トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

『中国が愛を知ったころ』張愛玲(濱田麻矢・訳)

 「沈香屑 第一炉香」、「中国が愛を知ったころ」、「同級生」からなる短編選。これでついに、日本語に翻訳されている張愛玲はすべて読み終えてしまったことになる。この先どうやって生きていけばいいの……涙。

*装丁には、近道聡乃さんのイラストレーションが。

 「沈香屑 第一炉香」はこのように始まる。

 どうかお宅に伝わる、まだらに緑青が浮いた銅の香炉を出してきて、沈香を焚きながら戦前の香港の物語をお聞きください。その沈香が燃え尽きる頃、私の話も終わるでしょう。

 翻訳は濱田麻矢さん。なんて優美で流麗な……温かみのある伽羅の香りがふわっと漂ってくるようで、その香りとともになぜか郷愁を誘う胡弓の音が聞こえ、昔の香港が目の前に立ち上がってくるような、そんな文章である。これに続く、香港の山の手の豪邸の描写も思わず息をのむほど美しい。

 「沈香屑 第一炉香」の主人公は上海出身で香港在住の女の子、薇龍(びりゅう)。学校の卒業が来年に迫る年、父親の蓄えが底をつき家族は上海へ戻ることとなった。あと少しで卒業だというのに香港を離れるなんてもってのほかだと考えた彼女は、冒頭の「山の手の豪邸」に暮らす伯母、梁太太(りょうタイタイ[夫人])に泣きつく。豪商の妾となり、堕落した女性だからと一家から絶縁されている梁太太は、最初こそ冷たくあしらうものの、家に置き面倒をみてくれるようになる。社交界について教えてあげるとばかりにさまざまな衣類を薇龍のためにしつらえ、恋のたわむれを楽しめる相手も用意してくれるのだが……。

 張愛玲の描く恋愛と結婚は、ほかのどんな作家のものとも異なっている。このデビュー作(これがデビュー作! 信じられない!!)では少女が女性に成長する過程が、香港における季節の移り変わりとともに描写されている。愛もお金も両方手に入れたい、欲張りでしたたかなのに結局は自分の心を欺くことができない。

 「中国が愛を知ったころ」ではその題名のとおり「当時もたらされたLoveという概念」(訳者あとがきより)が追求されていて、雀卓につながる結末が見事。たとえば「Love」を「御大切」とした日本とはまた違う、愛についての物語。

 「同級生」は上海の女学校で青春をともに過ごした女性たちが成長し、時を経て再会するお話。こちらに登場する「誰かを慕う気持ち」もまた、ほかの短編に登場する「愛」と同じようにハープの音色のごとくきらきらと輝いているのだが手からこぼれ落ちるが早いか灰になってしまうかのような特別な味わいがある。

 ああ、もっと張愛玲が読みたいよ。でもこのような美しい翻訳を読んでしまったあとでは、とても英訳を読んで満足できるとは思えない。もっともっと翻訳してほしい。漢字で読みたい。中国語習おうかな……そう思ってしまうほど素敵な作品でした。

 濱田麻矢さんの翻訳作品ももっと読みたい。『覚醒するシスターフッド』に掲載されていた文珍(ウェンジェン)の「星空と海を隔てて」もとてもよかった。

 おそらく「星空と海を隔てて」を読む女性の多くと同じように、わたしも前の会社で主人公の孫寧(スンニン)のような目にあったことがあり、抗議せずに事なかれ主義で済ませてしまったのを今でも後悔していて、「もしかして何年も下の後輩の女性が同じようなことを言われて、今この瞬間に会社のトイレで泣いているかもしれない、わたしが声をあげていれば流されなかった涙が流されているかもしれない」と忸怩たる思いに駆られることがある。そんな気持ちをなぐさめ、「こういう作家がいて、こういう作品を書いているんだからきっと大丈夫だ。世界は変わり続けているんだよ」と励ましてくれるような、大切なお守りのようなお話。

 

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