリアム・バロウズやトマス・ピンチョンなどのポストモダン実験小説を思わせる手法で、ぞんぶんに展開されていくのである。
という解説の通り。
「むむ、これは?」と、何度も読み返しながら進めていくことになるのだけれど、緻密な背景設定に基づいているのでそれすらも楽しめてしまうのだった。
そして上野の精養軒まで出てくる! これには少しびっくりした。
あとは「ランベス」という地名の登場に少しニマニマしてしまったのだった(ミュージカルオタクあるある)。
川の南の状況は、まったく手に負えなくなっている。煉瓦の飛礫やピストルによる大激突が、ランベスでは起こっている。
上下巻は同時に買うべし&あとがきは読み終えてから
さて、私はイギリスの歴史にもさほど詳しくないし、ましてやSFをそれほど読んでいるわけでもない。なので、「読み通せるか分からないな」と思って上巻のみ購入して読書をスタートし、メモを取りながら読み進んだわけだけれど、下巻を見てから同時に購入しなかったことを激しく後悔した。
下巻の最後には、アイリーン・ガンによる「差分辞典」がついていて、作中にでてくる用語や人物の実際(現実世界で)の説明がなされている。これを読むとより深く理解できるし、想像以上に事実に基づいて書かれていることが分かって「ほ〜」となるので、上巻を読んでいる時から参照したかったなと思った次第。
ただし下巻のあとがきはさりげなくネタバレ(といってもいいかなと思うような記述)があるので、読み終えてから読んだ方が楽しいと思う。
エイダ・バイロンがプログラミングの母なら、バイロン卿はホラー小説の父
ちょうど『メアリーの総て』を見たところだったので、バイロン卿の名前が出てきてはっとした。
バイロン卿の別荘での語らいから、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』 とポリドーリの『ドラキュラ』が生まれたのは有名な話。
『ディファレンス・エンジン』の世界ではバイロン卿は首相になっている。ということは、『フランケンシュタイン』が生み出されなかった世界なのだ。
それにしても『メアリーの総て』はよかった! 若く世間知らずのメアリーの人生を、色々な局面から描いていて、継母との関係性やシェリーとの恋、幼子をなくした悲しみ、人生への絶望「総て」が『フランケンシュタイン』のもとになっているんだなと分かる。
それから、なんと『ゲーム・オブ・スローンズ』のアリアが友人役で出演していますよ! ゲムスロファンは必見。
そのほかにも、あわせて読むと面白そうなフィクション
なんだか読んでいると、あれもこれも読みたくなる類の小説だった。
ベンジャミン・ディズレイリによるSybil: Or, the Two Nations
Sybil: Or, The Two Nations (English Edition)
- 作者: Benjamin Disraeli
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作中にも登場するディズレイリのSybilから、シビル・ジェラードの名はとられており、関連エピソードもいくつかあるそう。読まなくては!
1850年代あたりのロンドンが舞台の作品
『ディファレンス・エンジン』の舞台は「もう一つの」「ありえたはずの」ロンドン、1855年あたり。
実際の1950年代あたり(1930-60年代くらいまでを含む)のロンドンを舞台にした小説といえば、ディケンズによる『大いなる遺産』や
ウィルキー・コリンズの恋愛小説『白衣の女』、
ロンドンではないけれど特筆すべきは『不思議の国のアリス』もこの辺りの年代に書かれていたということ。
- 作者: ルイス・キャロル,河合祥一郎
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
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ジョージ・エリオットもブロンテ姉妹もヴィクトリア朝だし、芸術が花開いた時代だったんだなあ……ということを考えながら読むとより一層楽しめそう。
共作SF
ギブスンとスターリングのごとく二人の作家による共作として世に送り出されたSF小説といえば、日本では、『ディファレンス・エンジン』上巻の解説も書いている伊藤計劃x円城塔の『屍者の帝国』。どちらの作家の作品もほとんど読んだことがない……読んでみたい。
そして最近の共作で気になっているのは、エイミー・カウフマンxジェイ・クリストフの『イルミナエ・ファイル』。分厚さと価格に躊躇してしまうけれど、これも読みたいな。
登場人物 一覧
私的な備忘録です。
*名前のリンクはWikipediaに飛びますが、下記のdescriptionは『ディファレンス・エンジン』内での役回り。
[シビル・ジェラードのエピソード]
シビル・ジェラード:機械打ち壊し(ラッダイト)運動を率いた革命家の娘。
ウォルター・ジェラード:(死亡)機械打ち壊し(ラッダイト/Luddite)扇動者。
ミック・ラドリー:テキサス将軍の秘書兼実務担当。シビルにパリ行きを持ちかける。
サム・ヒューストン:テキサス共和国の将軍。
[エドワード・マロリーのエピソード]
エドワード(ネッド)・マロリー:古生物学者。長年カナダやアメリカに滞在していたが、ロンドンへ戻ってきた。"陸の巨獣(ランド・レヴィヤタン)"を掘り出した。王立協会の特別会員。
トマス・ヘンリイ・ハクスリー:進化論を唱えている。マロリーの恩師。
ウェイクフィールド:定量犯罪学担当次官。警察にて機関を取り扱っている。
トバイアス:ウェイクフィールドの助手。マロリーが警察の機関を使用して、自分に襲いかかった人間の身元を特定するのを助ける。
フローレンス・ラッセル・バートレット:エイダ・バイロンとマロリーに襲いかかった赤毛の女。
"キャプテン・スウィング":フローレンスとともにいた男。
エベニーザー・フレイザー警部:マロリーが何者かに狙われていると知ったオリファントが、身辺警護のために紹介してくれた警部。
J・C・テイト:マロリーを付け回し、襲いかかった男。元・首都警察の一員。
ジョージ・ヴェラスコ:マロリーを付け回し、襲いかかった男。闇取引屋。
ピーター・フォーク:マロリーの同僚。J・C・テイトとジョージ・ヴェラスコを雇い、マロリーに襲いかからせようとしていた。
ブライアン:マロリー(長男)の弟。マロリー家の六番目の子供。軍人。
トム:マロリーの弟。ロンドンで働いている。
[両方のエピソードに登場]
チャールズ・バベッジ:差分機関(ディファレンス・エンジン)の父。産業推進党を支援。
エイダ・バイロン:総理大臣の娘で"機関(エンジン)の女王"と呼ばれている。バベッジの親友にして愛弟子。産業推進党を支援。
ジョージ・バイロン:ブリテンの首相。エイダの父。
チャールズ・エグレモント:シビルの父を裏切り、密告した男。今では下院議員。
ローレンス・オリファント:ジャーナリスト・旅行記作家。地理学協会の仕事に携わっていると言い、警察の機関(エンジン)を使ってロンドンを調査して欲しいとマロリーにもちかける。
ラドウィク教授:古生物学者。マロリーの同僚。気力学も研究しており、バベッジ卿本人もそれに関わっていた。テキサス人らしき者に殺される。
ウォレス:テキサスのレインジャーズの一員。テキサス将軍がテキサスをブリテンに売り渡すことを嫌がり、彼を暗殺しようとしている。また、エイダ・バイロンとエドワード・マロリーに襲いかかる。
ヘティ・エドワーズ:シビルのロンドンでのルームメイト。遊び女。
ベンジャミン・ディズレイリ:扇情小説を書く作家。
ジョン・キーツ:キノトロピスト(蒸気画像を動かす)。
森有礼:日本からやってきたオリファントの愛弟子。蒸気と「ブリテン的」なもの全てに魅せられている。