トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

ジュンパ・ラヒリについて

 

 

 

 

生い立ち

 ジュンパ・ラヒリはベンガル系インド人移民の娘として、ロンドンで生まれた。

 幼い時に家族がアメリカに引っ越したため、アメリカで育つ。

 そのため、ラヒリ自身のアイデンティティは「アメリカ人」のそれである。

 一方、子供たちにベンガル系インド人としてのマインドを忘れて欲しくないという母の願いから、一家はたびたびコルカタ(カルカッタ)の親戚を訪れたという。

 英語が流暢に話せない両親と、ベンガル語がうまく話せないラヒリ。

 2つの文化の間で成長した時に感じた葛藤、周りの人との違いを意識させられたこと、別の世代に属する肉親との価値観の違いなどを、彼女は小説として描いている。

 そう、彼女の小説は自伝的要素が非常に強い作品だと言える。 

 デビュー作『停電の夜に』は短編集で、舞台はアメリカとインドだ。

 ラヒリはそれについて、こう語っている。

When I began writing fiction seriously, my first attempts were, for some reason, always set in Calcutta, which is a city I know quite well as a result of repeated visits with my family, sometimes for several months at a time. These trips, to a vast, unruly, fascinating city so different from the small New England town where I was raised, shaped my perceptions of the world and of people from a very early age. I went to Calcutta neither as a tourist nor as a former resident — a valuable position, I think, for a writer. The reason my first stories were set in Calcutta is due partly to that perspective — that necessary combination of distance and intimacy with a place. Eventually I started to set my stories in America, and as a result the majority of stories in Interpreter of Maladies have an American setting. Still, though I've never lived anywhere but America, India continues to form part of my fictional landscape. 

 

(2003年のインタビューより)

引用元: Interview With Jhumpa Lahiri

 移民の子供だからこそ持つ、「どこにも所属しない感じ」。

 その浮遊感がラヒリの小説の魅力の一つでもある。

 

イタリア移住 

 ラヒリはAlberto Vourvoulias-Bushという男性と結婚し、子供をもうけている。

 Albertoさんはギリシャ系アメリカ人であり、ラヒリの子供たちはラヒリ自身とはまた違う文化や価値観を受け継ぐのだろう。

 また、ラヒリがイタリアという国と恋に落ちたこともあり、2018年現在一家はアメリカを離れ、イタリア・ローマで暮らしている。

The only thing I know for sure is this one: I was looking for happiness, and I found it in Italian. The first time I saw Rome, after a couple of hours I said to my husband: I absolutely have to live in this city. Why, I didn’t care; I was overcome by a feeling, an urge to be in a place and have a relationship with that place. Just as it happened in Florence, twenty years ago, hearing Italian for the first time, and thinking: I must have a relationship with this language, otherwise there will always be a piece inside of me that is missing.

 

引用元: "What Am I Trying to Leave Behind?" An Interview with Jhumpa Lahiri | Literary Hub

 そんなラヒリが近況を語ったインタビューの中で、一番面白かったのがこちら。

lithub.com

 抜粋すると、

But now the idea of a precise identity seems a trap, and I prefer an overabundant one: the Italian piece, the Brooklyn one, the Indian one. Identity is a completely fluid thing, and metamorphosis has this concept in it. 

 

 I was without a doubt driven by the desire for a language to call my own. With the Italian language I have an extremely close relationship and an enormous love. When I was a girl I wanted to possess another language, and through it find a precise identity, a culture, a country, a hometown. Now the definition of possession strikes me as another trap. And so it’s fine to always have a strange sort of relationship with the languages of my life. And this slight separation between me and Italian is okay, even though it’s painful. Every relationship with a language you choose and love is an ascending path: wonderful, exciting, with many ups and downs. A life path.

Italian is the language I have chosen: I cannot say “foreign”, because when I speak and read in Italian I feel at home. I feel this strong sense of belonging, even if it’s not real because I’m not Italian. Italian does not belong to me completely, and yet it belongs to me because it’s a relationship I have chosen and strongly wanted. The problem with English and Bengali is that they have both been imposed. While Italian is an unusual path, an unexpected one, and comes from me only. 

 

引用元: "What Am I Trying to Leave Behind?" An Interview with Jhumpa Lahiri | Literary Hub

 ラヒリは2013年以降に英語ではなくイタリア語でエッセイを2つ出版している。 

 最近では、イタリア人作家の小説の英語への翻訳も手がけているようだ。

To translate, too, is a kind of metamorphosis. I translated a book (Ties, by Domenico Starnone, published in the US by Europa Editions), I teach a class in translation at Princeton, and the subject is always the same: metamorphosis, transformation. When a being, an entity, becomes something else.

 

引用元: "What Am I Trying to Leave Behind?" An Interview with Jhumpa Lahiri | Literary Hub

electricliterature.com

 村上春樹もそうだが、作家にとっては翻訳は素晴らしい「第二の仕事」になるんだろうなと感じる。アウトプットし尽くした頭を別の方法で使うことができ、他の作家の文体やスタイルを存分に感じ、それらを読者に伝える。

 ラヒリが面白いと感じたイタリア文学を読みたいのはもちろんだが、その後に出てくる(であろう)ラヒリの小説を読むこともまた将来の楽しみの1つである。

 

ラヒリの小説

 

 ラヒリはこれまでに短編集を2つ、長編を2つ、エッセイ集を2つ発表している。

 フィクションの作品全てに共通する特徴は、

  • 心にまっすぐに響くシンプルな文体
  • 登場人物がインド系の移民(もしくはその子供たち)であること
  • 湿度の高さ

である。

 「湿度の高さ」は説明しにくいが、小説を読んだ方にはきっと納得していただけると思う。ほとんどの作品が、アメリカで起こることをシンプルな文章で綴っているだけなのに、その文章は妙にしっとり、じっとり、じんわりとしていて、まるでアジアの熱気を持っているのだ。これは、2つ以上の文化を知りながら育ったラヒリにこそできる技かもしれない。

 

短編集 『停電の夜に』 

 夜、アパートが数時間停電することになり、ろうそくの明かりの中で今まで打ち明けられなかった秘密をお互いに語りだす夫婦。

 アメリカの大学の図書館で働くことになり、妻をカルカッタから娶り一緒に暮らしだす男性。

 不倫で離婚寸前の夫婦の息子をベビーシッターとして預かることになる、自身も不倫中の女性。

 日常に埋もれているちょっとした痛みや幸せをすくい上げるような静かな短編集。

停電の夜に (新潮文庫)

停電の夜に (新潮文庫)

 

 

長編 『その名にちなんで』

 列車事故で、偶然ある男の命を救った本。著者はゴーゴリ。というわけで、その男の息子はゴーゴリと名付けられた。

 インド系なのに何の所以もない名前を持つことに違和感を感じる少年。アメリカ東海岸で育ち、両親の故郷インドとも隔たりを感じる。名門大学に進学した彼は、改名まで考えて……。

 生まれた土地以外で生きること、アイデンティティを確立することの難しさを、心にまっすぐ響くシンプルな文体で書き上げる。まさにアメリカ東海岸とインドの融合がなせる技。

その名にちなんで (新潮文庫)

その名にちなんで (新潮文庫)

 

 

短編 『見知らぬ場所』

 子供時代を一緒に過ごしたヘーマとカウシク。その後、違う国に暮らすようになる二人の30年間が描かれた短編3つが心に残る。

 とはいえ、どの短編も人間の感情の機微を驚くほど鮮やかに描き出しており、まるで登場人物がすべて本当に息をしているよう。

 ほとんどのお話がアメリカ育ちのインド系の人物にまつわる話なのに、どれも新しい。 

見知らぬ場所 (新潮クレスト・ブックス)

見知らぬ場所 (新潮クレスト・ブックス)

 

 

長編 『低地』

 カルカッタで育った年子の兄弟、スパシュとウダヤン。弟ウダヤンは革命運動に傾倒していき、両親と妻ガウリの前で射殺されてしまう。アメリカに留学していた兄スパシュは、居場所のなくなった身重の弟の妻ガウリをアメリカに連れ帰ることにする。

 しかしガウリはスパシュの前から姿を消してしまう。

 スパシュは一人で、ウダヤンとガウリの娘ベラを育てるのだが……。

 こうなるはずではなかったということの連続が人生で、愛はとても大事なことではあるけれど、誰かと出会って恋をして結婚するということが必ずしも周りの幸せにつながらなかったりもする。静かに語られる記憶の重さと切なさがじーんと心に残る。

 

低地 (Shinchosha CREST BOOKS)

低地 (Shinchosha CREST BOOKS)

 

 

エッセイ 『べつの言葉で』

 ローマに移住し、初めてイタリア語で書いたエッセイと短編小説。言葉に関するもどかしい思いは、「わかるわかる!」というものも多く頷きながら読み進んだ。

 夫よりラヒリの方がイタリア語を勉強しており上手に話せるのに、肌の色のせいで自分ばかりが外国人だと思われること。英語とベンガル語の関係性。英語になまりのある両親への思い。英語を話す友達の前では、ベンガル語を話すことが恥ずかしかったこと。

 言葉はいつだって私たちを自由にして新しい可能性を見せてくれる。

 ラヒリが大好きだと思える言語と巡り会えたことを祝福したい思いでいっぱいになった。

べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)

べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)

 

 

エッセイ "The Clothing of Books"

 イタリアの作家フェスティバル用に用意したスピーチをまとめたもの。

 主に本や、自身の著作の表紙デザインについて。 

 作者が本の装丁について語る機会はそうそうないので、興味深い。

The Clothing of Books

The Clothing of Books

 

tokyobookgirl.hatenablog.com

 

 

 ラヒリはノラ・ジョーンズに似ているという人が多いらしいが、私は安蘭けいさんに似ていると思っている。

 

 それではみなさま、今日もhappy reading!

 

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