トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

『燃える平原』 フアン・ルルフォ

[El Llano en Llamas]

 とても久しぶりに『燃える平原』を再読した。日本語で読むのは初めて。

 絶版になっている水声社の単行本を買おうかなどうしようかな、と考えていた時に岩波文庫として出版されるというニュースを聞いたので5月まで楽しみに待っていたのでした。

 文庫化、本当に嬉しい! 翻訳者は水声社版と同じく杉山晃さんで、文庫化にあたり見直した部分もあるとのこと。

燃える平原 (岩波文庫)

燃える平原 (岩波文庫)

 

 ルルフォは現在のラテンアメリカ文学の基礎を築いたとして高く評価されているメキシコ人作家だが、出版された小説は『燃える平原』と『ペドロ・パラモ』のたった2冊だけ。

 この2冊を出版した後はテレビや映画の脚本を書いたり、写真家として生活していた。写真家としては多くの作品を残しており、岩波文庫『ペドロ・パラモ』の表紙の兵士2人の写真もルルフォ自身が撮影したものなんだそう。今回発売された『燃える平原』の表紙の子供達の写真もルルフォが撮影したのだろうなと思い調べてみたらやはりそうだった。

Oigamos a Rulfo

 写真集もいくつか出版されている。写真はどれもメキシコ人の暮らしや当時のメキシコの空気を切り取った美しいものばかりで、小説とも雰囲気がよく似ている。 

Juan Rulfo

Juan Rulfo

 

 "Rulfo Fotografía"でググるといくつかオンラインでも見ることができます。 

elpais.com

 『ペドロ・パラモ』の2年前に出版された『燃える平原』は短編小説集で、10年ほどの時間をかけて発表された作品が収録されている(「おれたちのもらった土地」、「コマドレス坂」、「おれたちは貧しいんだ」、「追われる男」、「明け方に」、「タルパ」、「マカリオ」、「燃える平原」、「殺さねえでくれ」、「ルビーナ」、「置いてきぼりにされた夜」、「北の渡し」、「覚えてねえか」、「犬の声は聞こえんか」、「大地震の日」、「マティルデ・アルカンヘルの息子」、「アナクレト・モローネス」)。

 どれもメキシコ革命やそれに続くクリステロ戦争を背景に、庶民の暮らしを描いたものばかり。革命・戦争時ルルフォはまだ子供だったが父親が殺され、母親も後を追うように亡くなっている。だからだろうか、親と子の関係性を描いた作品も多い。

 簡潔で飾りのない口語体がすっと心と体に入ってくる。スペイン語ではもちろんだが、邦訳も詩のようなリズムがあり、タイトルや登場人物の発する言葉がいつまでも頭に残る。

 

 

「コマドレス坂」La Cuesta de las Comadres

 フリオ・リャマサーレスの『黄色い雨』を読んで、登場する集落の消滅と死から『ペドロ・パラモ』を思い出したという方は多いようだが、『黄色い雨』は「コマドレス坂」にもよく似ていると思う。だんだん寂れていく村、村を牛耳っていた若者たちの死。

 

「おれたちは貧しいんだ」Es Que Somos Muy Pobres

 カラカラに乾いた大地のイメージが強いルルフォの作品にしては珍しく、大雨によってもたらされる不幸がテーマ。明るい未来を約束してくれる存在だった牛が川に流され泣き出す妹と氾濫した川のイメージが重なり、なんとも詩的。

 

「追われる男」El Hombre

 解説によると、ルルフォは

人と話をするのは都会の人間のすることだ。田舎では違うんだ。私の家では話をしないんだ……国立民族研究所へ行く道々、歩きながら話すと楽になる。ひとりで話すんだ。誰かと話すのは好きじゃないんだ。

と語っていたらしい。確かに小説にも一人で語る人物が多く登場する気がする。この作品もそうで、追う男と追われる男がそれぞれ独り言を繰り返す。自分の声を耳にして持つ登場人物の感想が印象的。

 

「タルパ」Talpa

 聖書のカインとアベルの物語をなぞらえたようなお話。ちなみに同じモチーフを用いたスタインベックの『エデンの東』も「タルパ」とほぼ同時期に発表されているという偶然。皮膚がただれる病気になったタニーロと妻のナターリア。タニーロの弟の「おれ」とナターリアはタニーロの望み通りタルパまで彼を連れて行こうとする。もう人間ではないような異様な臭いを放つタニーロに情け容赦なく照りつける太陽や、静かな夜に燃え上がる「おれ」とナターリアの欲望がぞっとするほど心に刻み込まれる。人生って……。

 

「燃える平原」El Llano en Llamas

 見渡す限り広がるような平原を舞台にして、メキシコ革命における反乱軍と政府軍の小競り合いが描かれる。炎をつけられ燃えるのは平原なのか、それとも男たちの命か。

 文章が簡潔だからこそ、撃ち合いや兵士の死がくっきりと浮かび上がる良質な作品。

 この登場人物たちは、冒頭の短編「おれたちのもらった土地」にも出てくる(時系列では「燃える平原」が先)。

この平原はどう見たって、役に立つ代物じゃねえ。野うさぎもいなけりゃ鳥もいねえ。何もありゃしねえんだ。

 「牛の皮のように」乾いた実りのない土地は、それでも「おれたち」のもらった土地。

 

「殺さねえでくれ」¡Diles Que No Me Maten!

 何十年も前に犯した殺人の復讐を受け殺されようとする老人。いつまでもぐるぐると回り続けるようなこの不幸の連鎖は、息子が終わらせたのだなと思うとともに彼の抱えるやるせなさも感じる。

  

「ルビーナ」Luvina

 ぼろぼろに風化した石、谷底から吹き上がってくる風、乾ききってひび割れた地面。誰も住んでいないようなのに、誰かの声がする。ルビーナはそんな村である。

 読んでいるだけで乾いた土の匂いがしてくるような、まさに『ペドロ・パラモ』の息吹を感じるような物語。

 男たちが喋っている酒場の近くの川の水の音や子供達の歓声が、ルビーナの描写とは対照的。

 

「犬の声は聞こえんか」¿No Oyes Ladrar los Perros?

 「殺さねえでくれ」や「覚えてねえか」と同じく、語りかけるようなタイトルがいい。

 太陽のように眩しい月明かりの下を、負傷した息子を背負って歩く年老いた父親。だんだんと元気がなくなり返事もしなくなる息子を相手に、滔々と彼や今は亡き妻についての思いを語る父親。「何も見えねえか」、「犬の声は聞こえんか」。町にたどり着くとともに視覚的にも聴覚的にもパッと世界が広がるようで、それとは反対に喪失の悲しみを味わうことになる父親が急に小さく儚く感じられる。

 

「マティルデ・アルカンヘルの息子」La Herencia de Matilde Arcángel

 息子を「妻の命を奪った悪魔」として憎み嫌う父親は『嵐が丘』のヒースクリフを彷彿とさせる。「この作品を読んだ年は他のどの作品を読んでも物足りなく感じた」とガルシア=マルケスに言わしめた逸品で、父と子の憎しみの連鎖や繰り返される生と死はガルシア=マルケスに多大なインスピレーションを与えたのだろうなと感じる。

 

「アナクレト・モローネス」Anacleto Morones

 一列に並んでやってくる黒ずくめのおばあさんたち。女性たちを誘惑しとりこにした教祖。ちょっとシェイクスピアのような雰囲気もあり、まるで映画のよう。オペラ化もされていると読んで納得。

 

 ルルフォが残した小説は上記2作だけだが、彼が作った映画用プロット"El gallo de oro(黄金の軍鶏)"(ルルフォ原案、フエンテスとガルシア=マルケスが脚本を担当した映画の脚本)はAmazonで入手可能。ルルフォ熱に浮かされて、ぽちってしまいました。

El gallo de oro y otros relatos

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