2018年のギラー賞(受賞作品の発表は11月19日!)にノミネートされていて、読みたくなったシーラ・ヘティのMotherhood。一風変わったユーモラスな語り口が心地よくて、これまた数多の積ん読を差し置いて、一晩で読んでしまった。
2018年のギラー賞ショート・リスト - トーキョーブックガール
フィクションなのか、エッセイなのか、伝記なのか、その境界線を漂うような作品で、しいて言うならばミランダ・ジュライの『あなたを選んでくれるもの』のような感じ、でもないのだけれど、あれがお好きな方は好きかもしれない。Amazonでは前作同様Biographical Fictionに位置付けられている。
「わたし」はトロントに暮らす36歳の作家。子供を持つべきか、考え続けている。今まで子供がほしいと思った事は正直ないけれども、周りの同年代の友人たちはどんどん出産していて、「子供っていいものよ。あなたはきっと素晴らしい母親になるわ」と微笑みながら、ニンフのように誘惑してくる。
一方、「子供だけが人生じゃない」だとか「アーティストとして生きるには、子供がいたらやっていけない」と言う人もいる。また、同棲相手のマイルズは前妻との間に娘がいることもあり、新たに子供が欲しいとは思っていない。子供は足かせになる、君がどうしても欲しいなら作ってもいいけれど、という態度。結婚していないからか、それとも情緒不安定気味な「わたし」との行く末に不安を感じているからか、「責任は負えないよ」という本音が見え隠れする。
そして、この問いには「期限」がある。子供を産めるのはおそらく後数年、「わたし」にとっては40歳が一つのタイムリミット。その間に自分がどうしたいかを決断しなくてはいけないのだ。
「わたし」の言葉を借りると、「14歳から44歳くらいまでの30年の間に、女の人は全てやってのけなくちゃいけない。男の人を見つけて、子供をつくって、キャリアをスタートし軌道に乗せて、病気にならないよう気をつけながら、自分の口座にお金を貯めて、夫が余生のための貯金をギャンブルで使い果たしてしまっても大丈夫なように準備しておかないといけない」*1。正直男性だって同じくらいのことをしなければいけないとも思うが、子供をお腹の中で10ヶ月かけて育て命がけで出産する&その間キャリアの中断を余儀なくされるというのは、今のところ女性だけですからね……。
でも、「わたし」は子供が欲しいのか? いくら考えても分からない。「分からなくても産んでしまえば、子供がいてよかったって思うようになるもの」と言われても、人生が一変すると思うとそんな決心とてもできない。考え出すと、もうどうしようもなくなる。
おまけに、仕事のスランプにも陥っている。マイルズが朝仕事に行く時、泣いてしまった。一人家に残されて、やることがないんだもの。彼はこう言う。「きみは作家なんだから、本を書けばいい。シモーヌ・ヴァイユについて書こうとしていたじゃないか」それでも書く気になれない、どうすればいいの?
いろいろな疑問が頭に浮かぶので、とりあえずこの母親になるべきかならざるべきか問題を、思いつくまま綴ることにする。さらに、頭を整理するために、子供を持つ友人から話を聞いたり、占い師に会いに行ったり、コインを3枚投げて表か裏かを読むことでyes / noの答えを導き出そうとしたりする。
Am I just cursed by a demon, sort of randomly?
yes
Should I pay any attention to my dreams—imagine they say something real about my life?
no
All they can tell me about is the demon?
yes
Would it be useful to pay attention to my dreams, to learn more about the demon?
yes
So I can fight it?
yes
is there any chance of me being successful in the fight?
no
という調子で、突然奇天烈なyes / noが始まったりするのだが、コインの答えは完全にランダムなはずなのに、なんだか一貫性があるようで結構笑える。
子供のことを考えすぎて、毎晩のように子供が生まれたという夢まで見るようになる(!)。「未来の息子の顔」、「未来の娘のくせ」を夢の中で体験するのだ。
どうして人間って、未だに産み続けているの? 私のようなアーティストは、子孫を残すことではなくて作品を残すことを考えていればいいんじゃないの? 子供を残すことと作品を残すことは、同じではないの? 人生の意味ってなに? その問いに正しい答えというものは存在しない。
しかもユダヤ系移民の娘として生まれた「わたし」は、ホロコーストという迫害された過去からくる「ユダヤ人女性はたくさん子供を産み子孫をつなげるべし」という産めよ増えよの価値観を身近に感じながら育ってきたので、子供を産まないことに対する罪悪感もある。子供について考え続ける中、祖母の願いを聞き入れキャリアを築いて一生のほとんどを働きながら過ごした母親の悲しみも分かち合えるようになる。もがき続ける中で、
Living one way is not a criticism of every other way of living. Is that the threat of the woman without kids?......Her decision about her life is no statement about yours. One person's life is not a political or general statement about how all lives should be.
などと気づきがあったりもするのだけれど、女性の生き方が多様化している現代社会では、悲しいかな、どの人生を選んだとしても、選ぶことのできたはずの他の人生について思いをはせてしまうものなのだ。
半分も読めば分かる。「わたし」は子供がほしいなんて全然思っていない。はっきりいって、子供のいる人生に恐怖を感じている。でも、「子供を産んだ」=自身で選択し決断した、とみなされるのに、「子供を産まなかった」=なんとなく流れでそうなってしまった・何も決断しなかった、と思われるのが嫌なだけで、procrastinationを重ねてしまっているんだな、と。女性に対するそういう抑圧が社会に根強く存在しているということの表れだ。
この本の中で、「わたし」はどんどん年を重ねる。36, 37, 38, 39, そしてついにやってくる40歳。後半は、行動は何もせずにひたすら自分の頭の中を探索する「わたし」があまりに同じことを繰り返しているように思える部分もあり、飽きたことは否めない。ただし、何も変わっていないようで、最後には精神の解放が訪れるのが救い。
いろいろと思うことはあり、感想を書こうとするとどうしても自分の「わたし」に対する個人的な意見ばかりになってしまうので書けないのだが(本筋と関係ないところだけ書くと、子供云々の前にマイルズとの関係性を再考しようよとか、完全に鬱状態に陥っているから病院と抗鬱剤だけに頼るのではなく運動するなり食事を見直すなりしようよ鬱は腸から始まるって解明されているんだからとか、LGBTQに対する視点はステレオティピカルすぎるしゲイの男性を例に挙げた部分でレズビアンの女性についても同じことが言えるのかだとか……)、「まだ一般的でないことを選択する人は、選択をする時にこういうことを考えている」という意味で、出産の是非について考えている30〜40代女性に限らず、様々な人の参考にはなる作品だろう。
むしろ、出産について考えている女性が読者であれば、あまり目新しい内容はないように感じられる。どの国に住んでいようが、おそらく日々友人らと話し合っていることばかりだから。それでも、「わたし」が表明するように、どのような人生を選んでも、自分と違う人生を選んだ人を責めることなく、羨んだり妬んだりするのではなく、尊重し、私は私で、ありのままに共存していけるよう努力したいと改めて思った。
*1:"Apparently, during these thirty years-fourteen to forty-four-everything must be done. She must find a man, make babies, start and accelerate her career, avoid deseases, and collect enough money in a private account so that her husband can't gamble their life's savings away."