[Spinning]
ワルツジャンプ
最初に習ったジャンプのひとつ
片足を振りあげた勢いで
体が持ち上がる感覚を今でも覚えている
女子ロッカー室に充満する汗や香水の匂い、スケートリンクのひんやりとした空気とどこまでも続く氷の静けさが目の前に広がるかのような、印象的な絵から始まる物語。
絵の感じや雰囲気からして、てっきりバンド・デシネだと勘違いして読み始めて、数ページ読んだところで「ん? ニュージャージーの女の子?」と思って帯の作者紹介を確かめたら、アメリカ人漫画家によるグラフィックノベルだった。
その作者の写真を見て、これまたびっくり。主人公にうりふたつ。そのうち、主人公の名前も「ティリー」だと分かり、「メモワールなのか」と理解したのだった。
書店でよく目立つところに積まれているので売れているのだろうなと思っていたけれど、あらすじなどは全然見ていなかったのです。
これはティリーという少女が11歳から17歳に成長するまでを追った物語。小さい頃からシンクロナイズドとフィギュアを滑っていたティリーは、11歳の時にニュージャージーからテキサスへ引っ越しても新たなリンクで、新たなチームで、スケートを続ける。
朝は5時に起きてフィギュアの練習、放課後はシンクロナイズドの練習。厳しい練習が毎日続き、週末は地方の大会に遠征する。もうだめだと思っても、スケートの審査には合格し続ける。
ティリーは決してオリンピックレベルのスケーターではない。例えるならば、高校を卒業したら「ディズニー・オン・アイス」で食っていけるくらいの実力はあり、成績もどんどん上がっている選手。それでもいつからか、ティリーは気づいてしまうのだ。高校を卒業したらアイススケートを続けるつもりなんて、ちっともないことに。
なら、どうしてこんなにも必死に滑っているのか? それはひとえに、親から十分受けたとはいえない愛情を、幼い頃スケートのコーチからもらった思い出ゆえだろう。一度も大会を見に来てくれたことのない母親の代わりに、いつだって優しく抱きしめてくれた女性のコーチ。ここに来れば抱きしめてもらえる、ここにこそ愛情があると感じたのが忘れられなくて、がむしゃらに続けているのだ。
それでも、ティーンエイジャーになると、様々な問題がふりかかってくる。新しい女子校でのいじめや家庭教師によるセクハラ。そして、自身のセクシャリティについての苦悩。
5歳のころから自身がレズビアンだと知っていたティリーは、中学校で好きな女の子と付き合うようになる。初めてキスした晩のことを、ティリーはこう語る。
覚えているのはスリルでも自由な感覚でもなく 恐怖だった
ゲイでいるのが恐ろしかった
テキサスに住んでいるのが恐ろしかった
ユーチューブで観たヘイトビデオとヘイトの存在が恐ろしかった
すごく静かなグラフィックノベルで、ティリーが気持ちを顔に表すことだって滅多にないのに、読者としては様々な感情が溢れ出す作品だ。自分の愛する人の初恋の思い出が「恐怖」だったとしたら……想像するだけで、胸が張り裂けそうになる。
とともに、ティリーが自分が本当にやりたいことを見つけて終わるこのグラフィックノベルは多くのティーンエイジャーにとって、終わることがないように感じられる暗闇を照らす光となるのではないかな、と感じた。
作者のウォルデンは若干22歳。デビュー作・2作目がともにイグナーツ賞を受賞、『スピン』ではついに「漫画界のアカデミー賞」と呼ばれるアイズナー賞を受賞(『ビッグ・バン・セオリー』ファンにはおなじみ、コミコンで発表される賞)。
Eisner Awards Current Info | Comic-Con International: San Diego
ちなみに、同じくアイズナー賞を受賞している手塚治虫の『ブッダ』が大好きとのこと。SF、恋愛、成長譚と、ウォルデンの作品は全て趣が異なるらしく、そんなところも手塚治虫を彷彿とさせる。まさに鬼才としかいいようがないグラフィック・ノベリストなのだ。
それから、日本語訳も素晴らしかった! 会話の訳がとても自然で、翻訳物を読んでいるという感じが全くしない。日本語で書かれた小説と漫画を比べても、漫画はよりリアリティのある言葉遣いをしているということもあり、グラフィックノベルの翻訳はより身近に感じられるものになっていくのだろうか。
ウォルデンは10月にOn a Sunbeamという新作を発売。これも楽しみ。